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居待ち月の夜に  作者: 峰丘 馨子
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第七十四話 無常姫


 明星は、すぐさま行動に移した。無常姫に、文を送ったのである。無常姫が権大納言の娘なのかを問うと同時に、もしそうでも自分は気にしないという内容で。私も、権大納言に対しては良い感情を持っていなかったが、巻き込まれただけの姫にまで、責任があるとは思っていない。それは時雨殿や桐宮様、冬告げ姫ご自身も同じである。

 

 無常姫からの返事は遅かった。悩み抜いての選択だったのだろう。彼女は、自分が権大納言の娘であることを、肯定した。明星が私に文を見せることは無かったが、涙で文字が滲んでいたという。


 罪人の娘。何があっても変わることの無いこの事実を、彼女は死ぬまで隠していたかったであろう。私達はきっと、酷なことをした。それでも、勇気を振り絞って、素性を明かす決断をしてくれた。私にはこれが、彼女が善良な姫である証に思えた。


 同時に、もう、明星と関わりたくない旨も書かれていた。


 自分は一生日陰にいるしかない。結婚などしてはいけない。自分の悪評のために、夫の未来は断ち切られる。母親になどなってはいけない。子供もまた、日陰を歩くことが分かっている。出家などしてはいけない。自分のような人間が、御仏に縋るなど、許されない。世間の目に触れず、誰からも忘れ去られて生きる。全ては、自分が罪人の娘だから。


 そう、彼女は文に綴っていたそうだ。


 許しを乞うことも無ければ、幸福を願うことも無い。父親が犯した罪のために、ここまで彼女が追い詰められていたとは、思っていなかった。それどころか私は、彼女のことを、すっかり忘れていたのである。

 権大納言が失脚したことで、全て終わった気になっていた。あの事件から、十二年もの年月が経っていたが、姫の中では、何一つとして、終わっていなかったのだ。

 

 「父上」

 姫からの返事を教えてくれいた明星が、私の手首を掴む。


 「行きましょう」


 明星は問答無用で私を引っ張り、路地を駆け抜ける。せめて何か履いてからにして欲しかったが、私を掴む明星の力は強く、従うしか無い。すでに背丈は明星の方が高く、私は引きずられるように走る。


 そうしてたどり着いたのは、言うまでもなく無常姫の邸であった。草の伸びた築地が続く寂しい場所。かつて、貴族の姫として暮らしていたことを思うと、あまりに痛ましい。邸は貴族の寝殿と変わらない様子だったが、対の屋は無く、庭も小さい。姫が感じているであろう肩身の狭さを、そのまま再現しているかのようだった。


 邸の者が私達に気付く。


 「まあ、大尉がいらしたの?こんな時に限って……。もう来ないでと申し上げたはずなのに」

 中年の女が、困惑した表情で言った。分かっていたことだが、邸の誰もが私達を歓迎しない。


 「……そちらの方は?」

 「父です」


 女の問いに、明星が答える。瞬間、邸に動揺が走った。


 「なんてこと。大尉は何をお考えなのでしょう」

 「権大納言と呼ばれていた姫の父君が、何をしたのかは知っています。ですが私は……」


 「ああ、姫様!」

 明星の言葉は、誰かの叫び声でかき消された。


 「何の騒ぎかしら。頭がとても痛いのよ。沢山の声がして。誰だったかしら。誰でもなかったかしら。ねえ、静かにしてちょうだい」


 御簾を引きちぎり、姿を見せた若い娘。身体を左右に揺らし、虚ろな目ををこちらに向ける。


 「明星の君……?」

 彼女は明星の名を呼ぶと、涙を流し、声を荒らげる。


 「嫌、嫌、嫌ぁっ! どうして、どうしてなの。私なんか放っておけば良いじゃない。そんなに不幸になりたいの!? お父様だってそうよ。私が生まれてさえいなかったら、娘を東宮妃になんて考えなかったもの。だからお母様だって……。うん、そう。私がいたから、皆、不幸になった。だから私は悪くない。お父様のせいよ。全部全部全部。お父様が悪いんだわ」


 言っていることが滅茶苦茶だった。彼女は思い付いたままを口にし、言葉には脈絡が無い。しかし、このような話し方には、聞き覚えがあった。それがどこであったかは、すぐに気付くこととなる。


 彼女は、手当たり次第に周囲の物を破壊した。御簾や調度品だけでは無い。柱までもをへし折ったのである。


 「何よ、何よ。私は悪くないのに。ただ私のせいで不幸になった人がいただけじゃない」

 「姫様、おやめください。邸が潰れてしまいます」


 止める人の声も虚しく、邸は崩壊した。

 彼女は止まらない。壊れた邸を、なおも破壊した。


 「乳母殿、姫はどうしてしまったのですか」

 乳母だという女が答える。


 「あ、貴方のせいですよ。貴方が旦那様のことを知らなければ、姫様だって……」

 乳母の言葉に、明星はうつむく。


 乱れた彼女の髪から、白い影がのぞく。


 「明星のせいではありませんよ。ほら、あれを。彼女の頭です。見えませんか」

 私が言うと、皆が姫の頭を確認する。


 「角が、姫様の頭に角が……!」

 姫の頭に生えた二本の角。私はそれを何度も見てきた。


 「明星の文で姫が動揺したのは確かでしょう。でも、あれをさせているのは鬼に違いない」

 「では、鬼を離す必要があるのですね。私が西六条に参りましょう、父上」


 明星が走り出そうとしたその時、無常姫が私へと迫る。


 「父上? 明星の君のお父様……?」

 私達は、真正面から向かい合う。


 「そう、なの。わざわざお父様を連れて来られるなんて、よっぽど私が憎いのかしら」 


 彼女は、それまでと違い、落ち着いた声で話す。


 「貴方も、私が憎いのでしょう? 父の罪を暴いたのは、貴方ですものね。大切な人を苦しめた男の娘が、憎くて堪らないはずだわ。皆、皆、私を憎んでいる。母も私を見捨てた。どうして。分からない。壊せば楽になるの? 私が不幸にした人がいなくなれば、私は誰も不幸にしなかったことになるの? 私が不幸にした人は誰? 貴方もそう? 貴方を殺せば良いのかしら」


 彼女は、私の首に手をかける。鬼の憑いた状態で力を込めれば、私の首など簡単に折れるだろう。


 「私は、貴女を憎んだことなんてありませんよ。時雨殿も、桐宮様も、冬告げ姫も。誰一人、貴女を憎んではいません」

 「嘘よ、そんなの嘘。だって、お父様は許されない。私も、許されない!」


 この姫は、十二年の間、本当に苦しんだのだろう。世間の目が彼女を追い詰め、彼女自身もまた、自分を追い詰めた。彼女の言葉からは、罪悪感と、理不尽な運命への恨み言が溢れていた。


 「貴女の父君が、許されないことをしたのは事実です」

 「父上!?」


 「父君が受けた非難や処遇は応報です。そして、父君の犯した罪が、許されざる事だと理解出来る貴女は、善悪の区別がつく人です。その貴女が、こんな八つ当たりのような行為で、晴らせる心をお持ちだとは、到底思えないんですよ」


 彼女は、私の首からそっと手を離す。


 「知っ……てた。こんなことしたって、何も変わらないの。ただずっと辛くて、でもそれを言えなかった。言っちゃ駄目だと思ってた。それでもやっぱり、赦されたかった」

 その場で泣き崩れる少女の頭から、角が消える。鬼が離れたのだ。


 意識を失う少女に背を向け、去りゆく影があった。


 「鬼だ、鬼が逃げるよ」

 邸の者達が怯えながら指を差す。私はその姿に、我が目を疑った。無常姫に憑いていた鬼は、苔色だった。

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