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居待ち月の夜に  作者: 峰丘 馨子
籠の乙女
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第三十八話 疾走


 日に日に夜が長くなる九月の夕暮れ時、私は足早に五条の邸を目指す。しかし、邸はどんどん遠のいた。私は、帰り道でも何でもない道を走り抜ける。

 盗賊に追われたのである。


 私の地位はそれ程高くは無いが、それは官人の中では低いということであって、食うに困る程、貧しい訳では無い。都全体で見れば、私は裕福な方なのだ。その上、左大臣家の姫と結婚した事が、広く知られてしまっている。おかげで、金目の物を持っていると思われたらしい。また、天狐殿の娘が染めた衣は見栄えが良く、これも私が狙われる原因となった。


 私を狙う男達は、皆やせ細っていた。貧しく、食べることが出来ないのだろう。言ってくれれば人数分の粥を用意させるのだが、問答無用で追い回されては、こちらも逃げるしか無い。今にも力尽きそうな彼等は、それでも足を止めなかった。


 「死にたくない」

 その一念に、彼等は突き動かされていた。


 内裏に近い都の北部では、煌びやかな牛車が行き交い、贅の限りを尽くした邸宅が建ち並ぶ。南部はというと、大路の整備すら進んでおらず、荒れ果てていた。そこに住まう人々の生活は苦しく、それこそ、他人の所有物を奪うことでしか、生きていけない者も珍しく無かった。


 そうやって必死に生きる人々を、貴族の多くが汚いものとして扱う。貴族達が一日に費やす財だけで、一体何人の腹が膨れるだろう。腹を空かせ、死に怯える人々が、優美に着飾る彼等を見れば、盗みたくもなる。


 だからといって、こちらも盗られる訳にはいかない。左大臣家の後ろ盾が出来たとはいえ、六位の者が、官人として恥ずかしく無いだけの身なりを整えるのは、それなりに大変なのだ。翌年には子供が二人。粥より高価な物は渡せない。


 そもそも、私の荷物や衣を手に入れたところで、彼等の生活が豊かになる訳ではない。一時的に腹を満たせるというだけで、それを過ぎれば、また元の生活が待っている。実のところ、その人が生涯に得られる財は、赤子の時点でおおよそ決まっている。故に、貧しい家に生まれ、貧しい生活をしてきた者は、死ぬまでそれが続くのである。


 私は、どうにかして彼等を振り切ろうと、闇雲に駆け回る。気付けば、都の東端、鴨川の前に来ていた。川は数日前まで降っていた長雨のために、水かさが増しているらしかった。鴨川は荒れやすい。すぐに引き返すべきだ。しかし、振り返ると、私を追う彼等の姿があった。


 息を切らし、ふらつきながら、彼等は私ににじり寄って来る。彼等はもう、走れそうにない。今一度、全力で走れば振り切れるように見えた。彼等の足が休まる前に移動しよう。それに、増水した鴨川に長居すべきでは無い。この日も空は曇っており、いつ降り出してもおかしくは無かった。


 だというのに、私の視界に入った逃げ道は、その鴨川に架かる橋であった。危険だが向こう岸に渡り、別の橋から都に戻る。雨が降らぬ内なら、何とかなるだろうと思い、私は走り出した。まだ若かったとはいえ、随分危ないことをしたものだ。


 駆け足で橋を渡り始めた直後、男達が不可解な声を上げる。

 「あいつ、鴨川に飛び込んじまったぞ」


 

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