第八十一話 囮
「私がやったって良いんです。私は、命を奪う側の存在ですから。それでも白鷺は自分でやるのでしょう。どうして、こんなことに……」
暁殿は、目を伏せて嘆く。
朝、私は時雨殿と共に大内裏の門をくぐる。それから、途中まで談笑しながら歩き、時雨殿は太政官、私は民部省へ。ここまではいつも通り。
私は時雨殿が太政官内に入ったことを確認し、大内裏の外へと向かう。私は周囲を警戒しながら、朱雀大路で待つ白鷺殿と合流した。
「あれ、こんなところで何をしているの? 一人?」
「おや、見つかってしまいましたか」
「真面目な君がこんなことをするなんて、どういうつもりだい? 暁もいないようだし、死にたいのかな。とにかく、暁のところへ戻って。暁なら、君を守ってくれる」
「嫌です。こんな生活、もう耐えられません。一日中見張りがいて、妻と会うことさえままならない。いい加減、我慢の限界です」
「鬼がいなくなるまでの辛抱だよ。だから……」
白鷺殿が私の肩を掴む。私はそれを振りほどき、南へと走った。囮作戦の始まりである。
先の会話は、私達二人で考えた、鬼を出し抜くための演技だ。私が、ただ無防備に走り回れば、鬼に怪しまれるだろう。故に、私が一人きりになる、それらしい理由を、鬼に見せつける必要があった。
天狐殿や茜殿を始めとする、西六条の面々が、私へと意識を集中させる。天狐殿が私の位置を追い、皆にそれを知らせる。原理はよく分からないが、私に一番近い場所にいる妖怪に、専用の札を使って合図を送るのだそうだ。合図を受け取った妖怪は、私に向かって猛進する鬼を始末する。
彼等は「おお、こいつが例の苔色か。こんな早い時間にも出るんだな。ったく、お陰で目が覚めちまったよ」と、あくまでも偶然見つけた風を装う。
この囮作戦は、とても上手くいっていた。死人に口無し。死んだ鬼が「罠だ」との情報を伝えることは無い。鬼を始末する際、偶然を装うのは、他の鬼に見られた場合の保険である。
民部省の人間に対しては「鬼に狙われていると思うと、心身共に疲れてしまって」と説明した。皆、それで納得してくれたが、仕事を毎日抜けるのは申し訳なく、囮作戦は数日に一回とした。
「ああ、また君は勝手に抜け出して」
白鷺殿の声を背に、私は走る。寒い寒い真冬のことだ。雪の降る中で転んだこともあった。身体は痛むが、鬼は好機とばかりに寄ってくるだろう。こちらにとっては、それこそ好機だ。私は鬼を誘うため、わざとゆっくり立ち上がる。私に、生気を吸う前の鬼や、姿を隠している妖怪達の姿は見えない。どこに敵がいて、どこに味方がいるか分からないというのは、恐ろしいものだ。私はただ、妖怪達を信じるしか無かった。
妖怪達は、何匹もの鬼を葬った。順調に、鬼は数を減らしている。そう思った。
その認識は甘かった。鬼は、こちらの想像より、遥かに多かったのである。囮作戦で始末された鬼は、一日で十匹前後。時雨殿の仕事が終わるまでには、大内裏に戻らねばならないので、実際は半日ほどしか動けない。囮作戦の日数を増やそうか。いや、私は「心身共に疲弊している」という理由で仕事を休んでいるのだ。この日数を増やせば、皆にいらぬ心配をかけるだろう。私が抜けることで、同僚に負担を強いるというのも、気が引ける。
囮作戦自体は、成功なのだ。沢山の鬼が罠にかかり、処分された。だが、それも焼け石に水。私達の努力を嘲笑うかのように、鬼は都の至る所で生気を奪って行った。
「生気の一部が、繁殖に使われているのかもね。改めて封印を確認しに行ったけど、長を守る鬼が明らかに増えていたよ。あの一族は役割分担がしっかりしている。上手に効率良く生気を集めると同時に、その分配にも高い計画性があるんじゃないかな。囮もその内気付かれるかもしれない」
白鷺殿は、そう分析した。
人間の生気で、腹の子供の成長を早めたり、産後の回復を計っているのだそうだ。人間の生気を糧に誕生した鬼が、親に倣って生気を吸い、また次の世代を作る。これでは鬼が増える一方だ。西六条の妖怪達を総動員しても追いつかない。
「でも、やらないよりは良いのでしょう?」
「うん。少輔には感謝してる。多くの鬼を始末出来たのは事実だ。少輔に意識が向いている間は、他の都人に憑くことも無いしね。君が囮を引き受けてくれなかったら、被害はもっと甚大だったよ」
渋々引き受けた囮だったが、人の役に立てるというのは、嬉しいものだ。
囮役にも慣れ、演技が板についてきた頃のある日。邸に戻る道中、険しい表情の時雨殿が口を開く。
「今日、どこに行っていた?民部省にいなかっただろう」
「どこと言われましても……。えーっと……」
「勝手に大内裏を抜けたのか?」
「……はい」
「危ないじゃないか。何かあったらどうするつもりだ」
時雨殿は、私を心から案じてくださっている。やはり、この人に隠れて危ない橋を渡るのは、無理なのだ。
「実はですね……」
私の暴露に、時雨殿は言葉を失った。
その夕方、訪ねてきた白鷺殿を、時雨殿が待ち構えていた。
「しーらーさーぎー!」
「えー、もうばれちゃったの? 少輔、口軽くない?」
口調だけなら白鷺殿の方が軽いのだが。
白鷺殿の行動を時雨殿が諫める。もはや見慣れた光景だが、時雨殿はいつも以上に立腹していた。私を囮にしたことが、相当頭にきたようだ。
「千咲に何かあったら責任を取れるのか、お前は」
「え、無理。そこは少輔も承知の上だし、こっちだって最大限の努力はしてるんだよ?」
毎度のことながら、この人は言葉を選ばない。
「時雨は心配性すぎるの。うちの妖怪達の力は知ってるでしょ。ちょっとは信用してよ」
「そりゃ、お前達が腕利きなのは知っている。でも」
「でもじゃない。今はそんな状況じゃないんだから。私だって、少輔を危険な目に遭わせたいなんて思ってない。他に方法が無いからやってるの。鬼の影響は都の全域に広がってしまった。内裏に張った結界だって、いつまで持つか分からないし、強度が落ちるから範囲を広げることも出来ない。妖怪達の中には戦えない者もいる。圧倒的に手が足りないんだよ、こっちは。君は内大臣にまでなったんだ。都の規模くらい知っているだろう!」
白鷺殿は、珍しく語気を強めた。
こんなにも余裕の無い彼を、私は初めて見た。それだけ、鬼の勢力が増しているのだろう。時雨殿もそれを察したが、心の中では葛藤が続いているようだった。時雨殿は、都の平和と私の安全、どちらも守りたいのである。白鷺殿のように、大義のためと割り切るのは難しい。
「あの、時雨殿」
私は、自分の気持ちをありのまま伝えた。
「白鷺殿から囮を頼まれた時、私は恐怖からそれを拒みました。引き受けてからも、ずっと怖かったです。『大丈夫、皆が守ってくれる。茜殿が鬼を倒した瞬間を、私は見たじゃないか』と言い聞かせて、やっと立っていました。今でも怖いです。けれど、それ以上に、自分が誰かの役に立てていることが、嬉しいんです。私はずっと、自分が役立たずだと思ってましたから。それに、都には大切な人が沢山います。彼等がいなくなった都に生き残ったって、私は幸せじゃありません」
「千咲……」
時雨殿は一瞬間を置くと「千咲がそう言うなら」と囮作戦に納得してくださった。
さらに「必要なものがあったら言いなさい。私では鬼の相手など出来ないが、人間側のことなら、大抵なんとか出来る。可能な限り、手を貸そう」と協力を約束してくださった。
時雨殿は、自覚しておられるだろうか。私がここまで、都に住まう人々を大切に思えるようになったのは、時雨殿のお陰だということを。かつての私なら、都のことなど放っておいた。怖い怖いと言いながら、助かる術を探すことも無く、他人任せにしただろう。
それを変えてくださったのが時雨殿だ。他人とまともに会話をすることすら出来なかった私が、ここまで成長出来たのも、多くの縁に恵まれたのも、時雨殿のお陰なのだ。時雨殿と出会えていなかったら、白鷺殿や牡丹の君と知り合うことも無かった。時雨殿から頂いた全ての縁が、私の背中を押すのである。
「いつかどこかで別れる私達だが、その『いつか』を鬼如きに決めさせはしない」と。




