03 奄美剣星 著 道 『漢帝国・猫騎士伝』
紀元前一世紀ごろの中国は前漢王朝・武帝の御世だった。
華々しい外征で帝国の版図は倍増し、シルクロードの東半分を手に入れることに成功した。しかし度重なる出兵で国庫は破綻し、叛乱を続発させることになった。若かりしころ英邁を誇った武帝は老いて駑馬と化した。酷吏という暴力でねじ伏せる高官を多数、帝国の要職に就け、秘密警察をつかったファシズムに似た強権体制を敷いていた。
さてそのころ、帝国北部にあった皇族・趙王家の藩国に、きわめて美しい芸妓がおり、嗣子がみそめて妃にした。
実をいうと、妃の兄だという男は、邪悪な神を奉ずる教団の教主で、信徒から選りすぐりの美女を嗣子に贈ったのだった。男は「妹」を通じて義弟の弱みを握った。
「これで、この藩国は実質的に俺が乗っ取った」
屋敷は秘密礼拝所で、庭の祠堂には牛頭人身の神が祭られていた。江充は、いにしえの長江文明の守護神・饕餮と呼んでいるのだが、バルカン半島・小アジア起源とされるミトラ教・ミトラ神のほうにより近い。安息人・隊商に混じって長安に伝播したものだ。
弟子たちが小躍りしてみせた。
「さすがは道士様! これでわれらが教団の国を造ることができるというものです」
するとだ、天井から声がした。
「異端道士め、おまえの悪巧みを趙王に知らせた。すでにこの屋敷を捕吏が取り囲んでいる」
「またおまえか。しつこい奴――」
黒衣の道士は長剣を前にだして、腰をふらつかせた奇妙な歩き方をした。
当時中国魔道は、越巫という南方系と、胡巫という西域系魔術があって、両者はやがて一体化して、道教を形成するようになる。江充は道教の異端派に属している。
剣身には北斗七星が描かれているがゆえに七星剣といい、奇妙な歩き方は禹歩という。それは、洪水でほぼ絶滅した、大昔に南方・長江一帯で栄えた魔法文明の残滓ともいうべき魔術だった。
道士は長身細身の男で、若いのだか年をとっているのだか判らない容貌をしている。道士が、七歩歩いてから長剣の先で床を小突いた。――するとどうだ。彼の得物が触れているところが、地割れして、そこから大きな黒い犬が飛び出してきて、灰色猫に踊りかかる。
二頭が、組み合っている間に、屋敷に踏み込んできた捕吏の何人かを魔術で火だるまにして、道士は弟子たちとともに、山中に逃げていった。
松明を手にした弟子の一人が振り返った。
「それにしても師よ、趙王に藩国乗っ取りを報せた奴は何者なのでしょうか?」
「大秦国の安敦(マルクス・アウレリウス帝)使節と一緒にやってきた魔族狩りの一族で、われらの天敵よ。いつか決着をつけねばならぬ」
弟子たちは、
「あと一歩だったというものを……」
と、口々にいって悔しがった。
だが、道士は、減らず口を叩いた。
「宮廷というものがどういうものだか判った。俺は一度殺されかけた。ふん、藩国なんて属国・小物はいらん、漢帝国そのものを乗っ取ってやる」
「ひっ」
山中の夜道で弟子たちは、高笑いする彼をみて、顔を見合わせた。
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それからしばらく経った。
年齢不詳の道士は名前を変えて江充と名乗った。
カワセミ数十羽を捕えてつくった極彩色の紐を顎に結わえる冠をつけ盛装した年齢不詳の道士が、皇居・未央宮の広間で皇帝に面会することを許された。その際、
「畏れながら、趙国の嗣子・丹様は、宮女と密通し、あまつさえ、実の姉君と関係してもおられます。また、誼を通じている国境の将軍たちと計って叛乱を企てているとのこと。このことは私は信用に足る筋から話をきき、陛下のお耳に伝えたく参上いたしました」
と告発した。
「むむ……。一族の劉丹が……。なんたる破廉恥な。たしかに奴は道楽息子だが、そこまで堕落しておったとは――。事実とすれば、皇族といえども処刑しなくてはならぬ! 早速調べるとしよう。しかし、もし偽りであるならば、おまえの一族縁者は皆殺しとなるが、よいか?」
「御意の召すままに」
江充は、かしこまってひれ伏した。
――証拠の品は、わが使い魔が現場にばら撒いておる。法治主義を掲げる皇帝のことだ。身内とて厳しく罰を与えることだろうさ。
こうして冤罪を着せられた
謁見に応じた武帝は、直訴にきた江充がみせた、不正を働いた皇族に対して、死をも畏れない正義漢ぶりに感動した。そして、彼の奇抜な衣装がまた粋だと、たいそう気に入った。そして、帝国騎士すなわち騎郎に叙任した。こうして、江充はもちまえのハッタリと魔術を駆使して、瞬く間に副大臣にまで昇進したのだった。
親藩である趙国の嗣子・劉丹は、「自身が一兵卒となって匈奴と戦いにゆき汚名を晴らさせてください」と奏上。また他の皇族、それに高官たちが必死の嘆願したことにより、死一等を減じられたものの廃嫡処分とされた。
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さてここで本題、当時の「道」について述べておきたい。
皇帝がつかう道は・馳道と呼ばれる一種のハイウェイだった。高さ数メートル、幅数十メートルからなるもので、本線は、皇帝を乗せた馬車が快適に走れるように凹式の軌道まで設けられている。両側に設けられた側道は、護衛の軍団が移動につかうためのものだ。馳道は皇帝一人だけがつかう道で皇子・皇女といえども、つかってはならないという決まりがあった。
ある日、武帝の伯母にあたる皇女・館陶長公主が、領国から長安に旅行する際、内緒で皇帝専用道路をつかって移動した。
「一般道なんてつかうのなんてバカらしいわ。凸凹道だし、遠回りだし」
使い魔を放って巡回させていた江充は、したり、とばかりに彼女とその一行をみつけて逮捕し馬車を没収した。
同じころ、同じ罪を犯した新皇太子・拠も等しく罰した。
皇族たちは、いくらなんでもやり過ぎですよと、武帝に訴えたのだが、
「わが国は法治国家だ。皇族といえども、従うのが筋というもの」
と逆に叱責したのだった。
ある日、武帝は病で長く臥せった。
江充は焦った。
――皇帝は余命いくばくもない。いまの皇太子は俺を恨んでいる。そうなれば、粛清されてしまうではないか。……わが野心はあと一歩でかなえられるというのに。
そこでも彼はまた一芝居うった。使い魔を放って、皇帝専用道路・馳道に、呪符を埋めさせておいたのだ。その上で、武帝にまた謁見した。
「陛下、皇太子殿下の下僕が、太子宮になにかを埋めたという内部告発をして参りました」
老いた武帝は寝床に近臣を呼びつけた。
使者となった彼は、江充に案内現場に急行した。
近臣立会いのもと、江充が指さしたところを捜査官たちに掘りかえさせると、なるほど板でできた呪符がでてきた。
報告をきいた武帝は怒鳴った。
「皇太子拠まで儂を裏切ったというのだな。処刑せよ。太子一門・縁者のことごとくを、ひっ捕えて処刑するのだ。
皇太子は先手を打って、国家武器庫の割符を手に入れ、家臣たちにそれを配り叛乱を起こした。
――父上が崩御された可能性がある。その間隙を衝いて江充が謀反を起こした!
挙兵した太子は、江充の屋敷を包囲して捕えると、罵倒した後、処刑した。しかし、武帝が崩御したと偽るということは、大逆罪に触れることだった。
病身の皇帝は、精鋭部隊とともに、叛乱軍を突破して、長安北方にある離宮に逃れた。
こうして長安で市街戦が繰り広げられることになった。
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皇太子拠の叛乱軍は強く、武帝が退却した後、後事を託された宰相と麾下の近衛兵は苦戦した。
だが、地方にいた将軍たちが続々と長安に駆け付けてきたため、ついに武帝側正規軍が逆転勝利し、皇太子は敗走。息子たちと民家に匿われていたところを追っ手に発見され自害に至った。手柄をたてた捕吏たちは諸侯に列せさられた。
武帝の命により、捕えられた皇太子一族縁者は皆殺しとなった。
この際、侍女に抱きかかえられた皇太子の孫にあたる赤子が、「何者か」の手引きによって、温厚な臣僚の元に密かに送り届けられた。事件が収まると、改めて沙汰待ちとなった。
その子は収容所長だった名臣のとりなしで九死に一生を得、死刑一等を減じられた。だが、皇族身分を剥奪され、女囚を乳母として牢獄で育てられ、釈放されると里親に預けられ市井の長屋で庶民として暮らした。
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武帝がまた長患いして寝台で臥せっていると、庭で咆哮があり、何やら獣が争っているような気配があった。
武帝が近習を呼んで、「何事か?」と問いただそうとした。
ところが開いた扉から寝室に入ってきたのは大きな黒い犬だった。
そいつは血だらけで、ゆらゆら、歩いて皇帝の前にくると、バタリと床に突っ伏した。
その背後にいた何者かがいった。
「おまえさんの息子は、帝国乗っ取りを計った魔道士にはめられたんだよ。太子が斬ったのは江充本人じゃなくて『影』だ。しかし変わり身の術で通力を使い果たし、奴の切り札である使い魔・黒犬も俺が倒した。いま奴は丸腰も同然。捕えて締め上げれば全部吐くだろうよ」
息子である皇太子に叛乱を起こされ、いっときは頭に血が上った武帝だが、気づいてみたら一人ぼっちになっていることに気づいた。早速、帝は、その者の言葉を受けて捕吏を遣わして捜索。隠れ家に潜んでいた江充を逮捕させた。
はたして彼は、皇太子が冤罪であることを自白。彼とその信者たちはことごとく処刑された。皇太子を自害に追いやって諸侯に取り立てられた連中も厳罰に処せられた。
武帝は、皇居・未央宮に祠堂を建てて、太子の霊を弔った。
庶民として育った皇太子の孫は、武帝没後、紆余曲折を経て皇帝に推戴された。名君の誉れ高いこの人が前漢中興の祖と呼ばれる宣帝である。
若い皇帝は、庶民として市井で暮らしたため、その苦しみを熟知していたため、各種の税を軽減・撤廃することで、帝国に再び活気を取り戻した。
またこの人は帝位に就くと、最晩年の曽祖父・武帝が、祖父・劉拠を祀った祠堂で、
「冤罪が晴れたからせめて魂だけでも戻ってきてくれ」と嗚咽していたという話を耳にして、戻太子という称号を贈った。
宣帝は、祠堂の欄干でかつて自分を救った「恩人」を背後に控えさせた。
「遅ればせながら、貴男に、騎郎(帝国騎士)の称号を贈らせてもらうよ。しかし不思議だ。あの恐るべき魔人を無力化してしまうとは、いったい、何者なのだね?」
豹柄をした灰色の毛に大きな耳をしたそれが、大きく伸びをしながらいった。
――俺かい? 猫だよ。
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猫騎士一族は、西方・エジプトから海・陸のシルクロードを通って、紀元前一世紀の漢王朝・武帝期あたりに、中国にやってきた牛頭神を、追跡してきたのだという。
紀元前一世紀から五世紀にかけて、インド・ペルシャで信奉されてきた牛頭神ミスラは、やがてヘレニズム諸国や、ローマ帝国でもミトラ教として栄え、一世紀に登場するキリスト教と勢力を二分するほどに、栄えることになることになる。だが、やがて、キリスト教に敗れてローマを追われることになる。
牛頭神は、中国では土着の神獣・饕餮や軍神・蚩尤と同一視され、朝鮮半島に渡って牛頭天王となり、日本には疫病をもたらす邪神として渡ってきた。
他方、猫騎士の子孫たちは、後を追いかけるようにして、大陸の東の島・日本に渡ってきた。……同時代・長崎県壱岐島にある弥生時代のカラカミ遺跡では、丁寧に埋葬された猫の墓がみつかっている。
七世紀、牛頭天王とその七男一女の神々・八王子は、猫騎士一族と和解し、疫病平癒の神となり、広峯神社で祭られるようになった。
さらに、九世紀・平安時代以降になると祇園神社・八坂神社・天王神社・八雲神社・須賀神社・素盞嗚神社でも祭られ人々に親しまれるようになった。
他方、猫騎士一族だ。……戦国時代に終止符を打つため闇世界で戦った彼らは、十七世紀に造営された、日光東照宮に『眠り猫』として彫られ、いまも守護している。
余談ながら、欧州に伝わった猫騎士伝説は、鬼をやっつけ、主人を公爵にまで出世させた、『長靴をはいた猫』として親しまれている。
これはかつて、猫騎士一族と牛頭神教団が織りなした、オリエント発、ユーラシア大陸八千キロ横断、シルクロード二千年の物語の一つである。
END