結局2人はスキーダムの街角にて会えたのか
誰でも忘れられない相手の一人や二人、いるのではないでしょうか。でも、一度すれ違ってしまった男女は、なかなか交差することがありません。そして、人は常に誤解され、分かり合えることなんてないのかも知れませんね。
「おお、久しぶりだな」
「おお!元気だった?いつ以来かな?俺はこのOB会、10年ぶりくらいだよ。」
「お互い、子供も手を離れて、時間取れるようになったしな。」
「仕事も自分のペースで回せるようになったし、か」
「俺はそれはまだまだだな。こき使われっぱなしよ」
京滋大学テニス部の毎年恒例のOB会だが、今年は創部100周年に当たるためホテルの宴会場を借りて盛大に行われている。壇上では最年長OBによる挨拶が進む。中年の同期同士はたわいもない話を続ける。
「もうあの人も歳だね。話が説教くさいし、自分たちがどんだけ強かったかって話ばっかりで、あれじゃ若い人が来なくなるのも無理ないわな。」
「本当ホント。ところで、今年アッコ来るって噂、ほんと?」
「マジで?へぇ。あいつ、Kさんと離婚してからすっかり音信不通じゃなかった?」
「な。部内結婚で離婚しちゃうと、こういう会は来づらいわなぁ。でも、もうかなり時間も経ったし、顔出せる気持ちになったのかな。」
「そうね。皆それぞれいろいろ苦労してきたしね。何でも笑い話に出来るよな。」
「アッコって、フジイさんのこと好きだったんだよな。」
「懐かしいね。そうらしいな。なのにKさんと結婚したよね。俺が女ならフジイさんだな。おまけにフジイさんもアッコのこと、好きだったんだろう?」
「そうそう。何だったんだろうね。ところでフジイさんは?こういうところ必ず来る人だけど。。」
「お前、聞いてない?急に海外転勤になったらしいよ。外人しか居ない事務所に一人で、それも所長とかじゃないって話だ。」
「この歳で?もうあの人50前だよな。大手商社でバリバリやってる噂を聞いてたんだけど」
「・・誰にも言うなよ。実は、セクハラで飛ばされたって話だ。」
「セクハラ?んー、あの人、酔うとちょっと癖悪かったからなぁ。」
「そうなんだよなぁ。笑えないけど。」
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フジイは随分早い時間に羽田空港の国際線ターミナルに着いた。自分の転勤先での扱いを聞くに、しばらく日本に帰れそうも無く、出張もなさそうなので、最後になるかもしれないANAラウンジでの時間をたっぷりと味わおうと考えたのだ。
「フジイさん!」
聞き覚えのある張りのある声に呼ばれ、フジイは声のほうを向いた。
「おう。どうした。」
「どうしたじゃないですよ。お見送り、というか、最後にお話をしたかったんですよ。」
そこに居たのは、フジイの右腕としてここ数年苦労を共にしてきた部下の男だった。
「見送りってお前、昭和じゃないんだから。まあ、時間はたっぷりあるけどな。本当はラウンジで一人でビール飲みたかったんだけど、付き合おうか。」
二人はターミナル内の天麩羅屋へ入った。座ってビールを頼むと部下の男はすぐに切り出した。
「何でもっと逆らわないんですか。セクハラって、フジイさん何もしてないでしょう!?」
それは事実だった。部下の一人が働いたセクハラに対し、上司として責任を取らされたのだった。
「俺自身はね。でもね、日本の会社で部下を持つって言うのはそういうことだ。管理不行き届きって言われちゃえば返す言葉も無い。おまけに、それであいつは今回大目に見てもらえたんだろう?将来あるヤツだから、良かったよ。」
体格の良い若い男は、ため息を付いたあと拳でテーブルを叩いて強い語調で言った。
「フジイさんはどこまでお人好しなんですか!セクハラに管理不行き届きなんかあるわけ無いじゃないですか!社外で部下がやったことまで責任取らなくてよいですよ!! おまけに、おまけに、、、」
男の声は涙声に変わってきた。
「おまけに、何だ」
「そのセクハラも嘘だったんですよ!あいつら口裏合わせて被害者と加害者になりきって・・・。ありもしないセクハラでっち上げて・・・。」
「・・・何のためにそんなこと。」
「タナカ部長ですよ、被害者の上司の!あいつが仕組んだんです!フジイさんのことだから、必ず部下を守ろうとする、必ず責任を取ろうとすることを分かってて。完全に嵌められたんですよ!」
ふぅっとため息をついてフジイは答える。
「想像でものを言うなよ。タナカさんにそんなことをする理由が無いだろう。」
まったくこの人は、とつぶやきながら男は続ける。
「フジイさんが邪魔で目障りなんですよ。世の中にはそんなやつがいるんです、根っから悪意の塊みたいなヤツが。楽しそうに仕事をしながら結果も出しているフジイさんが単純に気に入らないんですよ!」
「想像なんかで言ってません。昨晩遅く、僕が残業をしていることに気付かずに、あの三人が会議室で話してたんです。来月の辞令で、タナカはフジイさんの後任になります。もう数ヵ月後に大きな結果が出るのが見えているこのプロジェクトの美味しいところだけ持って行こうって腹です。おまけに加害者のあいつも、何も無かったかのようにプロジェクトリーダーに昇格です。あいつは自分の可愛さにフジイさんをタナカに売ったんだ!」
よく話が整理できなかったが、しばらく考えてフジイはゆっくり言った。
「でも、プロジェクトが潰されないんなら、良かったじゃないか。タナカさんに俺じゃなくてプロジェクトを目の敵にされたら危なかったな。」
「馬鹿じゃないんですか!?」
男は机を激しく叩いた。周りの客が驚いて二人を見た。
「俺は黙ってませんよ。昨晩聞いた話を全部、人事部や役員に話して、タナカとあいつこそが飛ばされるべき人間で、フジイさんが会社にとっていかに必要な人物か、怒鳴り込んでやりますよ!そう思ってるのは俺だけじゃない!フジイさんと一緒に働いてきた何人もがそう思ってる!皆で怒鳴り込みますよ!」
フジイは嬉しかった。自分をこんなに慕ってくれる部下が何人も居るのか、ありがたい。しかし、たった一人とはいえ、自分をだまして出世しようなどという安っぽい男が自分の部下に居たことがそれ以上に大きなショックだった。
「やめとけ。」
フジイは静かに言った。
「会社ってのは、一度動き出したら誰がどうやろうがしばらくそちらへ動く。もう止まらんよ。」
「でも、おかしいものはおかしいと言わなきゃダメだって、フジイさんが教えてくれたんじゃ・・・」
「うるさい!」
フジイは今日、初めて声を荒げた。
「もう迷惑だ。俺は今回の辞令にホッとしてるんだ。やっと下らないしがらみから逃れられるってな。」
「・・そんな。それに、フジイさんのご家族だって可愛そうだ。。」
そこは触れられたくないところだった。
「もう家族なんて居ないよ。前からちょっとギクシャクしてたんだが、今回がとどめで、別れたよ。セクハラで降格になるような男と、恥ずかしくって一緒に居られんわなぁ?」フジイは自虐的に笑った。
「とにかく、もう余計なことはするな。お前は自分の将来を大事にしろ。あのプロジェクトは間違いなく会社の歴史に残るものになり、お前はその中心のエース社員だ。自らチャンスを潰しにいくことはない。」
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「あれ、久しぶり!」
アッコと仲の良かったギコだ。義子が本名だが、みんな音読みをあだ名にして呼んでいた。
「おー。元気だったか。相変わらず可愛いねぇ、って冗談だけど。」
「あんたの口の悪さは一生もんね。元気ですよ。みんなも元気そうで何より。ちょっとハゲた人いるけど、誰とは言わない。」
「出たね、口の悪いのはお互い様だ。ところで、アッコ来るらしいじゃない。」
「そうみたいね。」
「みたいねって、親友のお前にはちゃんと連絡あんだろ。」
ギコの顔がやや曇る。
「それがねぇ。あの子がKさんと別れてからなんだかよく分からなくて。」
「そっか。そういえば、アッコが好きだったフジイさん、やっぱ来ないね。」
「フジイさんねぇ、来ないんだ?でも懐かしいね。アッコ、本当にフジイさんのこと好きだった。」
「フジイさんもアッコのこと好きだったんだろう?」
「あとあと聞いたところではね。でもフジイさん、ちゃんと口に出して言わないから、分かんないんだよね。関西のノリでなんでも冗談めかして言っちゃうから、伝わらないんだよね。ほら、アッコは九州だし、フジイさんのノリが伝わらなくて。隣で聴いてる大阪出身の私は全部わかるんだけど。フジイさんが良かれと思ってアッコをイジったら、アッコ泣き出してどっか行っちゃったりして。懐かしいなぁ、彼女に悪いけど、笑っちゃうね。フジイさんも泣かれてびっくりしたろうね。関西人なら喜ぶはずやのに〜って感じ?」
みんな声を上げて笑った。
「お、アッコきたきた。おーい。」
声に気付いたアッコが決まり悪そうに近づいて来る。10数年音信不通で、無理もない。
「久しぶりだなぁ。元気だったかよ。相変わらず綺麗だなぁ。奇跡の45歳でCM出られるぞ。」
一人が雰囲気を和ませるために軽口を叩く。
「私と扱い違うなぁ。」
ギコが続け、みんなが笑う。
しばらくして、アッコがようやく口を開く。
「フジイさん、、、来てないの?」
あまりに率直なアッコの言葉に、しばし沈黙があったが、一人が正直に話し始める。
「多分来られないと思う。実は最近のことなんだけど、、」
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フジイはしばらく前の妻とのやりとりを思い出していた。
「良いきっかけだし、これでお終いにしましょうか。」
「ああ。お前もセクハラサラリーマンが旦那じゃ、肩身が狭いだろう。」
「子供がいなかったのが救いね。でもあなたこそ、せいせいしてるでしょう。」
「どう言うことだ。」
「私を馬鹿にしないでください。私がなぜあなたの子供を作ろうとしなかったのか、まだ分かってないんですか?」
フジイは思い当たる事がなかった。
「あなた、大学の時のあの子、アッコちゃんって言いましたっけ。忘れられないんでしょう?ずうっと前、偶然テニスコートであの子を見かけた時のあなた、普通じゃなかったですよ。あの子が挨拶しているのに目も合わせずに。逆に不自然だったわ。」
そんなところを見られていたのか。女の勘は恐ろしいな。
「わたしはね、その時はっきり思ったんです。私は次善の策なんだな、って。アッコちゃんの代役なんだなって。」
「でもね、いずれ忘れるだろうって思ってました。私だって初恋の人を懐かしく思うことくらいありますから。でもね、あなたはずっとアッコちゃんを忘れていない。はっきり分かります。」
図星かもしれない。アッコがKさんと別れたと聞いて、なんだか嬉しく思った自分の気持ちを押し殺していたが、俺は今でもアッコが好きなのか。
「別れましょう。そして、気兼ねなくアッコちゃんのところに行ってちょうだい。」
「くだらないことを言うな。それに彼女は人の妻だ。」
フジイは嘘をついた。
「Kさんとは別れたんでしょう?それくらい知ってます!馬鹿にしないでって言っているでしょう!」
妻は、フジイのSNSなどを見ているうちに、彼がアッコのことをそれとなく探していることに気付き、アッコの素性すら分かっていたのだ。
「私も良い年です。アッコちゃんの代役のまま一生を終えるつもりはありません。さようなら。」
彼女は小さなカバン一つで部屋を出て行った。潔さだけは結婚当時からずっと変わらない。
フジイは複雑な感情を抱えていた。いや、というより自分の感情が信じられないでいた。
結婚してからずっと、妻にそんな思いをさせていたのかという悔いよりも、彼女のいう通り、アッコに想いを伝えなければ、という思いが勝っていたのだ。
しかし、同じような感情になったのはこれで2度目だ。フジイは20数年前の冬を思い出していた。
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まだ社会人になって間もない冬の早朝、とてつもない揺れで目を覚ましたフジイは、ベッドから落ちないでいるのがやっとだった。あの忌まわしい阪神大震災である。神戸出身のフジイは、自分や家族こそ無事だったものの、亡くなった方々の中には知っている人もおり、人はいつ死ぬかわからない、ということをはっきりと感じた。感じると同時に、もういても立ってもいられず、翌日の飛行機を予約し、大学のOB名簿だけを頼りにアッコに会うために大分へ飛んだ。彼女は一旦実家に帰っているという話を誰かから聞いていたのだ。好きな人に好きと言えないまま死ぬわけにはいかない。そんな強い思いだった。
果たして彼女に会うことはできたが、相変わらず照れ屋なフジイは彼女の前ではくだらない冗談くらいしか言えず、そのまま大阪へ帰った。それでも、ここまで来たことで気持ちは伝わるだろう、とフジイは思っていた。
帰ると留守電に彼女からのメッセージがあり、「2度と変なことはやめてください」とあった。
その時以来、フジイはアッコのことをすっぱり忘れたつもりであった。
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「お前、結局、実はまだフジイのこと好きなんじゃないの?」
ちょっとした他愛もない口論がきっかけだったが、カッとなったKはアッコに詰め寄った。薄々思っていたことが、こういう時に口をついてしまうものである。
「やめてよ。いつの話よ。」
「だってお前、子供作るの、明らかに嫌がっているじゃん。」
「それはまだ仕事を続けたいからでしょう?日本で子供作っちゃったらどんなに働きづらいか、あなたもビジネスマンなら知っているでしょう?」
「俺たちの結婚式のビデオ、見るの嫌なんだよね。」
「なにそれ、急に」
と言いながらアッコは思い当たるところがあった。
「お前、披露宴でフジイが歌っているの、めっちゃ嬉しそうに聴いてたじゃん。」
図星だった。フジイがお祝いにと歌った歌は、明らかに自分に宛てたラブソングだった。それは阪神大震災の後の出来事を知らなければ伝わらない歌詞だった。あんなひどいことを言ったのにまだ自分のことを好きでいてくれているのだろうか。アッコは今からKと結婚しようというのにフジイにときめいている自分に罪悪感を感じていた。
「お前が俺をフジイの代用品みたいに思ってるんなら、やってられんからな」
冗談めかして言ったKの言葉はずっと二人の心に残ってしまい、いずれ別れるきっかけとなってしまったのかもしれない。
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オランダに住んで一年近くが経ち、フジイはかなり地場の生活に慣れて来ていた。仕事はほぼ無いに等しかったが、腐っても日本の大企業からの出向なので給料には困らない。日本人の友人もオランダ人の友人もそれなりに出来て、オランダでの生活をエンジョイしていた。
冬が近づいて来た秋の朝、天気が良いのでフジイは自転車で通勤していた。冬が近づくと朝8時でもまだ暗いので、視界が悪く、気をつけながらの運転になる。
オランダらしい煉瓦造りのアパートの間を抜け、小さな運河にかかる橋を越えるあたりに差し掛かると、
「あ。フジイさーん。」と明るい声がする。
「おー。毎度毎度ー。」
こちらに来てから、なぜかコテコテの関西人になってしまったフジイだ。これが生来なのだろう。
この辺りで声をかけてくるのは以前一緒に焼肉を食べたケイコさんだな。明るくて良い人だ。
そんなことを思いながら、フジイは機嫌よく自転車を漕いで行った。
フジイは、この左遷辞令に対し、本当に期待していることがひとつだけあった。アッコが仕事でオランダに時々来ていることを、彼女の職場のホームページで知っていたのだ。
偶然会えるほど小さな国では無いが、日本人社会なんて狭いものだ。ここで何か活躍すればアッコの耳に入るかもしれない。そう思うだけで、雑用しかないような仕事も希望を持ってやることができるというものだった。
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「久しぶり」
「おう、今年も来たか。年取ると一年早いねー。」
「相変わらず暇だからね。でも、去年が盛大だった分、今年は少ないね。」
「そうだな。お、ギコもいるじゃん。よう。今年はアッコは?」
ギコがため息をつく。
「もう絶対来ない。」
何だよそれ、と聞く男たちに、ギコがゆっくり話し始める。
「去年、あんた達から話を聞いて、アッコはずっとフジイさんを探したらしいのよ。オランダまで行ってだよ。信じられる?」
「マジか。見つかるわけねえじゃん。」
ギコが苦笑いを浮かべる。
「それが、見つかったんだって。スキーダムとかいう町に関西弁のちょっとカッコいい日本人がいるって聞いて、確信したんだろうね。朝に晩に、サラリーマンが通勤しそうなところをずっとウロウロして。」
「すっげえ。俺もそんなに惚れられたい。」
「あんたじゃ無理よ。でね、ある朝、自転車に乗って通勤するフジイさんを見つけて、天にも上る気持ちになったって。」
「うわーロマンチック。んで?」
「もちろん、大きな声で、フジイさーんって呼んだわよ、そしたらどうなったと思う?」
「自転車飛び降りて、ぎゅーって抱きしめたとか?」
ふぅ〜っと息を吐き出し、ギコが言った。
「フジイさん、『あ、毎度毎度ー』って行っちゃったんだって。信じられる?」
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いつかアッコが自分に気づいてくれるかもしれない。
全てを失ったフジイには、もうそれだけが励みだ。
拙い文章、最後までお読みいただき有難うございました!