07 E.Grey 著 櫛 『公設秘書・少佐』
. 櫛
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三輪明菜が上京し、マンションに遊びに来た。ご丁寧なことに、そろいのパジャマ二着を買ってきた。その恰好のまま、まだ布団で寝ている。
長髪にしている彼女が、眼鏡をはずすと、キャリア・ウーマン風に凛とした風格が一転してキュートになる。細い眉、長いまつげ。
寝息をたてている恋人に口づけして、半身を起こす。
ベッドから抜け出して、隣室・書斎にゆくまえに、洗面室にいった。
長野県を地盤にしている衆議院議員のもとで公設秘書をしている佐伯祐は、地元民から、センセイが旧軍でいうところの大将だから、公設秘書は参謀。参謀は少佐くらいの立場にある将校だ。……ゆえに少佐と呼ばれている。
顔を洗い、歯を磨く。
髭を剃って櫛で髪をとかした。
そのとき、ふと、櫛をみた。
――男と女は因果なものだ。
いまは愛し合っているからいいだろう。ここで、なにか、歯車がずれて、二人の関係が悪化したとする。これまで自分が解決してきた事件をみてきても、愛憎から、殺意が生じて殺人に及ぶケースはよくあったことではないか。
明菜はどうか。
例えば、何かの弾みで、他の女性と親しくなる。
嫉妬した明菜が自分に殺意を抱く。しかし顔には出さず、平素の様に、家事をこなしていることだろう。だが実は、櫛の歯に毒を塗っておく。一気に殺すのではなく、弱くした微量の砒素を毎日毎日、少しずつ付着させてゆく。そして自分はだんだん衰弱死、あたかも自然死のようになって、ベッドで冷たくなっているのだ。
そう考えると背筋がぞっとなった。
佐伯は明菜の寝顔をまたみたくなって寝室のドアを開けた。
だがベッドに彼女の姿はない。
ドン……。
鈍い衝撃が腹に伝わった。
――痛っ!
涙がでてきた。
「おっはよ」
実のところをいうと、長い髪の眼鏡美人は目を覚ましていて、洗面所から戻ってきた佐伯を待ち伏せしていたのだ。
「明菜、おまえなあ……」
「えへ」
もともと無表情だった明菜が恋をしてから鏡で特訓して覚えた笑顔。そろいのパジャマを着た彼女は、上目遣いに見上げてから、どついた佐伯の腹に顔を埋めた。
END
【登場人物】
♢ 佐伯祐:東京に住む長野県を選挙地盤にしている国会議員の公設秘書で、明晰な頭脳を買われ、公務のかたわら、警察に協力して幾多の事件を解決する。
♢ 三輪明菜:長野県月ノ輪村役場職員。事件では佐伯のサポート役で、眼鏡美人である。