第3話
ザー、ザーと、絶え間なく雨が身体に打ち付けられる感触を楽しみながら、俺はいつもの道を歩いていた。
「……ふぅ」
雨の日は視界が悪い。その上、雨音で周囲の音も分からない。
いや、それだけではない。
臭いも、感じづらいのだ。
ゾンビの発見の仕方は、あらゆる方法があるが……特にわかりやすいのは、唸り声でも、その異様な姿でも無い。
死臭である。
人間が腐ったその臭いは、初めて嗅ぐ者であれば卒倒しかねない程醜悪な物である。
そして、ソレはゾンビが近付けば否が応でも嗅ぐ事となる。
学園の一部の生徒……
例えば、軍入隊希望の生徒は、授業の一環で死臭を嗅がされる。
初の戦場で卒倒する、なんて事が無いようにだ。
俺は軍入隊希望では無かったが、面白半分で授業見学に行き、そしてその臭いのあまりの衝撃にその場で嘔吐した。
脳裏に焼き付けられるかのような悪臭。
1度とはいえ、嗅いだ事があった、というのは本当に運が良かった。
「グヴー……」
唸り声が聞こえ慌てて路地に体を滑り込ませる。
「グップ……グルゥ……」
俺は最初、ゾンビは呼吸をしていると思っていた。
何故なら、唸り声を発するからだ。
蚊に刺され腫れた二の腕をさするように掻きながら、俺はゾンビが過ぎ去るのを待つ。
俺が、ゾンビは呼吸をしていないと判断した根拠。
俺が蚊に刺されてもゾンビになっていない事だ。
プロサバイバーさんは、返り血が目などに入ると感染の危険があると教えてくれた。
そう、血で感染するのなら、マラリアの如く蚊を媒体として感染するはずなのだ。
だが違った。
なら返り血で感染はしないのか。
答えは否。
ネットがまだ使える頃、生放送でゾンビを殺した事を雄弁に語る男がいた。
だがその男は返り血が目に入った事により、生放送中にゾンビと化したのだ。
アレがわざわざCGと演技を駆使した壮大な釣りであったのなら、話は別だ。
だが、恐らくそうではないだろう。
返り血で感染はする。
なら、何故蚊を媒介して感染する事が無いのか。
俺が思うに、蚊は、ゾンビの血は吸わない。
蚊は二酸化炭素を元に生物を発見し、吸血を行う。
つまり、呼吸をしていないゾンビの血を吸う事は有り得ないのだ。
ならばあの唸り声は何か。
「ガブァ……ヴー……」
俺は屋上で暇な時、何度もゾンビの声マネをしていたが、一向に上達しなかった。
それは、俺がただ単に唸っていたから。
胃の中の空気を……ゲップのような感覚で絞り出す。
そうすると、ゾンビそっくりの声が出せた。
と、なると。
恐らくゾンビのあの声は……胃に溜まったガスか何かを排出する事で出しているのだ。
そんな自論を脳内で思い起こしている内に、ゾンビが俺のいる路地を通り過ぎていく。
肉体強化にこの兵装を使えば首を両断する事が出来るが、この状況で過度なカロリー消費は避けたい。
路地からスッと抜け出し、ゾンビの背後へと忍び寄る。
そして兵装を首に目掛けフルスイング。
力が足りないため両断する事は不可能だが、ずっぷりと首に切り込み、骨にあたった硬い感触が伝わってくる。
そしてそのゾンビの背中に蹴りを入れ兵装を引き抜く。
そしてもう1度、最初に入れた切れ込みに沿うようにフルスイングし……
バキリ
骨が砕ける感触と共に、ゾンビが崩れ落ち、動かなくなった。
そして再び物言わぬ死体へと戻ったソレを改めて見る。
「……やっぱ、おかしいよな」
何がおかしいのか。
それは死体の腐り具合である。
死臭がするあたり、確かに腐ってはいるのだが……
「……腐りにくくなってるというよりは……腐り具合が途中までで止まってるって感じか……?」
普通に考えて、これだけ日数が経っていれば骨だけになっていてもおかしくない。
だがこうも人間の形を保っているのは……
「……チッ、胸糞悪いな」
俺は顔を数度横に振り、胸中に生まれたその思いを振り払うと、目的地に向け再び歩き始めた。
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「……甘え、だな」
俺は、そんな自分への叱咤の入り混じった独り言を呟く。
「甘えすぎた」
禁断症状を起こす程にまで太陽に執着し。
雨が続けば好き放題暴れる。
「……食料庫の備蓄増やしたら篭城場所変えるかな」
そんな時、俺の視界にある物が映る。
気を抜いていたためか、思わず体が強張った。
その、視界に映った物。
それは兵装であった。
異能ゾンビは他のゾンビと違い、生前の抵抗の痕跡が色濃く残る。
爆撃系の異能等は爆破痕などの分かりやすい痕跡が残るため一目瞭然だろう。
だが最も分かりやすい痕跡は兵装なのだ。
こんな状況で己の武器を手放すなんていうのは、少し荷物を減らしてでも逃げる必要があったか、死に、その道具を使わなくったか。
前者の場合、異能者が撤退するに足る要因がその付近には存在している事となり、非常に危険だ。
また、後者の場合においても、異能者が命を落とす要因が付近にある事となるため、危険だ。
つまり、兵装を見たら警戒。
危険区域であると考えなくてはならない。
そして今回発見した兵装。
「走者……上位者専用兵装……過剰駆動用自転2輪」
要するに異能者の脚力に耐えうる自転車、である。
「……血……か」
そしてその兵装にべっとりと付着した血。
放り出されたヘルメット。
「……こりゃあ……やられたか」
ヘルメットを拾いつつ呟く。
「とにかく此処から離れないとな」
溜息をつきつつ拾ったヘルメットを眺めていた、その時。
背中に衝撃が走り、俺は前方へと吹き飛ばされた。
ビキリ、と、骨から嫌な音が鳴る。
「か……は……!?」
眩む視界。
そんな中俺が見たのは……
「ヴァ……ガァ……」
「走者の異能ゾンビか……ッ!」
全力を出さねば危険と判断した俺はポケットに入れておいた超栄養剤を5粒程一気に食らう。
この超栄養剤は、痛み止め………というよりは生理的嫌悪感や謎の高揚感等が強すぎて痛みを感じる間もないだけなのだが………代わりとしても作用する。
栄養……というよりは得体のしれない物質が身体中を駆け回り、臓器という臓器に無理やり力をねじ込まれる……そんな感覚に耐えながら、ゾンビの来た方向へ向き直る。
「ガヴ……」
俺と衝突した事でバランスを崩したのか、ゾンビはまだ立ち上がっていない。
このままいけばこのゾンビは簡単に殺す事ができるだろう。
だが、この時カロリー消費で強化されていた俺の耳は。
こちらへ恐ろしい速度で駆けてくるゾンビの足音を感じ取っていた。
その数、およそ5体。
……そういえば、ここは走者上位者専用のトレーニンググラウンドのあった場所だった。
「逃げねぇと」
そう呟き、俺は起き上がりかけているゾンビの頭を蹴り飛ばし再び転倒させ、その近くにあった自転車を起こす。
自転車のロックの確認をしつつも栄養剤を更に3つ程丸呑みにする。
身体中を更なる、嫌悪感と身体が内側から爆発するかのような痛みが駆け抜ける。
「よし、大丈夫……」
ロックがかかっていない事を確認し終え、自転車に跨る。
そして、全力で駆け出した。




