雨_植物になりたい女
とりあえず身体を動かしたくない時はありますよね。
じとじとと体にまとわりつく陰鬱な気配と嫌な空気が、湿度と温度を通して心の内部深くまで入り混んで束縛してくる。
今年の梅雨もいつもと変わりない。時折カーテンを通して車のライトがチカチカと部屋を赤く染め上げては、フッとたち消えてそれまでの暗い部屋より更に暗鬱なほの暗さを現出する。
車の灯りがジャマで、布団に投げ出している体はそのままに、私は顔を背けた。今、私はブラジャーを付けず、灰色のキャミソールとパンツだけで、シャワーから上がったままうつぶせになっている。
顔を背けた所で私が私であることから、この肉体のくびきから解き放たれることはない。骨髄の重みは体を支配し、結局は私をこの部屋に押し込めているのだ。反発し、ここから出て行こうという気力さえ沸かない私は、当然頭にまとわりつかせているバスタオルで頭を精力的に拭く、ということもしない。
当然面倒ではある。体力を使って自らの汚れを落とすという行為をしてきただけで私の体力はほぼ限界に差し掛かっていた。今日も人ひとり生かすことができる労働に出向き、帰ってきただけでも常軌を逸する事態なのだ。何十年もひとつところで働ける人間の気持ちなど全く私に理解することなどできやしないだろう。ましてやこどもを持つことなど、私には途方もないことのように思えて、私は植物になりたいと普段から本気で思っていた。
ならば男が好きではないのかというと、正直好きな男はいる。勿論その男には既に付き合っている女がおり、正常な男と女ならばきっと行き着くところまでいっているだろう。
私も経験がないわけではないが、ただただ億劫なだけな行為だ。嫌いかと言われれば別段そうでもない。好きな男と体を合わせる行為を嫌いになれるだろうか。一時の肌のぬくもりはその瞬間においてだけは至上の麻薬であると思う。
しかし人と体を合わせるということはその人と一緒に時間を過ごすということだ。絶えず彼を好きで居続けることなど約束できやしない。だからこそ、心が不義理にもそんなことを思ってしまうからこそ、どうしてもいつも私から身を引いてしまうのだ。好きなことにかわりなどしないのに。
今好きな男は最初から好きな女がいた。私は遠くからそれをただ見ていただけである。いずれくっつくと思ったら、やはりその通りになった。間に割って入る気力などない。その男を好きになっても、今までの男同様、またいずれ飽きるであろう恐怖から先に身を引いてしまうだろうことは想像に難くないからである。
このようなことに思考が向く時はどこか欲求不満である。欲求不満な自分を肯定したくないがために私は体を動かさないのである。いや違う。今の状況で欲求不満である自分を認めたら、あの男に対して今否定した性的欲求を満たしたいという気持ちがあると言っているも同然である。だからこそ私は体を動かさず、頭も精力的に拭いてやったりなんかしない。この暗い部屋でたまに外からやってくる車のライトに脅かされながら、ジメジメとした空気を体にまとわりつかせればそれでいいのである。
私はきのこになりたい。いや、菌糸類は成長速度が早い。木の方がいい。いや、木は虫に食われる。では根菜はどうだろうか。収穫されてしまう。ならば雑草だ。
雑草になるのであればあの男への想いを諦めないでよいのではないか、という想いが一瞬よぎる。
「はぁ~、私、めんどくせぇ~!」
くるっと一回転して電気の点いていない天井を見上げた。
曇り無い白い天井は、午後七時前の淡い夜を反射して、僅かに青灰に染まり、部屋の奥まで徐々に明度と彩度を下げて続くグラデーションを作り出していた。
「私、かわいいよね? いや、独り言くらいいわせろよ」
ボソリと呟いた。
誰も聞いていないのだからいいじゃない。別に可愛いだなんて思ってないよ。でもここで真実を呟いたらそれこそ私は森のエサになってしまいそうだ。最終的には冬虫夏草になってしまう未来待ちである。
そんなのはイヤだ。
私はもっと真っ当な植物になりたいのである。成長速度が早かったり、培養できたり、虫に食われたり、収穫されたり、どこでも生えるようなたくましい生命力を持ったりしていない真っ当な植物になりたいのである。あとたまに可愛くありたい。
「ねーし、そんな植物ねーし。そもそもそれは植物でもない……」
ああ、であれば私はフィギュアとかになればいいんではないだろうか。オタクは大事に扱ってくれそうだ。なんだ、私大事に扱われたいのか。
美少女フィギュアにでもなって、ずっと眺めてもらう……。
「ダメだ、数年で飽きられる……。飽きられなくても素材がヘタる……」
流行廃りもあるが、ずっと立たせていると足が曲がったりすると聞いたことがある。それでは人間とほぼ同じだ。
何より眺められるだけはイヤだな。やはり会話くらいはしたい。じゃあsiriになろう。
……どうした自分。siriはダメだ。林檎売りになってしまう。
「そんなに悔しかったのか、私は……」
違う違う。悔しかったり悲しかったりはしない。私はただただ植物になりたい女なのだ。
すくすくと育っていく植物になり、実をつけ、誰かに食べてもらう……。そして私の子孫が……。
「ダメだ結局生殖してるじゃねーか。ちげーんだよ、私は生殖なんかしたくないんだよ!」
ばたばたと布団の上で脚を動かす。ああ、埃が立つからやめよう。私は貝になるのだ。
いや、私に貝になる権利なんてない。じゃあ私は何になりたいんだ。ちょっと親権に考えて見よう。お世辞関係なしに私は可愛い。いいじゃないか誰もいないんだから言わせてくれ。そうじゃないと押しつぶされそうなのだ。ふーむ、好きな男を捕まえられるパワー。ない。恋愛、メンドくさい。私より若い子、カワイイ。いやいや、しっかりしろ私。まだまだ人生これからだよ。でもこれからっていう人生を楽しむにはやっぱり私自体に何かしらの魅力が必要だよね。別に頭よくないし、可愛くないし、仕事も飛び抜けてできるわけじゃないし、愛想もそこまでいいわけじゃない。ま、適当にあしらったりする程度の能力はあるけど、それで全精力を使い果たしているような昨今である。
そこで私はハッとなった。内的な能力が足りないのであれば外的な能力で補えばいいのだ。
まず綺麗になりたい! なんだよ結局それかよ! 私の想像力もうちょっと唸れよ!
はぁ、もう、いい。私、壁にまとわりつく蔦になりたい……。
ごめんごめんごめん超ごめん!
おつかれっした!