小指、恋人、薬指
小指が家出した。
こんな事は初めてだった。うまくものが握れない。力が入らない。小指の存在の大きさを、不便さで知るのは、なんだか心地悪いのだけれど、きっと僕の底意地の悪さに、愛想をつかして出て行ったんだ。
なんてったっていつもは小指で味見をするのに、昨日は小指が好きなカレーだったのに、なんだか意地悪がしたくなって薬指で味見をしてみようなんて、小指に分かるようにやってしまったんだから、それはそれはご立腹だったろう。どこが腹なのか、ちょっと気になるので、今度会うときがあったら、怒らせてちょっと触ってみよう。
ああ、まただ、だめだね。こういう意地の悪さは、どうにも調整が聞かない。多分これは薬指のせいだ。あいつ、小指と恋人だっていうのに、味見したがりの食いしん坊だって知っているのに、それに昨日のカレーは特別で、小指と薬指が互いの気持ちに気付いた記念日用に、味見のためだけにわざわざ作ったっていうのに、そこで味見を買って出ちゃうようなやつなんだよ。意地悪する事で何かが伝わるって、それも愛のような何かが、とても優しくて愛しい思いが、伝わるんだって信じているんだ。馬鹿だよね。何考えているんだろう、どこに脳みそがあるんだろう、爪を剥いだら出てくるかな。
また脱線した。そうじゃない、そうじゃないんだ。これは多分中指のせい。あいつはいつも我関せずなんて知らん振りを決め込むポーズが好きらしくて、でもその実どこまでも首を突っ込んで引っ掻き回して、ぐちゃぐちゃになったそれを舐めるのが好きなんだ。辛酸もうま味も舐めるのは僕の舌なんだけど、あいつには関係が無いらしい。でももしかすると味をどこかで感じているみたいだから、やっぱりこいつも解剖だね。
ほら、こういうところが親指の駄目なところなんだ。すぐに過激な方向に持っていこうとする。舵を変な方に取ろうとする。そういうところ、親なんだから、もうちょっとどうにかしろって何度言っても聞きやしない。そもそも耳が無いんだけど、どういえばいいんだろう。
こんな時でも人差し指は真面目に他の指たちの事を考えてる。どうにかして一つになろうと方針を模索するんだ。多分そこはいいところなんだろうけれど、どうしても一丸となってって部分にこだわりすぎるみたいなんだ。皆であっちへ行こうよと、指し示すまではいいとして、あっちへ行かなきゃなんて気持ちになっちゃって、強引に引っ張っていくんだ。指一本で何が出来るって話なんだけどさ。
こうして無駄口を叩いていると、口の方もどうやらどこかへ行きたいみたいだ。そういえばこいつは小指が家出するところを見ていた筈だ。何を使ってどうやってみていたのかは分からないが、そんな気がするから多分見てたんだよ。
で、やっぱりここで目が怒り出した。貴様俺の許可もなく、物を見るんじゃないと、居丈高に口を出してきた。そういうお前はどこから出したんだその口、て思わなくも無いよ。
とうとう脳みそのお出まし。何もかもを知っていて何もかもをつかさどっていて、その実誰の気分もつかめやしない、誰の心も分からない、そんな無粋なやつの登場だ。今回ばかりは脳みそに頼るしかない。だって他のやつらは好き勝手やっててさ、誰も小指を捜しにいこうとしないんだ。だったらもう脳みそが号令をだして、やれそれすぐ行けって強制するしかないじゃないか。
で、重い腰を上げて、張っていた肩意地を説きほぐして、軽やかなステップで小指を迎えに行く。もちろん疲労の負担は両足持ちだ。まいったねなんて苦笑してるぜ、ひざの野郎はいつだってシニカルに笑うんだ。
小指が見つかる。すぐそこにいた。道端に這いつくばって、落ちた飴を舐めていた。だめじゃないか、だめだろうね。全会一致で意見は採択、小指は速やかに洗浄と相成った。
こうして小指の、ささやかな家出は終わった。薬指も、どうやら謝ったらしく、いつも通りに寄り添いあって仲睦まじい。さて大団円だ。
僕はどうにかしてこの、僕らが僕としてやっていけている奇跡に感謝をせねばね。
カレーでも、作るかな、なんて食材を、かごに入れていたら、皆に気付かれて、ばれて。
それはそうだなぁなんて思いながら、サプライズは無理だもんなって事に思い至る。
まあいいや、今日はカレーを作って、食べよう。もちろん、味見をするのは、小指で、だよ。分かってるって。