第三話 善意
「君の邸は五条かい?」
大納言殿の言葉に、思わず体を引いた。大納言殿は「ああ、やっぱり」と笑う。
「大丈夫。知り合いの陰陽師が、五条そのものに問題があるわけではない、と言っている」
失礼ながら、その陰陽師の言葉は、当てにならないと思った。すでに、何人もの僧侶や陰陽師が、五条に訪れて、加持や祈祷を行ったが、病が鎮まる気配はなく、彼等の見解もまちまちだった。
死霊の祟りが強すぎて解けないと言う者、これは人の手による呪詛で、それをしている誰かが、五条以外の場所にいると言う者、病をばらまく物の怪が走り回っていると言う者。これだけ意見が分かれてしまうと、住民達の不安は募るばかりである。
何より、彼等の言葉の多くは「どうにもならない」という意味合いが強く、住民達は「我々はもう助からない」と怯えながら過ごしていた。
大納言殿が、その陰陽師に対し、どの程度信頼を置いているのかは分からないが、私には「問題は見つからなかった。だから、ここに問題は無いと結論付けた」と言っているように思う。
「無いから見つからない」なら良いが「あるのに見つけられなかった」では困る。とはいえ、それを指摘すれば、大納言殿の気分を害することになるだろう。
私は、どうにかして断ろうと、言葉を探す。その間、長々と待たされている大納言殿の表情が、徐々に消えていくのが分かった。
「仕方ないな」
一言も発しない話し相手に、とうとう大納言殿は諦めを口にする。私は、これを喜ばしく思った。大納言殿の方から退いていただけたのだから、これ以上の言い訳を考える必要は無い。大納言殿は優しい方なのだろうが、この時の私にとって、その善意は有り難迷惑だった。
はて、大納言殿が立ち去らないのは、どういう訳か。それどころか、もともと近かった私達の距離を、さらに縮められた。大納言殿は、私に目線を合わせると、大層華やかに微笑んで見せる。あまりの美しさに息を呑んだ瞬間、自分の足が、地面を離れたのが分かった。
「私も、あまり暇ではないのでね。これ以上は待てん。おとなしく送られなさい」
私を抱きかかえた大納言殿の足は、迷わず牛車へと向かう。
「待っ……私は……」
「心配しなくても、私に何かあったからといって、お前の責任にはならないよ」
「あ……」
自分があえて無視していた本心を言い当てられ、いたたまれない。私は大納言殿を心配するふりをして、その実、自分が責められるのが嫌なだけだった。それに気付いていながら、親切心の消えない大納言殿は、よほど懐が深いと見える。
私を牛車に乗せた大納言殿は、供の者に事情を説明。行き先が五条だと知り、皆困惑していたが、大納言殿の「問題は無いと、白鷺が言っている」という言葉に、すっかり安心したようである。白鷺というのは、先程、大納言殿の話しに出てきた陰陽師のことだろう。彼等の反応から、有能な人物だと察せられた。
不慣れな相手に、不慣れな牛車。居心地の悪さを覚える私を余所に、牛車はゆっくりと出発した。