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居待ち月の夜に  作者: 峰丘 馨子
葬送の儀
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第八十五話 白鷺


 物足りない。白鷺殿のいない都は、とても物足りないと感じる。変わった人だったし、迷惑に思ったこともあった。けれど、楽しかったのだ。彼と過ごしたあの時間が、途方も無く。


 私より付き合いの長かった時雨殿は、余計にそう思われたことだろう。心配になって会いに行った私を、彼は真っ赤な目で出迎えた。


 「数日会わなかっただけなのに、とても久しぶりにお会いしたような気分です。それで、お加減はいかがですか」


 白鷺殿が亡くなって以来、時雨殿は表に出ておられない。

 「心配かけてすまない。どこかがとても悪いという訳ではないんだ。ただ、どうにも起き上がるのが億劫で。何もする気にならん」


 食事すらままならない彼は、痛々しいほどやつれていた。それだけ、白鷺殿の存在が大きかったのだろう。


 「そういえば」


 私は、天狐殿から聞いた話を思い出した。


 「白鷺殿が自由奔放な性格になったのは、時雨殿が甘やかしたからというのは本当ですか」

 「誰に聞いたんだ、そんな話」


 この日、初めてとなる時雨殿の笑み。私は安堵して、言葉を続けた。


 「天狐殿です。昔の白鷺殿は、あまり自己主張しない少年だった、と」

 「はは。そんな頃もあったっけな。しかし、物の考え方は多分変わってないぞ。自分の意見を口にしたかどうかの違いだけだ。周りとずれた所は昔からあった」

 私の知らない白鷺殿を、時雨殿は懐かしそうに語る。


 「陰陽寮から大きな物音がしてね。様子を見に行ったら、階が一段壊れていたんだ。地面に座り込んでいる人影が見えたから『ああ、こいつが踏み外したんだな』とすぐに分かった。でも、誰もその者に手を差し伸べる風が無かった。それどころか、笑い声さえ聞こえた。壊れた階をよく見れば、誰かが細工をした跡があるじゃないか。あいつは、人間の悪意によって、わざと落とされたんだ」


 「その彼が白鷺殿……ですね」


 嫌がらせを受けていたというのは知っていたが、そんなことまでされていたなんて。


 「小柄で、いかにもか弱そうな見た目をした若者が、理不尽な理由で年寄りに虐げられる。まるで、私が助けられずにいた、どっかの誰かを見ているようだった」

 「えっ」


 時雨殿は、私に視線を合わせてそう言った。


 「身代わりなんて言うつもりは無いよ。ただ、千咲と歳が近かったのもあって、他人事だと思えなかったから。つい、お節介をね。ほんの少し手を貸しただけのつもりでいたが、やはり私は過保護だったのかな」

 「そうですね」

 「お前も大分遠慮が無くなって来たなぁ」


 遠慮などしない方が、時雨殿は喜ぶのだと、私は知っている。勿論、白鷺殿も。


 沈んでおられた時雨殿のお気持ちも、昔話をしている内に、少しは落ち着いたようだ。


 「いつも何かに怯えているようだった白鷺が、私に心を開いてくれて、我がままも言うようになって……。それが嬉しかった。好き勝手するようになってからも、時々私を頼ってくれて、本当に弟のようだった」


 時雨殿にとっての白鷺殿が、弟のような存在だったのと同じく、白鷺殿にとっての時雨殿も、兄のような存在だったのだろう。白鷺殿には家族のいない時期があった。時雨殿との出会いには、大きな価値があったに違いない。


 「ありがとう、千咲。お陰で元気が出た。それと、思い出したよ。白鷺の言葉を」


 時雨殿は、一通の文を私に見せた。


 「母親を亡くして、白鷺が気落ちしていないかと、心配になってね。文を出したんだ。これはその返事。代筆したのは八千代だろうな」

 広げられた文は、何とも白鷺殿らしい内容だった。


 「心配してくれてるところ悪いけど、私はそんなに落ち込んでないよ? お母さんがいないのは寂しいし、二度と会えないのは悲しい。でも、お母さんを失ったことと、お母さんのいない世界を生きることは、別問題なの。どんなにお母さんの死が辛くても、結局私は、お母さんのいない世界で、次の幸せを見つけてしまうんだから」


 大切な人の死。それはとても辛いこと。でも、その先の人生に、幸せはちゃんと用意されているのだろう。少なくとも、白鷺殿はそう信じて生きていた。実際、彼はその幸せを見付けられる人だった。私の知る彼は、そういう人だった。


 白鷺殿は凄惨な事件を生き延び、引き取られた先で祖父母を亡くした。それでも彼は「私は幸せだった」と言うのだろう。天狐殿は言った。「白鷺は最期まで白鷺だった」と。きっと彼は、未練も後悔も抱えながら、そうとは思えない笑顔で逝ったのだ。


 「この文、死期を悟った白鷺殿が、時雨殿に釘を差しているようにも見えますね」

 「……そうだな。『いつまでも沈んでないで、しっかりしなよ』なんて、叱られているようだ」


 「ええ。まずは、何か召し上がってください。食べないと身体が元気になりませんから」

 時雨殿は、もう大丈夫だ。私はそう確信し、五条へと帰る。次は内裏で会おう。彼のいない殿上は、月明かりの無い夜道のようなものだったから。


 その二日後、時雨殿が参内した。


 「ご迷惑をおかけしました」


 目の腫れはすっかり消え、御髪も結い直した彼は、いつも通りの美しさで、殿上に華を添える。私達の中から、白鷺殿の存在が消えることは無い。会いたいと思う。会えないことを悲しいと思う。その思いとともに、私達は次の幸せと巡り会うだろう。それまでの間、白鷺殿のいなくなった世界で、どうということの無い日常を送るのだ。時雨殿の参内は、そんな日々の、最初の一日となった。 


 さて、白鷺殿のことで、心配な方がもう一人。冬告げ姫である。彼女は、自分の想いを誰にも打ち明けていない。人前で大泣きする訳にもいかないだろう。皆に隠れ、たった一人で涙を流しているかもしれない。自分の気持ちを悟られないよう、ひっそりと袖を濡らすなど、若い彼女には辛過ぎる。かといって、自分の気持ちを隠す彼女に、こちらから働きかけるのは難しい。自分の力で立ち直ってくれると、信じるしかあるまい。


 その一方で、娘の大君は、全く落ち込んでいなかった。一応、形だけは喪に服しているが、それ以外は普段通りであった。


 「そりゃ私だって、悲しいわ。けどほら、故人を偲ぶことと、今日、私が蹴鞠で皆を負かして大笑いしたことは、何の関係も無い話でしょう?」


 どんな状況だろうと、楽しいものは楽しい。大君にとっては、それが当たり前なのだ。

 「父君にそっくりですね、貴女は」

 「ええ。よく言われるわ」

 男物の喪服をまとって笑う彼女には、白鷺殿の面影が宿っていた。


 淡雪のように美しかった白鷺殿。されど、彼が残した足跡が溶け消えることは無い。もし、今という時間が、過去から持ち込まれた全てで出来ているのなら、きっと、白鷺殿の足跡も、私達の傍らに存在していることだろう。



蹴鞠に勝ち負けは無いらしいんですよね……。

書いちゃったものは仕方ないので、西六条邸のローカルルールということにしておきます。

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