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居待ち月の夜に  作者: 峰丘 馨子
籠の乙女
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第四十八話 達成


 籠乙女は、それまでの態度が嘘のように、あっさりと匂い袋を差し出した。細かな刺しゅうが施された匂い袋は、仄かに梅の香りを漂わせる。


 「おや、橋姫の鍵じゃないか」

 「ひゃっ!?」


 いきなり耳元で声がした。振り返ると、暁殿が覗き込むように立っていた。


 「ごめんよ、驚かせるつもりは無かったのだけど」


 いつの間に戻って来られたのだろう。去るのも来るのも気付かないとは、私が鈍いせいか、はたまた……。

 

 「暁は影が薄いのかしらね」

 本人の前で言うか。籠乙女の無遠慮な発言に、暁殿も笑うしか無いといった様子である。もっとも、仕えている主人がああなので、慣れているとは思うが。


 「それで、鍵というのは?」


 暁殿は、匂い袋を指して鍵と言った。「橋姫の鍵」と。


 「高天原に出入りするための鍵だよ。人間の世界と高天原をつなぐ扉はそこら中にあってね。人間界側の扉は自由に使えるのだけど、高天原側の扉は、誰がどの扉を使うのか、厳格に決められているんだ。人間界から高天原に入る場合、人間界側の好きな扉から入って、使用が許されている高天原側の扉に抜ける。この、高天原側の扉は鍵が無いと開かないし、開けられる扉は鍵ごとに違うから、橋姫は自分で鍵を捜せなかったのだろうね」


 鍵が無ければ入れない場所に、鍵を落とした。なるほど、これでは他の誰かを頼るしか無い。


 「あれ、私は入れてしまいましたが……?」

 「高天原に入ること自体は許可されていたみたいだからね。扉と扉の間から弾き出されたんだよ」


 だから何もない上空に出てしまったのか。……鍵無しでも入れるなら、自分で捜しに行けたんじゃ?


 籠乙女は「全く、鍵だと分かっていたら、私だって直ぐ返したのに」と主張したが「どんな物だろうと、持ち主に返すのが普通です」と暁殿に一蹴された。しかし、彼女の言いたいことも分かる。捜し物がただの匂い袋では無いと、橋姫が教えてくれていたら、もっと早く見つかっていただろう。


 「鍵の紛失は、恥にしかならないからね。誰にも知られたく無かったんだよ、きっと」

 鍵について知らない人間は、橋姫にとって、都合が良かったようだ。他の神々の目を気にしているなら、正規の扉を通らずに高天原入りするのは無理だろう。


 ちなみに、籠乙女が匂い袋を鍵だと認識出来なかったのは、単に鍵を見たことが無いからだそうだ。高天原の住民として、当然、鍵のことは知っていたが、庭から出られない彼女に鍵は不要。鍵も匂い袋も見たことが無かった。これでは分からないのも道理である。


 「ところで、高天原側の扉が許可制になっているのは何故です?」

 神々の住まう世界で、神々の出入りを縛る必要はあるのか。


 「いや、その……。はち合わせるとまずい組み合わせというのがあって……」

 まさかそんな理由だったとは。


 「人間同士のいざこざとは違うからね。案外大変なんだよ」

 そう話す暁殿は、その辺にあった枯れ枝を鍵として採用したらしい。それこそ、紛失したらとんでも無い苦労が待っていそうである。


 いよいよ、籠乙女の庭を出る時が来た。早く匂い袋を持ち帰りたかったはずなのに、とても名残惜しい。沢山話して、遊んで、良き友人が出来たような気分だった。


 帰り道も、暁殿に案内していただいた。暁殿の鍵で扉を通り、宇治橋近くの扉から出る。川以外の出入り口もあるなら、先に言って欲しかった。突き落とすなんてあんまりだ。この件があるので、橋姫に会うのは少しばかり憂鬱だった。





 「来ないかと思ったわ」


 私の顔を見るなり、彼女はそう言った。消えた篳篥の行き先が私の元だと、分かっていたのだろう。私は静かに橋姫へと歩み寄り、匂い袋を差し出した。


 「これで間違いありませんか」


 彼女は私の手から、そっと匂い袋を受け取る。


 「全く、律儀な坊やね。篳篥を取り戻せたのだから、さっさと帰れば良いでしょうに」


 そう言って顔を背けると「まあ、その……ありがと」とぎこちなく言った。


 赤くなった頬を冷まし、こちらへと向き直った橋姫の視線は、私ではなく暁殿を捕らえる。彼女の瞳には、嫌悪が満ちていた。


 「どうして貴方がここにいるのかしらね。生まれ落ちたその日に大罪を犯した、薄闇の子が」

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