08 柳橋美湖 著 薔薇 『北ノ町の物語』
北ノ町の物語
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05 薔薇
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彼岸も過ぎ、秋もだいぶ深まって参りました。
皆様におかれましていかがお過ごしでしょうか。
東京で社宅暮らしをしている私・クロエは、相変わらず週末になると列車に乗って北ノ町へ行き、お爺様やそこにゆかりのある方々と親しく交流させて頂いてます。
お爺様の家系は、もともと明治以来の資産家で、以前は、外国からのお客様もけっこう出入りなさっていたそうです。そのせいか、この屋敷では、普通じゃ考えられないような不思議な習慣があります。
今日はそのお話。
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牧師館を改装したお爺様の屋敷。私の部屋は、母が昔つかっていたところです。
事件が起きたのは着いた翌朝です。
机の上に紅い薔薇がおいてあったのです。
うら若き娘が眠っている間に、賊がやってきて、寝室に一輪置いて立ち去るなんて、ドン・ファンか、カザノバか、怪傑ゾロか。あるいはアルセーヌ・ルパンか。
――唇が奪われているかもしれない!
ベッドから起きてそれをみつけたとき、私、鏡台の鏡に自分を映したとき、眼がまんまるになっていて、思わず両手で唇を押さえちゃっていましたよ。
リアルに考えれば答えは簡単。
浩さんか、瀬名さん……。
しかしお爺様がごひいきしている弁護士の瀬名さんが、いくら、親しいからといって、私の寝室に忍び込んで薔薇を置いてゆくのは、ハイリスクというものではないでしょうか。 すると消去法で残るのは浩さん。たぶん朝食にきているはず。とっちめてやる。
私は、ぶつぶついいながら、パジャマから今日のカジュアルに着替えて、食堂のある一階に降りて行きました。
近所からお手伝いにきてくださっている小母様が、用意して下さった朝食は、サラダ、ベーコン・エッグ、パンケーキ、それに果物とソフトドリンク類。
白いクロスをかけた長テーブル。奥の席に座っているのが『アルプスの少女ハイジ』にでてくるような感じのお爺様。その横の席に座っているのが、屋敷に出勤してこられた瀬名さん。
わたしはスーツ姿の瀬名さんに対面する席に腰掛けました。
浩さんはこのお屋敷から少し離れたところにある、亡き御父様・つまり私の伯父様にあたる方が建てた自宅に住んでいて、すでに朝食は済ませたとのこと。
瀬名さんがおっしゃいました。
「クロエさん。あなたは運がいい。本日は鈴木家恒例・秋のハンティング・デーです」
「秋のハンティング・デー?」
お爺様の後ろはペチカで、まだ寒くないから火を焚いていません。そこに猟銃がポンと載っています。
「山野の獣は定期的に獲らないと、里の作物を荒す。じゃから里の人たちと協力して得物を仕留めるんじゃ。……浩は先に里にいって狩猟対象地区の皆さんと今日の打ち合わせに行っておる」
朝食を終えると、乗馬クラブのオーナーさんが飼育員の方と一緒にやってこられて、私たちの馬を届けました。
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町外れの里の裏手は、いく筋かの小川が流れる森になっています。
里の方々が、十数頭もの猟犬を連れてきて放ちました。
浩さんもその中にいます。
第一次世界大戦直前の英国貴族の日常生活を描いた『ダウントン・アービー』という有名なテレビ・ドラマがありますけど、ちょうどあんな感じ。鈴木家が恒例にしている「秋のハンティング・デー」というのは、欧州貴族がやる古式ゆかしいスポーツ「狐狩り」を思わせるところがあります。
まあ、確かにですね、猪とか狸とかハクビシンとか、いろいろでてきては、畑を荒してしまうので、鈴木家のお楽しみと駆除したい里人の利害が一致するのでしょうね。そういうわけで北ノ町ではちょっとしたお祭りみたいな感じになっています。
それでですよ。
放たれた里人の猟犬が深いブナの森を駆けてゆき、後を、乗馬クラブから連れてきた馬にまたがった鈴木家関係者の人たちが颯爽と駆けて行くのです。
え、私が猟銃を使えるかですって?
免許が要るので、馬に乗っているだけ。オブザーバーです。
隣を駆ける瀬名さんがいいます。
「鈴木家関係者は、たいがい猟銃の資格を持っている。クロエさん、そのうち君も取れよ」
「はい」
そういうと、瀬名さんは先を行く浩さんの馬に追いつき、さらに先を行くお爺様の馬と並んで森の木立を駆けて行くのです。
――まったく、みんなして女の子の私を置いてきぼりにするなんて。
静かに歩いていると、ときたま、兎やその他の動物たちと鉢合わせになることがあります。ただ、ハンティング・デーでは、おびただしい猟犬や馬が走るわけですから、獣たちも馬鹿ではないので、茂みや木立に隠れつつ、みえないように逃げて行きます。
けれど、猟犬というのは、本能的にどんなふうに獲物を追って行けば、森の中にある岩場の袋小路に誘い込めるかってことを知っているみたいで、二手に分かれて、そういうところに追い立てつつ突っ走って行きます。
狸、狐、兎、ハクビシン……。
いろいろ獲れました。
火を焚いて、狩りに参加したみんなで獲物をバラし、小腸なんかはその場で焼いて食べます。腐りやすいからです。
またその他の内蔵を切り取って、猟犬たちにもご褒美を与えてやります。
すると、木立の陰から、宮崎アニメ『もののけ姫』にでてくる邪神のアレみたいのが、ぬっ、と姿を現し、地面を蹴ったのです。
一トントラックの大きさに匹敵するような大猪。
猛ダッシュしてきました。
現場はもうパニック。
お爺さんと浩さんが私を守って盾になりましたが、銃は弾丸を使い切ってしまっていて、装填する間はありません。
唯一、銃に弾が残っていたのが瀬名さんです。
冷静に、確実に絶対に外さない命中圏である、あと十歩くらいというあたりまで猪を近づけ、トリッガーを引いたのです。
顔面に弾丸を受けた猪はさらに走り続け、瀬名さんの目と鼻の先で、ようやく、ドシンと土埃を巻き上げながら横たわりました。
この超ド級な大物、そのままじゃとても重くて運べないので、解体して馬に乗せ、里に運ぶことになりました。
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さて、問題の薔薇事件に戻りますね。
謎が解けたのは、瀬名さんが、猪に馬の鞍にある袋に収めた薔薇を取りだし、猪の遺骸に添えて合掌したので分かりました。ハンティング・デーで獲物に捧げる儀式の品だったのです。
ちなみに私の部屋にこの薔薇を届けたのは、いつも、お爺様の身の回りのお世話をしてくださる、ご近所にお住まいでいらっしゃる、あの小母様。獲物をしとめたら添えてやって下さいね、というお心遣いでした。
殿方ではなくて、ちょっと、がっかりです。
(つづく)




