第八十三話 封印
苔色による生気集めが止まった。たとえ繁殖を試みたとしても、誕生や成長の速度は自然に任せることになる。これ以上、鬼が増えることは無い。
「やっと減ってきたか。全部倒しきるには、まだ掛かりそうだな」
「一人あたり十匹ってとこ? 嫌ねぇ。もう体力の限界だわ」
「同じく。余裕あんのは茜くらいだろ」
さすがの猛者達も、疲労の溜まった状態での戦闘は辛そうだ。白鷺殿が長との戦いを見据えて、休息に入ったことも、影響しているだろう。他にも、長引く戦いに動けなくなった者が、幾人かいるようだ。しかし、それは鬼も同じ。元々力で劣っていた彼等は満身創痍であった。
「ごめんなさい。私の防壁もそろそろ……」
私達を守ってくれていた壁が揺らぐ。
「十分ですよ、橋姫。鬼もこちらを気にする余裕は無いようですし、無理せずお休みください」
橋姫は戦いが始まってから、ずっと力を使いっぱなしだったのだ。派手に動くことは無くとも、大きく消耗していたはずである。
「そうね。ちょっと休むわ」
そう言って橋姫は腰を下ろしたが、警戒を解けるはずも無く、気は休まりそうに無い。
鬼が残り十数匹となった頃には、ほとんどの者が動けなくなった。そこで茜殿が「残りは私が引き受けます」と申し出た。
「皆は長との戦いに備えておいて。留めは白鷺様が刺すでしょうけど、それを補助するのは私達の役目だもの。これで終わりじゃない」
そう話す片手間に、彼女は五匹ほど蹴散らした。
茜殿の体力に私は驚いていたが、実際の持久力は並より多少上という程度らしい。戦闘力の高い赤色は、わずかな力で敵を倒せてしまうため、体力を削られることが無いそうだ。
「私にとっては、木の葉を払うようなもの」
苔色が怯えるわけである。
無限にも感じられた鬼であったが、ついに最後の一匹が仕留められた。
「お疲れ様。長のところへは、少し休んでから行くとしよう。まだ動けないだろう?」
茜殿以外の誰もが、立ち上がることすら億劫だった。水を求めて川に向かったり、傷口に薬草を貼るなどして、それぞれ休息を取る。
「籠乙女が育てた薬草だ。よく効くぞ」
「神様の薬か。それは有り難い」
霊獣と妖怪が、そんなやり取りをしている。不思議な縁で集まった彼等が、また新しい縁を繋いでいるようだ。何も無い場所に向かって喋っている者もいたが、きっと、人間には見えない誰かと話しているのだろう。
「人生って、分からないものですね」
「やだわ、坊や。年寄りみたいよ?急にどうしたの?」
「貴女とこうして、当たり前に顔を合わせているのも、運命の巡り合わせなんでしょうかね。と、思ったもので」
私の言葉に、彼女は目を丸くした。
「考えたことも無かったわ。坊やの存在は、もう日常の内だから。でも、そうよね。本来、私達の生活は人間と交わらない。気まぐれに一方的な手助けをするくらいなものだわ。そっか、運命か。何重にも積み上がった奇跡を『当たり前』と言えるのが、運命ってことなのかもね」
私には友がいる。人間と、妖怪と、霊獣、そして神霊。私にとっては、それが当たり前なのだ。
「さて、そろそろ良いかな。封印は林の奥だ。行くとしよう」
「それじゃ、私は坊や達を都まで送るわ」
「何言ってるの。少輔は私と行くんだよ?」
「はあ?」
橋姫が白鷺殿を睨む。
「坊やの役目はもう終わりよね? ここで鬼を誘い出すために来たんだから。長との戦いにまで連れて行くなんて、危ないじゃない」
私も、自分に出来ることなど思い付かない。
「少輔の次の役目は、見届け人だよ。私が確かに長を倒したと、内裏で証言してくれる人間が必要なんだ。普段ならそんなの必要無いけど、苔色の災厄は都中を巻き込んだからね。ああ、賊として協力してくれた彼等のことも、報告しないと。なにか褒美があるだろうし」
橋姫はまだ何か言いたそうだったが、それより先に「そういうことなら仕方無いですね。ここまで来たら、最後まで付き合いますよ」と私が言ったので、それ以上口を開くことは無かった。賊役の彼等は、西六条の妖怪が送った。
林の中は木々が生い茂り、烏の声が響く。春の優しい空気はどこへやら。痛みを覚えるほどの寒気が、この場所の異常性を知らせる。
「もうすぐだよ。この先に封印がある」
私は、大きく唾を飲んだ。これまでに感じたことの無い緊張感。胸を、誰かに握られているようだった。七条で感じた恐怖心とは違う。私の安全は、皆のお陰で保証されているのだ。怖がる必要は無い。私の心に入り込み、ざわつかせているのは、あまりにも穏やかな彼の横顔だった。
「あれは……!」
林の奥で待ちかまえていたのは、苔色の群れ。その中心に、初老の女人が立つ。
「何となく嫌な予感はしてたけど、やっぱり封印は解けてたんだね。で、周りにいるのは、さっきの戦いに出てこなかった連中かな? 彼女から離れず守りに徹していた、ってとこだろうね」
白鷺殿は、冷静に状況を分析した。
「皆、やるべきことは分かっているね?」
「……はい。あの雑魚共は、我々が片付けます」
鬼の数は二十匹程度。前の戦いに比べたら、随分少ない。だが、長を守る要とも言える彼等は、最も屈強な苔色だと言えるだろう。
その上、長が直接指示を出すものだから、余計に厄介だ。上手く立ち回って、一番の戦力である茜殿の動きを抑え込んでいる。
けれど、苔色側には、茜殿を倒せるだけの決定打が無かった。彼等がやっているのは、時間稼ぎにすぎない。
「ねえ、探女ちゃん。貴女の力で何とかならない?」
「無茶言わないで。もう力なんてまともに残ってないわよ。幻覚を見せるにしても、せいぜい、三十数える間だけ。それ以上は無理!」
二人の会話に、白鷺殿が反応した。
「三十数える間はもつんだね?」
「えっ?ええ、それくらいなら何とかするわ」
「十分だ」
「な、何事だ!? おい、奴らはどこへ行った!?」
慌てふためく苔色達。天探女が見せた幻覚は、私達がいない世界だった。
「落ち着きなさい。これは幻覚よ。私の言う通りにすれば大丈夫」
「どうしよう、どうしよう」
「まさか、私の姿も見えていないの……?」
敵を見失い、頼りだった長の指示も聞こえない。苔色達は動揺し、動くことが出来ないまま、呆気なく倒された。これで、残るは長だけとなった。
かつては美しく手入れされていたであろう長い髪。くたびれてしまった唐風の衣装は、どれだけ華やかだったことか。彼女の頭部には角が生え、幸せな日々を送っていた女の姿はどこにも無い。けれど、その顔は白鷺殿とよく似ており、紛れもなく彼の母親であると、認めるしかなかった。
「酷いことをするのね。私の子供達を皆殺しにするなんて」
身勝手な言い分に、西六条の皆が彼女を睨む。この鬼女は、白鷺殿の母君に取り憑き、邸の人間を殺したではないか。何より、それを母君の声で白鷺殿に聞かせるなど、この上無く残酷だった。
「やっと封印を解けたというのに、あんまりだわ。可愛いあの子達が受けた仕打ち、全部返してやる!」
彼女の言葉は、西六条の妖怪達をますます殺気立たせる。私も、彼女の発言に苛立っていた。だというのに、当の白鷺殿は変わらぬ表情で、彼女の声など聞こえていないかのようだった。
「暁」
白鷺殿が差し出した手に、暁殿がそっと太刀を置いた。




