雨夜
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長い夜だった。延々と続いて、もう明けることがないのではないかと思ってしまうほど、長い、暗い時間だった。
ずうっと並ぶ道の街路灯が、オレンジっぽい色を下に落としている。石造りの濡れた地面は――雨が降っていた――その光を反映して光っていた。
道にはベンチが等間隔で置かれている。疲れたり、ちょっと物思いに耽りたくなったり、連れ添った者とじっくり言葉を交わしたくなったりした時に、腰を下ろすところだ。
だが、今はどのベンチにも、誰も座ってはいなかった。雨なので、理の当然なのかも知れない。濡れたベンチは気持ち悪かろう。衣服が濡れるのは面白くないだろう。疲れたとしても、思想がぽんと浮かんでも、談笑したくなっても、わざわざ不快を忍んで座る必要などない。
ぼくは傘を差してその道を、街路灯のぼやけたオレンジの空間の中を、ゆっくりと歩いていたが、ふと立ち止まった。足元に他と違ってくぼんだ部分があり、そこに雨水が溜まっている。ポツポツとその表面に、落ちた雨粒が弾け、小さな波紋を描く。
よく見てみると、道の両端には木々が、闇にすっかり溶け込んでいて、怪しげに蒼然と立っていた。その下には落葉。秋。何か物悲しい気分が頭をもたげる。
黒い傘に、黒いフロックコート。総じて黒い装束。ぼくはこの夜を身に纏っているかのようだ。
見晴るかしても果ての見えない、長い夜の、長い道の上で、立ち止まっているぼくは、心にぽっかりと風穴が開いてしまったような感じがする。ぼくは一体どこからやって来て、これからどこへ向かうのだろう。どこへ向かえばいいのだろう。正解なのだろう。あるいは、今いる道は誤りで、自分を行き止まりへと導いていくのではないだろうか。
不安になって、背後を振り返る。しかし、見晴るかせるビジョンは背後のものもほとんど同じ、否、まったく同じだった。
不安。不安。不安。
だが、詮無いことだった。不安なのは必然だった。不安が必然であることは、百も承知だった。
ぼくは、狭間にいるのだ。中途にあって、出発した後で、そして目的のところにまだ至っていないのである。
背後の方向には、闇。その向こうには、あらゆる過ぎ去ったもの、ことの幻が、闇という暗幕に滲んで見える。そして前の、これより向かうことになる方向には、あらゆる未だ叶っていない望みが、願いが、やはり闇に滲んで見えている。だが、同時に、前の闇からは、奈落が発する恐るべき冷気が流れてきていることを、微かに感じとっている。
踵を返して過去の方に帰る。確かにそうすることは、望ましいことのように思える。否、確信されさえする。そうすることが一番安心なことであると思える。
しかし、ぼくは薄々感付いているのだ。背後の方向に見える数多の懐かしいビジョンは、あくまでビジョンであって、そこに本物はないのである。背後の暗幕は、ビジョンを映し出すスクリーンであって、いわば壁であり、そこに向かっていくというのは、非現実的で、それゆえ妄想的で、愚昧な行為で、何の成果さえ上げない。
かつて見た景色は麗しくよく見え、一方で未来に見ようとする景色は、絶えず揺れ動いて、段々と眩暈がしてくるようだ。
過去というのは閉じた扉だ。そして未来というのは開かれた扉だ。当たり前のことで、ぼくは開かれた方へと足を進めなければいけない。立ち止まって思い悩んだところで、進むべき方向が変わるわけではない。
まさか閉じた扉へと戻り、そこで安眠に付くという選択肢が、ひょっとしてあるのだろうか。そうするとすれば、ぼくの時間はそこで止まり、未来は遠ざかり、すなわちそれは……
ぼくは雨夜の道を歩いていた。黒い傘を差して、黒い装束を身に纏って。
夜は長く、永遠に続くかのようだ。
そしてぼくは再び立ち止まる。
街路灯のオレンジが、雨を受ける地面に、鈍く照り付けている。
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