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悪友・敦子と私。そして母

 ● 2011年:6月頃(現代) 


 私は敦子からの誘いを断って、本当に祖母の家に遊びに行っていた。

 いつも通りに抹茶入りの緑茶を飲みながら、祖母が大好きなお煎餅を堪能する。そして、気が済むまで話し続ける祖母の相手をした。

色んな意味で疲れ切った私は寄り道もせずに真っ直ぐに家に帰った。部屋に戻ると、計ったように敦子からメールの着信があった。帰った途端に何事かと思い、寝威容を確認する。


 『どうしよう?彼の奥さんにばれちゃった。今からうちに来るって行ってる。』


 私はメールの本文を何度も見直した。意味をしっかりと理解するのに、少しだけ時間を要した。つまり、敦子は不倫していたのだということだ。私は全くそんなことを聞いていなかった。もちろん話してもらう義理もなければ、聞きたくもない。そう言えば以前は、『不倫も一種の恋愛なのよ』という自慢話をされたが、過去の話と思っていた。まさかその話が現在進行形であったことは寝耳に水状態で驚き、そして急いで連絡した。

 「今、どういう状況なのかな?」

 「うん。なんかねぇ、彼から連絡があって奥さんに私との事ばれたんだって」

「なんだかおかしくて笑っちゃうよね?」という敦子の声は少し震えていた。

 そんな敦子らしくない雰囲気に負けてしまった私は、「とにかく、今から電車に乗って最寄り駅まで行く」と言い、電話を切って慌てて外出の準備をしはじめた。

 『どうして嫌いな子のために行こうとするの?』

 出かける準備を済ませて玄関で靴を履いている頃、背後から女の子の声がした。振り向くと、いつだったか私の前の突如現れた女の子がいた。

 「仕方ないよ。動揺してたし、助けてほしそうだったし」

 私は少女に「これが女同士の腐れ縁の性だ」と言い聞かせた。すると少女は首を傾げてこう聞いた。 

 『本当に腐れ縁なの?ほんとうに?』

 「そうだよ。嫌いだけど、向こうが助けてって叫ぶんなら助けに行く。借りを作るっていう意味でもあるけど」

 少女はしばらく考えて言った。

 『本当は、あなたが嫌われたくないんじゃないの?』

 「私が?敦子に?」

 冗談じゃない、と答えて「嫌われるならそれで結構だ」と吐き捨てた。そしてドアノブに手を伸ばした。

 『八方美人だから、嫌いだって陰口を言いながら嫌われたくないんでしょ。みんなに良い顔をしていい人でありたいんでしょ?』

 「そんなことない」

 私は振り向いて少女に言った。私よりも遥かに幼い少女に確信を突かれてしまい、思わず苛立ちを少女に向けてしまった。

 『でも実際は、人のためだって言いながら自分のためにいくんでしょ?』

 少女は大人の女性のような笑みを浮かべて『お節介な自分主義』と私を指さして言った。

 「うるさい!あんたに何がわかるの!」

 気が付けば大声で叫んでいた。私は思わず自分の口をふさいだ。そして少女のいた場所をみると、すでに誰もおらず殺風景な自分の部屋が広がっていた。

 いや、もともと少女すらいなかったと思う。


 JR塚本駅に着くと、彼女が改札口に立っていた。分厚い化粧を落とした状態で、真っ青な顔をして私を迎えてくれたがほとんど放心状態だった。そんな彼女の腕を引っ張ると駅構内の小さな喫茶店へ入り、これまでの経緯を聞くことにした。


 ● 2005年 6月某日(敦子の思い出)


 彼は正社員、私は派遣社員としてとある会社で知り合った。

 すでに既婚者であった彼は外見も性格も敦子の好みのタイプだった。彼は敦子よりも年下ではあるが、仕事の能力を認められたおかげで教育係として人事部でも大事な役職についている。そんな彼は、派遣初日から教育係として敦子を含めた5人の面倒をみることになっていた。


 派遣社員5人中、敦子と彼はとくに共通の話題が多く趣味も合い、見る見るうちに打ち解けていった。他の派遣社員も2人の仲の良い光景を微笑ましくも、危ういと感じながらも見守るようになっていた。

 「あの人、奥さんがいるんだよね?」

 敦子と彼の関係を非常に危険だと感じだ同僚の一人が遠まわしに敦子に忠告した。敦子はめんどくさげに「うん、知ってる。奥さんの愚痴とか、色々聞かされてるし。なんだか夫婦生活がうまくいってないらしいよ」と答えた。

 「敦子ちゃんさ、今日、仕事の後にお茶でもしない?」

 ある日、彼から勤務時間外での誘いを受けた。敦子もこれに関しては警戒心が働き、「友人と約束がある」と返答して丁寧に断った。

 しかし、次の日もその次の日も、同じように彼から勤務時間外で会いたいという話を持ちかけられた。

 敦子は困り果て、同僚の一人に相談した。

 「それって、一歩間違えれば、不倫だよね」

 「やっぱり、そういう空気あるよね?」

 敦子は同僚の意見を受け止め、彼からの誘いをきっぱりと断ることにした。定時にロッカールームへ行くと、案の定、彼がそこにいて敦子に「この後どうかな?」と敦子に聞いた。

 敦子はいつもと同じように、そしてはっきりと「外で会うことはしたくない」と断った。すると彼は困った表情を浮かべながら、こう切り出した。

 「実は、妻とは別れようと思ってるんだ」

 「離婚、するんですか?」

 どうして?と思わず聞くと、彼は「ここでは話しにくい」と言い、駅へ向かう道すがら話すと言い、敦子を連れ出した。

 「半年前からなんだけど、顔を合わせたら喧嘩。何が気に入らないのかさっぱりわからないんだ」

 「話し合うとか、やり直したいという気持ちはないんですか?」

 「再三、話し合いをし続けてきたけど・・・もう限界なんだ」

 彼は寂しそうな表情をした。「付き合ってた頃や新婚当初は、お互いを尊重しあっていたのになぁ」と独り言のように呟いた。

 彼が離婚について悩んでいる最中に敦子に出会ってしまった。そして奥さんと敦子を比べ、どちらといるときが幸せなのか考えた結果、より一層、奥さん離婚を考えるようになったという。

 「でも、それはおかしくないですか?」

 「そうかな?俺はストレスを抱えて生きるよりも、ストレスを感じない生き方をしたいんだ」

 彼の身勝手な言い分に呆れ返るも、たしかに仕事でもストレスを感じ、家でもストレスを感じるなら、少しでも軽減できるように努力したいと思うのは仕方ないことだと思った。

 だからといって、敦子とすぐに付き合いたいと願う彼の気持ちには簡単に首を立てに振ることができなかった。

 だから、離婚についてはあなたの問題だと言い、自分との付き合いについては冷静に話したいと言い、彼から逃げるように駅とは反対側へ歩いていった。

 今は、とても冷静に考えなければいけない時期だということ、そしていかに難しい問題であるかを考えなければいけないと思ったからだ。


 翌日、早速同僚から昨日のことを質問された。どうやら敦子と彼が2人で帰宅しているところを見られたようで、それが『不倫』の第一歩と思われているようだった。

 敦子は同僚を部屋の隅へ連れて行き「離婚したいという相談を受けただけで、他にはなにもない」と、何一つ疚しい事はないと説明したが、同僚の表情は晴れやかにならなかった。

 どうやら、同僚達以外の人間も2人の関係について怪しんでいるそうだ。もいうこれ以上の言い訳や、言い分を続ければ今以上に怪しまれるので、しばらくの間は2人で話さないほうが言いと忠告を受けた。敦子はその忠告を最終警告だと感じ、彼との距離をしばらくとることにした。

 彼はと言えば、本当に離婚協議に入っているようで新しい部屋を探していることや慰謝料がかなりの額だという噂話で社内は持ちきりだった。

 そして時々、会社を早退することが多くなったのも、その噂を大きくする要因となった。何より衝撃的だったのは、離婚原因が敦子と付き合っているからという噂があることだった。

 これについては、本当にショックで同僚達も敦子が暗に何かしたわけではないということを、少なくとも理解しているような素振りではあるが、それでも時々コソコソと噂をしているのを見かけるようになった。


  ここは学校じゃないんだから、何を子供っぽいことしてるんだか。


 と、敦子はあきれ返り、いっそのことこのまま噂も何もかも傍観して成り行きを見守ろうと高を括ることにした。

 すると、あっという間に噂話は繁忙期の忙しさによって忙殺されてしまい、誰も敦子と彼のことを気にしなくなった。そして、何より敦子自身でも驚いたことは、いつの間にか彼と頻繁に会うようになっていたことだ。


 彼の情熱的なアプローチに根負けしたことは認めるが、自分自身もいつの間にか、休日や帰宅時に誘われるデートや食事を楽しむようになっていた。そして時々、敦子の部屋に彼が来るようにもなっていた。なおかつ、彼が家に帰らず泊まることもあった。「奥さんは1泊することは知っているのか?」と聞くと、彼は「男友達の家に泊まると言った」と言い訳を使い、離婚協議の不利にならないように十分に配慮していると説明した。それでも敦子は彼のことが心配になった。

 彼はずっと母親に可愛がられて育ってきたようで、一人では満足に買い物もできない。それが敦子の母性本能をくすぐり、洋服から美容院まですべて自分の知り合いや好みで揃えてあげるようになっていた。その彼の変化が奥さんにばれないように徹底的に彼との関係を隠し、そして徐々に愛情を育むようになっていた。

 そんな2人の関係が始まってから3ヶ月が過ぎた頃、離婚についてひとまず終息を向かえたという彼からの報告があった。

 「終息ってどういうこと?」

 「うん・・・結局、彼女の働き口が見つかるまでは、今の自宅で一緒に住むことになった」

 「そっか。たしかに突然、一人で社会に出て生きていくなんて不安だもんね」

 「うん、きちんと彼女が一人で生活できる基盤ができるまでは、まだ離婚届も出さずにいようってことになったよ」

 敦子は耳を疑った。『まだ離婚届は出さない』とはどういうことなんだろうか?それでも、敦子の気持ちを後戻りさせるには遅すぎた。

 すでに彼から離れることができなくなっていたのだ。納得いかないところは多々あるが、それもこれも彼の優しさからくるものだろうと良いように解釈し『わかった』と彼に告げて理解を示してしまったのだ。


 そして、気がつけば7年間も不倫関係を続けており、仕事帰りや奥さんのいない休日限定で会うことを繰り返していた。敦子はすでに彼のいる会社に居辛くなり、契約期間満了を良い機会に別会社への紹介派遣願いを届けた。そして、その新しい会社で亰と出会った。


 ● 2011年:7月頃(現代)

 

 「なんで、離婚しないって言った時に、ちゃんと断るとか怒ることをしなかったわけ?」

 私は全く彼女の気持ちや、彼の態度が理解できず首を傾げてしまった。敦子はもう笑うしかないという表情を浮かべて『若かったから』と呟き、そして俯いた。今まで私よりも恋愛については上手で勝ち組で、何もかも充実している人生の勝者だと意気揚々としていた彼女は、初めて目の前の彼氏もいないセカンド・バージン状態の私に、お説教されているという屈辱感と、己の不甲斐なさを責めてつくづく後悔して泣いているのだ。

 だからといって、優しい言葉をかけるつもりはなかった。彼女のまた、両親に甘やかされて育っている人間で、何か困ったことがあれば自分で何かを考えることはせずに人に全ての問題を放り投げて逃げようとする癖があるのを私は十分に熟知している。

 ここは、徹底的に自分のなかにある問題を掘り起こさせて、反省を促すことが大事だと思った。そして、これからについてどうするべきか自分自身で答えを出させることが大事だとも考えた。

 「たぶん、今ね。私の家に2人でいると思うの」

 「その、奥さんと彼氏が?」

 そうだと答えて、どうしよう?と私に尋ねた。「なんで家に2人を置いてきたの?」と聞きたかったが、あまりの意外な展開のおかげで残念ながら私には明確な答えは出せそうになかった。私には不倫の経験がないから、そんな修羅場にどう対処するべきなのか検討もつかない。

 そんな時、ふと母の事を思い出した。母もまた、不倫や略奪を繰り返しては飽きたら相手をことごとく嫌って吐き捨てては、次の男へのめり込んでいった。しかし、そのうちの1人が母よりも上手の人物だったときがあった。あの時、私たち家族はどう対処したのだろうかと思い返すことにした。


 ● 2003年:(20代前半)


 その男は、母が付き合ってきた男の中でも最低・最悪な人物だった。

 私と母の関係を完全に冷え切らせて、結果的に私が家を出るきっかけを作った男だ。

 私は今でも、その男と付き合っていた母親の性癖や尻軽さに呆れて救いようがないと感じている。

 男は浅黒くて、陰気な目をしていた。大柄で自分がルールブックと平気な顔で豪語し、自分が一番権力のある人間だと信じて疑わない。

 女は男の持ち物で、黙ってひれ伏して言われるがままに金を稼いで貢げばいい。そして見返りとして良い物を買ってやるという。

 私が言うのもなんだが、大人になりきれていない、人間にもなりきれていない男だった。母曰く、どこかの建設会社の社長だという。だが、肝心な勤め先の建設会社の名前を知らないというし、聞いても彼は一切教えてくれないが基盤のしっかりした会社なのだという。私は母のつめの甘さを心の中で笑った。

 結局は、どこでどんな仕事をしているか所在もほとんどはっきりしない信用し難い人間を好きだということだ。

 この男に関しては私たち3兄妹は一致団結して忌み嫌っていた。母親だけが、その男を好きでいた。忌み嫌っているおかげで、私はその男の名前を覚えていない。というか、母親から正式に紹介すらしてもらっていない。

 母親としては、紹介したつもりでいたようだが、実際に会うまでは、つい3週間前まで付き合っていた和歌山県に住む、とても気さくで優しい男性と付き合っていたものだと思っていたのだ。

 初めてその男が家に来たときに、母は事前に私達に相手の名前や今夜遊びに来ることを知らせていなかったことを思い出したようだ。なおかつ、前の男とは別れたことも話し忘れていて、私達もさすがに『誰?』という表情をしたので母はかなり動揺したようだ。それでも母は、自分の情けないところを新しい男に見せたくないからと必死で言い訳をしていた。


 「仕方ないの。亰はね…あの、精神的に病気なの。鬱病なの。あ、あと友子も人見知りでね」

 「だからって、わしの名前を知らんてどういうことや」

 「鬱病やから、突然人が来ると発作が起きたりとか・・・とにかく、薬飲んでるから仕方ないんよ。友子もそれで気を使ってね?ね?」

 「それでも、俺が買ってやった財布のこと。お礼ひとつもないぞ」


 男の最後の一言にはっとした。私も身に覚えがあるからだ。

 そして、母をみると、「何も知らない」という顔をして、必死で額の汗をぬぐっていた。男のことも妹のことも気にせずに大きな声で『この大嘘つき』と責めてやりたかった。

 それはある日、私へ「誕生日プレゼントだ」と珍しく母親が持ってきたあの財布のことだ。紫色の趣味の悪い色の財布だと、思わず「本当に私に?」と聞き返した。すると、母は「ブランド品でかなり高価なんだ」と、金額が二転三転する説明をかなり強調されてうけたのだ。


 男が「お礼もないぞ」と言っているが、私もそこまで子供ではない。母から男から「あんたにって渡された」と聞いたので、『その人にお礼を言いたい』と言うと、『忙しい人やから、電話は無理やねぇ。なかなか家にも呼ばれへんし。こんど会ったときに私から伝えておくわ。喜んでたって』と約束したはずだった。 ここでも母は私を陥れたのだと、とっさに悪い方向へ考えてしまった。単なる言い忘れなのかもしれないが、母は全く知らないフリをして、私を精神薬を常時服用している精神病患者と言い続けた。

 そんな男のおかげで、私は家を出る決心ができたし、今の幸せな一人暮らしができているのだ。ある意味では、きっかけを作ってくれた功労者ではないかとさえ思っている。


 そんな男の化けの皮がとうとう剥がれ落ちるときがきた。

 仕事帰りに、私は敦子を含め4人で夕食を楽しんでいたときのことだった。突然母から連絡が入り、何事かと尋ねると、開口一番『ずっとあの男にだまされていた』と泣きながら訴えてきたのだ。

 「何を今更言い出すんだ。今に始まったことじゃないだろう?」と思いながら話を聞いていると、母は「殺されるかもしれない」と、突然有り得ない事を口にした。

 「今からあの人、うちに来るかも知れへんねん」

 「居留守使うとか、近所に従妹の叔母さんいるやん。とりあえず匿ってもらっうとか。私に長電話するよりも、まず身の安全を考えてよ?」

 すでに家を出て1人暮らしをしていた私は、母や妹が何処に住んでいるのか知らなかったが、風の噂では従妹の家の近くに移り住んでいるということを聞いていた。だったら避難場所として匿ってもらうようにできないかと説得した。

 「でも、友ちゃんがまだ帰ってきてないんよ」

 「連絡は?友子に連絡はしたんか?」

『何言ってるの?それどころじゃないでしょ』と、急に叫ぶ母。

 子供の立場からすれば、親としてもう少し冷静に考えるべきではないかと思っていた。「とにかく連絡して、家に帰らないように言っておくほうが良い」と伝えて、現状をしっかりと話すようにと釘を刺した。すると「わかった。じゃあ連絡してみる」と言い電話は突然切れた。

 「気が済んだから切ったのか。さすがマイペースだな」と思った。こちらを散々巻き込んでおいて、気が済むと電話を切るか姿を晦ませる。友人に理由を話して、携帯をテーブルの上においてマナーモードを解除した。


 数分後、母からの連絡があった。そして、驚愕の提案をされた。

 「今から、あんたの家に妹と犬2匹、連れて行くから。」

 「は?今、友達とご飯食べてるねんけど?」

 「でもお母さん、怖いから今から保護シェルターに入るし。あの子の面倒なんてみれへんよ」

 「友は?今、どこにいるの?」

 「あんたの家に向かってもらってる。もうすぐ着くんちゃうかな?」

思わず「ちょっと待ってよ」と声を荒げた。すると、敦子を含めた3人が驚いた表情で私を見た。大きな声で、怒りながら話すところを見たことがなかったので驚いたと、敦子が後から面白おかしく話してくれた。 

 「だから、職場近くでご飯食べてるねんけど?急にそれはないんとちゃう?」

 「でも仕方ないやん。あんたはそっちで楽しく暮らしてるんやろうけど、お母さんは大変やねん。それにあんたと違って死にたくないもん。あんた、変わりにあの男の相手してくれるんか?一回くらい寝たら気が済むかも知れへんけどね」

 「今、何て言ったん?」

 「お母さん、自分の事で精一杯やから。わかるやろ?あんたらのことなんて考えるわけないやろ?あんたがあの男を足止めしといてくれたら、その間に私は安全なところに避難できるねんで?」

 その言葉を聞いて、私は怒り言葉や悲しみの言葉も出なかった。そのまま何を言わずに電話を切った。

 そして、こんな母親のもとに生まれた自分の人生を恨みがましく思い涙があふれた。

 すると敦子は何も言わずにハンカチを手渡してくれた。「落ち着くまで傍にいるから」と声をかけてくれた。私は友人たちに泣きながら「ありがとう」と伝えた。

 それにしても、自分の娘の体を引き渡して自分は逃げるのが母親として正しい選択なのだろうかと思った。

 私はすぐに妹に連絡して、「今何処にいるのか?」と聞いた。

 妹は「え?」と少し戸惑ったものの、今までの経緯を説明してくれた。

 「お母さんに言われたとおり、お兄ちゃんに迎えに来てもらって、今から京ちゃんの家に向かってるで。今日から2日くらい、泊めてくれるって聞いたし」

 「そんなこと、一言も言ってないけど?」

 「え?…ああ、またあの人の嘘か」

 「悪いけど、家に着くまで1時間は掛かるから」

 「わかった。ごめんね、いっつもいっつも…」

 妹が私に謝った。元はと言えば母の素行が原因のことなのに、なぜ妹や周りの人間が謝りに回るのか、事態の収拾に走り回らなければいけないのか。そのことが余計に悲しくて涙が止まらなかった。敦子は何もいわずに肩を抱いて、頭を優しく撫でてくれたが、相手が誰であれ私はそれだけで嬉しかった。

 こういうとき、人は何か言葉をかけなければと必死になって色んなことを話す人が多いが、私は全くその逆で、何も言わずに傍にいてさえくれればそれだけで勇気と希望が湧いてくる。友人たちに事情を説明し、せっかくの食事会を途中退席して帰宅した。


 私の家は駅から15分ほど歩いた場所にあり、街灯はあるものの帰り道は薄暗い雰囲気だし、アパートも決して綺麗ではなかった。夜の10時頃にようやく家に到着した。マンション入り口のセキュリティ・ロックの解除方法を知らなかった妹は暗がりの中、2匹の犬を連れて生垣に腰掛けて待っていた。その姿を見て再び泣きそうになるのを必死で堪えながら妹に声をかけた。妹は私に気づき、「お世話になります」と頭を下げた。 

 この場に何故、母親がおらず、たった一人で暗闇の中にいたのか理由を聞く気になれなかった。聞かなくともその答えは分かっているからだ。

 「明日、友達と遊びに行きたいねん」

 「友達?」

 「うん、久しぶりに会うねん」

 「そうか」と言いながら部屋に入り、お互いに入浴を済ませてから、妹に明日の予定を聞くと嬉しそうにそう話し始めた。何でも高校時代の友達に久しぶりに会うというのだ。前々から約束していたそうで、ようやく休日が重なったので、出かけようという話をしていたというのだ。

 私も実は友人と食事をする約束があったのだが、その友人は高校時代からの友人で私の家族の事情をよく知っている人物だ。事情を説明すれば何とか宅呑みで許してくれそうだと思った。


 だから妹の願いを渋々聞き入れるが、その代わりに犬の散歩は責任をもってやるようにと忠告した。妹は「もちろんだ」と言い、すこしだの間お世話になるがめんどうはかけないと言った。そして急に真顔になると「本当にありがとう」とお礼を言った。


 後日、母の姉・飛田さんから事実を聞かされたとき、あまりの馬鹿話に鼻で笑ってしまった。

 母が長年付き合っていたあの男は、実は既婚者だったというのだ。

 そして、男に飢えている母を知り共通の友人を介して知り合い、母やその友人には自分はバツイチであると説明していたようだ。

 付き合ってからは、病院勤めである母の口利きで診療代を割り引いてもらったり、時には母に負担させていたそうだった。

 何より、驚いたことはあの男の2人の子供だった。その2人もまた男の共犯者で、母が家に遊びに来ると知っている日は、偶然を装い帰宅しては『頼りない父ですが、どうぞよろしくお願いします』と、とても丁寧な挨拶をしていたというのだ。

 そして、『新しいお母さんが若くて綺麗で嬉しい』というお世辞まで言っていたようで、母もそれを聞いて上機嫌になっていたようだ。おかげでまんまと騙されていることや、彼らのおかしな挙動なんて一切気が付くことができなかったそうだ。

 その後、一度は喧嘩のすえに別れたものの、何かと病院の世話や食事、金の世話などを献身的にしてくれた母を手放すのは惜しいと思ったようだ。

 それに優しい言葉をかければコロリと相手を変えてしまう母は、離婚した父から金を借りて遊び歩く行為も平気でやってのける「金づる」なのだ。

 こんな女はすぐに捨てるには惜しいと考えて、何度も自宅へ通いつめては「よりを戻そう」と花束を贈りつけたり色々な演出をしていた。

 その演出が功を奏し、結局よりを戻したが母の目を少しずつ開けさせるきっかけを与えたのは、母にその男を紹介した女性の助言だった。


 その女性が助言した当初は『あんなに素敵な人を私にとられたから、焼きもちをやいているんだろう』などと母は笑い飛ばしたり、職場中に彼女の悪口を言い触らしては「彼女の焼き餅には困っている」と話を全く聞かなかった。しかし、友人の根強い説得から男を怪しむようになったのだ。

 母は母なりに、徐々に怪しいところがあると感じていたようで、少し試してみようと、 またまたドラマのセリフによく出てくる『これ以上、あなたの重荷にはなりたくない。別れましょう』と別れを切り出し、相手の反応をみようと思ったそうだ。

 彼女の頭の中での展開は、抱えきれないほどのバラの花束を母へ送ってきて、花束の中にダイヤのリングとメッセージが仕込まれていて『君なしでは生きていけない』とかなんとか言ってほしかったそうだ。しかし、現実はまったく想像できないほうへ動いた。母が別れを切りだしたとたんに、それまで優しかった男の態度が豹変した。

 「ふざけるな。今まで良い思いをさせてやったのに」と言い捨て、部屋を出て行った。

 その別れ話から数時間後、なんと男は正妻を引き連れて母の元へやってきたのだ。母は訳が分からず、ただただ困惑していた。

 そして、正妻に言われたのが、「うちの夫をたぶらかした慰謝料を払いなさい」という一言だった。

 母は仰天し、どうして良いのかわからず、罵詈雑言を履き続ける男と正妻の話を無視して兄へ連絡した。兄は事態が全く読み込めず、とにかく家に行くと言い、急いで母の元へ向かった。


 兄が自宅へついたころには、男も正妻を姿を消しており、母の話が果たして本当なのか嘘なのか全く検討がつかない状態だった。ただ、部屋中に争った後があり、隣の住人が心配そうに顔をのぞかせて、『お母さん、一人にしておくと大変だよ』と言ったという。

 どうやら、事態の異変に気づき、警察へ通報してくれたそうだった。警察も駆けつけていたものの、当の本人たちがいないために状況の確認だけをして『ただの痴話げんかに警察呼ぶなよ』という表情をして帰ったそうだ。


 それからすぐに、母はその家を出て新しい部屋へ移ったそうだ。引越費用は私の実父も半分負担した。そして従妹の飛田さんも負担してくれたそうだ。

 母や妹の勤務地から離れすぎてはいけないと、通勤時間は少し長くなったものの、高槻市内で誰にも住所を伝えずに引越しをした。母はこれをきっかけに転職もしている。看護師の免許はかなりの効力を持っていて、すぐに就職先が見つかった。もともと母は仕事熱心なほうなので、すぐにその仕事に対する情熱や誠実な態度で周囲から認められたそうだ。


 しかし、そんな新しい生活も長く続かなかった。

 前の職場に男がふらりと尋ねてきて、母の忘れ物を引き取りにきたと言ったそうだ。

 もちろん、母には忘れ物なんてなかったので、職員は『そんなものはない』と答えた。すると、たまたま男の顔見知りの看護師で母の友人がその場に居合わせてしまい彼に捕まったのだという。

 再三にわたって母の居所について問い詰められて、最終的に町名までを吐いてしまったそうだ。そこからはすぐに母たちの居場所と勤務先が見つかってしまったそうだ。

 そして毎日毎日、玄関のドアを激しく叩き、出て来いと叫ぶ。挙句に近所中に母の悪口の書いた手紙を投函していく。

 ここで母は、兄と飛田さんに助けを求めた。自分ではどうしようもない、警察も注意しかできない。匿ってほしいと連絡してきたのだという。それから後は、私宛の身勝手な電話と妹が家の前で待っていたという経緯にいたるそうだ。


 あれだけ私に「あんたよりもあの人のほうが頼りになる。信用できる唯一の人なのよ」と昏々と恨めしい目つきで言い続けていた結果がこれだ。

 正直、「ざまぁみろ」という気持ちと、「いつ出ていくの」という執拗な言動や追い出そうとする行動に私の堪忍袋の緒はグチャグチャに千切れていた。

 私は妹に「あんたの母親とは会いたくないから。帰るときは自分一人で帰ってね」と告げた。

 妹は無言で頷いて、自分の愛すべき犬を撫でていたことを覚えている。

 そして「それでも私たちの母親やねんな」と悲しげな声が聞こえた。きっと、妹なりの母に対しての気持ちの表れなんだろう。私は独りで暮らしていくことができるが、妹はそれができない寂しがり屋だ。

 だから、嫌でも母と一緒にいる事になる。それが悔しくて切なくて仕方ないのかもしれない。私は妹の呟きを聞こえないふりをしてやり過ごした。

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