06 柳橋美湖 著 ホットドリンク 『ココアクラブ』
【あらすじ】
東京在住・土木会社の事務員でアパート暮らしをしていたOL・鈴木クロエは、奔放な母親を亡くして天涯孤独になろうとしていた。ところが、母親の遺言を読んでみると、実はお爺様がいることを知る。思い切って、手紙を書くと、お爺様の顧問弁護士・瀬名さんが訪ねてきた。そしてゴールデンウィークに、その人が住んでいる北ノ町にある瀟洒な洋館を訪ねたのだった。
お爺様の住む北ノ町。夜行列車でゆくその町はちょっと不思議な世界で、ゆくたびに催される一風変わったイベントがクロエを戸惑わせる。
最初は怖い感じだったのだけれども実は孫娘デレの素敵なお爺様。そして年上の魅力をもった瀬名さんと、イケメンでピアノの上手な小さなIT会社を経営する従兄・浩さんの二人から好意を寄せられ心揺れる乙女なクロエ……。そんなオムニバス・シリーズ。
07 ココアクラブ
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御無沙汰しています。鈴木クロエです。
恒例・月一度、彫刻家のお爺様宅への訪問のことですが、十一月は大変なことが起りました。
金曜日の夜。
私は、東京・上野駅から北ノ町にむかう夜汽車に乗りこみました。三連休を控えた週末ともあってか、寝台車は満席。座席車になんとか座れる状態でした。そのとき、むかいの席に座っていた紳士が田中さんです。
「お嬢さんも北ノ町にむかうのですね? 私がなぜそこに行くかですか? ほお、御存じない? 北ノ町は空気が澄んでいるのでIT製造場立地の立地条件がいい。そこで会社に起案をだし現地視察に行くというわけです」
田中さんは眼鏡を着けていて、痩せた、頭に霜を戴く、スーツ姿の人でした。降りるときは、広縁の帽子をかぶり、コートを羽織り、茶色の鞄を抱えてでてゆかれました。お話がとても楽しくて、時間の経つのも忘れたくら。
この方と別れましたのは駅前広場で、早朝、まだ暗いうちで、取引先の方が迎えにきて、車に乗って行かれました。
私の迎えといえば……。
いつもなら、イトコの浩さんですが、同日は珍しく、お爺様の顧問弁護士・瀬名さんでした。
. * * *
冷えた潮風のにおい。あたりが白っぽくなってきて、水平線と、漁師町の家並みがみえてくるころ、牧師館を改装した丘の上の洋館・お爺様の家に至る坂道には、みたことのないスポーツカーが一台停まっています。
「瀬名さん、なにかあったのですか?」
助手席に座る私に、運転席の瀬名さんは、一呼吸置いてから順序よく事件の発端を話して下さいました。
「一昨日の晩のことだ。自分は浩君と一緒に行きつけのバーで酒を飲んでいた。ショータイムのあと、浩君の携帯に着信があった。それからすぐ、急用ができたといって、運転代行を呼んで自宅に戻った」
「それで浩さんはどうなりました?」
「行方不明だ。自宅にも戻っていない」
「するとあの車は?」
「覆面パトカーだ。犯人から、夕方までに、身代金を指定箇所に置け。不首尾があれば人質は殺す――というメールがあった」
きて早々、なんていうことでしょう。
警察の方が、お爺様や瀬名さん、それに家政婦の小母様から事情聴取をされているところで、
「事件には関わりがないでしょうけれど、一応参考までに」
と、私の勤務先とか住所とかをメモしだしました。
. * * *
同日夜、ココアクラブ。
瀬名さんが浩さんを誘って行ったバーは、海岸通りにあるわりかし大きなお店で、霜が降りだした国道を行く車はまばらで、潮騒ばかりが、耳に入るところでした。
店は海岸よりも一段高くなっていて、敷地に入ると、椰子にみたてたシュロの木が並び、夜の海に上弦の月が浮かんでいます。アールデコ風のネオンで飾られた二階建ての四角い建物で、入口には大理石のライオンを左右に配し、石積みになった重厚な玄関の中に入るとき、シルクハットに燕尾服を着たスマートな男性店員が、一礼して、ドアを開けてくれました。
ちょうど、ショータイムの最中で、グランドピアノによるジャズの演奏があり、それに合わせて、バニーガールならぬ、本物の兎さんと見間違えるような精巧な縫いぐるみ二十体が、一糸乱れず、見事なラインダンスをしていました。
カウンター席に座っていると、お店のマダムが話しかけてきました。
「瀬名さん、浩さんが大変なことになったんですってね。うちにも警察の人がきたわ」
マダムは、銀色のシフォンワンピースを着た小太りした女性で、四十歳くらいでしょうか。鬱陶しくない程度に気さくで、飲み物のメニューをさりげなくだしてきました。
「こちらのお嬢さんは例のマドンナさんね。今夜はココアかミルクって感じ。瀬名さんは珈琲かしら?」
「すごい!」
瀬名さんは、中年というほどではないけれどそう若くもない、紐のネクタイのシャツにジャケットを羽織ったすらっと背の高い、街にでたら一緒に連れて歩きたい感じの魅力的な男性です。
私が、隣に座った瀬名さんの顔をのぞくと、
「マダムは接客のプロだ。客の顔をみただけで注文する飲み物が分かる」
といって、氷入りのグラスを口にしました。
それにしても、マダムの、「例のマドンナさん」って言葉から、瀬名さんと浩さんが、私のことをどんなふうに話しているんだろうって、気になります。
ピアノ演奏は佳境を迎え、ラインダンスをしていた、兎さんたちがジャンプして両足を拡げて着地。小さな舞台の幕が閉じました。
厨房から、ホットドリンクを持ってきたマダムが、
「そういえば浩さん。大口の仕事が入ったっていっていたけど、事件と関係があるかしら」
「マダム、そのことを警察に話した?」
「警察さん、横柄な態度だったから、協力すると変なことになりそうで、伏せておいたの」
すると。
いつの間にだか、瀬名さんの後ろに私服警察官たちがきていました。
「――指定した時刻に犯人は現れませんでしたよ。身代金請求は偽装。……瀬名さん、個人的にはじめから疑っていたんですがね、やっぱり、あんたが一番怪しい。裁判所から捜査令状をもらってきました。ご同行願えますか?」
捜査を指揮している県警本部の警部さんが、絶句している私を一瞥して、
「事件は単純で、痴情のもつれ。つまりあなたが原因だ。……まあ、よくあることです。細かいことは後ほどお話ししますよ」
といった上で、
「お邪魔しましたね、マダム」
と、カウンターにむかって帽子をとって一礼。同時に、警察官二人が、瀬名さんの両脇をつかんで、外に出て行きました。
しかし。
入れ違いで、われらがお爺様の登場です。
西部劇のBGMみたいな口笛。
マダムから事情をきいた、お爺様は、
「ふうん。例の件か。少し前に浩が儂に相談しにきたんで断らせた投機話があった。奴らに違いない」
保安官というか騎兵隊というか、ふつう、マイカーでしょという今の世にはあり得ない、前世紀の乗り物に乗ったお爺様は、逆に似合い過ぎです。……お店を出たお爺様と私を乗せた白馬は、軽やかに駆け出し、岬にある灯台にむかいました。
「県警が北ノ町から出る道路を検問封鎖している。きっと犯人は町から逃げ出せず立て籠もっている。誘拐事件というのは、工作機関でもない限り上手くいった試しはほとんどない。どちらかといえば異常者による犯行だ」
まるでプロの刑事さんみたい! どうしてそんなことが判るのだろう、って不思議に思いながらも、私、お爺様だったらアリだって思ったんです。
. * * *
「――ここしかない!」
霜に覆われた灯台は無人で、コンピューターで制御されています。犯人は蝋で型をとり、その場で合鍵をつくって中に侵入していました。
馬を降りたお爺様はドアノブを持参した狩猟用ライフルで撃ち抜いて壊し、中に踏み込むと、犯人一味を一網打尽にしたのでした。
犯人というのは、投資会社営業マンを名乗るカルト教団の幹部とその部下たちで、浩さんが資産家であるお爺様の孫であることを知って接触し、そこから斬りこんで財産を巻き上げようとしたのだけれども、途中で二人に気づかれ「商談」を断られた。……悪事の全容が外部に漏れることを危惧した一味は、浩さんを拉致したというわけです。
犯人一味の中に、夜行列車で私と一緒にいた紳士・田中さんがいたのには驚きました。人は見かけによらないものです。……お爺様が乗りこまなければ、浩さんは、危なく殺されるところでした。
それからもう一つ。
警察に誤認逮捕された瀬名さんが、早々に釈放されたことをお伝えしておきますね。
【登場人物】
●鈴木クロエ/東京在住・土木会社の事務員でアパート暮らしをしている。
●鈴木三郎/お爺様。地方財閥一門で高名な彫刻家。北ノ町にある洋館で暮らしている。
●鈴木浩/クロエの従兄。洋館近くに住んでいる。
●瀬名玲雄/鈴木家顧問弁護士。
●小母様/お爺様のお屋敷の近くに住む主婦で、ときどき家政婦アルバイトにくる。
●クロエの母/故人。奔放な女性で生前は数々の浮名をあげていたようだ。




