第五十四話 病にあらず
寝込み始めて七日。思ったより長引いてしまっている。さすがに、そろそろ仕事に戻らねば、穴を埋めてくれているであろう皆に申し訳ない。
「いやいや、今は自分のことだけ考えていれば良い。誰も責めたりはしないよ」
わざわざ見舞ってくださった時雨殿がおっしゃる。
「牡丹もお前さんの様子を気にしていたよ。見舞いの文を書きたいそうなんだが、具合の悪い時に文を読むのは億劫ではと、ためらっているらしい」
「そうでしたか。重病という訳ではありませんし、そこまで気を遣っていただかなくても大丈夫ですよ」
彼女からの文なら、喜んで受け取ろう。
「分かった。牡丹に、そう伝えておくよ」
けれど、間の悪いことに、時雨殿が乗って来られた車の部品が壊れ、この日はお泊まりいただくことになった。
十日目。今度は牡丹の君の文使いに災難が続く。ある者は足を挫き、ある者は野犬に追い回された。
「姫様は何人も使者を出しておられます。今朝も、馬の上手な者に文を持たせたのですが、落馬してしまって……。軽い怪我で済みましたが、文をお届け出来る状態ではなく、諦めるしかありませんでした。いつもは大人しい馬なのですよ。どうしてか、今日に限って暴れたんです」
私を訪ねて来た男が、そう話した。彼は左大臣邸の使用人で、市への使いに出たついでに、こちらへ寄ったのだという。彼は「こんなことなら、私が文を預かって来ればよかったです。はあ」と肩を落とす。
「君のお陰でそちらの事情が分かったのだから、気にしないで。文は気長に待つとしよう」
文が届くより、私の具合が良くなる方が早い気もする。どのみち文は楽しみなのだが。
しかし、私の体調は悪くなる一方だった。
「一体、何日寝込んでいるのだろう」
長くても、せいぜい五日ほどで治ると思っていた。その上、牡丹の君からの文も、届く気配が無い。尾根雪は幼い夕星にかかりきりで、ほとんど会えない。夕星には、乳母をつけていなかったのである。
体が弱ると、気持ちまで弱くなるらしい。「実は大病だったのだろうか」と、悪いことばかり考えてしまう。かつては、人との関わりに煩わしさしか感じなかったが、この時は「誰かそばにいてくれないものか」と泣きたいほど心細かった。
有り難いことに、人恋しい私のもとへ、来訪者があった。といっても、彼女は人ではないのだが。いや、そんなことはどうでもいい。お陰で私は涙を流さずに済んだ。
「まったく、坊やったら最近ちっとも宇治へ来ないじゃない。待っているのも飽きたし、こっちから来てあげたわよ」
「すみません。私も伺いたかったのですが、どうにも調子が悪くて」
私は重い体を起こし、橋姫と向かい合う。
「まあ、人間だものね。病じゃあ仕方なーー待って。坊や、貴方のそれ……」
「?」
「貴方、呪われてるわよ。身体の調子が悪いのって、そのせいじゃないかしら。思い当たること、無い?」
私は、首を横に振った。呪われる覚えなど、無い。
「そうよね。坊やに限って、そんなこと。でも、恨みってどこで買うか分からないものよ。自分に悪意や非が無くたって、一方的に恨まれてしまうんだから」
恐ろしい話だが、事実である。私は一体、誰の恨みを買ったのだろう。そも、怨恨による呪いなのだろうか。冬告げ姫の一件が、私の頭をよぎった。
「とにかく、暁の飼い主にでも頼んで、早く何とかしてもらいなさい。悪いけど、私に人間同士の呪いは解けないの」
もし、このまま呪いを放置したら、私はどうなってしまうのだろう。私の身体は、確実に悪化している。もっと悪くなるのだろうか。なら、その先に待つのは……。
私は、最悪の結末を想像してしまった。体の震えが止まらない。流れ出る汗の質が変わる。
「坊や」
橋姫は、寄り添うように、私の背中へ手を置いた。
「まだ間に合うわ。怖いでしょうけど、やるべきことをやりなさい」
体はまだ震えている。でも、彼女の言葉で、気持ちがほんの少し落ち着いた。何もしなければ、本当に終わってしまう。
「ありがとうございます。もう大丈夫です。西六条に使いを出しましょう」
死にたくなんかない。私は、白鷺殿をお呼びするよう、仕える男に指示を出した。




