第2話:小さな商家の小さな資本
生まれてから数年。
私はようやく自分の足で安定して歩けるようになっていた。
行商人の家は忙しい。
歩けるようになれば、それだけで立派な戦力だ。
荷物を運んだり、母の手伝いをしたり、父が帳簿と格闘している横で「そこ、数字違うよ」と小声で指摘したり。
「カイ、お前……またどこかで聞いてきたのか? 前に教えた式とは違ったと思うんだが」
「うん。でも、その式だと利益が出てるように見えるけど、実際は出てないよ」
「出てないのか……出てないのかぁ……」
父が二度同じことを繰り返すときは、大体ショックを受けている時だ。
私はそっと背中を撫でた。
小さくても、慰めるぐらいはできる。
我が家の台所事情は相変わらず苦しい。
行商は安定しない。
運が良ければ儲かるし、悪ければ赤字のまま帰ってくる。
馬が足を痛めた時なんて、一ヶ月分の収入がそっくりそのまま治療費に消えていった。
(これじゃあ将来に投資どころか、今が崩れちゃう)
だが、逆に言えばチャンスでもある。
小さな商家だからこそ、変化に柔軟に対応できる。
「ねえ父さん。仕入れを少しだけ変えるのはどう?」
「変えるって……どこを?」
「全部」
「ぜ、全部!?」
父が見事なほど固まった。
母が台所の奥で小さく笑う。
「カイは昔から妙に思い切りがいいねぇ」
昔から、という言い方はどうかと思う。
転生してから数年なのだから。
「だって、今の仕入れだと危なっかしいよ。売れたとしても利益が小さいし、売れなかった時の負担も大きい。もっと回転が速くて、軽くて、扱いやすいものがいいと思う」
「そんな都合のいい商品が……あるのか?」
「あるよ」
私は馬車の端に置いてあった袋を指さした。
中に入っているのは――乾燥した薬草だ。
「これ、仕入れて干しておけば長持ちするし、薬師や冒険者が使うから需要も安定してる。値段も手頃だし、持ち運びも軽いよ」
「……確かに。だが、儲かるのか?」
「少なくとも赤字にはなりにくいよ」
父がしばらく考え込んでから、ぽつりと呟いた。
「お前、本当に行商人の息子なんだよな?」
「うん。たぶん」
たぶん、という返事に父が苦笑する。
でも、これが最初の一歩だ。
小さな改善でも、積み重なれば未来は変わる。
(ファンドを作るには、まず信頼が必要だ。家族から始めて、親戚、地域へ……段階を踏まないと)
私は小さな拳をぎゅっと握る。
「ねえ父さん。今の家計って、どれぐらい余裕があるの?」
「余裕? そんなものは……」
父は天井を見上げ、しばらく黙った。それから、微妙な笑みを浮かべて言う。
「まあ、気持ちだけは余裕があるさ」
「気持ちは計算に入らないよ」
「現実的だなぁ、お前は!」
父が頭を抱える横で、母がくすりと笑った。
でも――それでいい。
現実的じゃないと、投資は失敗する。
(まずはこの家を黒字にしよう。この世界の最初の『利回り』は、ここからだ)
小さな商家の小さな資本。
けれど、世界を救う道はこういう小さな積み重ねから始まるのだ。




