表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

2.とある宰相令息の情報提供

 お待たせしました、フレディさん。

 卒業パーティーが予定より長引きましてね。まぁ、あんな騒動が起きたので仕方ありませんが、すっかり遅くなってしまいました。

 あぁ、どうぞ座って下さい。


 さっそく本題に入りましょうか。

 ええ、事前にお知らせしたとおりのことが起こりましたよ。

 王立学園の卒業パーティーで、クリストファー第2王子殿下が、ディアナ嬢に婚約破棄を宣言しました。

 まぁ落ち着いて下さい。順を追ってお話ししますから。


 卒業パーティーは、王立学園における最も重要かつ華やかな行事です。

 場所は学園のホールですが、この日のためだけに豪華な装飾が施され、王宮から遣わされた料理人によって軽食やデザートが準備されます。そして王宮お抱えの楽団が音楽を奏でる中で、参加者は歓談やダンスを楽しむのです。

 王宮の夜会と比べても遜色ない……と言ってはさすがに言葉が過ぎますが、一流のパーティーには違いありませんよ。

 なんせ、例年、来賓として国王陛下がご臨席されるのですからね。

 と言っても、ご存知のとおり、国王陛下は一昨年より病気療養中でいらっしゃいますから、今年は代理として王太子殿下――クリストファー殿下の異母兄君がお越しでした。


 我々、貴族階級の子女は、学園を卒業すると正式に社交界にデビューすることになるのですが、卒業パーティーにはその予行演習のような意味合いもありますね。 

 基本的には卒業する学年の生徒が参加するものなのですが、下級生でも希望すれば参加できるのです。

 今年はクリストファー殿下が卒業されるとあって、例年より多くの下級生が参加していたようですね。


 クリストファー殿下は、婚約者のディアナ嬢をエスコートして会場に入られました。

 とうに愛想を尽かしていても、殿下の婚約者はあくまでもディアナ嬢ですからね。エスコートしないわけにはいかない。筋を通される方なのですよ、殿下は。


 ただし、会場に入った後までディアナ嬢と連れ立って歩く気にはなれなかったのでしょう。早々にディアナ嬢とは別行動を取られ、他の生徒達と歓談しておられました。

 殿下は気さくなお方ですからね。性別や学年を問わず、大勢の生徒に囲まれておられましたよ。


 エリカ嬢ですか?

 もちろんいましたよ。

 殿下がディアナ嬢と別行動になってからは、ずっと殿下のお側にね。

 澄んだ青空のような色のドレスが、エリカ嬢の清純な雰囲気によく合っていました。


 ああ、そうですね、青色と言えばクリストファー殿下の瞳の色と同じですね。

 殿下がプレゼントした物かどうか、ですか?

 さあどうでしょうね、僕は知りませんが……。ただ、ベアード男爵家が自前で用意したにしては上質なドレスだったというのは確かですよ。


 事が起きたのは、ダンスが始まろうとした、まさにその時でした。

 最初のダンスは、卒業生の中で最も身分の高いクリストファー殿下が務められる予定になっていました。

 殿下がファーストダンスの相手に誰をお選びになるのか。皆が密かに注目していましたよ。

 通常であれば、殿下のファーストダンスのお相手は婚約者であるディアナ嬢と決まっています。

 けれど、殿下が会場に入られて以降、ずっと殿下に寄り添っていたのはエリカ嬢でした。

 ディアナ嬢がエリカ嬢に悪質な嫌がらせを繰り返していたことは、学園内では周知の事実でしたし、殿下も、もはやエリカ嬢への愛情を隠そうとはしていませんでした。

 殿下は誰をお選びになるのか。

 形式通り婚約者であるディアナ嬢なのか。

 それとも真に愛するエリカ嬢なのか。


 楽団の演奏がダンスの曲に変わり、殿下が動かれました。

 殿下が迷いのない足取りで歩を進めると、人垣が割れ、そこに自然と道ができました。

 その道の先、殿下が真っ直ぐに見据える先には、ディアナ嬢がいました。


 ディアナ嬢の姿は……認めたくはないが、女神のごとき美しさでしたよ。

 きつく巻いた金の髪を結い上げ、深紅のドレスを優雅に着こなし、いつものように口の端にだけ笑みを乗せて、殿下の視線を真っ向から受け止めていました。


 ディアナ嬢の目の前で、クリストファー殿下が立ち止まりました。

 やはりファーストダンスの相手には婚約者であるディアナ嬢を選ぶのか。多くの者がそう思ったときでした。


「ディアナ・オルコット伯爵令嬢。今この時をもって、貴女との婚約を破棄させて貰う」


 殿下の凛とした声がホールに響きました。

 まさかの展開に皆が息をのみ、時が止まったかのように会場が静まり返りました。

 そんな中、ディアナ嬢だけがいつもと変わらぬ様子で、優雅な仕草で扇子をパチリと閉じました。


「理由をお聞かせ下さい……と申し上げたいところですけれど、お聞きするまでもありませんわね」


 紫の瞳が向けられた先で、エリカ嬢が小さく身を震わせました。

 すかさず殿下がエリカ嬢をその背に庇い、ディアナ嬢からの視線を遮りました。


「そこの女狐めがクリストファー様を誑かしたのでしょう? 田舎の貧乏男爵令嬢の分際で王家に取り入ろうなどと、身の程知らずなこと」

「……エリカを愚弄するのはやめて貰おう」


 殿下の目と声には明らかな怒りの色がありましたが、ディアナ嬢の表情が変わることはありせんでした。


「クリストファー様。わたくし、狭量な女ではないつもりでしてよ。貴方様がどうしてもその女を望まれるというのであれば、妾になさればよいと考えておりましたわ。ええ、つい先ほどまではね。けれど……」


 そこでディアナ嬢は言葉を切り、固唾をのんで成り行きを見守る者達にぐるりと目をやりました。

 その冷たい視線に、周りの者達がビクリと体を震わせました。


「このような侮辱を受けて尚笑って許せるほど、わたくしの矜持は低くありませんの」


 ひたり、と紫の瞳が殿下を捉えました。


「ねぇ、クリストファー様。先ほども申しましたが、わたくし、心の広い女ですの。ですから、この度のこの侮辱も許して差し上げますわ。だって、悪いのはその女狐ですもの。聡明なクリストファー様が、自らのお考えでこのような馬鹿なことをなさる筈がない。そこの女狐めに唆された……そうですわね? たかが男爵令嬢と侮っておりましたが、クリストファー様のような貴きお方を堕落させるだなんて、本当に恐ろしい女ですこと……。わたくし、クリストファー様を許します。ですからクリストファー様、今この場でその女を罪人として裁いて下さいませ。さぁ、今すぐに!」

「……いい加減にしろ。罪人はどちらだ!?」


 殿下の声は唸るようでした。激しい怒りに任せて声を荒げぬよう、懸命に自制しておられたのでしょう。

 しかし、ディアナ嬢は涼しい顔で殿下を見返しました。


「……このわたくしを罪人呼ばわりなさるだなんて。そこの女狐に何を吹き込まれたのか存じませんが、わたくしには何も疚しいことなどありませんわ」

「白々しいことを。そなたがエリカを虐げたこと、私が知らないとでも思っているのか!?」

「まぁ。なんのことだか分かりませんわね」

「嘘です!」


 そのとき、殿下の背後から声が上がりました。

 エリカ嬢です。

 殿下はエリカ嬢を守ろうとするかのように、その腰を抱き寄せました。


「エリカ、君は下がっていてくれ。彼女との決着は私がつけねばならない。それに、これ以上、君を危険に晒したくはないんだ」


 エリカ嬢は静かに首を振ると、潤んだ瞳で殿下を見上げました。


「いいえ、殿下。これはわたしの問題でもあります。一緒に戦わせて下さい」


 そう言って一歩前に出たエリカ嬢の目には、強い光が宿っていました。


 正直なところ、エリカ嬢の行動は意外でしたね。

 エリカ嬢は庇護欲をそそる愛らしい見た目だし、性格も明るく素朴で好ましいものですが、ただそれだけだと思っていたのです。

 ただ殿下に守られるだけの、か弱い令嬢だと。

 ですが、自らの意志でディアナ嬢の前に立ったその姿は、凛々しく輝いていた。

 ええ、第2王子殿下の妃に相応しい、堂々たるものでしたよ。


「ディアナ様は、わたしにたくさん嫌がらせをなさいました! どうか正直に認めて下さい! 今ならクリストファー様もお許し下さいますわ」


 ディアナ嬢にとって、エリカ嬢から反撃を受けるのは初めてのことだったはずです。それまで、エリカ嬢はずっと耐えてきましたからね。

 ディアナ嬢はやはりほとんど表情を動かさず、けれど腹立たしかったのでしょう、エリカ嬢を睨むように、わずかに目を細めました。


「貴女ごときが軽々しくクリストファー様の御名を口にしないでちょうだい。不愉快だわ。それに、先ほども言ったとおりよ。わたくしに疚しいことなどないわ」

「あくまでお認めにならないのですね……。わたしのドレスにわざと紅茶をかけたこと、お忘れですか!?」

「記憶にないわね」

「わたしがクリストファー様から頂いたお手紙を破り捨てたのも、ディアナ様ですよね!?」

「知らないわ」

「中庭の噴水に突き飛ばされました!」

「あら、あれはあなたが1人で転んだのでしょう?」

「それに、階段から突き落とされて足を怪我しました! つい5日前のことです!」

「わたくしは関係ないわ。このわたくしを罪人呼ばわりするからには、確かな証拠があるのでしょうね?」

「証拠ならあります! 紅茶の染みが付いたドレスも、破られた手紙も、証拠として保存してあるんですから。それに、私の足の怪我も、お医者様から捻挫との診断を受けています!」

「それがどうだと言うの? あなたの自作自演なのではなくて?」

「それだけじゃありません! ディアナ様がわたしになさったこと、ちゃんと見ていた方がいるんですから!」


 そう、ディアナ嬢が行った嫌がらせの数々には、それぞれ目撃者がいました。

 紅茶事件はお茶会に同席していた令嬢達、手紙事件は同じクラスの男子生徒、噴水事件は騎士団長の息子を含む複数の生徒、そして階段事件は殿下と、この僕です。


 ええ、ディアナ嬢がエリカ嬢を階段から突き落とすのを、確かにこの目で見ましたよ。

 階段の下に倒れたエリカ嬢を見下ろすディアナ嬢の顔は、いつものように無表情で……さすがの僕もゾッと鳥肌が立ちました。人の心を持っていないかのように思えて。


 続々と目撃者が名乗り出るにつれて、ディアナ嬢は追い詰められていきました。

 ディアナ嬢の有罪は、もはや誰の目にも明らかでした。


「ディアナ嬢、これを最後の機会と思って欲しい。過ちを認めてエリカに謝罪し、婚約破棄を受け入れるのだ。そうすれば、罪に問うことまではしない」


 殿下が静かな口調でディアナ嬢に語りかけました。

 けれど、ディアナ嬢が殿下の温情に応えることはありませんでした。


「お断りします。その女に頭を下げるくらいなら、死んだ方がマシですわ」


 ディアナ嬢は抑揚のない声で言い放ちました。

 最後まで無表情を崩さなかったのは、彼女のプライドゆえだったのか、それとも本当に人の心を失っていたのか、私には分かりません。


 その後ディアナ嬢がどうなったか、ですか?

 ディアナ嬢は、殿下の指示で衛兵に拘束されました。

 今頃は王宮の牢に捕らえられているはずですよ。

 これから尋問を受け、罪を裁かれることになるでしょうね。

 なにせ、エリカ嬢を殺そうとしたのです。そしてその証拠も揃っているわけですからね。


 これが殿下の婚約破棄の一部始終です。


 情報料?

 要りませんよ。いつもそう言っているのに、貴方も見かけによらず律儀な人ですね。

 お金のために貴方に情報を提供しているわけじゃないんですから。

 じゃあ何のためかって……もちろんクリストファー殿下のためですよ。決まっているでしょう?


 ああ、そうそう。いつも通り、僕が情報源だということは決して他人には漏らさないようにお願いしますよ。

 貴方に信用してもらうために身分を明かしてはいますが、公爵家の人間がゴシップ紙に情報を提供しているだなんて、外聞が悪いですからね。


 ええ、もちろん、また新たな情報があればお知らせしますよ。貴方に一番にね。

 まぁ、それほど日を置かずにまたご連絡することになると思いますよ。おそらくね。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ