第二十九話 縁談
はて、左大臣殿は何とおっしゃったか。姫と結婚がとうとか聞こえた気がするのだが、私の耳がおかしくなったのだろうか。
「先ほど、端近にいた娘に訳を聞いたら『千咲さんがいらしてたので』と答えたのだ。どうも、大丞をえらく気に入ったようでな。私としても、娘の気持ちは尊重してやりたい。今すぐとは言わんが、是非娘と……」「ち、ちょっと待ってください」
格上の相手ではあるが、その内容に、私は思わず言葉を遮った。
「私の実家は下級貴族です。私自身もまだ六位。左大臣家の姫君と釣り合うはずがありません。何より、私には妻子がいるんです。多くの妻を持つ方もいらっしゃいますが、私にそんな甲斐性はありませんよ」
ここで左大臣殿のお話を受け入れてしまっては、尾根雪達に申し訳ない。牡丹の君と結婚したら、身分上、あちらが正妻という扱いになるだろう。
「姫にはもっと将来性のある、優秀な公達の方が釣り合うのではないですか。そもそも、私は姫に気に入られるようなことをした覚えがありません」
確かに、二度会ったきりとはいえ、姫とは親しくしている。だからこそ、私にそういった感情を持つ理由が分からない。私と面識のある女人は、大概「身体が小さくて子供のよう。要領も悪いし、つい世話を焼きたくなる」と話し、庇護欲はあっても恋愛対象にはならない。私を異性と認識しているのは、尾根雪くらいなものである。
牡丹の君だって、驚いていたではないか。私に妻がいて、意外そうにしていた。いや、違ったのか。あれは、姫にとって都合の悪い情報だったから、心底がったりしていたのか。
「君も知っての通り、牡丹は男嫌いでね。心を開くのは、私か時雨くらいなものだ。あの子に結婚なんぞ無理だと思っていた。だが、その娘が君に興味を持った。君のことは怖くもなく、話していて楽しいと言っている。
こんなことは初めてだ。きっと、君のような相手は二度と現れん。牡丹にとっては、この上ない良縁だろう。身分のことも、どうだって良い。牡丹がああいう子だから、身分がどうのと言える状況では無い。君や奥方にとっては迷惑な話かもしれんが、少しばかり情けをかけては貰えないだろうか」
牡丹の君が、あらゆる縁談や求婚を断ってきたのは知っている。そのことで、左大臣殿がおなやみだったであろうことも、容易に想像出来る。
「娘は、遊び慣れた軽々しい男や、下心で優しくするような男は嫌いらしい。過去に経験した恐怖を思い出させるのだろうな」
怖がる姫に無理やり縁談を押し付けたところで、不幸にしかならない。そうやって、入内の話すら蹴って、独身を貫いてきた人が、どういう訳か私を選んだ。私の容姿や性格では、怖がりようが無いとは思うけれど。
「勿論、君がこの話を受けてくれるなら、私も君への助力は惜しむまい。左大臣家として、娘婿に最大限の支援を行う。どうか頼まれてくれ。この通りだ」
左大臣殿は、歳も身分も遥かに下である私に、額が床につくほど深く、頭を下げられた。こうなると、私もどうして良いのか分からない。尾根雪のためを思えば、断るべきである。
しかし、これほど高位の方が、たかだか六位の相手に必死で頭を下げていらっしゃるのを、無視して良いものなのか。かといって、私は姫にその手の感情を、持ち合わせていない。いくら彼女が主人の妹君で、絶世の美女であっても、尾根雪以上の存在にはなり得ないのである。義理だけで結婚するというのは、そういうことだ。
何と答えるのが最善なのか。私は思考を巡らせる。そうして出た言葉は「時間を下さい」だった。いくら考えても、この場で答えを出せなかった私は、先延ばしという選択をするしかなかったのである。左大臣殿も「そうだな。急にこんな話をしてすまなかった。ゆっくり考えて、納得のいく答えを出してくれ」とこれを了承した。
部屋にいたのは私と左大臣殿の二人きりだったが、隠し事というのは出来ないものらしい。宴の参加者をきっかけに、私と牡丹の君の縁談が殿上で噂になってしまったと、時雨殿から伺った。この時点では、まだ私の身近には広まっていなかったが、牡丹の君に想いを寄せていた多くの公達の耳に、この噂が届いたという。これにより、私は牡丹の君を慕う公達から、一斉に恨まれることとなった。




