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7.とある伯爵令嬢の諦念

 まぁ、お待ちしておりましたのよ。

 どうぞお入りになって。

 新進気鋭の若手画家として有名な貴方に描いて頂けるなんて、光栄ですわ。


 さっそく始めましょうか。

 裸になってソファーにうつ伏せになればよろしいのね?


 ……あら。お顔が赤いわ。そのように目を伏せられて。もしかして照れていらっしゃるの?

 うふふ、女のヌードは描き慣れていらっしゃるはずですのに、おかしな方ね。

 そんな目で見つめられたら……わたくしも妖しい気持ちになってしまいそう……。

 だって……わたくし、愛しいお方以外の殿方に肌を見せるのは初めてですのよ?


 あら、お疑いかしら。本当よ。ただ、わたくしの場合は、「愛しいお方」がたくさんいるというだけの話。

 貴方にわたくしのヌード画を依頼したのもその内の1人ですわ。この屋敷を与えて下さった方もね。うふふ。


 あらそう、膝はもう少し曲げるのね? 顔の角度はこれでよろしくって?

 ……ええ、苦しくはないけれど、ずっと動いてはいけないって、なかなか辛いものね。それに退屈だわ。


 ねぇ、描いている間、わたくしの話し相手におなりなさいな。

 喋ると筆が進まない? そういうものですの? でしたら、わたくしが好きに喋るから、貴方はお聞きになっていらして。


 ……それにしても、こんな日の高いうちから一糸纏わぬ姿でソファーに横たわるだなんて、本当にわたくし初めての経験ですのよ?

 なんだか不思議と開放的な気分になってしまいますわね。わたくしの全てをさらけ出してしまいたくなるような……。


 ……ねぇ貴方、わたくしのことはどこまでご存知?

 そうよ、わたくしはオルコット伯爵の娘。

 母は元高級娼婦バーバラ。

 あら、社交界では有名な話ですもの。今さら隠す気などないわ。貴方もご存知だったんでしょう?


 母はね、実はとある侯爵様の庶子なの。

 ……さぁ、それが本当かどうかは知らないわ。

 ただ、母はそう信じていたわ。今でも、ね。


 そんな母は、どうしても貴族になりたかったのね。

 場末の酒場の歌手から大きな劇場の女優になり、そして高級娼婦になった。

 なかなか人気だったと聞くわ。


 母の数いる恋人達の内、最も母に溺れたのが父のオルコット伯爵だった。

 母は父の求婚を受けることにしたわ。

 伯爵家ならば、侯爵の血を引く娘の嫁ぎ先として不足はない。そうでしょう?


 ところが、父と母の結婚は、父の両親に猛反対されたわ。

 まぁ当然よね。まともな貴族は、出自も分からない娼婦を正妻にしようだなんて思わないもの。


 結局父は、親の勧めで、羽振りの良いオーデン子爵家の令嬢を妻に迎えたわ。

 でも、父は母との関係も切らなかった。

 密かに、王都の外れの小さな屋敷を買い上げて、母を愛人として囲ったのよ。


 母は、それはもう怒り狂ったそうよ。

 だって、母が望んだのは貴族の愛人ではなく正妻の座だったんですもの。

 けれど、父とオーデン子爵令嬢との結婚が決まったとき、母はすでに父の子ーーわたくしを妊娠していた。

 結婚するつもりだったとはいえ、迂闊よねぇ。

 身重の体では娼婦を続けるわけにもいかず、母は父に頼らざるをえなかった。

 こうして母は、オルコット伯爵の愛人になったのよ。


 わたくしが生まれる前のことなのに、どうしてこんなに詳しいのかって?

 それはね、母から恨み辛みを聞かされてきたからよ。物心ついたころから、もううんざりするほどね。


 わたくしね……幼い頃、自分のことをお姫様だと思っていたのよ。

 広いお屋敷に住んで、綺麗なドレスを着て、使用人に身の回りの世話をさせて。

 けれど、5歳のときに父が母と再婚して、オルコット伯爵家に迎えられると、わたくしはそれまでお屋敷だと思っていた家が、ちっぽけなつまらないものだったことを知ったわ。

 使用人の数だって全然違っていた。


 やがて両親に連れられて貴族のお茶会に参加するようになると、そこにはお姫様がたくさんいたわ。

 あぁこの煌びやかな世界がわたくしの本来いるべき場所なのだと、胸が高鳴ったことを覚えているわ。


 ……だけど、わたくしは本物のお姫様にはなれなかった。


 他のご令嬢達に避けられていることには、すぐに気付いたわ。

 侮蔑の籠もった視線、ヒソヒソと交わされる会話。

 わたくしに話しかけて来る者などいなかった。

 勇気を出してこちらから話しかけても、無視されるか、当たり障りのない言葉が返ってくるだけ。


 初めは、どうしてなのか理由が分からなかったわ。

 いつ頃だったかしらね……わたくしが娼婦の娘だからだと、そう理解したのは。


 当然、母も他の貴族の方々から蔑まれていたわ。特にご婦人方からね。

 母は、形式上とある男爵家の養女になってからオルコット伯爵家に嫁いだのだけれど、元高級娼婦だったことを知らない者はいなかったから。


 母は荒れたわ。

 父やわたくしに当たり散らし、自分を馬鹿にした奴らを見返してやるのだと言って、次から次へと高価なドレスや宝石を買い漁り、ゴテゴテと飾り立てた。

 でもね……どんなに高価な衣装を纏ったって、娼婦が女王様になれるわけないわ。そうでしょう?

 そんなこと、初めから分かっていたでしょうに。馬鹿な人よ。


 母が躍起になればなるほど、父と母の関係は冷え、オルコット家の財政は傾いたわ。


 父は最初、わたくしに婿を取ってオルコット家を継がせるつもりでいたの。

 だけど、わたくしの婚約者選びは難航したわ。娼婦の娘のわたくしとの婚約を申し込んで来るのは、格下の、しかも縁を繋いでも旨味のない子爵家や男爵家ばかり。

 父はそれでは満足できなかったのよ。傾きかけたオルコット家を立て直すことのできる相手でなければね。


 そこで父は、わたくしに期待をかけた。王立学園に入学し、良い家柄の息子と恋仲になるように、とね。愚かよねぇ。


 でもね、わたくしもまた愚かだったのよ。

 父に期待をかけられて悪い気はしなかったし、それに、恋に憧れてもいたわ。

 王立学園は貴族の子女が通う学校。そこで出会って婚約する人達も多いのよ。

 だから、きっとわたくしも、と思ってしまったのね。

 わたくしは相変わらず令嬢達からは遠巻きにされていたけれど、男の人達はわたくしに親切な方が多かったから。それがただの下心だと気付きもしないでね。


 あぁ……あの噂ね。ええ、本当のことよ。

 わたくしは15のとき、子どもを堕ろした。罪深い女なの。

 子どもの父親が誰かは……まぁ、だいたい噂どおりよ。伯爵家以上の家柄の、長男以外の令息。わたくしの口から言えるのはここまでね。


 わたくしの……初恋だったわ。

 目と目が合うだけで胸が高鳴って、指先が触れようものなら全身が甘く痺れるようだった。

 彼もわたくしと同じ気持ちだと、そう信じていたの。


 皆がわたくしを軽率だと言ったわ。

 だけど……恋しい男に請われて体を開かずにいられる女など、この世にいるのかしら?

 いるとすれば、それは恋ではなかったのよ。わたくしはそう思うわ。


 妊娠が分かったとき、わたくしは恐ろしく思うと同時に、喜びも感じたわ。喜びの半分は打算的なものではあったけれどね。


 けれど、彼はわたくしを裏切った。

 ……いいえ、ちょっと違うわね。彼は元々わたくしに心を傾けてなどいなかったのだから。

 彼は、わたくしが他にも複数の殿方と親しくしていたことを理由に、お腹の子の父親であることを否定したの。当然、彼と婚約することもできなかった。


 確かにわたくしは、他の方ともお付き合いしていたわ。当然でしょう? わたくしが求めていたのは単なる恋人ではなく、オルコット家の婿だもの。時間は有限なのよ。彼だけに的を絞るのはリスクが高いわ。

 だけど、お腹の子の父親が彼であることは間違いなかったのよ。だって、わたくしが体の関係を持ったのは彼だけだったんですもの……。


 わたくしは密かに子を堕ろしたわ。

 まだお腹も膨らんではいなかったし、周囲には気付かれていないはずだった。

 でも、わたくしが中絶したことはどこからか洩れて、あっという間に社交界に広まったわ。

 わたくしがまともな結婚をすることは、絶望的な状況になった。


 父は激怒したわ。

 わたくしの頬を打ち、口汚く罵った。

 「娼婦の子はやはり娼婦か」

 とね。

 笑っちゃうでしょう? あの父にだけは、そんなことを言う資格はないと思うのだけどね。


 わたくしに見切りをつけた父は、10年も前に捨てたもう1人の娘の存在を思い出したわ。

 ほどなくして父は、しばらく家を空けたかと思ったら、1人の少女を連れて戻って来たの。

 それがわたくしの異母妹、稀代の悪女と世間を騒がせているディアナ・オルコットよ。


 初めて会う異母妹は、正真正銘のお姫様だったわ。それも、とびきり育ちの良い、ね。

 突然オルコット邸に連れて来られたディアナは、明らかに動揺していたし、不安そうだったわ。それでも、継母と異母姉に引き会わされて、緊張の中にも笑みを浮かべて見せたのよ。

 「お義母様、お姉様、どうぞよろしくお願い致します」と、美しい礼を披露しながらね。

 虫酸が走るくらい健気でしょう?

 善意には善意をもって返される筈だと、そう信じていたに違いないわ。


 悪女の印象と違う?

 そうね。わたくしも、まさかあのディアナがあんなことをしでかすだなんて思ってもみなかったわね。

 だけど、純粋で心優しいディアナは変わってしまったのよ。

 父と母のせいでね。


 父はディアナの王立学園入学に備えて、何人もの家庭教師を雇ったわ。少しの自由時間も与えず勉強漬けにしたの。

 父はディアナに賭けていた。

 そのために、徹底的にディアナを支配しようとしたの。自分の意のままに動くようにね。


 ディアナは厳しく課された勉強にも真面目に取り組んでいたし、わたくしの目にはよく出来ていたと思うわ。

 けれど、父はほんの僅かな粗を見つけては、ディアナを罵った。

 「そんなことも出来ないのか」、「やっぱりお前は駄目だ」、「お前程度のことは誰にでも出来る、調子に乗るな」とね。

 ディアナが反抗しないよう、自尊心を潰しにかかったのよ。


 父は、ディアナを罵りながら、ディアナの育ての親とも言えるオーデン子爵家のことも悪し様に言ったわ。

 「お前の出来が悪いのは、成り上がりのオーデンの血を引いているせいだ」と。

 ディアナは、自分に向けられる暴言には耐えられても、オーデン子爵家を悪く言われることは耐えられなかったようね。真っ直ぐに父を見据えて、発言を取り消すよう、声を震わせていたわ。


 父はディアナが少しでも反抗的な態度をとる度に、頬を打ち、食事も与えず自室に軟禁したの。

 それでもディアナは折れなかった。

 初めはね。


 けれど、ディアナに辛く当たったのは父だけではなかったわ。

 母は、父の目を盗んでは、躾と称して度々ディアナを鞭で打ったの。

 ドレスで隠れて見えない所ばかりを狙ってね。

 父が知っていれば、ディアナの商品価値を下げるようなことは止めさせていたでしょうけど、ディアナの身の回りの世話をする侍女達は皆、見て見ぬふりをするよう母から厳命されていて、父に告げ口する者はいなかったのよ。


 母はディアナを恨んでいたの。

 自分が愛人という立場で子どもを産む羽目になったのは、ディアナの母親のせいだと。

 夫が自分を顧みなくなったのも、自分の娘がオルコット家の跡継ぎになれないのも、全てディアナのせいだと。

 うふふ、逆恨みもいいところよね。


 ディアナは誰にも助けを求めることができなかった。

 屋敷の中に味方はおらず、外部と接触できないよう厳しく監視されていたから。

 ディアナはオーデン子爵家の人達と連絡を取ろうとしたわ。父は、手紙を書くことをディアナに許しながら、実際には送らず、密かに握りつぶした。オーデン子爵家からディアナとの面会を求められても全て拒絶し、そのことをディアナには隠した。

 ディアナは絶望したことでしょうね。オーデン子爵家からも見捨てられたと。


 そんなことが繰り返されるうちに、徐々に気力が失われたのでしょうね。

 王立学園に入学する頃には、ディアナは口答えをすることもなくなり、表情を失った人形のようになったわ。


 わたくし?

 あらぁ、わたくしはディアナに何もしていないわよ。虐めてなどいない。

 助けることもしなかったけれどね。

 まぁ、ディアナのことが好きか嫌いかと言ったら、好きではなかったわね。

 女はね、自分より美しい女は嫌いなの。そういうものよ。


 今回のことで、オルコット伯爵家は領地の3分の1を失うことになったわ。

 はっきり言って、あの家はもう終わりね。

 王都の屋敷を売り払って、郊外の別邸――かつて母とわたくしが暮らしたあの小さな家よ――に移る予定だけど、それでもまだ莫大な借金が残るのですって。


 ディアナが第2王子殿下と婚約してからオルコット家に擦り寄ってきた連中は、蜘蛛の子を散らすように離れていったわ。貴族家も商家も、手を差し伸べてくれる者はいない。

 それに、跡継ぎの目処だって立っていないのよ? ディアナの婚約が決まってから、遠縁の男の子を養子に取ることが決まっていたけれど、さっさと逃げられてしまったしね。


 わたくし? ふふっ、貴方、面白いこと仰るわね。

 わたくしが、真っ昼間から男に裸を晒しているこのわたくしが、婿を取って伯爵家を継げるだなんて、本気でお思い?


 父と母は顔を合わせれば責任のなすりつけ合い。離婚するのも時間の問題でしょうね。

 終わり。オルコット伯爵家はもう終わりよ。

 でも、ディアナの人格を歪めたのはあの人達なんだもの。自業自得だわ。


 それとも……もしかしたらこれはディアナの復讐だったのかもしれないわね。

 オルコット伯爵家への、命を賭けた復讐。


 考えすぎかしら?


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