第十話 西六条の主
その人物は部屋の中央で、目を閉じたまま、静かに座っていた。変わった髪色をしている。黒でもなく、白でもない。どちらかといえば白に近いのたが、老人の白髪とは違う。彼の髪は淡い鳥の子色で、柔らかな光を放っており、蛍でも潜んでいるようだった。肌は白く、うっすらと赤みを帯びている。
時雨殿は、屏風絵の如き華やかな美しさを備えていらっしゃるが、目の前で座っている彼は、ほんの少し触れただけで消えてしまう、淡雪のような儚さを感じさせる。その端正な顔立ちは、時雨殿にも劣らないものに見えた。
この人が、西六条の主。
「いつまでも突っ立ってないで、座ったら?」
彼は、初対面とは思えぬ軽い口調で言う。彼の方が年長なので別に構わないのだが、一応断っておくと、位は私の方が上である。そう思った矢先「で、時雨。今日は何の用? また面倒くさい話だと嫌だなぁ」と不躾に言い放った。
「五条の件でね。今日連れて来たこの子も、五条の住人だよ」
「この子……?」
西六条殿は、私に顔を向ける。多分、目が悪いのだろう。私達が入室してから、彼はほとんど目を開けていない。
「成人してないの? 私はてっきり」
「あ、えっと。二十歳です」目が悪いというのは思い違いだったのだろうか。そういえば先程も、私が座っていないことに、気付いていた。
「可愛い顔をしているから、つい。背丈も白鷺より低いしね」
「そうなんだ。私より小柄とは珍しい」
やっぱり見えてない……のか?
「あの、陰陽師殿は目をお患いで?」
悪いとは思いつつ、結局は本人に聞いた。
「うん。私は全盲だよ。子供の頃『赤もがさ』にかかってから、ずっと。それ以前から見えにくい目ではあったけどね」
「私が立ったままだと気付いたのは?」
「部屋に向かって来る足音が、和琴と時雨ともう一人。なのに座る音は時雨のものだけだった」
彼は得意げに口元を緩める。彼にとっては日常の事なのだろうが、私は、賢い人だなと素直に感心した。
「ふふっ。それでは本題に入ろうか。私を頼るということは、そっち方面の話なんだよね?」
「そういう訳で、お前には七条の女を調べて欲しい。もし、本当に七条の女が病の原因なら、その排除も頼む。お前なら、何とかなるだろう?」
時雨殿の言葉には、友への信頼があった。だからこそ、白鷺殿が七条の女を見落としたのが、解せないようである。
「お前ほどの腕があれば、病の原因くらいすぐに分かっただろうに。五条の調査は、あちこちから頼まれていたはずだろう」
「だから、ちゃんと調査したよ。五条の東端から西端まで、全部。結論として、五条に病の原因なんて無かったの。それは間違い無い。自信ある」
「つまり『五条を調べろ』と言われて『五条だけ』調べたのかお前は」
時雨殿は呆れていたが、似たような失敗を何度もしている私の心中は複雑だった。
その上、
「いいか。大前提として、我々は五条の住人達を病の脅威から救うことを目的としている。お前にはまず、七条の女について調べて貰う。調べてみて、七条の女が元凶なら祓え。違ったら、他の原因を探ってくれ。見つけたら速やかに排除。わかるな? 五条にはびこるあの病が無くなったら、今回の仕事は終了だ」
と、時雨殿が一から十まで事細かく説明するものだから、余計に居たたまれない。
当の本人は「最初からそう言ってくれれば良かったのに」と、この言い草である。気持ちは分かるのだが。
さて、用は済んだが「せっかく来たのだから」と、白鷺殿が私を占ってくれることになった。結果が出るのを待つ間、時雨殿が「気遣いより好奇心が勝って色々ほじくる事があるから、気を付けてね」とそっと耳打ちした。それは、ここまでの遣り取りで、容易に想像出来る。
見慣れぬ道具を使う白鷺殿の手が止まると「こんな卑屈な人初めて会ったー!」と、占った結果……否、占った感想を口にした。何がそんなに楽しいのか、満面の笑みである。
「お前はもう少し言葉を選べんのか」
「本人に隠れてこそこそ言うより良いと思うけどな」
「……聞こえてたのか」
時雨殿は溜め息をつき、それ以上何も言わない。
「表にださないだけで、少丞の方が好奇心旺盛みたいだけどね。知りたい事もやりたい事も沢山あるのに、根が臆病で心配性だから、結局何も出来なくて常にもやもやしているってとこかな」
……合ってる。
「ふふっ。今後はそういう事も減ってくるよ。最初の一歩を踏み出せるようになる。時雨からの影響で、君の人生自体が良い方に向かってるから。出世もするし、子供も増える。ただ、実家との関係が大きく変わることはないと思う。君がどんな行動を取るかに関わらずね。強いて言うなら、お母さんとは近いうちに会っておいた方が良い」
この人は、私が知りたいと思うことを的確に伝えてくる。やはり、腕が良いのだろう。時雨殿が信頼を寄せるのも頷ける。
「ではでは、好奇心旺盛な君のために、私が色々答えてあげよう。ここ西六条には、君の好奇心をくすぐるものが、沢山あるはずだからね」
彼の申し出に、何と答えて良いか分からなかった。白鷺殿の言う通り、気になることは山ほどあった。しかし、疑問の全てをぶつけるのは躊躇われた。
「いや、その。失礼があるかもしれないので」
西六条が持つ独特の空気に、触れてはならない禁忌がある気がした。
「失礼だったらいけないの?」
「は?」
驚く私に、白鷺殿は柔らかな笑みを向けた。
「失礼だったら何だい。不興を買うのが怖いのかな? 私の機嫌を損ねて、君に何の不利益があるの? 五条の事なら大丈夫だよ。仕事として引き受けたからには、ちゃんとやるから」
「そういうことではなく……」
「じゃあ、何?」
何と言われても困る。私は言葉に詰まったが、白鷺殿に、返事を待つ気は無かった。
「他人に嫌われることの何がそんなに怖いんだか。そもそも、私が他人の無礼を気にする質に見える?」
見えない。というか、自分の振る舞いが無礼なものという自覚があったとは。
「あの……本当に……」
良いのだろうか。
「面倒くさい人だなー。良いから早く言って」
「う、はい。えっと、じゃあ……」
私は、気になっていた幾つかの疑問を口にした。
「その、貴方を陰陽寮で見かけたことがありません。顔を出していないのですか」
「うん、行ってない」
「何故です?」
盲目であることが理由かとも思ったが、どうも違う感じがする。
「いや、だってほら、寮に行ったら働かないとでしょ? 嫌なんだよね、仕事って」
私も仕事は嫌いだが、ここまで堂々と宣言出来るとは。羨ましいような、そうでないような。
「あ、言っとくけど、一度引き受けた仕事は責任持ってやるからね」
そうでなくては困る。
「他には?」
「あ、はい。ええと、ここにいる妖怪達が私にも見えるのはどうしてでしょう?」
「そういう結界が張ってあるだけだよ。雇った浮浪者と妖怪が共存するために、必要だから。妖力の大きさによっては、結界が無くても見えるけどね」
「人間と妖怪の共存……。何のために?いえ、そもそも西六条はどういう場所なんですか」
「もともとは、都に住む妖怪達が人間に害を与えないよう、管理する目的で造ったのだけど、ある時八千代が人間の捨て子を拾ってきてね。気付いたら人も妖怪も関係無く集まってしまって。今の西六条はそうやって出来た」
この人は、口調や不躾な性格を除けば、多分真っ当な人なのだろう。
「西六条に住む人間の大半は、私と同じで体に障りがあるからね。どうしても、普通に暮らすのは難しい。心無い言葉を浴びせられた者も多いだろう。妖怪達も、最近の都は住みにくいと言っているから、こういう場所が一つくらいあっても良いと思わない?
」私に、住人達の気持ちは分からない。でも、白鷺殿がこういう人だと分かった以上、彼等の幸福を信じずにはいられない。だから私は「そうですね」と笑って返した。
薄暗い中、手土産の布を抱えて帰路に就く。一反だけ頂くはずが、一抱え分貰ってしまった。天狐殿が自慢と言っていただけあって、どれも素晴らしい染め具合である。
とにかく驚くことばかりの一日だったが、時雨殿が別れ際に「白鷺も、ほんの二年前までは、引っ込み思案で誰にでも敬語で話すような子だったよ」と仰ったのが、この日一番の驚きだった。
赤もがさ……現在のはしか。