第十八話 無音の冬
冷たい風に木の葉が舞う。
重陽の節句が過ぎると日に日に涼しさが増し、衣更えとなる十月には、もうすっかり冬である。色味の減った庭に、貴人達の衣はいっそう映える。しかし、そこに雪の無いのが残念だ。この年は、秋の終わり頃からずっと晴天続きで、時雨すら降らない。
十月下旬、時雨殿の近辺が慌ただしい。
じき、最初の子がお生まれになる。時雨殿の奥方は主上の従妹にあたる桐宮様で、他に通う女性はいらっしゃらない。お生まれになる子の将来は、大臣か女御であろう。都中の関心を集めていたのは、言うまでもない。
「周りは騒がしいが、宮ご本人は落ち着いたものだよ。命懸けの大仕事を控えている人には見えない」
「お強い方なんですね。乳母はもうお決まりで?」
「ああ。西六条の御方にね」
というと、白鷺殿の奥方か。
「お子がいらしたんですね、白鷺殿」
「私も、懐妊については知っていたが、生まれていたというのはつい最近知ったよ。『言ってなかったっけ?』だとさ」
何とも白鷺殿らしい話である。子供は女児で、生まれたのは七条の一件があった直後だそうだ。
さて、時雨殿のお子が生まれると聞き、姫を持つ貴族の多くが気を揉んでいる。もし、桐宮様が姫をお生みになれば、間違い無く入内の話が出る。東宮様のご生母、麗景殿様は時雨殿の妹君であり、東宮様は御歳十歳であらせられる。この時期に姫を持つということは、東宮妃にも、次の東宮妃にもなれるということだ。野心のある者にとって、これほどの障壁は無いだろう。
男児であっても、やはり人並みで終わることなど無いので、もし自分の娘が見初められれば、それはそれで出世につながると考える。上手くすれば、孫娘を入内させられると、そこまで考えている者も多い。
時雨殿ご自身は、野心など持ち合わせておらず
「子供を利用してまで権力にしがみつく気は無いよ。子供の人生は子供のもので、親のためにあるわけじゃない」
とおっしゃる。
もっとも、時雨殿は上流貴族。彼自身は生まれつき、その地位を確約されていたようなものだろうと、この時は思った。
お産の準備が着々と進み、乳母となる西六条夫人が、時雨殿の邸に迎え入れられる。この頃、白鷺殿は仕事で都を離れていた。夫婦で邸を留守にしても、頼もしい妖怪達がいるので、問題無いらしい。白鷺殿は、頼まれた仕事が終わり次第、都に戻るそうだ。彼なら、きっと早々終わらせるだろう。
桐宮様と西六条夫人は、普段から文での交流がおありだったらしく、直接お話し出来る事を喜んでおられた。その二人に、たまたま居合わせた時雨殿が尾根雪のことを話したらしく、邸を訪れた際「これを奥方様に」と桐宮様付きの女房から文を預かった。桐宮様からの文に、尾根雪はしばらく戸惑っていたが、幾度か文を交わす内、いつの間にか良き友人になっていた。
「こういう方だと思わなかったわ。気取ったところが全然無くて。思ったことをそのまま書いてらっしゃるんじゃないかしら。だから私も、つい普段は言えない本音を書いてしまったわ」
「本音って……」
「貴方には内緒よ」
尾根雪が楽しいなら良いか。
揃えられた純白の調度品。集まった僧侶。お産の準備が万全に調えられ、今か今かとその時を待つ。
けれど、そのお子は一向に生まれて来なかった。