第九話 妖怪大路
六条大路を、西へ西へと進んで行く。供は無く、眼前には時雨殿の背中。時たま振り返る仕草が、また艶である。
朱雀大路が遠のくにつれ、道行く人の数は減り、背丈の高い草ばかり見える。手入れの行き届かない荒れ地に、時雨殿の足が汚れていく。私はそれを痛ましく思ったが、本人は慣れた様子で、全く気にしていない。
雑草を踏み分ける音が物寂しく響く中、それは突然現れた。
生い茂る草木の間から、こちらをじっと見つめる狐の面。その面には、視界を得るための穴があいていない。だが、確かに私と目が合っていた。
「見慣れぬ者がいると思えば、時雨の連れか。害は無いようで安心した」
歩み出て来たのは、水干を纏った少女だった。よく見ると、その少女の後ろに、もう一人少女の姿があった。
「彼は大丈夫だよ。これといって、悪意は感じない」
手前の少女が声を掛けると、後ろの少女が躊躇いながら顔を出した。その顔にも、狐の面が着けられていたが、こちらには穴があった。
「すまない。この子は人見知りでね」
手前の少女は向き直り、話を続ける。
「私は八千代という。こっちのは彩。私の娘」
娘という言葉に驚いた。二人の背格好は同じくらいで、見た目はどちらも十代前半といったところだろう。
「私はそんなに若く見えるかい? これでも、千年以上生きているのだが。ああ、この子は人間だよ。君の見立て通り、まだ十二歳だ」
心の中で紡いだだけの疑問に、彼女は返答した。
彼女は一体、何者なのだろうか。
「天狐だよ」
天狐だそうだ。
全てを見通す眼をもった、高位の狐だっただろうか。そのような話を、書物で読んだ覚えがある。
「皆がそうって訳じゃない。私の力は、他の天狐に比べて数段劣っている。でなければ、君より早く七条の女に気付けただろうさ」
その割に、よく言い当てる。七条の女について、まだ口にしていないはずなのだが。
「得手不得手があるのは、人も狐も同じだよ。君も、自分を卑下する暇があったら、得意分野を見つけて極めてみたらどうだい?」
彼女の助言に思うところはあったが「お前さん達、普通に会話をする気は無いのかい?」と、ここまで黙っていた時雨殿が発したので、天狐殿との一風変わった会話は中断された。
そこから西六条邸までは、天狐殿が先導した。
「この辺りはぬかるみが多いからね。歩きにくいだろう」
彼女はそう言いながら、比較的歩きやすい場所を選んで進む。
「時雨はこういう場所に慣れているから気にならないだろうけど、ここは結構な悪路だよ。連れがいるなら、もう少し気を遣ってやりなさい」
見た目こそ少女であるが、時雨殿を窘めるような口調は、確かに年長者のそれである。時雨殿が心配げな視線を寄越したので、すぐに「大丈夫です」と伝えた。
草むらを抜けると、世界が一変した。楽の音が心地良く響く中を、軽い足取りで行き交う、人でも動物でもない者立ち。そんな彼等と、種族の違いを感じさせない程に馴染んだ人々。この世のものとは思えない光景だったが、不思議と怖くはなかった。
「ここから先の道は、手入れが行き届いている。君達だけで、大丈夫だろう」そう言って、二人はその場を離れたが、一度だけ振り返り「橘の。彩が染めた布を、白鷺が持っている。一反持って帰りな。遠慮することはないぞ? こちらも、娘を自慢したいだけなのだから」と話し、今度こそ本当に立ち去った。
二町に及ぶという西六条邸は、案外簡素であった。邸自体は高貴な方々の住まいに匹敵する代物だったが、装飾らしい装飾は、全くと言っていいほど見当たらない。無駄を排したその様は、大変に美しかった。
その西六条邸に仕える者達は、やはり人間でない者が多いらしく、私達を出迎えた女も人間ではなかった。
「いらっしゃい。あれ、見ない顔だねぇ。時雨の連れかい? 可愛いじゃないの」
私に視線を向ける彼女は、素肌に単衣を羽織っているだけで、他には何も身に着けていない。透き通る衣の向こうにある体は起伏に富み、胸元は大きく開いている。恥じらう気配の無い彼女は、若い白狐なのだという。
和琴と名乗った彼女は、私達を寝殿の一室に通す。ここで、西六条の主と最初の対面を果たした。