01 ぼうぼう 著 イルミネーション 『去りゆく…』
12月自作/イルミネーション「去りゆく…」
重い足取りで雪道を踏み進めていると、ぱっとあたりが暗くなって、イルミネーションの消灯時間だと気づいた。暗くなった雪道で私は立ち止まった。足が重い。時代の光はLEDだ。日本を湧き立たせたノーベル物理学賞受賞に複雑な想いを隠せない自分が情けなかった。それが今の自分の現状なのだ。白熱電球製造の下請け会社の一技術者でここまできた自分が、時代遅れなのは承知しているはずだった。
電燈という新技術が蝋燭の光を踏みにじったように、白熱電球が今過去の遺物になろうとしているー技術というのはそういうものだ。私は入社して二十数年、白熱電球だけを見つめ白熱電球の性能を高め、かつコスト削減を両立する生産技術に人生を注いできた一介の技術者にすぎない。自覚していたはずだったのにー。LEDのイルミネーションが消え、明るさが消えた街並みに、歩みを止め時間の残酷さをからだで受け止める。
時代は気づけばLED電球に移行していた。その事実に途方に暮れる自分が馬鹿らしかった。入社して以来、白熱電球製造一筋できた、LEDの足音が後ろからどんどん近づいてくるのをききながら、それでも白熱電球しか見てこなかった。時代の流れでいずれ消え去っていく技術であるのは、薄々わかっていたはずだろう?それが進化を求める人間の性であり、淘汰されて踏み台に次へステップアップするのが、技術なのだ。
私は消えたイルミネーションを横目に思う。蝋燭は今でも作られている。白熱電球の市場は今後小さくなっていくだろうがー絶滅するすることはない。積み上げられたノウハウは細々と次世代に続いていくはずだ。しかし、生産技術は大量生産のための技術に過ぎない。需要が減れば、生産技術のノウハウも特許も意味のない代物になるのだろう。
主役から脇役へー自分の人生と光りが重なった。それでも。自分の関わった人生の仕事が今のLEDのステップだとそして明かりの進化の一段階であると信じるしかないと思う。
時代遅れになりつつある白熱電球の生産と向かい合う明日の仕事のため、私は帰宅への歩みを再び進め始めた。
(おわり)




