07 E.Grey 著 手紙 『公設秘書・少佐、黒澤商事事件』2
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黒いスーツの佐伯が、ワイシャツにネクタイをつけた黒澤商事・渉外課係長の江口俊介に犯行時刻にどこにいたか、アリバイがあるかどうかをきいた。
「金庫がこじ開けられた時間。ああ、あのときは外で食べてました」
「お一人で? どこのお店です?」
「エベレストっていう名前の馴染の喫茶店ですから裏はとれると思いますよ」
「なるほど、判りました。ご協力ありがとうございます」
「お役にたてて嬉しいです」
イケメンさんが、佐伯と握手すると、私をみやった。
「こちらは? ああ、島村センセイのところで働いていらっしゃるお仲間の秘書さんですね」
佐伯がいう前に私がいった。
「いえ、婚約者です」
「おう、これは失礼しました。佐伯さんがホームズだとすれば、素敵なお嬢さん、あなたはワトソンということになりますね」
江口さんから、コロンのいい香りが漂ってくる。佐伯のと同じだ。たぶん高い。
私の顔に血が集まってきて火照っている。たぶん真っ赤になっていると思う。
このイケメン係長、こんな具合に言葉巧みにあっちこっちの女にいい寄っては、首筋とか頬っぺたをペロペロなめまわしているのに違いない。
狼さんだわ、狼さんだわ……。
綺麗なマスクの下には毛むくじゃらの狼の顔を隠している。史上最低、凶悪凶暴かつ危険で邪悪な舌で、女の子をたらしこんでのぼせあがらせ、心を開いたところで、ホテルに連れ込みパクッと食べちゃうんだ、きっと。
危ない、危ない、その手には乗るものですか。あ、いけない。まだ口説かれていなかった。
イケメン係長は、「じゃっ」と爽やかに、応接室をでていった。
美人秘書さんは、係長を無視する格好で、鳴った電話を取りにいった。
代わりに、煙草をくわえた佐伯が、片手をあげて、振り向いた彼に別れの挨拶をした。
ドアが閉まる。
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美人秘書の小泉さんが、佐伯に受け取ったレトロなデザインの電話・受話器を渡した。コードレスがまだない時代なので、コードがついている。
佐伯が仕えている代議士・島村センセイからだった。
『厄介なことになったよ、佐伯君。マスコミが事件を嗅ぎつけたらしい。というか、内部告発者がいるらしい。いまのところ、アメリカに商談にいっている黒澤社主が、幹部に電話指示をして、知らぬ存ぜぬで通せといわせているようだが、三日もてばいいほうだ』
「会社側としては三日目には警察に真相を話し記者会見もする。私の立ち位置は、世に騒がれる前に真相を解明し、警察がきたときに、はいどうぞって感じで犯人を突きだす、というところですか」
『そういうことだ。やれるかね?』
「全力を尽くします」
首にお洒落なリボンをつけた美人秘書・小泉さんが、不安げな顔で、眼鏡をかけた私のほうをみた。
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04
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総務課の酒巻健司。
それから美人秘書の小泉さんが、内線で、事件のとき社長室に出入りした人物のうちの最後の一人を応接室に呼びだした。
しなしなとした柳腰の彼女が受話器で相手と話をしているとき、
『えっ、小泉さん!』と舞い上がるような声がして、それからトーンダウンして、『あのこと……』という声が受話器から続いて洩れてきた。
数分後、声の主がやってきた。
スポーツ刈り、四角い顔、タラコ唇、分厚い胸板。いかにも体育会系・筋肉質な身体つきをしている。
夏場なので、やはり、ジャケットは羽織っておらず、袖まくりしたワイシャツにネクタイ姿だった。
リビングの椅子に座るなり、煙草をふかした佐伯が質問した。
「犯行時刻、どこにいらっしゃいました?」
「いきなり、なんです。あなた、警察ですか?」
「違います」
「じゃあ、探偵ですか?」
「本業ではありませんがね。まあ、それに近いところですよ」
「じゃあ、探偵さん、僕を疑ってるんだ?」
「とりあえず全員を疑います。もう一度おききしますが、金庫破りがあったとき、あなたどこにいました?」
佐伯に対面するソファに腰掛けたタラコ唇の酒巻は、顔から汗を噴きだしていて、手ぬぐいで何度もふいていた。しばらく考え込んでから、
「廊下の古い消火器を新しいのに取りかえてましたよ」
「犯行時刻の昼休みはどこの廊下にいました?」
タラコ唇は息苦しそうに咽喉のあたりを掻きだした。
「社長室前あたりです」
「誰かほかにいました」
「いえ、僕しかいませんでした」
夏なのに黒スーツを着て涼しい顔をしている佐伯が小首を傾げた。
私と目があった。どよんとした感じがする。駅で可愛い女の子をみかけると、こそこそ物陰から物陰へと身を隠しつつ、家まで尾行するタイプだ。電車に乗ったら絶対、スカートに手を突っ込んで、触ってくる。
怪しい!
「酒巻さん、貴男、このままだと不利ですよ。昼休みに、人気のない社長室前にいた。誰か貴男が潔白だと証言できる人を思いだすべきです」
「そ、それは……」
「まあ、ここは思いだすといいでしょう。ほかの同僚の方々にきいてみてください。それじゃあ、また後で……」
タラコ唇はペコペコ頭を下げて、逃げるように自分の職場に小走りしていった。
美人秘書さんが困り顔になった。
「あのお、佐伯さん。さしでがましいのですが、三日後には記者発表になるのですよね」
私が代わりにいってやった。
「はい、リミットが迫ってますね。お言葉をお返しいたしますけれど、佐伯は一見悠長にみえても、灰色の脳細胞がフル稼働しておりますの」
「まあ、頼もしい。まるで名探偵ポワロみたい」
「実は私もそれをいいたかったのですわ」
おほほほ……。
二人して手の甲を口にあてて笑った。
佐伯は女二人の掛けあいには参加せず、ほんとうに、灰色の脳細胞をフル稼働させていた。ときどき、ねっとりした粘着質の、いやらしい流し目をつかう秘書さんに見向きもせず。捜査の上で必要なときを除いては、婚約者である私以外、マジマジと異性をみないところは、きゃつめの美点だ。
正直、私は彼のそういうところにキュンとくる。
私達がマンションに帰った夜、小泉さんから電話がかかってきた。
手紙というか、封筒に入れられた怪文書が、社内のいくつかの部署に置かれていたというのだ。
つづく
// 事件概要//
長野県月ノ輪村役場職員・三輪明菜は、休暇をとって東京の婚約者宅に遊びにきていた。婚約者は佐伯佑。「少佐」と仇名される切れ者の公設秘書だ。明菜が二人の時間を楽しんでいると、彼が仕えている代議士・島村センセイから電話がきた。
内容は、センセイが懇意にしている黒澤社長が、ビジネスのため渡米している最中に、社長室の金庫が破られたというものだった。なにか弱みがあるらしく、極力警察に踏み込ませたくないから、内部捜査をやった上で、犯人を捕らえて突き出したいところ。それには佐伯の頭脳が必要だというのだ。
二人は窃盗事件の現場である黒澤商事にむかう。
// 登場人物//
【主要登場人物】
●佐伯祐……身長180センチ、黒縁眼鏡をかけた、黒スーツの男。東京に住む長野県を選挙地盤にしている国会議員・島村センセイの公設秘書で、明晰な頭脳を買われ、公務のかたわら、警察に協力して幾多の事件を解決する。『少佐』と仇名されている。
●三輪明菜……無表情だったが、恋に目覚めて表情の特訓中。眼鏡美人。佐伯の婚約者。長野県月ノ輪村役場職員。事件では佐伯のサポート役で、眼鏡美人である。
●真田幸村警部……七三分けの髪型で四角い顔をした、大柄な男。東京都警視庁のキャリア組。三輪明菜の住む村月ノ輪村に駐在する、長野県警・真田巡査の甥。その気になれば自力で解決できる事件でも佐伯利用して捜査費用を浮かせようとする。
●島村代議士……佐伯の上司。センセイ。古株の衆議院議員である。
【事件関係者】
●黒沢社長(社主)……依頼人。島村代議士が親しくしている学生時代の後輩。
●江口仁志……渉外課の係長。コロンを効かせた長身の美男で、デキル男の評判がある。
●酒巻健司……さえない感じをした総務課所属の若い社員。
●小泉志保……一見してお水系な美人秘書。




