3.とある騎士団長子息の報告
クリストファー殿下、仰せのとおりオルコット伯爵邸に行って参りました。
ええ、事前に伝令を遣わせておりましたので、オルコット伯爵はご在宅でした。
応接室に通されると、伯爵の他に夫人と娘も顔を揃えていました。
王宮からの使者として、ディアナ嬢のことで重大な話をしに行くということは伝えてありました。昨日の婚約破棄とディアナ嬢の捕縛の件は、伯爵家にも伝わっていたようでしたから、さすがの夫人と娘も無関心ではいられなかったのでしょう。
伯爵家の令嬢が罪を犯して捕らえられるなど、伯爵家の存亡に関わる一大事ですからね。
ああ、先ほど「娘」と言ったのは、殿下もご存知のとおり、伯爵家の長女のことです。後妻である夫人の娘。ディアナ嬢の腹違いの姉です。
名前はパメラ嬢。
ディアナ嬢より2つ上の19歳のはずですが、いまだに婚約者は決まっていないようです。まぁ、あんな噂が広まっていては、まともな爵位持ちは相手にしないでしょうから、当然と言えば当然ですが……。
勧められて椅子に腰掛けるや否や、伯爵から昨夜の婚約破棄について質問攻めにあいました。
詳しい情報が得られず、苛々していたようです。
俺はその場に立ち会った者として、見たままをご説明差し上げました。
ディアナ嬢がエリカ嬢に行った数々の嫌がらせを説明すると、伯爵は、「あの娘がそんなことをするはずがない!」と声を荒げました。
男爵家の小娘に嵌められたのだ、と。
娘のディアナ嬢を信じていたのでしょうね。自分を裏切るはずがないと。随分な自信でしたよ。
けれど、殿下や公爵家のハロルド、そして俺自身も目撃者の1人だと告げると、顔を真っ赤にして口を噤みました。
俺やエリカ嬢はともかく、殿下やハロルドを嘘つき呼ばわりするのはさすがに躊躇われたのでしょう。
それでも納得いかない様子で何か言いかけたのを、俺は手で制しました。
ディアナ嬢の嫌がらせ行為はもはや明らかなこと。これ以上の議論は時間の無駄だと分かっていましたから。
そして俺は3人に告げました。
ディアナ嬢が昨夜死んだことを。
死因は服毒死。
隠し持っていた毒を自らあおったものとみられる、と。
伯爵達3人はしばらく絶句していました。
全く予想していなかったのでしょう。
それに、罪に問われた者が自ら命を絶つというのは、罪を認めたも同然の行為です。
少なくとも周囲はそう判断するでしょうね。
夫人と娘は放心したように固まっていましたが、伯爵はいち早く驚愕から立ち直り、何事かを必死に考える様子で視線を彷徨わせました。
どうやってこの苦境を乗り切るか、頭を巡らせていたのでしょうね。
「……あの娘がクリストファー殿下の不興を買うような真似をするとは、今でも信じられませんが……もしあの娘が殿下の想い人に嫌がらせをしたというのが事実だとしても、全く私の預かり知らぬことなのです。ええ、きっとこのことは殿下にも信じて頂けることと思いますが……」
「なるほど。我々も貴殿の差し金とまでは考えておりませんよ。ですが、貴殿らの監督不行き届きと言えるのではありませんか? ディアナ嬢の嫌がらせの数々はゴシップ紙にも派手に書かれていましたし、当然お耳に入っていたでしょう? 父親として窘めなかったのですか?」
「ご……ゴシップ紙の書くことをいちいち真に受けるなんて馬鹿げてる! そうじゃありませんか!?」
「ふむ、それも一理あるでしょう。けれど、ディアナ嬢の嫌がらせは事実だった。貴殿らの教育の仕方に問題があったと言わざるを得ないのではありませんか?」
「わ、わたくし達の落ち度だと仰いますの!? 実の娘でもないあの子を引き取って教育をつけてやったと言うのに……!」
「お前は黙っていなさい!」
それまで黙っていた夫人が金切り声を上げましたが、伯爵に一喝されて口を噤みました。
ああ、そういえば、伯爵夫人は元は絶大な人気を誇った高級娼婦だったそうですね。元娼婦が、生まれながらの伯爵令嬢にいったいどんな教育を施したというのか、詳しく問い質したいところでしたが……。
「……失礼。ご存知でしょうが、妻は後妻でして。あの娘は、死んだ最初の妻が産んだ子なのです。間違いなく私の実子ですよ。ですが、あの娘は病弱だった母親に似たのか、子どもの頃から病気がちでしてね。母親の死後は、母親の実家であるオーデン子爵家の領地で静養していたのです。田舎は空気が綺麗ですからな。ただ、オーデン子爵家は貴族と言っても元は商売人が成り上がった家でしてね。我々伝統ある貴族家の人間とは感覚がずれているのですよ。あの娘が悪影響を受けはしないかと気にはしていたのですが……。学園に入学する1年ほど前に王都の我が屋敷に呼び寄せ、伯爵家の娘に相応しい教育をつけたつもりだったのですが……子爵家で過ごす間に捻じ曲がってしまった性根を正すことはできなかったということなのでしょう……」
伯爵は早口に言うと、殊勝な顔で溜め息をついて見せました。
そろそろ潮時だろう、俺はそう思い、本題を切り出すことにしました。
「貴殿の仰いたいことは分かりました。ですが、オルコット伯爵令嬢ディアナは、エリカ嬢を虐げた、これは紛れもない事実です。これについて、オルコット伯爵家としてどのように責任を取られるおつもりですか?」
「お、お待ち下さい。そもそも、エリカとやらは、我が伯爵家にとっては格下の男爵家の娘でしょう? それを少々苛めたからといって罪に問われるなど……」
「格下であれば何をしても許されるとお考えですか。なるほど、確かにディアナ嬢は貴殿からしっかりと教育を受けていたようですね」
「なっ……」
「苛めと仰るが、我が国の法は、故なく他人の命を奪うことを禁じているはずですけどね。例え相手が格下の者であろうと」
と言っても、実際には、地位が上の者は条件次第で刑罰を免除、軽減されることも多いわけですが、この時の伯爵はそこまで頭が回らないようでした。
「い、命を奪うと言っても、その男爵家の娘は無事だったのでしょう!?」
「ええ、幸いにも足の捻挫で済みました。ですが、階段から突き落とせば、打ち所が悪ければ死にかねない。それほど危険な行為ですよ。違いますか?」
「いや、しかし……」
「それと、直に公表されることですのでお伝えしますが、エリカ嬢はクリストファー殿下の新たな婚約者になることが内定しています。つまり、ディアナ嬢は、未来の王子妃を虐げ、その命を奪おうとした大罪人というわけです。さて、それではもう一度お尋ねします。この度の件、オルコット伯爵家はどのようにして責任を取られますか?」
……冷静に考えれば分かることですが、今の時点ではまだ、エリカ嬢は殿下の婚約者ではありません。男爵令嬢であるエリカ嬢よりも、伯爵令嬢であるディアナ嬢の方が立場は上です。
それに、苛めが事実としても、幸いにも深刻な被害は出ていない。
ディアナ嬢が罪に問われたとしても、さほど重い罰は受けなかったでしょう。
ですが、そのときの伯爵は冷静さを欠いていたのでしょうね。
脂汗を滲ませ、落ち着きなく視線を彷徨わせながら、いかにして伯爵家と我が身を守るか、必死に頭を巡らせている様子でした。
伯爵の中で結論が出たのでしょう。俺に向き直り、おずおずと口を開きました。
「……あ、あの娘を、我がオルコット伯爵家から除名致します……」
「それだけですか?」
俺は内心の安堵を悟られないよう、即座に、なるべく冷淡に聞こえる声音で切り返しました。
ディアナ嬢だけでなく伯爵家も相応の罰を受けるべきだと、そういう気持ちもありましたから。
「で、では、我が伯爵家の領地の4分の1……いや、3分の1を王家に献上致します。それでなんとか殿下にお取りなし頂きたい……!」
伯爵も、まさかディアナ嬢の除名だけで許されるとは考えていなかったのでしょう。青ざめつつも、さほど間を置かずに領地の献上を申し出ました。
俺は僅かに考える素振りを見せてから頷きました。
「いいでしょう。貴殿の贖罪のご覚悟、確かにクリストファー殿下にお伝え致します。ご安心を。殿下は寛大なお方です。張本人であるディアナ嬢が死をもって償った以上、オルコット伯爵家を取り潰せとまでは仰りますまい。ただし……」
ホッと息をついた伯爵の顔が、再び緊張で引きつりました。
「除名となる以上、ディアナ嬢はオルコット伯爵家とは無関係の平民ということになります。ディアナ嬢の遺体を貴家にお返しするわけにはいきませんが、ご異存はないでしょうね? ああ、ご心配なく。必要なことを調べた後は、きちんと共同墓地に葬られることになるでしょう。墓の場所をお教えすることはできませんが……」
伯爵はもう、あからさまに安堵の表情を浮かべましたよ。
自身の当主引退か、慰謝料の支払いでも想定していたのでしょう。
「ええ、ええ、それは当然のことです。例え遺体であっても、罪人に我が伯爵家の敷居を跨がせるわけにはいきませんからな! それよりも、殿下へのお取りなし、本当にお願いしますよ。伝統あるオルコット伯爵家を私の代で潰すわけにはいかない。貴殿も伯爵家の跡継ぎでいらっしゃるのだから、私の気持ちもご理解頂けるでしょう……?」
娘と同い年の、しかも同格の伯爵家の人間である俺にまで媚びを売る伯爵の顔は、吐き気を催すほど醜悪で、哀れなまでに滑稽でした。
ええ、俺が騎士団に所属しているからでしょうか、王宮からの使者ということに特に不審は抱いていない様子でしたよ。
そういえば……いえ、たいしたことではないのですが……オルコット伯爵は俺の前で、一度もディアナ嬢を名前で呼ばなかったと、そう思いまして……。
……余計なことを申しました。
俺からの報告は以上です。