第四十七話 地より響く
あれだけ楽しそうにしていた囲碁でも駄目。一体、何をどうしたら籠乙女は満足してくれるのか。最初に心配した通り、彼女は「満足した」と言う気が無いのだろうか。
美味しい唐菓子、まばゆい屏風絵、色とりどりの衣装……。どれもこれも、あの熱戦を超えられる話題にはなるまい。かといって、このまま碁を打ち続けるのも好ましく無い。際限無く楽しみが続くと、娯楽の有り難みが薄れてしまう。特に、籠乙女のような気質だと、それが飽きにつながるのである。
囲碁より楽しんで貰えそうな話題や遊び。私はそれを記憶の中から探す。だが、この作業に意味は無い。何せ、私自身が「そんなものは無い」と思っていたのだから。頭に浮かぶのは「楽しんで貰えそうだが、囲碁ほどでは無い」ものばかり。
無論、それは私の想像にすぎず、結論を出すのは籠乙女である。私が思い浮かべた中に、囲碁より気に入るものがあるかもしれない。例えば、漢字を使った遊び「偏つぎ」はどうだろう。
「囲碁の方が面白かったわ」
「……はい」
投石もやってみたが、こちらも不発。これにより、私は完全に手詰まりとなった。都の遊びは他にもある。しかし、籠乙女の庭にあるものだけで出来る遊びが無いのである。なぞなぞも特に道具を必要としないが、私と籠乙女では、持っている知識が大きく異なる。これでは問題が出しにくい。私は次の手が思い付かず、頭をかかえた。その間も彼女は「他に何か無いの?」と退屈そうに言う。
切羽詰まった私は、何か出てきやしないかと、懐に手を入れた。時々、大夫殿が書いて寄越す珍妙な長歌とか、尾根雪がこっそり裏地に刺繍した私への愚痴とか……。
「何かしら?」
懐から転がり出たそれを、籠乙女が指差す。私は驚きのあまり、すぐには声が出せない。何故ここに? 偏つぎのために紙を取り出した時は、確かに無かった。
「篳篥……!」
橋姫が持っているはずの篳篥が、どうして私の懐から出てくるのか。この事態に私は混乱したが、籠乙女は興奮していた。
「それは楽器でしょう? どんな音がするの?」
「は、い……。篳篥という楽器です。でも……」
戸惑う私の姿に、籠乙女が不思議そうな顔をする。
「どうかしたの?」
私は、まだ話していなかった、橋姫とのやり取りを伝える。
「匂い袋を持ち帰ったら、篳篥を返して貰える約束なんです」
「それは変ね」
私が戸惑う理由に納得した彼女は、私と一緒になって首をひねる。
が、篳篥自体への興味を抑えるつもりは無いらしい。それはそれ、ということだろう。彼女はじっと私の手元を眺めていた。
「あら?」
意味ありげな彼女の声に、私は顔を上げた。
「この笛、自分の意志でここまで来たみたいよ」
篳篥に意志などあるのか。仮にあったとして、どうやって来たのか。よもや、手足が生えた訳でもあるまい。
「篳篥が自分で移動した、と?」
「私もよくは分からないの。ただ、伝わって来るのよ。貴方が好きで、側にいたいって」
理屈はさっぱりだが、大切に想っている篳篥に好かれているというのは、とても嬉しい。
「私も同じ気持ちだよ」
思わず、そう口にした。
その様子を微笑みながら見ていた籠乙女が、突然、大きな声を上げた。
「あーーっ!」
「な、何です?」
動物達も驚いて、一瞬、身体をすくめた。
「貴方は、この笛を取り戻すために匂い袋を捜していたのよね? でも、笛は今、貴方の手にあるわ。それはつまり……」
「?」
「……帰っちゃうの?」
私はしばらく、その意味が分からなかった。それにより返答が遅れてしまったのだが、彼女は私の沈黙に不安を募らせた。
「あ、そうか。私のところに篳篥があるなら、匂い袋を持ち帰る必要は無いのか」
「気付いて無かったの? 私、余計なことを言ったかしら」
ますます動揺する籠乙女。自分の一言で、私が帰ると思ったようだ。
「私は橋姫との約束も、貴女との約束も、違えるつもりはありませんよ。貴女が納得して匂い袋を渡してくださるまで、こちらにいます」
私の言葉に安心したらしい彼女は、強張っていた表情を緩ませる。
「そっか、良かったあ」
そんなに気に入られていたのか、私は。
「で、で?これはどんな音がするの?」
私が帰らないと分かった途端、意識を篳篥へと注ぐ。
「勿論、吹かせていただきますよ」
籠乙女は「早く早く」と私を急かすが、そうもいかないのが篳篥である。
「すみません、すぐには吹けないんですよ。準備があるので、お茶の用意をお願いします」
私が篳篥を構えると、辺りは静寂に包まれた。騒がしくしていた動物達も、大人しくしている。その心地良い静けさの中、私は篳篥の音を響かせる。
笙は天からの光、龍笛は天地の間を泳ぐ龍。そして、篳篥が届けるのは地上の声。今を生きる人々の営み。そんな地より響く音が、少しでも彼女の耳に届いたらと、私は思った。
「平安時代、お茶は貴重だった」「葦舌を茶に浸すようになったのは、平安時代より後」というような情報が……。
今更設定を変えられないので、このままいきます。
偏つぎ……漢字の偏とつくりを利用した遊び。偏につくりを添える、もしくは漢字の一部を隠し、何の字か当てる遊びだと言われています。
投石……現在のお手玉に近い遊び。




