05 柳橋美湖 著 ススキ『北ノ町の物語、町民大運動会』
【あらすじ】
東京在住・土木会社の事務員でアパート暮らしをしていたOL・鈴木クロエは、奔放な母親を亡くして天涯孤独になろうとしていた。ところが、母親の遺言を読んでみると、実はお爺様がいることを知る。思い切って、手紙を書くと、お爺様の顧問弁護士・瀬名さんが訪ねてきた。そしてゴールデンウィークに、その人が住んでいる北ノ町にある瀟洒な洋館を訪ねたのだった。
お爺様の住む北ノ町。夜行列車でゆくその町はちょっと不思議な世界で、ゆくたびに催される一風変わったイベントがクロエを戸惑わせる。
最初は怖い感じだったのだけれども実は孫娘デレの素敵なお爺様。そして年上の魅力をもった瀬名さんと、イケメンでピアノの上手な小さなIT会社を経営する従兄・浩さんの二人から好意を寄せられ心揺れる乙女なクロエ……。そんなオムニバス・シリーズ。
鈴木クロエ。
それが私の名前です。
都内のとある会社に勤務し、社宅暮らしをしている唯一の身内だったのが母です。その母が、実はお爺様が北ノ町に住んでいるという話をしたのは死に際のこと。逝った直後すぐ、お爺様の意を受けた顧問弁護士の瀬名さんが、出迎えにきてくれたというわけです。それがご縁の始まりで、今年になって半年ばかりの間に、月一度の週末は「帰省」し、お爺様のお屋敷にある母の部屋で過ごしています。
それで、今月も北ノ町にむかう夜汽車に乗りました。
彫刻家であるお爺様に、従兄の浩さん、顧問弁護士の瀬名さん。皆さんにお会いできるのが楽しくて仕方ありません。
寝台列車の車窓に映るのは都会のネオンからまばらに続く街の灯だけでだんだん寂しくなってゆき、いまではごくたまに地方都市の外灯がみえるだけになってきました。
そうそう、最初にお爺様のお屋敷にうかがったとき、母の部屋になにか大事なものがあったのだけれど、何者かに盗まれたってお話を伺いました。けど……その話が私のなかでどうしても引っかかるのです。
なくし物……。
あれやこれや考えてみます。
預金通帳とか株券とか、あるいは家具。いえいえ……以前、夏祭りのとき、お爺様は私に手製の櫛を彫ってプレゼントしてくださいまいした。もしかするとお爺様は、彫刻家だけにそのての宝物を母に贈ったのではないでしょうか。
それはそうと、今度の週末は、町内大運動大会『ススキ祭』があるんですって――。
翌朝早く、青い急行列車が駅に停まりました。
出迎えにきて下さったのは従兄の浩さんです。
改札口で出迎えたときは笑顔だったのですが、駐車場に停めてある車に乗る直前、電話がかかってくると、みるからに不機嫌そうで、会話が止まってしまいました。陽気な彼にして珍しいことです。
やがて車が丘の上にある牧師館を改装したお爺様のお屋敷にたどり着きました。
玄関先で出迎えて下さったのは、執事さん……じゃなくて、近所にお住まいの気さくな小母様、ダンディーな瀬名さん、そしてハイカラなお爺様です。
浩さんは瀬名さんをみかけるなり、『ススキ祭』の話題を振りました。
「今年こそは僕、瀬名さんに負けませんからね。絶対に優勝して、クロエをお姫様抱っこして表彰台のてっぺんに昇りますよ」
「ふっ、残念ながら、その役は私が戴く」
「えっ? なんのこと?」
私はちょっと面食らいました。
お爺様も小母様も教えてはくれず、笑っていらっしゃいました。
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お部屋に荷物を置きに行きますと、小母様がベッドメイキングをして下さっています。その小母様に、さり気なく、母の部屋にあった置物のことを話してみました。
――どんなもので、いつごろ盗まれたのか。盗難届とかはだしたのか。
小母様はその件についてのコメントは避けたいらしく、口を濁し、お台所に逃げ出してしまいそうになるのを引き留めきいてみました。
すると、
「ポケットに入るくらいの裸婦像よ。亡くなられたお嬢様、つまり、クロエさんのお母様をモデルにしているものだった」
それはそうと、クロエちゃん、「ススキ祭」用に着替えないとね。
母はお嬢様で、娘の私はクロエちゃん……。少し違和感があるのですが、確かにお嬢様教育暮らしというものをしたことがないので、ある種の納得もしえいます。
などと考えている間に、小母様がタンスから、古めかしいドレスを取りだして私に被せたのでした。
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町の空き地ではススキの穂がゆるい北風にあおられていました。
町民大運動会会場。
校門のところで、大航海時代の欧州貴族みたいな恰好をした、町の名士の方々が、町民の皆様をお出迎えなさっています。
「やあ、漁協組合長夫人」
殿方は右脚を引き、ご婦人方はスカートの両側をつまんで深々と会釈なさるのです。
「あら、町議会代議士さん、すてきな運動会日和ですわね。おほほほほ……」
ぽっちゃりした組合長夫人がダチョウの羽の扇子を口にあてて笑うと、毛の薄い町長さんが刺繍のハンカチを取りだして笑っていらっしゃいました。
なんだかシュール。
大運動会会場は北ノ町小学校校庭で桟楼が組まれています。
観客席も木組で、階段みたいになって、まるでローマのコロッセアムみたいです。その桟楼の上に町長さんがいらして、御挨拶をしました。
「では恒例、町民大運動会『ススキ祭り』を執り行いと思います。まずは舞踏会から……」
楽隊が太鼓にシンバル、フルート、各種弦楽器まで持ってきて古風な音楽を奏でだすと、町の紳士が淑女の腰に手を当てて優雅にソーシャルダンスを始めたではありませんが。まるであれ……印象派の画家ルノワールの『ブージバルのダンス』『田舎のダンス』『都会のダンス』といったダンス三部作のような世界が繰り広げられていました。
「お嬢さん、私めと踊ってくださいませんか……」
とやってきたのは、例の如く、従兄の浩さん。
お爺様は小母様を誘って踊り始めます。
弁護士の瀬名さんは、ダンディーな独身貴族なので、奥様方に取り囲まれて揉みくちゃになっていました。
ルノワールのダンスの絵をよくみると、登場人物の足元には、吸殻やらゴミやらが落ちていますが、ここでも似た感じ。スカートの裾を汚さないようにするのも一苦労です。
それにしても、母をモデルにした彫刻を盗んだ犯人は誰なのだろうと考え込んでいました。
エスコートしている浩さんが、瀬名さんを尻目にして耳打ちしてきました。近い! なんだかくすぐったいです。
「そういえばさあ、瀬名さんって、子供のときに、クロエのお母さん、つまり叔母様と仲が良くて、よく一緒に遊んでいたらしい」
「え、幼馴染?」
「叔母様のほうが一回り年上だったけど、けっこういい感じだったらしいな。映画館にいったり、遊園地にいったり、いつも一緒だったって、死んだ親父がいってた。……たぶん、アレだ。瀬名さん、叔母様が好きだったんじゃないかな」
「えっ!」
確かに瀬名さんは勝手気ままというほどにお爺様の屋敷に出入りしている。
母に思いを寄せていた瀬名さんは、母が部屋に呼んだこともあり、木彫の存在を知っていた。その母が、ふらりと町に寄って父にさらわれ、消えるように東京に出て行ったあと、母を忘れられない瀬名さんが、母の化身ともいえる裸婦像をコートのポケットに突っ込んでご自分の家の部屋に飾っていた。
そう考えるのが自然に思えてきました。
ターンをしたあと私は浩さんに訊きました。
「瀬名さんの事務所とかお部屋とかに行ったことってありますか?」
「あるよ」
「手に乗るくらいの大きさをした、裸婦の彫刻ってみたことある?」
「木彫……」
そのことに触れた途端、浩さんは不機嫌な顔になりました。
駅にむかえにきてくれたときの携帯電話以来、いつもの陽気な浩さんらしくなくて、ちょっと変。
ダンスパーティーが終わると、次はパレード。
なんと!
中世欧州の騎士さながらの格好をした若衆が、馬に乗って場内を一周し、運動場の東西に陣取ります。中央にはテープが張ってあります。
――まるで、馬上槍試合「トーナメント」じゃありませんか!
ステップになった観客席の横に座ったお手伝いに来て下さる小母様が、
「クロエちゃん、なにさっきから考え事してるの?」
「いえ、なんでも……」
そうはいうのですが、犯人は犯行前にどういう妄想があったのか? どういう計画をたてたのか? なぜ盗まねばならなかったのか? 他の物では駄目だったのか?
などとプロファイリングみたいなことが、頭のなかをグルグル駆け巡りだしていたのは事実です。
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やがて。
桟楼の上にいる禿げ頭の町長さんが手を挙げると、運動場の東西を仕切った真ん中に張ったテープを、次長さん、教育委員会長さんといった名士の皆さんが、ハサミでカットしました。
すると、両陣営の騎士様たちは、勢いよく駆けだしてきたのです。
砂煙。
蹄の音。
大歓声。
鞍の後ろにはストッパーがないので、長槍が当たると、派手に突き落とされてしまいます。従士までついて、落ちた騎士様を捕獲してゆきます。
十五分ほどで決着がつきました。
兜を脱いで顔をみせた勝者の陣営は東軍で、最後まで残ったのは二十騎ばかり。そのうちの一人に瀬名さんがいます。先ほど瀬名さんの長槍で浩さんは地面に叩き落とされたようです。長剣を杖に片脚を引きずりながら退場してゆくのがみえます。
私が手当をしようと、駆け出そうとすると、瀬名さんが走り寄ってきて、いきなりですよ。お姫様抱っこしたんです。
「きゃっ」
あのお、なんで小母様が赤くなるんです?
それでそのまま、優勝チームのキャプテンとして表彰台に。
するとです、そこでまたまた、ハプニング。
金メダルをかけに来た町長さんが意地悪に白い歯をみせました。
「優勝チーム・キャプテンは、グランド・チャンピオンとの一騎打ちをすること」
ロール・プレイング・ゲームの最後にでてくるボスキャラですか!
はい。
予想はしていましたよ。
やっぱり。
お爺様でした。
瀬名さんの銀甲冑・赤マントに対して、お爺様の黒甲冑・黒マント。
なんだかお爺様ってダース・ベーダ―みたい。
剣闘士「グラディエーター」みたいに、運動場のど真ん中で、二人は激しく撃ちあいましたが、最後はお爺様の長剣が瀬名さんの長剣を弾き飛ばし、首のところで突きの寸止めをしたところで審判員が、「そこまで!」と旗を上げました。
――で。どうしてこうなるんですか!
表彰台に昇るお爺様にお姫様抱っこされている私。
……こうして町民大運動会『ススキ祭』が幕を閉じました。
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後日、私は、小母様から真相を聞くことになります。
IT関係の小さな会社を友人と一緒に立ち上げた浩さんですが、相棒さんが、借金に困っていました。
ある日、浩さんに誘われて、お爺様のお屋敷に立ち寄ったとき、母の部屋のドアがたまたま開いていて、木彫があるのをみつけたのです。お爺様は高名な彫刻家だから、売ればけっこうな額になるはず。それでコートのポケットに……
その後、株が当たって借金を返済したお友達が、浩さんに真相を告げ、彫刻を買戻して連絡をくれた。――お友達が浩さんに、告白したときが、まさに駅前に浩さんが出迎えにきてくれたときに鳴った携帯電話だったというわけです。
現在、問題の彫刻は母の部屋に戻っています。
END
【登場人物】
●鈴木クロエ/東京在住・土木会社の事務員でアパート暮らしをしている。
●鈴木三郎/お爺様。地方財閥一門で高名な彫刻家。北ノ町にある洋館で暮らしている。
●鈴木浩/クロエの従兄。洋館近くに住んでいる。
●瀬名玲雄/鈴木家顧問弁護士。
●小母様/お爺様のお屋敷の近くに住む主婦で、ときどき家政婦アルバイトにくる。
●クロエの母/故人。奔放な女性で生前は数々の浮名をあげていたようだ。




