第9話:小さな商家が交渉の席につく日
原価が上がり、利益が薄くなった翌日。
父はめずらしく自分から言い出した。
「なぁカイ……今日、一緒に来てくれないか?」
「うん、行くよ」
父の表情には不安が混じっていたけれど、その奥に小さな決意も見えた。
このままではダメだと、ちゃんと理解している顔だった。
馬車に揺られながら、父はそわそわと手を動かしていた。
「仕入れ値がまた上がったら……どうしような……」
「そのために来たんでしょ。状況を見て、次の手を考えるだけだよ」
「そ、そうだな……よし……!」
薬師さんの店に着くと、いつものように乾いた薬草の香りが風に乗って流れてきた。
店内には客が数人いて、いつもより賑やかだ。
「やあ、来たか。昨日の分、全部売れたんだって?」
薬師さんがにこにこしながら出迎えてくれた。
「はい、おかげさまで……!」
父は頭を下げる。
しかし、すぐに言葉を詰まらせた。
「え、ええと……今日なんですが……仕入れ値って……」
「上がってるよ」
薬師さんはあっさり言った。
「街の外から買い付けが増えてね。向こうの商会が量を押さえてるらしい。困ったものだ」
父の肩が一気に落ちる。
(これは……もうたまたまじゃないね)
供給が不安定になっている。
このままの形で商売を続けるのは厳しい。
すると――。
「ねぇ、あなたたち。昨日の薬草を買った冒険者から話を聞いたんだけど」
店の奥から、冒険者らしい女性が現れた。
落ち着いた雰囲気の人で、装備も上質だ。
「あなたたちの薬草って、質が良いのね。定期的に買いたいんだけど、お願いできる?」
「て、定期的に!?」
父の声が裏返った。
「ええ。毎週か隔週くらいでいいわ。でも安定して供給してくれるところって、なかなかないのよ。あなたたちができるなら、ぜひお願いしたいの」
(定期購入……!)
売上が安定するうえ、計画も立てやすくなる。
ただし、供給が不安定な今の状況では、無責任に引き受けるわけにはいかない。
父が困ったように視線を向けてきたので、私は一歩前に出た。
「できますよ。ただし――」
女性が眉を上げる。
「ただし?」
「仕入れ値が毎回変わると、こちらの利益が安定しません。なので、薬師さんと“卸値を固定する契約”が必要です」
一瞬、店の空気が静かになった。
薬師さんはぽかんと口を開けた。
「お、お前さん……いくつだ?」
「三歳」
「三歳が言うことじゃないぞそれは……!」
父も母もいないのに、店全体がざわついた。
しかし、私は続けた。
「薬師さんも、原価が上がって困っているんですよね。だったら固定契約にすれば、こちらも継続的に仕入れられるし、薬師さんも売れる先が増えて安心できます」
薬師さんは腕を組み、しばらく考えこんだ。
「……なるほど。確かに、安定して買ってくれる先があるのは助かる。問題は、固定した値段でこちらが損をしないかどうかだが……」
「量と期間を決めましょう。その範囲であれば、固定の卸値にするという形で」
「量と期間……」
薬師さんはゆっくり頷いた。
「悪くない。むしろ、商会の買い占めで不安定な今だからこそ、こういう契約が必要かもしれないな」
「というわけで、薬師さん。話し合いましょうか」
薬師さんは笑った。
「三歳児に交渉されるとは思わなかったよ。よし、お父さんも座りなさい」
「は、はいっ!」
父は緊張で背筋をぴんと伸ばし、私の隣に座った。
こうして――。
小さな商家が、初めて“商取引の交渉の席”についた。
父の顔は緊張で引きつっていたけれど、どこか誇らしげでもあった。
(大丈夫。これは小さな一歩じゃなく、大きな前進だよ)
そしてこの契約が、後に我が家に大きな変化をもたらすことになる。




