牙の試練
出動準備の音は、いつも少し早い。
金属の触れる音。足音。短い会話。
隊舎の空気が静かに張り詰めていく。
私は廊下の端に立って、その様子を見ていた。
何をすればいいのか分からないまま。
隊員たちはそれぞれ武器を取っている。
刀。槍。薙刀。短刀。
袖の下には神紋。
――私以外。
「かのん」
振り向くと白瀧隊長がいた。
コートの下にホルスター。二丁の拳銃。
「準備はいい?」
「……はい」
嘘だった。準備なんてできていない。
隊長は小さく頷く。
「今日は小規模反応だよ。無理はしなくていい」
少し微笑む。
「僕のそばにいよう」
「はい」
それだけで呼吸が少し楽になる。
⸻
目的地は出町柳の河川敷。
鴨川と高野川の合流地点。
神禍が現れやすい境界。
昼の河川敷は穏やかだった。
犬の散歩。学生。自転車。
ここに“あれ”が出るなんて、誰も思わない。
「一般人の避難は完了」
隊員の声。
「反応一体。小規模」
「ありがとう。始めようか」
隊長の声は穏やかだった。
⸻
空気が変わる。
水面が揺れる。風はないのに。
黒が滲む。
墨を水に落としたみたいに。
鹿の形。人の形。
輪郭がぼやけている。
目だけが虚ろに浮かぶ。
「……神禍」
声が震える。
「大丈夫。ここにいるよ」
隊長の声が背中に触れる。
⸻
戦闘は一瞬だった。
隊士が踏み込む。槍が突く。刀が走る。
神紋が光る。
神禍が裂ける。
乾いた音。
パン。パン。
隊長の銃声。
神禍が崩れる。
終わった。
⸻
私は動けなかった。
手が震えている。
「……怖かった?」
「はい」
声が震える。
「私、何もできませんでした」
少しの沈黙。
責められると思った。
「今日はそれでいい」
顔を上げる。
「逃げなかった」
優しい声。
「それだけで十分だよ」
涙が出そうになる。
でも胸は重かった。
私は戦えない。
神紋もない。
それなのにここにいる。
その事実が、胸を締め付けた。




