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自作小説倶楽部 第9冊/2014年下半期(第49-54集)  作者: 自作小説倶楽部
第51集(2014年9月)/「薔薇」&「手紙」
27/49

09 紅之蘭 著  薔薇 『ハンニバル戦争・宴の薔薇』

   宴の薔薇

.

 薔薇という文字が最初に登場するのは、世界最古の物語といわれている、『ギルガメッシュ叙事詩』からなのだそうだ。およそ、人類最古の文明の担い手たちの部屋が、すでにそれで飾られていたことを意味する。なにゆえにあの花が愛されるか。それは古代人の目には、女性器のようにもみえたからだという説がある。卑猥な意味だけではなく、子孫繁栄という意味で、豊かな恵みと愛を属性とした地母神イシュタールの秘部のイメージに重ねものではなかろうか。

 高貴なる花の色彩と香りは、オリエント世界から、エジプト、ギリシャ、ローマ、カルタゴほか古代地中海世界の人々をも魅了していった。そのため、どの文明圏の酒席でも、必ずといっていいほど、この花で満ちあふれていたという。

 ずたぼろの男たちが、野に咲く薔薇をかき集めて、男ばかりで野暮な陣城を少しでも艶やかにしようと飾りたて、そこで酒を酌み交わした。

ハンニバル軍団は雑多な民族で構成された傭兵の寄せ集めである。文字通りの外人部隊だ。通訳がなしでは互いの言葉が分からない。

 それでも、祭りが、皆の心を一体にした。

 ――背後に控えるあの大アルプスをみよ。「俺たち」は団結してあそこを越えたんだ!

 そんな連帯感が皆を一つにした。

 だが宴たけなわになったとき、こともあろうかハンニバルが、水を差すようなことをいいだした。

「アルプスで捕えた山岳ガリア人奴隷を引き立てよ」

 軍団に、防寒具を奪われたせいで、凍死寸前になっていた連中がふらふらになって宴の輪の真ん中に引きだされていった。

ギリシャ人軍師シレヌスの通訳で、若き将軍の言葉が伝えられた。

「おまえたち、このまま、家畜人・奴隷として一生を終えるか、それともここである試練を受け故郷に帰るかどちらかを選ぶがいい。武器と武具の一式を与えるゆえ、身にまとって戦うのだ。生き残った者にはそれらを褒賞としてつかわし、帰国に必要な食糧もくれてやる。どうだ?」

 うつろな眼差しになっていた山岳ガリア人奴隷は目を輝かせ、「ぜひ戦わせてくれ」といい全員が剣闘士となったという。

 傭兵軍団にもガリア人が多い。同胞・剣闘士たちの戦いは胸を痛ませた。

 ――戦いに負けるということはこういうことなのか。

総大将の言葉を淡々と通訳して、デスマッチを遂行する軍師シレヌス。

 薔薇で飾られた酒席で角杯の葡萄酒を乾すハンニバル。

 ハンニバルの席に近いところに座っていた若き総督の末弟マゴーネが青ざめて、隣にいる猛将ハンノに耳打ちした。

「兄は気がふれたのだろうか?」

「いえ、われらが軍団は多民族・多言語ゆえ、視覚的に道理を訴える必要があるのです。われらは背後にあるアルプスを半分の味方を死に至らしめて越えてきました。これからは真冬。もう引き返せません。悪鬼のように、戦って戦って敵地を掠め取って血路を開くしかないのです」

「あの剣闘士たちはわれら自身を表していると?」

「そういうことです」

 いわば欧州版「背水の陣」だった。

それで、ガリア人捕虜たちは、同胞同士で殺しあった。

 勇猛に戦った。

 軍団・ガリア人傭兵の哀しみを、カルタゴ人、ギリシャ人、ヌミデイィア人、イスパニア人といった他の連中が共有した。

 絶叫とともに血を噴き奴隷が突っ伏す。

 泣きべそをかきながら生き残った奴隷が立ちすくむ。

 それを囲む傭兵たちは、死者に花一輪を添えてやり、勝者を讃えて薔薇の花びらをまいた。

 そしてカルタゴの美麗な若き将軍は、約束通り、試合に勝った山岳ガリア人たちを解放し、身に着けていた武器・武具をそのまま与え、必要な食糧を与えて故郷に帰してやった。

 ――勝てばあの解放奴隷のように、栄光を手にして帰国できる。敗ければ家畜人・奴隷として、惨めに突っ伏し、土を引っ掻いて死ぬ。

 言葉もろくに通じ合わない男たちがさらに団結した。

アルプス越で生き残ったハンニバルの軍団は、兵員二万六千、戦象二十頭、騎馬六千だ。精鋭とはいえ、ローマ及びその同盟国七十五万の兵員には勝てない。

 新カルタゴをでてから約半数の兵員が失われたのだが、新カルタゴから運び込んだ軍資金・イスパニア産銀貨の大半は、まだ残っていて、十や二十の軍団を雇えるくらいに莫大なものだった。

 軍師シレヌスの献策により、ハンニバルは、この宴席からほどなく、まだローマに恭順していない北部イタリアに割拠するケルト系部族に使節を送ってばら撒き、調略を試みた。そこで数万の兵をかき集めようというのだ。

.

 スペイン・新カルタゴを出発した若き総督ハンニバルが、ローマ共和国の不意を衝く形でケルト系ガリア民族が跋扈する土地・フランスの深い森を縦断し、アルプス山脈を越え、北イタリアに侵入した。

 不意を衝かれ窮地となることを、

 ――戸口にハンニバルが立っている。

 と後世のローマ人たちはいうようになった。

 そのことは、まさに、現在の状態だったのである。

 むかうところ敵なしであった、イタリア中部にある同名の都城をもって国号とする、同国は少なからず動揺するに至った。

 ローマの目をくらませ、隠密行動・大長征で「戸口」にたどり着いたハンニバルの新カルタゴ軍団。その栄光と破滅を語る前に、これに前後した、ローマ共和国側の動きを述べなければなるまい。

 ハンニバルの宿敵ローマのスキピオ家……。

    つづく

【登場人物】

.

《カルタゴ》

ハンニバル……カルタゴの名門バルカ家当主。新カルタゴ総督。若き天才将軍。

イミリケ……ハンニバルの妻。スペイン諸部族の一つから王女として嫁いできた。

マゴーネ……ハンニバルの末弟。

シレヌス……ギリシャ人副官。軍師。ハンニバルの元家庭教師。

ハンノ……一騎当千の猛将。

.

《ローマ》

コルネリウス(父スキピオ)……プブリウス・コルネリウス・スキピオ。ローマの名将。大スキピオの父。

スキピオ(大スキピオ)……プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル。ローマの名将。大スキピオと呼ばれ、ハンニバルの宿敵に成長する。

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