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6.とある子爵家当主の後悔

 ルイスはまだこちらには到着していないか?

 ……そうか。社交シーズン最初の王宮の夜会には間に合うよう、遅くとも一昨日には領地を出発して王都に向かうよう言ってはおいたのだが……。

 まぁ、アンと離れがたいのだろう。気持ちは分かるが、オーデン家の跡取りとして、社交を疎かにするわけにはいかないからな。


 いや、今しがた、ルイスとアンの婚約が承認されたと連絡が入ったのでな。すぐに知らせてやろうと思ったんだが、今から領地の本邸に使いを出しても、このタイミングでは入れ違いになってしまうだろうな。まぁいい、ルイスも直にこちらに到着するだろう。


 ああ、俺も胸を撫で下ろしたよ。

 大丈夫だろうと思ってはいたが、そうは言っても正式に承認されるまでは気が気ではなかったからな……。


 前もって書類を整えておいて、アンの返事を聞き次第、俺と君とで王都に来て申請を出して……。そこから承認されるまで半月か。

 王宮では、突然の第2王子殿下の婚約破棄と新たな婚約の手続きで、随分ごたついていたと聞く。そのしわ寄せでもっと時間がかかるかと予想していたが、思っていたより早かったな。

 まぁ、商人あがりの子爵家の婚約になど、国のお偉方はたいして関心がないということなんだろう。今回に関してはありがたい話だったがな。


 それにしても、ルイスがアンと結婚したいと言い出したときには驚いた。

 いや、驚いたなんて、そんな単純なもんじゃなかったな。君も同じ気持ちだっただろうけど。

 俺のこれまでの人生で、あのときほど悩んだことはなかったよ。


 アンは平民だ。

 子爵家の嫡男が平民の娘を娶っても、はっきり言って得るものは何もない。

 平民でも、大きな商会の娘なら話は別だがな。実際、経済的に余裕のない男爵家や子爵家では、裕福な商家と縁を結ぶことも珍しくはない。

 だが、アンはそうじゃない。さすがにただの町娘では話を通しにくいと思い、懇意にしているロイド商会に頼んで養女ということにしてもらったが、それは名前だけのことだ。


 後ろ盾もない。社交界に出すわけにもいかない。

 そんな娘を妻に迎えるのだ。

 将来、子爵家を継ぐルイスにとっては、大きなハンデとなるだろう。

 それを理解した上でなお、ルイスはアンと結婚したいと言うのだからな。


 最終的にはルイスの熱意に負けたわけさ。

 昔から大人しくて、親の俺達に反抗したこともないあのルイスが、この件だけは絶対に譲ろうとしなかった。


 それに、ルイスはディアナが伯爵家に連れ戻されてからというもの、いつかディアナを迎えに行けるようにと、寝食を惜しんで勉強と仕事に打ち込んでいた。

 それだけに、そのディアナが第2王子殿下と婚約したときのアイツの落胆ぶりは、見ていられないほどだったな……。

 だが、ルイスは自力で立ち上がり、その後も腐らずに努力を続けていた。

 親としてその気持ちに報いてやりたいと、そう思ったんだ。子爵家当主としては誤った判断だったとしてもな。


 もちろん、俺自身、もう後悔したくないという気持ちもあった。俺は妹のセレナだけでなく、その娘のディアナをも助けることができなかったからな……。

 ああ、そうだな。君が同じ気持ちでいてくれて嬉しいよ。

 君が我が家に嫁いで来た時、セレナはまだオルコット家に嫁ぐ前で我が家にいた。同い年の君とセレナはあっという間に意気投合して、義理の姉妹というより親友のように仲良くなった。あまりに仲が良いものだから、俺は密かに妬いていたほどだよ。やがて生まれたルイスのことも、セレナは随分可愛がってくれていたな……。


 セレナとオルコット伯爵との縁組みは、その当時オーデン家の当主だった父上が決めたことだが、きっかけはオルコット伯爵家からの申し入れだったと聞いている。

 大方、持参金目当てだったんだろう。オルコット伯爵家はその当時すでに、経済的に芳しくない状況だったようだからな。

 一方、我が子爵家は、領地こそ王都から遠く小さいが、昔から交易に力を入れてきたおかげで、オルコット伯爵家よりもはるかに裕福だ。

 とは言え、当然、家の格はあちらが上だ。伝統ある伯爵家との縁組は、新興貴族である我が子爵家にとって益になると、父上はそう考えたのだろう。


 オルコット伯爵が高級娼婦に入れあげていたことは、もちろん父上も把握していた。だが、愛人を囲う貴族の男は多い。きちんと正妻の顔を立てていれば問題にはされないのが普通だ。

 だから、オルコット伯爵も結婚する以上は、わきまえてセレナを大切に扱うだろうと、父上はそう考えたのだろう。

 その考えが甘かったことに気づいたときには、もう手遅れだった……。


 セレナは20歳でオルコット家に嫁ぐと、早々に身ごもり、社交界に姿を見せなくなった。

 翌年、ディアナが生まれて間もなく、両親がオルコット家に招かれてセレナとディアナに対面したが、それが生きているセレナを見た最後になった。

 その後は両親や俺がセレナへの面会を申し入れても、オルコット伯爵はなんやかんやと理由をつけて断った。

 手紙のやり取りはできていて、セレナからの手紙にはいつも、問題なく健やかに過ごしているとしたためられていた。

 セレナ自身が俺達に心配をかけまいとしてそう書いていたのか、オルコット伯爵に書かされていたのか、それは分からない。分からないが、セレナ自身からそう言われてしまっては、格上の伯爵家に対してそれ以上強くは出られなかった。


 セレナが死んだのはその3年後、娘のディアナが3歳のときだった。

 私達がセレナの死を知らされたのは、すでに葬儀も済んだ後だった。

 産後の肥立ちが悪く体調を崩しがちで、最後は風邪を拗らせて亡くなった、と。

 体調が急変したために私達への連絡が間に合わなかったのだ、と。

 オルコット伯爵はそう説明した。

 とてもじゃないが信じられる話じゃない。

 君も知ってのとおり、嫁ぐ前のセレナは人並みに健康だった。

 そのセレナがわずか24歳で死んでしまうだなんて、オルコット家でよほど酷い扱いを受けていたに違いない。

 もっと早くに気づいてやれれば良かったと、今でも悔やんでいるよ……。


 俺達家族が悲しみに暮れる中、突然、オルコット伯爵がオーデン家にやって来た。

 そして、有無を言わせずに3歳のディアナを置いて行った。

 体が弱いから子爵領で静養させてやってほしいなどと言っていたが、要は厄介払いだ。

 その直後に、オルコット伯爵は愛人だった娼婦バーバラと再婚し、バーバラとその娘パメラを屋敷に招き入れたんだからな。

 ああ、パメラはオルコット伯爵の実子らしい。年はディアナより2つ上だ。つまり、オルコット伯爵は、セレナと結婚したときにはすでに、愛人との間に娘をもうけていたわけだ。まったく、どこまでオーデン家を馬鹿にすれば気が済むのか……。


 だが、オルコット伯爵にとっては厄介払いであろうと、ディアナを俺達で引き取れたことは本当に幸いだった。

 セレナが死に、何とかして娘のディアナだけでもオルコット家から引き離したいと、そう考えていた矢先だったからな。


 ディアナはすぐに俺達に馴染み、明るく元気に成長してくれた。

 ルイスとは兄妹のように仲が良くて、俺もディアナを娘のように思っていたよ。

 それでもいつかはオルコット家に戻ることになるだろうと思っていたから、伯爵令嬢に相応しい家庭教師を雇って、淑女としての教育もつけた。

 ディアナは実に真面目に勉強に取り組んでいたな。10歳を過ぎる頃には、幼い頃のお転婆が嘘のように、淑やかに振る舞えるようになった。

 それでも休日となればルイスと連れ立って遠乗りに出掛ける活発さは、ずっと変わらなかったがね。


 ルイスが王立学園に入学する前、ディアナと婚約したいと言い出したとき、俺は面食らったもんさ。2人ともまだまだ子どもだと思っていたのに、いつの間に、てね。

 ああ、そうだな、君は随分と前から気付いていたと言っていたな。やっぱり女親の方がよく見てるものなのかな。


 驚きはしたものの、俺はすぐに賛成した。

 はっきり言って、ルイスとディアナの縁組みは、我が家にとって政略としての意義はほとんどない。オルコット伯爵家とはすでに親戚関係にあるし、それに、オルコット伯爵に対してはもはや何の信頼もなかったからな。

 だが、ルイスとディアナが結婚すれば、ディアナを私達の本当の娘にすることができる。オーデン子爵家の一員として、守ってやることができる。セレナを守ってやれなかった分、娘のディアナだけでも……そう思ったんだ。


 俺は、ディアナが王立学園に入学する前に婚約を結んでおきたいと考え、ディアナが13歳のときにオルコット伯爵家にルイスとディアナとの婚約を申し入れた。

 迂闊にも、俺はオルコット伯爵家にこの縁組みを断られるとは思っていなかったんだ。

 オルコット伯爵にディアナへの関心がないことは明らかだったからな。1度もディアナに会いに来たことはないし、こちらからディアナの様子を知らせる手紙を送っても、使用人に代筆させたらしい型通りの返信があるだけだった。

 それでも念のためと思い、婚約に伴って資金援助することも提案した。


 その直後。オルコット伯爵の訪問は突然だった。

 俺達夫婦とルイスが王都にいるときを狙って、子爵領に残っていたディアナを連れ帰ってしまったんだ。使用人達はなんとかディアナを守ろうとしてくれたようだが、子爵家の使用人の立場で伯爵に逆らえるはずもない。

 知らせを受けて、すぐに王都のオルコット伯爵邸を訪ねたが、預けていた娘を引き取っただけだと言われれば、引き下がるしかなかった。ディアナには会わせても貰えなかった。


 その上、あの男は厚かましいことに、長女のパメラとルイスとの婚約を打診してきた。もう1人の娘をルイスにあてがうことで、我が家から資金援助を引き出そうと考えたようだな。

 本当なら、格上の伯爵家からの婚約打診を断るのは難しいところだったが、幸いにも正当に断る理由があった。

 あのパメラという娘は男遊びが激しくて、わずか15歳のときに子どもを堕ろした、そういう噂が流れていたのだ。

 それが真実かどうかなど問題ではない。そのような噂が流れた時点で、貴族令嬢としては致命的なのだからな。

 つまりオルコット伯爵は、まともな貴族には嫁げないような娘を我が家に押しつけて、さらに資金援助まで得ようと目論んだわけだ。まったく、どこまで我が家をコケにすれば気が済むのか!


 ……まぁいい。オルコット伯爵家は今回のディアナの件で、領地の3分の1を手放すらしいからな。元々経済的に苦しかった上に領地を減らされては、オルコット伯爵家は没落の一途を辿るだろう。それで溜飲を下げるとしよう。


 それよりも今は、先のことを考えよう。

 商家の出の、しかも養女との縁組みをとやかく言う者は多いだろう。

 言いたい者には言わせておけばいい。

 我がオーデン子爵家も元を辿れば商家だ。これまでも商家との繋がりを大事にしてやってきたのだからな。


 ルイスはきっと、これまで以上にオーデン家と領民のために努力するだろう。

 アンを守るために。

 誰にも文句を言わせないように。

 俺たちは親として、2人を見守るまでさ。 


 ルイスとアンの婚約が正式に認められたのだ。1週間後の王宮の夜会が終わったら、1度、皆で領地に戻ろう。そして、アンを囲んでささやかにでもお祝いをしようじゃないか。なぁ。

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