白虎の影
静かな日々は、長く続かなかった。
療養生活が終わりに近づくにつれて、胸の奥のざわつきは大きくなっていった。
隊舎の廊下を歩く。
訓練場の音が聞こえる。
木刀の音。銃声。
神紋の光。
私は立ち止まった。
中に入れなかった。
自分だけが違う世界にいるみたいだった。
⸻
その日、廊下で副隊長とすれ違った。
「怪我はもういいの?」
「はい」
短い会話。
せなは立ち止まらなかった。
でも、すぐに言った。
「ねえ」
振り向く。
「いつまでここにいるつもり?」
胸が止まる。
「え……?」
「神紋もないのに」
言葉が出ない。
「隊長が優しいからって、甘えていい理由にはならないでしょう」
何も言い返せなかった。
「あなた、戦えないのよ」
静かな声だった。
「神選組は、遊び場じゃない」
心臓が痛い。
全部、分かっていることだった。
⸻
その夜、眠れなかった。
隊舎の屋根の上で風が鳴っている。
ここにいていいのか分からない。
隊長の言葉を思い出す。
“ここにいていい”
でも、それに甘えているだけじゃないのか。
私は戦えない。
神紋もない。
守られてばかり。
――それなのに。
⸻
気づいたら、外に出ていた。
夜の坂を下る。
足が止まらない。
行き先は分かっていた。
鴨川。
最初に見つけられた場所。
すべてが始まった場所。
夜の川は静かだった。
水の音だけが響く。
私は川辺に座り込んだ。
「……やっぱり、ここなんだ」
小さく呟く。
ここから始まって、ここに戻ってきた。
私は変われていない。
その時、背後で足音がした。
「やっぱり来たのね」
振り向く。
副隊長だった。
「あなた、逃げると思った」
胸が凍る。
「違います」
「同じよ」
静かな声。
「ここにいても苦しい。戻っても苦しい」
目を逸らせなかった。
「だったら」
せなが続ける。
「答えを出しなさい」
夜の鴨川に風が吹いた。
静かな水面が揺れる。
私の居場所が、揺らいでいた。




