04 柳橋美湖 著 ひまわり 『北ノ町の物語』
北ノ町の物語
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04 ひまわり
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立秋を迎えましたけれど、まだまだ暑いですね。私は、会社の夏休みを利用して、また、牧師館を改装したお爺様の家にいます。
食事の世話をしてくださる、近所の小母様の腕前はいつも感心させられることばかりなので、お教えを請うことになりました。
昼前、私は厨房で、小母様と並んで料理していました。
北ノ町は港町で、磯の魚がふんだんにとれるところです。小母様は、スルメイカのお刺身をつくる片手間に、内蔵を取りだして、それを茶碗蒸しみたいな容器にいれ、オーブンに収めました。
他方、私は夏野菜のスープをつくるので、トマトやナスビを、とんとん、刻んでいるところでした。
「あれ? この音楽」
『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』。……私の心は生き続けるという意味のピアノ曲。そう、有名な映画『タイタニック』のテーマソングです。
映画では、尺八のようなかすれた笛の音みたいな感じのBGMでしたが、流れてくるのは、かなり軽快に編曲されたピアノです。
――そういえば、一階・リビングには、ハーフピアノが置かれていたんだ。
「また、お爺様かしら……」
お爺様はなにをなさっても天才的な人で、リビングでピアノが流れれば、当然のように私はそう感じたのです。
まな板で丁寧にスルメイカを切っていた小母様は、
「ああ、あれね。浩坊ちゃまだよ。三歳のときから習っていたのよ。音大に行くようにみんなが薦めていたんだけど、喰えないから、っていって工学系の大学に行っちゃったの。もったいない話だねえ……」
「素晴らし過ぎる。プロ級だわ」
ドアを少し開けて、ちょっとのぞいてみました。
壁際の暖炉と、部屋中央のリビングセット。向いの窓の向こうには、向日葵がみえます。
悲壮なあの音楽が、ピアノにすると、というか、浩さんがやると、なんて軽やかになるのだろう。こないだの夏祭りでは、お爺様と瀬名さんが、氏子に入って太鼓を叩き、盆踊りにきた客を沸せていた。……プロへの道を断念したとはいえ、浩さんが、弾むようなジャズ調のピアノを奏でるのは、確かにお爺様の血を引いているのだなあって、思ったのです。
お爺様の子供は、伯父様と母で、いまは二人とも他界しています。伯父様は投機家としてお爺様を助け、このお屋敷から少し離れたところに家を建てて、義理の伯母様、それに一人息子である浩さんと住んでいましたが、数年前に母と同じ病気で亡くなったとのことです。だからいま、そこには、義伯母様と浩さんの二人が住んでいるというわけです。
義伯母様はお爺様と反りが合わないというほどのことはないけれど、血がつながっている、というわけではないので、そうそうこのお屋敷に来られるということはありません。しかし私同様に、実の孫である浩さんは、お爺様のところに、頻繁に遊びにこられていたのです。
もともとあのピアノは、いまは亡き御婆様がお嫁入りしたときに運び込んだものとのことで、浩さんが最初に習ったのも、御婆様からだったといいます。
曲が『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』から、ベートーベン『エリーゼのために』に変りました。相変わらず軽快で切ない感じは微塵もありません。
――この人は天真爛漫なんだ。
鍵盤は長い指先で弾かれダンスしているよう。構えたところがなく、小指だけとか、親指だけとか、風に遊ばせているみたい。寂びのところなんか、プルルルンって親指の背で鍵盤を一気に撫でる感じ。
二曲続けて弾き終えた浩さんは、私が戸口でのぞいていたのを知っていた様子です。
「邪魔しちゃった、浩さん?」
「クロエ、なにかリクエストある?」
「『ひまわり』って弾けます?」
「ああ、昔の映画の主題曲だね」
「映画を観た母がお気に入りにしていたの」
「へえ、叔母様らしいな」
第二次世界大戦のとき、イタリアの若い兵士と妻がいて、結婚休暇が終わると夫はすぐに前線に戻される。夫は、妻恋しさに仮病をつかって故郷に戻ろうとしたのだけれど、バレてしまい、激戦地・ソビエト=ロシア戦線に送られてしまう。戦後、夫は行方不明になり、待ちきれずに妻は再婚。しかし人づてに、元の夫が実は生きているという話をきいて、ロシア行きの列車に乗った。そこでは、彼女同様に、元夫も、地元女性と結婚。子供までいてロシア人として生きていた。……映画には何度も、どこまでも続く、圧倒的なひまわり畑のシーンがあり、それが切なさをかもしだしていた。
――母はこの映画が大好きで、デパートのミニシアターで、リバイバルがあると、子供だった私の手をひいて観にいったことがあります。ほろほろ、涙をこぼしていました。
しかしです。
浩さんの奏でるピアノには、切なさというものが、微塵もありません。
軽快な曲調にアレンジされていて、また、寂びのところで、親指をつかって、プルルルンってやったんですよ。
母が聴いたら、映画のイメージがひっくり返って、目を回して倒れそう。
浩さんが、ウィンクして、口の端を曲げてみせたことが、やんちゃな子供のようにみえて、私、思わず吹きだしちゃいました。
(つづく)