日本という名の外国
夏が、静かに音を立てて近づいていた。
セミの声はまだ本気を出しておらず、代わりに朝の風がカーテンをふわりと持ち上げて、高岩の寝起きの目元に柔らかな光を運んでくる。
「今日も、晴れか。」
白いリネンの布団の上で寝返りを打ちながら、高岩はカーテンの隙間から差し込む陽射しに目を細めた。
時刻は午前6時。
台所では京花が朝食の支度をしていた。
「とうもろこしと玉ねぎの味噌汁。夏らしいでしょ〜。」
「うん、うまそう。」
「顔が深刻だなぁ。今日はなにかあるの?」
京花に聞かれ、洋平は肩を竦めた。
「最近、学校でも日本って国が、なんだか外国になってきてるって感じることが増えてさ。」
「また哲学的なこと言ってる。」
「いや、ほんとに。たとえばさ……朝の通勤途中で見かけるんだよ。観光客。円安で日本が安い国になって団体が爆買いして、歩きタバコでゴミを捨てて、並んでる店に割り込んで、この前は女子生徒が駅で肩に手を無理やり抱かれて泣いていたんだ。」
京花の手が止まった。
「先生として見過ごせないね。」
「そうなんだ。生徒は誰に言えばいいかも分からない。警察も外国人だからって注意するだけで終わる。差別はだめだと教えてきたけど、それ以前にルールを守らせる力がない。」
京花は静かに味噌汁をよそいながら呟いた。
「日本はゆるすことで成り立ってる国なのかもね。でもそれって、無関心とは違うのかな?」
洋平は味噌汁をすすった。
やさしい甘みの中に、確かにどこか、ひっかかる味がした。
―――
職員会議後、校舎の廊下で副担任の駒沢とすれ違った。
「ちょっといいかな?」と声をかけると、彼女は「もちろん」と頷いた。
二人で空き教室に入り、窓を開けると、じわりと夏の空気が入り込む。
「今日、うちの生徒がまた泣いてたんです。駅で外国人に絡まれて。」
「また?先週も生徒が知らない人にスマホで撮られて、駅員に言っても、注意しときますで終わったんだ。」
「日本は観光立国って叫んでるけどさ、住んでる子どもたちが、犠牲になってるって誰も気にしてないんだよな。」
駒沢は黙っていたが、その目は怒りと悔しさで滲んでいた。
「外国人を憎んでるわけじゃない。ただ、守られてるのは誰なの?って問いが残るだけ。」
「私達は教師だけど…こういう現実って授業では教えないことばかりなんデスよね。」
「そうだね。生徒と一緒に学び直すしかないと思ってた。誤解と衝突を起こす前に、ちゃんと知って、向き合って、ルールの中で共存できる方法を探さないとな...。」
高岩は、机の上に広げたノートに何かを書き込んだ。
「たとえば観光税の一部を教育機関に回すとか、訪日者向けのルール周知プログラムとか。もう迷惑行為がニュースにならない時代なんだ。規制も罰則もゆるいまま。水源地の買収。 外資系企業がどんどん買ってる。規制は努力義務。しかも自治体任せ。なんなんだこれは。」
「うちの商店街も外国資本に買われて、近くの和菓子屋が今月で閉めるんです。老舗が潰れて、マナーも価値観も違う店ばっかになっていきそうで怖いです。」
「生徒たちは、この夏休み、そんな知らない日本とぶつかることになる。だから、この一週間が勝負だ。」
「わかりました。うちらクラスで、ちゃんと話す場を作るってことですね?」
―――
夕方5時半。
定食屋「ありがとう」。
「今日は、少し目が冷める味がいいなぁ。」
高岩のひと言に南條は頷き厨房の奥で何かを取り出した。
「今日の高岩先生、目が燃えてるね〜。」
そう言って水を注ぐ中川の声も今日は少し静かだった。
その隣の席では、3年3組の柏木が静かに新聞を読んでいた。
「今朝の一面、見た? 北海道の水源、また外資が買収。しかも観光開発名義。」
「それな。まったく、法規制ないも同然だろ。」
「うちの生徒、ニュース見て、日本って外国に似てきたって言ってたよ。皮肉だよな〜。」
高岩は頷いた。
「日本という名の外国ってわけだ...。」
言葉の温度が、熱かった。
―――
その日の3年2組は、異様な空気に包まれていた。
きっかけは、朝のHR前の休み時間。
青木凛が机に顔を伏せたまま震えていた。
周囲の数人の女子生徒が寄り添っていたが、誰も声を出せずにいた。
「どうしたんだ? 」
教室に入ってきた高岩がその様子に気づいた瞬間、誰かが呟いた。
「駅で外国人に絡まれたって。」
その言葉をきっかけに、噴き出すようにクラスのあちこちから「私も」「うちも昨日!」と、声が上がり始めた。
「駅で外国人にスマホ向けられてさ、スカートの中撮られそうになったんだよ!」
「コンビニの前で、友達が腕掴まれた。何語か分かんないけど、アイラブユーって叫ばれて...。」
「こっちは普通に歩いてただけなのに、写真撮らせてって、カメラ構えて近づいてくるんだよ。逃げたらノー!ノー!って追いかけてくる。まじで恐怖!」
女子だけではなかった。
「うちの家、隣が最近ゲストハウスになってさ。毎晩ベランダで騒がれて、酒の瓶がうちの庭に投げ込まれてんだよ?」
「俺んちの近くの公園、外国人観光客が集まってバーベキューやって炭そのまま置いて帰てさー。火事寸前だったよ。」
次々に飛び出す被害報告。
「私のバイト先の飲食店、英語通じないからって怒鳴られた。トイレに籠った泣いたよ。」
「うちの弟、英語わかんないのに道聞かれて、答えられなかったらstupidって笑われたんだよ。悔しくてたまらんかったよ。」
駒沢が教室に入ってきたときには、その場にいたほぼ全員の顔が怒りと不安にこわばっていた。
「ちょっと…。どういう状況?」
高岩は目配せし、彼女を黒板前へ誘導した。
そして静かに全員に言った。
「日本という名の外国。それが今の日本の現実なのかもな。」
ざわつきが止まり、空気が張りつめる。
「俺は、ここが日本だと思って教師をしてきた。だが今、生徒が怖がって、怒って、泣いて、それでも何も変わらない。
ゴミを捨てられても、唾を吐かれても、土地を買い漁られても、何ひとつ、止められない。ここはもう、日本じゃない。日本という名前のついた、別の国に成り果ててる。」
高岩のその言葉に、教室中の誰もが静かになった。
「声を上げることを差別とすり替えられる今の風潮に、先生は正直、怒ってる。君たちは被害者だ。それを隠すな。恐怖を口に出していい。怒っていい。ただし、それを無知や偏見にすり替えないこと。事実を見るんだ。現実と向き合うんだ。」
駒沢が静かに教壇に立った。
「現実にあったことを、なかったことにはしません。」
生徒たちは、一人また一人と、怒りや悲しみ、悔しさを吐き出していった。
「父の会社が外資に買われた」
「祖父の水田が囲われた」
「日本の山が勝手に外国語の看板で埋め尽くされた」
「もう、これ日本じゃないよ…。」
呟いたのは、普段は口数の少ない大野琴音だ。
「その通り。」高岩が言った。
「だから君たちは、日本を取り戻す側に立たねばならない。」
―――
高岩は帰宅後、リビングのエアコンをつけ、温度設定を26度に保った。
茉莉花との花梨は、それぞれお気に入りのクッションの上で涼しげに眠っている。
京花は、テーブルの上に冷たいおかずを数品並べていた。枝豆と焼きなすの和え物、冷しゃぶに柚子ポン酢をかけたもの、そしてとうもろこしご飯の小さなおにぎり。
「行ってくるね〜。留守番よろしく!」
「うん。気をつけて」
京花が出て行った玄関の扉の音を聞き、高岩は静かにため息をついた。
ニュースでは「過去最高の訪日外国人数」と報じていた。
その言葉が、どうしても祝いの言葉には聞こえなかった。
守りたいのは、数字じゃなくて人。
胸の中でそう繰り返しながら、彼は冷えたグラスに水を注いだ。
―――
通学路のいつもの駅前。
制服姿の中村真奈美が、スマホで音楽を聞きながら歩いていたとき、
「Photo! Photo please!」
外国人の男が2人、観光客用の大きなカメラとスマホを持って、突然真奈美の前に立ち塞がった。道を塞がれた彼女が困ったように一歩下がると、男の一人が腕を伸ばして彼女の顔のすぐ横にスマホを差し出す。
パシャッ。
フラッシュが光った。
「やめてください!」
真奈美が英語で抗議しようとしたその瞬間、男たちは笑いながら何かを言い合い、SNSらしき画面に写真をアップロードし始めた。
「Japanese schoolgirl! So cute!」
画面に映った彼女の顔と制服。
背景には、駅の看板がくっきり映り込んでいた。
その投稿は、翌朝には1万リツイートを超えていた。
真奈美は、その日から教室に顔を出さなくなった。
―――
「こ、これで、何もできないって言うの?」
職員室。
駒沢が目の前の机を拳で叩いた。
書類が一枚、机から滑り落ちた。
「駒沢先生、落ち着て。その件については通報はした。でも警察は、撮影された側に身体的接触がなく、公共の場での撮影は違法とまでは言えないということだ。」
「じゃあ何ですか? 無断で写真撮られて性的な文言で拡散されても笑われて終わり?泣き寝入り!?」
その言葉に室内が静まり返る。
東海林教頭が書類から目を離さず冷静に言った。
「感情的になるのは分かるわ。ただ、学校として外国人が加害者という前提で対応すると、政治的な配慮や保護者、地域からの反発が…」
「守るべきは、地域の顔色じゃないですよね?」
高岩が、静かに、しかし強い声で言った。
「私は教師です。あの子を守れなかった。それが、すべてです。」
―――
昼休み。
3年2組の教室は、異様な空気に包まれていた。
「ネットに載ってた。真奈美のこと。もう外国人のコメントで溢れてた。彼女は商品ですか?だって!」
「なんであたしら、ただ歩いてただけで商品にされなきゃいけないの?」
怒りと困惑、そして諦め。
そのとき、啓太がぽつりと口を開いた。
「でもさ、外国行った日本人も、似たようなことしてんじゃない? 海外の子ども撮ったり、屋台の人勝手に撮ったり。どっちもどっちじゃないの?」
教室の空気が一気に冷える。
「それは違くない?」
大野琴音が立ち上がった。
「どっちもどっちって言うけど、うちら襲われてんだよ。
無断で顔晒されて、変な翻訳付きで全世界に拡散されてんだけど?それが同じって言える?」
啓太は言葉に詰まる。
「文化の違いとか、表現の自由とか、そういう言葉で押し潰して、何も感じないふりして。あんたは、自分の妹が同じことされても、どっちもどっちって言えるの?」
教室は、凍りついたように静かだった。
―――
職員会議。
議題は、「生徒の安全と国際理解教育の在り方」。
「すでに一部の保護者から、差別的な発言があったのではないかという問い合わせが入ってます。」
東海林の一言に、湯川が頷く。
「生徒の不安は分かるが、感情的になりすぎれば、ヘイトと捉えられかねません。」
高岩は耐えかねたように立ち上がる。
「生徒たちは心で泣いてます。恐怖で学校に来られない子もいる。正当に心底、怒っているんです。それを感情的って言葉だけで切り捨てるおつもりですか?」
誰も答えない。
根岸校長だけが静かに目を閉じたまま呟いた。
「本来、お客様ではないんだ。我々も、彼らも。共に暮らす人間だったはずなんだ。」
―――
帰宅後。
高岩は部屋の床に座り込んでいた。
茉莉花と花梨が寄り添ってくる。
冷房の効いた部屋の中で、扇風機の音だけが回っている。
静かすぎる。
あの教室の怒りと震えがまだ耳に残っていた。
怒ったら差別。
何もしなければ被害者。
俺たちは何者なんだよ。
思わず拳を握る。
多様性は誰かが我慢している限り、成立しない。
―――
翌朝。
生徒たちは昨日の教室とはまるで違う顔で登校してきた。
まなざしは鋭く、笑い声もなく、スマホを見る者はほとんどいない。
空気が変わっていた。
―――
職員室。
「中村真奈美、今日も休みですね。」
「当然でしょう。」
高岩は即答した。
「写真を晒され、勝手に商品扱いされて、それでも我慢して。本人は相当、怖い思いを今でもしてるはずです。」
「だからこそ、落とし所を考えないとですね。」
湯川の言葉に黒崎がうなずいた。
「この件をきっかけに、外国人を悪く言う風潮が生徒間に広がってる。あいつも危なそうとか、外人の近くは避けろとか。」
「どちらも現実です。」
高岩は睨む。
「偏見はダメ。警戒もダメ。って言われたらどうやって身を守るんですかね? 生徒たちは目の前で起きてる現実に、もう教育的な答えなんて求めてないですよ。自分を守れる答えを大人たちに求めてるのを、まず理解してください。」
しばらく黙っていた教頭の東海林が、そっと眼鏡を外した。
「昔、私の娘がね、中学生のとき、駅で外国人に声をかけられたことがあるんです。英語で話しかけられて、逃げたの。相手は笑いながら後ろをついてきたそうです。家に帰ってきて、泣きながらシャワーを浴びていました。理由を聞いたら、怖いのに、差別って思われたくなかったって言ったのを私は今でも忘れられません。」
職員室が静まり返った。
「あのとき私は、気にしすぎじゃないの?って言ってしまったの。今思えば、娘が欲しかった言葉は、怖かったと訴える勇気を誰かに認めてもらう言葉だったんでしょうね。」
東海林はゆっくりと書類を閉じた。
「現場ができることは限られています。それでも、私は教師である前に、大人であり、親です。誰かの恐怖や不安を政治的配慮で黙殺することに、もう慣れたくない。これが私の本心です。」
「余計なことを話しましたね。これはオフレコでお願いしますね。」
―――
3年2組、1時間目。
高岩は教壇に立ち、開口一番こう言った。
「大切な命と尊厳を守る方法について今日は話そうか。」
ざわついていた教室が、一気に静かになる。
「昨日のこと。今日も拡散されていた画像のこと。全部、見たうえで言う。これは国際理解じゃないと思う。戦場だ。武器は言葉とカメラ。戦う意志を持たない者が最初に潰される。やったもん勝ちの世界となってることを君たちはどう思う?」
佐藤遥がゆっくり手を上げた。
「私、思ったんです。あの写真、可愛いって言われてるけど、そうじゃない。制服と、黒髪と、無言で笑ってる日本人っぽさが勝手に切り取られただけ。」
「人じゃなく物にされたってことかな?」
高岩が続けた。
「今の日本は、「安くて」「静かで」「逆らわなくて」「礼儀正しい国」。そう見られてる。そしてその幻想を守るために、君たち一人ひとりが無理して我慢させられてる。」
「それが現実だ。」
―――
昼休み、校門前に警察が来ていた。
理由は、「近隣通報による外国人観光客の対応指導」。
駅前で複数の生徒が、つきまといに遭っているという苦情が、地域から学校ではなく警察に直接入っていた。
その中には保護者や商店街の人物名が含まれていた。
しかし、実際に警察ができることはほとんどなかった。
「信じられません!お願いレベルじゃない!。注意して、終わりってなに?観光だから名前も聞けないなんて、ありえない!」
駒沢が漏らした。
「これが観光立国の末路なの...?」
―――
放課後。
高岩は一人、図書室にいた。
ノートに書き込んでいたのは、生徒の証言まとめ。
・盗撮されたことがある 14名
・外国人に触れられた/接近された 9名
・外国語で罵倒された 7名
全員、泣き寝入り。
その横で司書の女性が呟いた。
「先生、これ…名前のない戦争ですよね。」
「国も、法律も、メディアも、守ってくれない。ただ静かに踏み潰されて、誰も気づかない。気づいても感情的だ、冷静になれって言われるんです。」
「この国は今、壊れてないいふりに命かけてるように見えてなりません。」
高岩は黙って頷いた。
「同感です。私だけは気づいたフリじゃなく、問題と向き合いたいと思っています。」
―――
職員室には、いつもより多く人影があった。
定時をとっくに過ぎた時間、高岩は冷めたコーヒーを片手に書類を見つめていた。
そこに、教頭の東海林が入ってきた。
「高岩先生。明日、例の件を教育委員会に報告することにしました。」
静かな声だった。
「あくまでも事案の一環としてです。生徒による外国人との接触、SNSでの炎上、その後の校内指導内容。すべて、文書にまとめたものを提出する必要があります。」
「報告すれば終わりますかね? この案件は。」
「終りませんよ。わかってます。ただ、現場が適切に処理したという証明にはなります。」
高岩は、書類を伏せた。
「そんな証明よりも、私たちが生徒の側に立っていたという、目に見えない証明が欲しいというのは、おかしいですかね?」
―――
その日の終礼後。
生徒たちが帰った教室に高岩と駒沢だけが残っていた。
「私...。」
駒沢が呟いた。
「教師になったとき、私が生徒をが守れるって思ってました。昔、私は見た目で判断されて、ナメられて、男に何度もバカにされて。その時に先生に守ってもらったことがありました。だからこそ、今度は私が生徒を守る側だって自分に言い聞かせてたんです。」
「でも今、なんか手わかんなくなっちゃいました。守るって、何なんでしょう?」
高岩はそれを聞いて、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと言った。
「守るって、自分の無力を直視することから始まるんだよ。何もできなかった事実から逃げないこと。それでもまた立ち向かうことなんじゃないかな。」
駒沢は笑った。
「高岩先生、本当にめちゃくちゃ真面目ですよね。」
「いやいや、自分だけは格好つたくないって意地張ってるだけだよ。」
―――
その翌日。
3年2組の後方の黒板には、何も書かれていなかった。
しかし、こには静かに生徒たちの輪ができていた。
中心にいたのは、福田愛、前田りお、星野圭。
「このままじゃ、私たちまで何も言えない日本人のままだよね。それってヤバくない?」
福田の言葉に、りおが頷く。
「外国人が悪いんじゃない。知らなかったが正しいんじゃないかな?」
星野が壁にもたれたまま言った。
「でも、知らなかっただけで怖いことする人もいるし。第一に怖がってることが伝わらないのが、一番怖よな」
そのとき、佐藤遥が口を開いた。
「話せば分かる人もいるって、わたし、信じたい!でも、それは嫌って言えない空気が一番いやだ!」
教室の空気が変わった。
加藤蓮が小さく言った。
「俺、たぶん、さ。話す前から嫌ってた。文化も習慣も違う外国人はめんどくさい。いまでもな。だから、話さなかったんだと思う。」
高岩は教壇に立たず、教室の隅からゆっくり語りかけた。
「対話ってのは、怒りを終わらせるための武器だ。その武器を持つには、まず相手に伝わる言葉を知らなきゃいけない。想像力ってのは、わかろうとする努力そのものなんだ。」
「知らないままで相手に怒りをぶつけるのは、ただの無知で怠慢だと思う。しかし、知った上で何もしないのは、もっと罪深いと先生は思う。」
「The personal is political。本当は外国人を野放しにしてルールを作らない政治が悪いんだ。みんなの問題は時間がかかると思う。それまで君達が出来ることをやるしかないんだ。その声が、経験が、きっと誰かを動かすと先生は信じてる。」
―――
その翌日、福田と佐藤、星野ら数人は登校中、再び駅前で外国人に声をかけられた。
「Oh hey!Omg!!School girl? Cute! Photo OK?」
以前なら黙って通り過ぎたかもしれない。
でも、福田は立ち止まり、はっきりと英語で言った。
「No. I don’t want to be photographed. That makes me uncomfortable. Please stop.」
相手の男たちは一瞬驚いた顔をし、そして少し黙ってから、片言で返した。
「Ah… sorry. I didn’t know. I’m really sorry.」
男のひとりは少し申し訳なさそうに、首をかしげながら言った。
「In our country, school uniforms are just fashion. We didn’t know it's private in Japan... We respect you. We will be careful.」
もう一人の男も小さく頭を下げた。
「I have a daughter too. I understand. Sorry.」
その後、2人はスマホのカメラアプリを閉じ、立ち去っていった。
静かな勝利だった。
佐藤が呟いた。
「言えば、ちゃんと伝わるんだね.」
「うん。言葉が、壁になる前に、橋になることもあるんだな。」
教室の後方に貼られた模造紙には、ひとつずつ言葉が増えていった。
《外国人と共に生きるために、必要な嫌を伝える方法》 《自分の感覚を、自分で説明できる言葉を持つ》
《受け入れることと受け入れさせられることは違う》
《嫌なことは、嫌だと言っていい。むしろ、それが共存の始まり》
それは、彼らなりの戦わない戦いだった。
先日
次の日
加藤蓮が1枚の新聞記事を持ってきた。
「これ、地元の山が、外国資本に売られたってよ。」
新聞の見出しには《山林の地下水使用に市民団体が抗議》とあった。
教室の中でざわめきが起こる。
「うちの父の実家、井戸水使ってるんよ。なんか最近、味が変だってじいちゃんが言ってた。」
「それって、もう水が誰かの商品になってるってこと?」
高岩が言った。
「土地、水、空気。そういう誰のものでもなかったものが、今どんどん外国の誰かのものにされていってるのが現実なんだ。よく気づいたな。」
福田が、そっと言った。
「怒るだけじゃ何も変わらないよね。だから、みんなで動かない?」
その日の放課後、有志の生徒たちが模造紙に新たな見出しを書いた。
《守りたい風景を守るには何が必要か》
《見えない搾取に、声を上げる勇気》
《次に何かを壊されるのは、当たり前になるかもしれないみ未来》
高岩はその言葉を読みながら生徒たちに静かに言った。
「社会は、気づいた人から変えられる。気づかなかったまま大人になるより、今、何かを気づいて怒ってる君達の方がずっと心強いし、先生は誇りに思う。」
「これ、さ。文化祭のテーマにいいかもな。」
―――
その日の放課後。
高岩は黒板を見上げ、そこに誰かが書き残した言葉に目を留めた。
『無知のまま優しさを演じるなかれ。知ることからしか本当の優しさは始まらない』
それはきっと教師にも、生徒にも、日本にも向けられた大切な一言だった。