04 柳橋美湖 著 櫛 『北ノ町の物語』
北の町の物語
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03 櫛
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潮騒のきこえるほうに目をやると、カモメが青空を旋回しているのがみえます。また、北ノ町に私はやってきました。母を亡くしてからというもの、海辺の牧師館を改装したお爺様の家に、月二回は行くようになりました。
七月の連休を利用していったときは、お爺様、従兄の浩さん、弁護士の瀬名さんの三人で、朝の涼しい海辺を乗馬クラブの馬に乗ってお散歩したりもしてみました。
蹄鉄につまった泥を小さな棒でほじってやると、だんだんと馬はなついてきます。私がいつも乗る子はハナという名前の甘えんぼさんで、女の子です。
浩さんは私が乗馬できるのが意外に思ったようでしたが、瀬名さんは、なにか得心したようです。
「お母さんは、クロエさんを塾に通わせる代わりに、乗馬クラブに通わせていたんだな。彼女らしい」
瀬名さんは三十歳半ばくらいで背の高い人。弁護士事務所に所属していて、女性ファンがついているって話を、お手伝いにくる近所の小母様からうかがいました。
瀬名さんは、生前の母をご存じの様子。意外に感じた私は、
「私が知らない母のこと、教えていただけませんか?」
瀬名さんは、バツの悪い顔をして、口ごもり黙ってしまいました。
すると、助け舟をだすかのように、浩さんが、間に割りこんできました。私というよりも、瀬名さんに話しかけていました。
「お爺様ったらさあ、クロエが可愛くてしかたないみたいで、わざわざ、あのハナを買ったみたいだぜ。飼育とかは今まで通り、乗馬クラブがやるんだけさ」
「乗馬クラブに通ってハナに乗るのと、馬を購入することにどういう違いがあるんだ?」
「ハナには、クロエしか乗れなくなる。それだけのこと」
「なんか凄い愛を感じますよね、瀬名さん」
「まったくだ!」
私を挟んで、二人が笑いあっていたのだけれども、なんだか居心地が悪くかんじます。
『アルプスの少女ハイジ』のアルムおんじみたいな、お爺様はこういうとき、耳が遠いフリで、乗っている馬に鞭をやると、軽やかに、波打ち際をかけてゆきました。
. * * *
夜、近くの神社の夏祭りにでかけることになりました。
そのときお爺様に、
「部屋の衣装ケースの引き出しに、おまえの母さんの、浴衣がある。近所の小母さんに頼んでちゃんと管理していた。だからいつでも着れるようにしてある。よかったら袖を通してみなさい」
といわれて、母の部屋に戻った私は引出を開けてみました。
なるほど、浴衣がありました。涼しそうな青地にみやびやかな金魚が泳いでいる柄になっています。鏡に身体を映しながら、紅の帯を締め、それからお爺様の工房室に降りてゆきます。
「ほう」
お爺様は目を細めました。それから、棚に手をやり木彫りを私によこしました。
「これは?」
「昨日、こしらえたんだ。髪にさしてみろ。似合うぞ」
お爺さまのいいぐさは断定的です。
しかし、髪を結わえてさしてみると、お爺様のいう通りでした。
母もこんなふうに、お爺様から手作りの櫛をプレゼントされたのだろうか、もしかすると今は亡きお婆様も……。想像するとちょっと楽しく思えます。
. * * *
瀬名さんとお爺様はそれぞれ用があるとかで、けっきょく、浩さん一人のエスコートで、ゆくことになりました。
平屋の漁師町の街並みを抜けて、防波堤に沿った道路を南にむかうと岬があり、鳥居をくぐり、階段を昇ってゆくとこじんまりした境内と拝殿があります。もっとも、この日は、神輿をかついだりするため、首都圏に働きにでている若衆が、家族・友人である漁師さんたちに混じって、笛や太鼓のリハーサルをしているようです。
石段沿いの葉桜の枝に提灯がぶら下げられ、赤や青に光っています。
肩を並べて歩く浩さんが、
「ここの神社は弟橘神社っていうんだ。祀っているのは弟橘姫、日本武尊の奥さんだよ。……日本武尊とともに軍船に乗って海を渡っていたとき、海が荒れたとき、海神を鎮めるのに、自らを生贄として身を海に投げ、夫を救った。海の人たちはそんなけなげな姫君を荒れ狂う海の神様を鎮めてくれる女神として崇めたんだな、たぶん」
身を尽くして夫を愛して海中に沈み、荒れの海を鎮める女神になった弟橘姫。至上の愛、自己犠牲。……なんて切ない物語なのだろう。
石段を昇りきって、境内にたどりついたとき、ちらっ、と横にいる浩さんをみました。
私の浴衣と同じく青にそろえています。素敵なコロンの香り。身長は高くて、ちょっと面長。まつ毛が長い。さぞかしモテるんだろうなあ、と思いました。
彼が私に声をかけました。
「あのさ、クロエ。お爺様がつくってくださった櫛、よく似合うね。……その、君に出会ってからいいたかったことがあるんだ」
そのときです。
太鼓が連打されました。鼓手は二人いて大太鼓の両側で鳴らしだし、息がぴったりあっています。
――えっ、お爺様、瀬名さん。
膝ががくがくするような感動がこみあげてきます。
お爺様と瀬名さんは、祭りの見物客ではなく、氏子として、私たちには内緒で参加していたのです。
境内にいた、見物客たち、とくに女性や子供たちには大ウケで、
「カッコイイ」
という声がほうぼうであがりだしました。
二人が、私たちをみつけると、手を振っています。
それから、また、浩さんは、私にまた、さっきの続きをいおうとしたのですが、今度は、花火が続けざまに夜空に放たれたのです。
「綺麗!」
なにかいいたそうにしていた浩さんは気勢をそがれた感じで、話題を世間話に切り替え、夜店で金魚すくいや射的をしたあと、私をお爺様の家に送り届けるだけにとどめたのでした。
(つづく)