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居待ち月の夜に  作者: 峰丘 馨子
初雪
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第十七話 七夕のかぐや姫


 左大臣邸に集まった方々を見ると、面識のある方が多いように思った。これも、時雨殿に仕えたことで繋がったご縁である。そのお陰で、高貴な方が集まる中でも、大きな緊張は無い。


 気持ちの良い夜風が吹くと、それが合図であったかのように、楽の音が響き出す。御簾の内からも琴の音が溢れ、大変心地良い。暫くはその音色に聴き入っていたのだが、私は現実を思い出した。


 「……これの後に演奏するんですか?」

 「そうだよ」

 やりにくい。どうせなら、先に済ませたかった。


 「彼等の演奏に気後れしてしまったのかな? 大丈夫だよ。龍笛は今吹いてる奴より私の方が上手い」

 「余計不安ですよ、それ」

 確実に私の篳篥が邪魔になる。


 「時雨殿の独奏じゃ駄目なん……」

 「駄目」

 時雨殿は、こちらが言い終える前に笑って却下した。


 時雨殿の龍笛は、時雨殿の気質そのものだった。華やかかつ清廉。どこまでも穏やかで優しい調べ。神々しいほどの音色は、それでも尚人間らしい。私は、そのすぐ側で篳篥を吹く。流麗なる音の海に溺れながらの演奏は、まさに至福の時だった。


 自分の演奏が、時雨殿の邪魔になってはと心配していたが「よく調和して素晴らしかった」という声が聞こえ一安心である。時雨殿が「他の者より合わせやすかった」とおっしゃるので、皆「よほど相性が良いのだろう」と頷く。


時雨殿の隣を居心地良く思っている私は「相性、か。そうだな。千咲といると、楽しいよ」との言葉を聞いて、嬉しく思う。


 その後は誘われるがまま、色々な方と、色々な曲を演奏した。たが、やはり時雨殿ほどしっくり来る相手はいらっしゃらない。池に映る星空を眺めながら、時雨殿にそれを話す。


 「そうか。そんなに私が良いか」

 物凄く嬉しそうである。時雨殿の口調や表情からは、優越感とも言えるものが伝わって来る。私に好かれたからといって、羨む者など滅多にいないと思うのだが。


 談笑する私達に、一匹の猫が向かって来る。左大臣邸で飼われているのだろうか。


 「にゃっ!」

 「いっ……」

 猫は私の足元をうろつくと、突然飛び跳ねて、私の手の甲を引っ掻く。


 「こら、やめなさい」

 時雨殿に捕まった猫は、そのまま腕の中でおとなしくなった。


 「すまない。妹が飼っている唐猫なんだ。手当てをするから、邸の中へお入り」


 通されたのは東の対、猫の飼い主だという妹君の住まいだった。麗景殿女御が時雨殿の妹君というのは知っていたが、まだその下にも妹君がいらしたとは初耳である。


 「申し訳ありません……でした。知らない間に部屋から、その……出てしまったらしくて」

 可愛らしく、品の良いお声である。御簾越しに見える鮮やかな色彩の几帳。時雨殿が「牡丹」と呼んだ姫は、その向こうにいらっしゃる。


 本来なら、高貴な姫君のお声を聞く機会など、あるはずが無いのだが、姫が女房に代弁させるのを「本当に謝る気があるなら、自分で言いなさい」と、時雨殿が許さなかった。私は代弁でも良かったのだが。


 「あ、えっと、それで……お怪我の方は大丈夫……ですか?」

 あまり他人のことは言えないが、姫の口調は随分とたどたどしい。


 「はい。それほど深い傷ではありませんでした」

 「そっ、そうですか。良かった……」

 ここで、会話が途切れてしまった。私も姫も、沈黙を破るための言葉が出て来ない。結局、見かねた時雨殿が口を開いた。


 「牡丹は男が苦手なんだ。以前、嫌な思いをしたことがあってね。悪く思わないでやってほしい」

 「……ごめんなさい」


 「いえ。随分、酷い人間がいたものですね」


 相手が男というだけで恐怖心を抱くのだから、余程の事があったのだろう。それにしても、左大臣の姫を相手に、いい度胸である。


 「あの当時のことは、今でも夢にみるのです。本当に酷い人達……でした。いくら私が、稀に見る愛くるしい姫だからって、あんな事なさらなくても……」

 姫は、震える声でその恐怖を語る。


 「ん?いや、時雨殿?」

 「言いたいことは分かる。が、聞き流せ」

 「……はい」


 姫は、相手が男であっても、慣れてくれば大丈夫らしく、徐々にたどたどしさが抜け、時折笑い声も聞こえる。姫は、私を害の無い相手だと認識してくださったようである。


 「先程の篳篥は千咲さんでしたか。兄様の龍笛と良く合っていて……あら、雨が降っているのかしら?」

 「そういえば、野分が近いと白鷺が話していたな」

 白鷺殿の話なら、間違い無いだろう。


 「では、雨が強くならない内に、私は帰った方が良いですね。野分なら風も強くなるでしょうし」

 そう話した矢先のことだった。


 強い風が庭を渡り、花を散らす。その風は御簾の内にまで入り込み、几帳をなぎ倒した。

 「あっ」


 めくれ上がった御簾の向こうで、被った几帳の帷をどける姫の姿。牡丹の呼び名に相応しい、華やかな人だった。時雨殿とは似ていらっしゃらないので、多分、彼女は左大臣に似たのだろう。いつだったか、時雨殿が「自分は母親似」とおっしゃっていた。


 女房達が慌てて几帳を戻すと、姫も落ち着いたようである。


 「大丈夫か?」

 「ええ、そちらは?」

 「問題無いよ。だが、雨足が強くなってしまったな。千咲、帰れるか? 無理なら、寝殿に一室用意出来るぞ」


 私は、外の様子をうかがう。

 「急いで帰れば大丈夫そうです」

 これ以上大降りになっては、さすがに帰れない。私は、時雨殿のご厚意に甘え、濡れて困る荷物を預けると、慌ただしく左大臣邸を後にした。


 後に知った事だが、あの姫は殿上では有名らしく、何人もの公達が、文を送っては交際を断られていたそうである。どんなに熱心な文を送っても、全く心を動かさない姫であったから、彼等は「かぐや姫」と呼んでいるのだという。私も、尾根雪がいなかったら、一瞬垣間見たあのお姿に、心惹かれたりしたのだろうか。

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