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居待ち月の夜に  作者: 峰丘 馨子
都の病巣
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第四話 時雨


 面識の少ない相手、特に、目上の方と接するのは、私にとって最も不得手なことだった。声は小さくなり、話の内容は要領を得ず、言葉に迷う度黙り込んだ。

 それでも嫌な顔一つせずお相手してくださった大納言殿のお陰で、邸に着くまでには、私も少しは打ち解けることが出来たように思う。初対面の相手には苦手意識を持つが、一度慣れてしまえば普通に接することが出来る。いつものことだった。


 その、車でのやり取りは、やはり大納言殿から始まった。


 「そういえば、あの牛飼いは橘邸の者だったと思うのだが、君は治部少輔の弟なのかい?」


 この問いは、私にとって好ましいものではなかった。


 「ええ、まあ」


 目を伏せて答える私に、察しの良い大納言殿は「では、君が民部少丞か。二十歳と聞いていたが、随分と童顔なのだね」とだけ言い、それ以上、兄の話題は口にしなかった。


 「確か少丞は…ああ、この呼び方は堅苦しいな。周りからは何と?」周りと言われても、私にはそれらしい友人などいなかった。


 「ええと、官位でしか呼ばれません。愛称のようなものは何も」

 「それは不便なことだね」


 私は不便に感じたことなど無いのだが。


 「なら、せめて私のことは官位ではなく『時雨』と呼んでもらおうかな。親しい者は、皆そうしている」

 「親しい?」


 つい先程会ったばかりの相手に、そういった言葉を選ばれ、違和感を覚えた私は、首を傾げた。


 「ええっと、親しくしているか、これから親しくなるか、順番は大した問題ではないだろう?」


 急に、たどたどしい口調で、苦笑いを浮かべる大納言殿の様子に、自分が何気なく発した言葉が、強い否定の意味を持っていたことに気付く。


 「今のは違うんです。そういう意味ではなくて……」


 慌てて言い訳する私を、不機嫌そうな顔が覗き込む。やはり人付き合いというのは面倒くさい。ちょっと優しそうだからと油断したら、すぐこれである。この期に及んで、まだ自分勝手な思考に至る。これから、大納言殿の文句を聞くことになるであろうことを、煩わしく思った。


 しかし、私の耳に飛び込んできたのは、文句やお叱りの言葉ではなかつた。


 「時雨ってよぶ?」

 「はひ?」

 「しー、ぐー、れー」


 子供のような振る舞いに、私は従うしかなかった。


 「時雨殿……?」

 それを聞き、満足げに頷くと、嬉しそうに笑ってみせた。


 それ以降の、時雨殿とのやり取りには、不思議と緊張感を覚えなかった。

 私が、妻子のことをお話しすると、時雨殿は、年内に最初の子がお生まれになるということもあって、熱心に聞いてくださった。私には、一度打ち解けると、一方的に自分の話ばかりしてしまうという癖があったが、時雨殿は気にする素振りを見せない。


 また、私は話すのと同じくらい、聞くのも苦手なのだが、時雨殿のお話は興味深く、面白い。時雨殿にとっては日常のことなのだろうが、私には、手の届かない別世界のことで、お伽話でも聞いているようだった。けれど「蹴鞠だけは、昔からどうも苦手でね。子供の頃、尻餅をついてから、ずっとやっていないんだ」などとおっしゃる姿が、この方が天の住人などではなく、ただ一人の人間である事を私に証明してくれる。


 このように、時雨殿との相乗りが、思いがけず楽しかったものだから、牛車を降りる際は、本当に名残惜しく思った。

 時雨殿が、帰り際に「また今度」と、次がある風なことをおっしゃったのは、嬉しいかぎりてあった。

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