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南の風 時折、凪  作者: 青空野光
田舎の町
12/43

同衾

 千切らんばかりの勢いで照明の紐を引っ張ると辺りは再び闇に包まれた。

「見ましたよね?」

「……」

 沈黙を肯定と捉えたのだろうか、彼女は大きな溜め息と共に怨嗟えんさの声を吐く。

「お父さんにも見られたことないのに」

「ごめん……」

 とんでもなく情けない声が出たことに自分でも少し驚いてしまった。

「もう寝ます。おやすみなさい」

 それは許されたというよりは、呆れられたといった方が正しいのかもしれない。

 彼女は布団の上に再び横になると、タオルケットを肩まで掛けてピクリとも動かなくなった。


 置いてけぼりを食らってしまいすっかり途方に暮れていた俺だったが、こんなところでいつまでも立ちすくんでいても仕方がないので元の巣に帰ることにした。

「千尋ちゃん、本当にごめんね」

 しょんぼりと項垂うなだれて部屋を出ていこうとした俺の背後から、僅かに衣擦れのような音が聞こえる。

 それに少しだけ遅れ先程より大分弱々しい声色が飛んできた。

「待ってください」

「……なに?」

「さっき言ったじゃないですか。怖いって」

「うん。だから電気を点けようと思ったんだけど」

「明るいと寝られないんです。だから生前(いつも)はお母さんと同じお部屋で寝てました」

 何とも可愛い告白だった。

「だから」

 彼女――のシルエット――はそういうと、自分が寝ている布団の横をポンポンと手で叩く。

「ここ、来て下さい」

「じゃあ、隣の部屋から布団持ってくるよ」

「結構です」

「……じゃあ、服持ってきてあげるから着なよ」

「しわになると嫌だから脱いだんです」

「俺のシャツとハーパンででよかったら――」

「間に合ってます」

「……」


 手練のセールスマンであっても彼女に高価な健康食品や浄水器を買わせることは不可能だろう。

 もっとも、今となってはそれも無駄なスキルとなってしまったが。

「来てくれたら理由、話しますから」

 叔父と叔母には本当に申し訳無く思うが、彼女に抗う術は全て使い果たしてしまったのだから仕方ない。

「……お邪魔します」

 元々は俺の寝床だったそこに遠慮しながら足を入れる。

 幅一メートルにも満たない一人用のそれ故に、否が応でも腕と腕がくっついてしまう。

「で、理由って?」

「中学に入った時です。ホームルームで『死ぬまでにやりたいこと』を十個決めるっていうのをやったんです」

「……」

「いっぱい思いついて、なんとか十個に絞ったんですけど。でも、ひとつも叶えられませんでした」

「……そっか」

「だから昨夜、寝る前にまた考えたんです。今から出来そうなことを六個」

「六? 十じゃなくて?」

「はい。十個はもう無理だと思ったから」

 一生懸命に考えた上での数字が六だったのだろう。

「それで――その一つがこれなの?」

「違います」

「え?」

「ちょっとこっち向いてもらっていいですか?」

「うん?」


 何がなんだかわからないが、言われた通りに横寝になる。

 暗闇の向こうの、ほんの十数センチ離れた場所にいる彼女が小さく息を飲むのが気配でわかった。

「ひとつはこれです」

 彼女はそう言うと同時に俺の胸に抱きついてきた。

「ちょわ、って……え?」

「万里くんにぎゅってして欲しかった」

「……」

 千尋ちゃんは”万里くんに”とは言ったが、それは彼女に触れることが出来る人間が俺しか居なかったからで、本当は父親か母親にそうして貰いたかったのではないだろうか。

 あと、ぎゅっとしているのは彼女のほうであり俺ではない。


 真っ暗な部屋の布団の中で、素っ裸の女の子に抱きつかれている。

 体温こそ伝わってはこないが、まだ幼いながらも女性的な特徴を帯びた質量は確かに感じられたし、腹の辺りには弾力に富んだ二つの膨らみが押し付けられ変形しているのもわかった。

 そんな状況にもかかわらず、俺の心はまるで八月の夕日が照らす海のように凪いでいた。

 それは、生前であれば無限の可能性を秘めていたであろう彼女の夢や希望が、今となってはこんなに慎ましいものになってしまったことに対する悲しさ故だった。

 万歳三唱をするように頭上に掲げていた手を下ろし、胸の中にいる小さな少女の髪をそっと撫でる。

「千尋ちゃん、髪の毛サラサラだね」

 絹のような手触りのそれは、俺の手櫛てぐしに一切絡むようなこともなく、指の間をサラサラと音を立てながらすり抜けていく。

「……万里くんのおかげで、ひとつ叶っちゃいました」


 しばらくそうしていると、それまで俺の背を抱え込んでいた細い腕がゆっくりと解かれ、同時に顔のすぐ下から小さな寝息が聞こえ始める。

 俺はそのあとも自身に眠りが訪れるのを待ちながら、彼女を起こしてしまわないようにそっと彼女の頭をなで続けた。

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