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居待ち月の夜に  作者: 峰丘 馨子
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第七十八話 孝郷の明暗


 五十を過ぎた父は、思っていた以上に老いていた。白髪や顔のしわが増え、身体もどこか弱々しい。私のことは、変わらず嫌っているようだが、手を上げることは無くなった。そのような力は、残っていないらしかった。


 地方で財を築く下級貴族は多い。父もその例に漏れず、大きな蓄財を抱えての帰還だった。けれど、父が望んだのは、あくまでも橘家の復興である。十年以上都を離れたことで、それは絶望的となった。父は、貴族達の勢力争いから外されたのだ。


 それだけでは無い。すでに都では、父より遥かに若い世代が台頭していた。若き新帝のもと、新しい勢力図が生まれ、新しい思想が世の常識となっていた。こうして出来た十年の障壁を、老いた父は、越えようとも思わない。壁の向こうにある華やかな世界に聞き耳を立てては、うなだれるばかりだった。


 目標を失った父が、鬼に漬け込まれるのではという心配もあったが、夕星の裳儀と、玻璃の元服を控えていた私は、それどころではなかった。


 夕星の裳儀は二月、玻璃の元服は三月に行われた。皆、私が鬼に狙われていると、知っている。自然、警備は厳重となった。家族として祝いに来た明星も、念のためと武装している。また、西六条の大君も、邸の内外に気を配ってくれていた。


 皆のお陰で、どちらの式も、無事に終えることが出来た。例によって、祝いの品には、多少の差があったようだが、以前ほどでは無かったと思う。そしてやはり、母や時雨殿は、二人に同じ物を贈ってくださるのだった。父に関しては、言うまでもあるまい。


 玻璃は従五位で元服した。勤め先は中務省、職は少丞である。五位とはいえ、元服して間もない者を、責任の重い輔や侍従には出来ない。少丞は本来、従六位相当の職である。しかし、五位の者が就くこと自体は、珍しく無い。こういう人は大夫と呼ばれ、玻璃もまた、大夫と呼ばれた。


 私の子が従五位というのは、高すぎるように思った。そも、私自身が従五位なのである。元服した時点で、親と同じ地位というのはいかがなものか。

 

 「仕方ないよ。玻璃の場合、先を見据えてのことだから。それに、言い方は悪いが、人数合わせの意味もある。将来、国家を支える大臣や納言になりうる者を、一定数確保しておくためのな」


 私は上流階級の事情に疎い。野心らしい野心も無く、成り行きでこの地位を得た。私には縁の無かった世界で、玻璃は生きるのだろう。それは、ずっと前から決まっていた。


 殿上でも、玻璃の元服が話題に上る。

 「無事に終わって何よりですな」

 「今朝、見かけましたよ。熱心に書物を読んでいたようです」

 「少輔殿、実は私の四の姫が十一歳なんだが……」と

 いった具合だ。


 玻璃の評判は、貴族達の間でも上々だった。が、夕星に興味を示す様子は無い。最初から眼中に無いのだろう。

 それでも、このお方の言葉は無視出来まい。


 「一の君……夕星の君と言ったかな。彼女は、どうなんだい? 玻璃大夫と同じく、少輔に似て大人しいのかな」

 御帳台より響く、澄んだ玉音。私は、恐れ多く思いながらも、口を開く。

 

 「どちらかと言うと、私の母に似ているかもしれません。一日中書物を広げて、文字を追っているような子です。最近は漢字の書物まで読んでいるらしく、遊び相手をしていたはずの大人が教えを乞うことも、珍しくありません。女の子があまり賢いと、世間は良く思わないものですが、愛敬のある子なので、頭の硬い人からも可愛がられております。そこは妻に似たので御座いましょう」


 私が言い終えた途端、皆が夕星のことを聞きたがる。全く持って分かりやすい。


 「賢くも愛敬のある娘とは羨ましい。しかも、人に教えられるということは、物知りなだけでなく、本質をよく理解しているということだ。どうだろう、少輔。その子を我が家に出仕させてみては」


 「抜け駆けはいけませんよ。ね、少輔。出仕ならば私の邸に」


 「いっそ後宮はどうだろう」

 「いやいや後宮より……って、主上!?失礼致しました」


 主上は青ざめる公達を尻目に、お言葉を続ける。

 

 「そのように賢い人の才が埋もれてしまっては、勿体ないだろう? それにどうやら、夕星の君は、学ぶこと自体が好きなようだ。親の言い付けで渋々学ぶのと、進んで学ぶのとでは、身に付く知識に差が出るというもの。こういう人の存在は、後宮にとって良い影響をもたらすだろう」


 突然の話で、私は困惑した。

 「書物による知識は豊富でありますが、まだまだ世間知らずな娘です。宮仕えさせるには、心許ないと思われます」と申してみたが、主上はさらに重ねておっしゃる。


 「世間など、出仕すれば嫌でも知ることになるさ。勿論、本人が出仕を望まないなら、無理強いはしない。そうだな、実際に後宮を見てから、決めてもらおう」

 こうして、主上の叡慮により、夕星は後宮に呼ばれることとなった。


 夕星が後宮に留まる間、私は気が気ではなかった。いくら賢いとはいえ、所詮は下級貴族の娘。至らぬことも多い。後宮は自由に出入り出来る場所ではなく、夕星の様子を知ることも出来なかった。





 後宮を後にした夕星は、満面の笑みだった。


 「凄いんですよ、お父様。女御様や女院様が、珍しい絵巻物を沢山見せてくださるんです。『好きなだけ読んで良いのよ』って。どれも面白くて、つい夢中になってしまいました。それから、皆さんとのお喋りも楽しかったです。特に女院様のお話が面白くて……」


 どうも夕星は、自分と同じか、それ以上に博識な相手でないと、話が合わないらしい。後宮には教養のある方が大勢いらっしゃるので、夕星も満足したのだろう。それにしても、まさか女院様まで娘の相手をしてくださっていたとは。


 「そうそう。女院様がね、お父様にお文を渡して欲しいって。はい」

 まるで、同年代の友人から文を預かって来たかのような気安さで、夕星は文を差し出す。


 文には「良い娘さんに恵まれましたね。若いお嬢さんは、私の話を聞いても、眉間にしわを寄せて首を傾げるものと思っておりましたが、夕星の君にお会いして、考えを改めましたわ。


 男でも女でも、半端に賢い人は、どこか気取った感じがしたり、他人を小馬鹿にした話し方をしがちです。その点、夕星の君は、嫌味なところがなく、大変可愛らしい。彼女はきっと『本物の賢い淑女』になることでしょう。


 最後に、少輔様。夕星の君は、私が用意した書物を読み切ること無く、お帰りになりました。時間がもっとあればと嘆いていましたよ。後宮に出仕したら、いくらでも続きを読む機会が御座います。くれぐれも、宜しくお伝えしてくださいね」とあった。


 後宮でのことはよく分からないが、女院様が夕星を気に入られたのは分かった。それにしても、餌を撒かれるほど気に入られるとは、我が娘ながら末恐ろしい。


 夕星が邸に戻って、何日も経たない内に、麗景殿様から呼び出しがあった。


 「私もお話したけれど、何でもよく知っていて驚いたわ。それで、いつから出仕してくれるのかしら」

 いつの間にか、出仕することになっている。まだ私も夕星も、返事をしていないはずだが。


 「不安もあるでしょうけど、最初の内は私が面倒を見るから、大丈夫よ」

 「では、娘をこの麗景殿に?」

 「ええ。だってほら、私は貴方の……」


 私は、麗景殿様がこの後に続けようとしている言葉を、知っている。だが、この人は、私がすでに知っているということを、ご存知でない。


 「永子ながこ!」


 普段、大きな声など出さない人だが、この時は随分慌てているようだった。永子というのは、麗景殿様の本名だろう。実兄という立場から、つい呼んでしまったというところか。


 「時雨様、いくら麗景殿様の兄君とはいえ、臣下としての礼を失するのは、如何なものでしょう」

 麗景殿様に仕える女人が、時雨殿に苦言を呈する。


 「ああ、すまない。私としたことが、取り乱してしまった。ですが麗景殿女御? 私の意向はご存知のはず。何故このようなことをなさる。私がこちらに来なかったら、貴女は口にすべきでないことを、口にしていた」


 思っていた通り、時雨殿は意図的に真実を隠していた。

 私は、素知らぬ顔でい続けるべきだったのだろうか。


 「時雨殿、ごめんなさい。知っていました」

 「え……?」


 時雨殿は、言葉を詰まらせる。私は、全てお伝えした。


 「牡丹の君から、左大臣殿に実子が無いと伺ったものですから。もしやと思って、牡丹の君に麗景殿様のご年齢を確認したんです。母が養子に出した二人の年齢は知っていましたので、すぐに確信致しました。そうと分かると、なぜ今まで気付かなかったのか、不思議でなりません。時雨殿のご容貌は、こんなに母と似てらっしゃるのに」

 静かな麗景殿に、扇の落ちる音が響く。扇の主はうなだれ、顔を上げない。


 「どうして隠していたのですか」


 時雨殿は扇を広い上げ、口を開く。

 「兄として何もして来なかった私が、今更『弟が可愛い』なんて言えないだろう。橘邸内の事情は知っていたしな。それでも、千咲と会って、何かしたいと思った。だからせめて、目の届く場所に置こうと、お前を従者にした」


 言い終えると、ようやく時雨殿は顔を上げる。時雨殿の、こんな顔は初めて見た。


 「私は、そんなの気にしませんでしたよ」

 「そうだな。そうだよな。初めから、正しく名乗るべきだった。自分はお前の異父兄なのだと、言うべきだった」


 この翌月、夕星は麗景殿様付きの女房として、後宮に迎え入れられた。鬼のために暗くなっていた我が家にとって、久しぶりの明るい話題となった。母からも、夕星を祝う文が届く。その最後に、父の様子が書き添えてあった。


 「こんなことなら、孝平を可愛がっておけば良かった。後宮に出仕する程の孫が生まれたのに、その孫は当家から離れてしまっている。孝平が私の元に残っていたら、橘が復興する未来もあったのだろうか」


 そう言って後悔していると、母はいつもの美しい文字で綴った。

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