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沈黙の紙片 ~裏切り者のいる教室〜  作者: マリブン
Season1

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29/33

偽りの兄弟

喫茶店「みやこ」。

カップの縁から立ちのぼるコーヒーの香りは甘いはずなのに、どこか焦げ臭い。

外では夜の雨が上がり、アスファルトに街灯の光が揺れている。


店内は客の姿もまばらで、カウンター席では初老の男が新聞を広げている。

湿ったコートを脱ぎかけたサラリーマンが、入ってきてはまた出ていく。

古びた柱時計の秒針が、やけに大きく響いていた。



藤井一真と林康二は向かいに座るミニー、望月三二一を見ていた。

彼女の目の奥は固く閉ざされ、ただカップの水面をなぞるように見つめている。


「あの時はどうにかしてたの。協力はできません。お断りに来ただけですので。」


最初に口を開いたのはミニー。


「生徒達をあなたは巻き込んだんですよ?その責任は取ってもらわないと困ります。あなたの情報が憶測を呼んで中川さんに迷惑がかかることもあり得るんです。生徒達にも危険が及ぶ可能性だってある。」


藤井は冷静に伝える。


「先生方は正義を掲げるのが上手ね。でも正義って、誰かを救ってきたんですか?」


藤井は口を結んだ。

林が代わりに答える。


「正義じゃ救えないかもしれない。だけど、黙ってるよりは確実にマシだと思ってます。」


藤井はさらに押し込む。


「正義とかそんなかっこいいものじゃありません。生徒と約束したんです。悪夢を終わらせて卒業させるとね。生徒達の3年間を無にしたくないんです。その為なら私達は何でもします。」


その言葉に、ミニーの視線がふっと動いた。

挑発ではなく、試すような目つき。

彼女はカップに口をつけたが、苦味が舌に広がると一瞬だけ喉が詰まりかけた。

わずかに揺れた視線を、すぐに強張らせて隠す。

それでも、心の奥で小さなほころびが生まれていた。


「ふふ...。あなた達、自分が何を出来ると思ってるの?」


林は息を整えて、真正面から返した。


「私達は無力です。生徒達と約束したから全力で動くだけです。中川さんのことを教えてください。」


しばしの沈黙。

雨上がりの道路を車が走り抜ける音が、喫茶店の窓を震わせた。


やがてミニーは、カップを置いて口を開いた。


「中川兄弟...。有二郎と有三郎は、教団に洗脳されてるかもしれないの。」


藤井と林が同時に身を乗り出す。


「彼らを育てたのは、光明真理会っていうカルトよ。貼り紙も、死人も、不登校も全部つながってる。廃校に追い込むための計画だったの。」


「廃校になれば土地はもともと教団のもの。中国に高く売る計画をたててることまでは私の力でも調べられたの。」


林の眉が寄る。


「なぜ、そんな…。」


ミニーは冷たく言い放つ。


「利用されるために生まれたからよ。教団に英才教育を施されたらしいの。疑心暗鬼を撒き散らし、人を操る。それが役割。怖いでしょ?」


藤井は低く唸る。


「母親は気づいていたんですか?」


「ええ。奈良美香子。気づいていながら、気づかないふりをした。本当に最低な女。」


林は声を失った。ミニーはさらに畳みかける。


「あなたたち、想像できる? 15歳で子どもを産み、両親に勘当され、そこで待っていたのはカルトの家。子供は研究材料。生まれた3つ子のうち二人を奪われ、残ったひとりを施設に隠すしかなかった母親の姿を。」


藤井が問い詰める。


「奪われた2人…有二郎と有三郎は?」


「教祖候補に仕立てられたの。泣くな、怒るな、笑うな。そう叩き込まれた子供。残ったのは従うことだけ。学校に潜り込み、貼り紙で空気を揺らし、生徒を追い詰め、最悪な事態を起こす。それが彼らの任務。」


林の喉が鳴った。


「そんな…まるで...。」


「実験だよね。」


ミニーが遮る。


「匿名の声は、残らない。紙切れは、風で飛ぶ。ネットの噂は、誰の手にも残らない。だから使われるの。壊すには十分でしょ。」


「ふふ...。校長と教頭はそれぞれ弱みを握られたようね。よくあるハニートラップと借金ね。」


藤井の拳が机の下で震えた。

林は息を詰めながらも、言葉を繋ぐ。


「でも、あなたは今こうして話している。なぜ?」


ミニーはゆっくりと笑った。

その笑いは乾いていて、背筋を冷たくする。


「有一郎のおかげだよ。3つ子を利用して光明真理会の支部に潜入できたのよ。バレるわけないもんね。そこで色々と情報が聞けたってわけ。私達は何も身バレしてないし、危なくもない。」


「有一郎さんは学校の一連を知ってて黙ってたことになりますね。」


藤井が疑問をなげかける。


「でも、有一郎は白よ。あの人は何もしてない。弟をカルト集団から救って、ただ一緒に暮らしたかったの。人生をやり直したかったんでしょうね。」


「だけど校長と教頭も可哀想ね。人間なんて、誰でも弱点を持ってる。嫉妬心、恨み、意地悪な心、性癖。それを肥大化させるのは簡単なこと。時間をかけて信頼を築けばいいだけ。頼らせれば勝ち。もう離れられない。情報操作はそこから始まるの。」


藤井は一瞬言葉を失う。

ミニーはさらに低く囁く。


「男は愛を求める、愚かな生き物。恋心を装えば勝手に誤解して、純愛だと信じ込む。偶然を仕組んで、目を潤ませればいい。相手に言わせるだけでいいの。自分から吐いた言葉こそ、いちばん強い鎖になる。彼らのやり口。」


林は冷や汗を流しながらも、声を振り絞った。


「もし私たちが、邪魔をすれば?」


ミニーは目を細めた。


「そのときは、あなた達も同じ。噂ひとつで壊されて、誰も信じてくれなくなる。」


沈黙。

店内の時計の秒針がやけに大きく響いた。


やがて藤井が口を開く。


「それでも、生徒を守る。教師だからじゃない。私達が大人だからだ。」


林も頷く。


「たとえ相手がどんな手を使おうと。」


ミニーの表情に、ほんのわずかな揺らぎが走った。

肩が小さく震え、笑みがこぼれる。


「先生って、不器用なほど真っ直ぐね。だから、話したくなったのかもしれない。」


彼女はカップを持ち上げ、冷めたコーヒーを一口飲む。


「いいわ。もう隠しても仕方ない。中川有一郎は、義一と瞬の、兄よ。」


二人の教師は息を呑んだ。


「3つ子のうち2人は奪われ、教祖候補として育てられた。残った有一郎は、私の居た宮崎の施設で一緒に育ったの。一向に迎えに来ない母親を待っていたわ。」


「その怒りをやがてボクシングに没頭することで忘れようとしてた。高校生の時、有一郎は母親を探しに行ったの。そして見つけたのよ。まさか、再婚して2人の弟がいたとはね。」


「そして、息子を虐待している母親を見て、流石に許せないと思ったそうよ。そして、義一たちを守るために拳を握ったの。母親を殴り、風俗に追いやり、完璧な主婦を演じさせた。全部、弟達を守るために。」


「でも、彼もまた、教団の影から逃げ切れてはいないの。有一郎は弟達を探してると言うけど、嘘だと思うの。多分、密で会ってるはずよ。」


「皮肉な事ね。血の繋がった兄弟がこんなにも近くに4人いるのよ?有一郎だけが家族を知らないの。可哀想だわ。」


「だからこそ、私が家族のように有一郎のそばに居るの。私が守らなきゃいけないのよ。」


店内の空気が凍る。

藤井も林も言葉を失った。


ミニーはグラスの氷を指でつつき、声を潜める。


「あなたたちが本気で邪魔するなら、終わらせなさい。でなきゃ、次に潰れるのは、生徒じゃなく先生方かもね。」


カップを置く音が、やけに重く響いた。


雨の匂いがまだ残る夜。

喫茶店を出た藤井と林の胸には、逃げ場のない現実だけが突き刺さっていた。


「それでね。ひとつ、お願いがあるの。」


藤井が眉を寄せる。


「お願い?」


「ありがとうに一緒に来て欲しいの。」


その名を聞いた瞬間、林の呼吸が浅くなる。


「ええ。それはいいですけど...。なぜ?」


ミニーはかすかに笑い、首を振った。


「私ね、一度も行ったことはないのよ。でも、気になるの。あそこに3人の手がかりがあるかもしれない。きっと力になれるわ。」


藤井は即座に問い返す。


「なぜ今、それを?」


「きっかけができただけ。私も先に進まなきゃって思っちゃったの。私と動いた方が意外とはやく解決に向かうと思うけど?」


林が藤井に視線を送る。


「今から向かうってこと?」


「そういうこと。」


ミニーはコーヒーカップを指先で転がす。

氷がカランと鳴り、重苦しい沈黙を切った。


藤井は腕を組み、深く息を吐いた。


「私達が同行すれば、危険もあるかもしれないな。」


「分かってる。それでもお願い。」


ミニーの声は震えなかった。

むしろ静かで、奇妙なほど確信に満ちていた。


林がゆっくりと頷く。


「ありがとう、か...。確かに見過ごすわけに行かない場所ですね。」


藤井もついに折れ、椅子の背にもたれた。


「分かりました。しかし、条件があります。私達の目の前で、何も隠さないでくださいね。」


ミニーは小さく笑った。

その笑みは、これまでの冷たさよりも少しだけ柔らかい。


「約束します。」


こうして、藤井・林・ミニー。

3人はありがとうへ向かう決意を固めた。

それぞれの胸には、まだ見ぬ真実と、取り返しのつかない危険の気配が重くのしかかっていた。


―――


雨上がりの路地に、「ありがとう」の赤提灯がぼんやりと揺れていた。

濡れたアスファルトに灯りがにじみ、夜の匂いが肺を冷やす。


藤井一真と林康二、そしてミニーは、暖簾をくぐった。

油と出汁の匂いが一気に押し寄せ、店内のざわめきに呑み込まれる。


「いらっしゃいませ〜! 今日はカツ丼がオススメですよ!」


ホールで声を張り上げる男の顔。


中川有一郎。


その瞬間、ミニーの呼吸が止まった。

目と目が合う。

互いに気づいた。

だが彼は笑顔を浮かべ、店員らしい調子で言った。


「3名様ですね!奥の席どうぞ〜!」


知らない他人のフリ。

それはミニーも飲み込むしかなかった。


3人は奥の席に腰を下ろし、定食を頼んだ。

他の客達は常連らしく、ビール片手に冗談を交わしている。

壁際のテレビでは野球中継が流れ、点が入るたびに歓声が上がる。

厨房では油の弾ける音と、出汁の匂いが絶え間なく漂う。

笑い声と食器のぶつかる音が渦巻く中、ただひとつ、有一郎の視線だけが異質に重かった。


(なぜ知らないフリを続けるの?)


ミニーの胸にざらつく疑問が広がる。

試さずにはいられなかった。


丼を前にして、彼女は箸を置く。

軽く笑みを作り、中川に声をかける。


「ねえ、お兄さん。何か殴るとき、右じゃなくて左で殴る人でしょ?」


一瞬、空気が硬直した。

有一郎の肩がわずかに揺れる。

だがすぐに、作り物めいた笑顔で返す。


「え?俺、平和主義なんで殴ったことなんかないっすよ!」


店内に小さな笑いが起きる。

藤井と林は箸を止め、ミニーだけが無言で彼の瞳を追った。

その奥には、わずかな動揺が滲んでいた。


ミニーは笑顔を崩さず、もう一言。


「え〜ハズレた〜。じゃあさ、泣きそうなとき、わざと大声で笑うタイプでしょ?」


有一郎は皿を抱えたまま一瞬固まり、すぐに首を傾げて返す。


「ハズレっす。泣くときは泣きますね〜。」


また客席から笑いが起きる。

けれどミニーは、その笑い声の奥で彼の視線が一瞬泳いだのを見逃さなかった。


(違う。有一郎なら、誤魔化す前に目を逸らすはず。)


味噌汁を啜るふりをして、ミニーはもう一歩踏み込んだ。


「ねーねー!その傷跡って、爪を噛む癖あるんなんじゃない?」


有一郎の手が一瞬、膝の下へと隠れる。

だがすぐに大げさに手を広げ、客に見せつけるように笑った。


「爪? ほら、ピカピカっすよ!モデルの手かも!」


店内はまた笑いに包まれる。

しかし、ミニーには、その指先に走る小さな傷跡がはっきり見えていた。


食事を終え、3人は夜風に出る。

雨上がりの冷気が頬を刺し、街灯が濡れた道に滲んでいた。


藤井が低く問う。


「何かわかりましたか?」


ミニーはしばらく無言のまま歩き、やがて立ち止まる。


「有一郎は私に気づいてないの。知らない人を見てるみたいに。最初は演技だと思ったんだけどね。でも違う。」


林が息を呑む。


「じゃあ…?」


ミニーははっきり告げた。


「有一郎じゃない。有二郎か、有三郎。」


夜の静けさが、その言葉を呑み込み、3人の影を長く伸ばしていった。


「ありがとう」を出ると、湿った夜気が3人を包んだ。

街灯の下で吐く白い息が、緊張の残滓を照らし出す。


ミニーは黙ってポケットから携帯を取り出す。

震える指先で番号を押す。


呼び出し音。


「もしもーし?」


聞き慣れた響き。


「あっ。有一郎?」


ミニーの胸に冷たい衝撃が走った。


「おう。今、仕事中だよ。どうした?」


耳の奥で血がざわめく。

ミニーは声を押し殺した。


「あっ、用事あったんだけど、仕事ならOK!また後でね〜。」


通話を切る。

手の中で携帯が熱を帯びていた。

藤井と林が目を丸くする。


「今のって有一郎さんなの?」


ミニーは頷いた。


「本人はここに居るってさ。いまそこにいるのはゆうに扮してる誰かだね。」


3人は振り返る。

「ありがとう」の扉が開き、笑い声に混じって例の男が客を見送っていた。

明るい声、作り物の笑顔。


ミニーの目が鋭く光った。


「あの人、尾行しようよ。」


藤井が低く言う。


「危険だぞ。正体が有二郎か有三郎なら、ただの替え玉じゃないんだぞ。」


「分かってるよ。」


ミニーは唇を噛んだ。


「でも放っておいたら、潰されるのは生徒じゃないの?」


―――


男は仕事を終えて裏口へと歩いていく。

タオルで汗を拭いながら、携帯を取り出して誰かに連絡をしているようだ。

その背中を、ミニーはじっと見据えた。


「追うよ。ここから先は、全部暴くまで。」


夜の路地に靴音が響く。

3人の影が重なり、笑顔を貼りつけた偽りの有一郎を静かに追い始めた。


裏口から出た偽りの有一郎を追って、3人は夜の路地を進んだ。

雨上がりの舗道には水たまりが残り、街灯が歪んで映っている。

靴底が水を踏みしめるたびに、冷たい跳ね返りがズボンを濡らす。

背後から聞こえる自分たちの足音が、不気味に大きく感じられる。

路地の奥に吸い込まれる男の影を、必死に見失わないように追った。


男は小さな公園の脇道に入った。

ポケットから煙草を取り出し、ライターで火をつける。

その一瞬、顔が街灯に照らされた。


藤井が息を呑む。


「あれは...?」


ミニーの足が止まる。

胸の奥が冷たく凍りつく。

そこにいたのは、もう1人の有一郎。


さっき「ありがとう」で冗談を飛ばしていたはずの男。

電話の向こうで仕事中と笑っていたはずの男。

両方とも矛盾する存在が、目の前に立っていた。


煙草の火が赤く揺れ、有一郎の瞳がミニーを捉える。

そして、その瞳に走ったのは、明らかな狼狽。


「!!」


一瞬、表情が崩れた。

見られたくないものを見られたという顔。


ミニーの喉から声が漏れる。


「有一郎!」


彼は返事をしない。

ただ、煙草を握りつぶし、視線を逸らした。

その仕草に宿ったのは、言い逃れようのない「しまった」という態度。


藤井が小声で言う。


「やはり2人、いや3人が同時に動いてるってことか…。」


林が震える声で続ける。


「あれ間違いなく有一郎本人。」


ミニーは拳を握りしめ、夜気の中で息を整えた。

男2人が背を向けようとした、その瞬間。


「待って!」


ミニーの声が夜を裂いた。

藤井と林も足を止める。

有一郎の背中が、僅かに揺れた。


ミニーは歩み寄り、震える声を抑えながら問いただした。


「これは一体どういうこと?」


有一郎は振り返らない。

沈黙の中で煙草の匂いだけが漂う。


「どっちが有一郎なの?」


やがて彼はゆっくりと振り向いた。

笑顔を作ろうとしたが、頬の筋肉が強張っている。

その目には、確かな怯えが宿っていた。


「ミニー。」


低い声がこぼれる。


「俺は...」


言葉が途切れる。

喉を締め上げられるように、次の言葉が出てこない。


ミニーは一歩踏み込む。


「あなたが有一郎?」


その瞬間、彼の瞳がかすかに揺れた。

目を合わせることができない。

唇が震え、声が押し出される。


「俺は…違う。」


夜気が凍りついた。

藤井も林も言葉を失う。


ミニーの拳が震える。


「違う…?てことは、有二郎と有三郎?」


偽りの有一郎は答えなかった。

ただ、悔いるように顔を歪めた。


「本物の有一郎はどこにいるの?」


その問いかけが夜を裂いたが、返ってきたのは沈黙だけ。

風が街灯を揺らし、濡れたアスファルトに影を散らす。


ミニーの胸に残されたのは、答えのない恐怖と、「本物の有一郎は、どこか別の場所で生きている」という確信だけ。


ミニーの問いかけに沈黙していた有二郎は、視線を落としたまま震える声を漏らした。


「有一郎がどこいるのかは今は言えないんだ。」


藤井と林の背筋に冷たいものが走る。


「いえない?」


林が息を呑む。


目の前に立つのは、有二郎と有三郎。

同じ顔、同じ目。

だが纏う空気が違う。


「俺達はただ生きたいだけなんだ。」


低く告げたのは有二郎。


「今は有一郎を守りたい。それだけなんだ。」


藤井が一歩前へ出た。


「何を言ってんだ?」


「俺達は何も...」


有三郎が割って入る。

そして遮るようにミニーが叫ぶ。


「もういい加減にして!罪を償って!」


林も歯を食いしばり、ミニーを庇うように身構える。

緊張が張り詰める中、2人の偽りの兄弟は呆れた顔をしている。

そして、2人は走り出した。


「逃がすか!」


藤井が叫び、瞬時に間合いを詰めた。

柔道仕込みの動きで有三郎の腕を取り、体を捻る。


「大外刈り!」


有三郎の巨体が地面に叩きつけられ、夜の路地に鈍い音が響いた。


「くっ…!」


有三郎が呻き、藤井の膝で動きを封じられる。


林も有二郎に飛びかかった。

だがその刹那、有二郎の腕が鞭のように振るわれる。


「すまない!逃がしてくれ。」


林の身体は簡単に弾き飛ばされ、アスファルトに叩きつけられた。


「林先生!」


ミニーが駆け寄ろうとするが、有二郎は睨みつけただけで背を向けた。


「捕まるなんて今は無理なんだ!」


そう吐き捨てると、有二郎は闇に消えていった。


藤井は必死に押さえつけていた有三郎の腕を縛り上げる。

荒い息を吐きながらミニーに言った。


「もう学校の範疇じゃない。警察に引き渡す。」


林は膝を押さえながら立ち上がる。

顔は悔しさで歪んでいた。


「一人しか捕まえられなかった。でも、これで奴らの正体を示せる。」


ミニーは暗闇を見つめながら、小さく呟いた。

「本物の有一郎…どこにいるの?」


夜風が頬を切り裂き、路地に冷たく響いた。

捕らえた有三郎を抱え、三人は警察署へ向かって歩き出した。


―――


次の日の朝。

雨があがったばかりの街に、まだ冷たい湿り気が残っている。

高岩はリビングのテレビをつけ、コーヒーを口に運んだ。


その瞬間、画面下を流れる赤いテロップに目が釘付けになる。


速報。

女子高生連続殺害に関わる一連の事件。

中川有三郎容疑者を逮捕。

画面にはパトカーの赤色灯が回転し、規制線の向こうで記者たちがマイクを突き出していた。

夜明け前の校舎前には保護者らしき人影が集まり、不安げにカメラを見つめている。

その映像が、テロップ以上に現実を突きつけていた。


「...!」


マグを持つ手が震え、熱い液体がわずかにこぼれる。

名前は、生徒達の調査や奈良家の告白で何度か聞いた。

しかし、こうして容疑者として報じられる日が来るとは...。

胸の奥に冷たい刃が突き刺る。


「洋ちゃん…。」


背後から京花の声。

心配そうに立ちすくむその顔に、言葉を返せなかった。


画面ではキャスターが続ける。


『容疑者はカルト集団「光明真理会」との関連があると見られています。また、校内掲示板への貼り紙やSNSでの嫌がらせ行為への関与についても捜査中です。さらに警察は、中川容疑者の他にも複数の人物が事件に関わっている可能性を視野に入れ、捜査を続けています。』


『加えて、学校の敷地は30年前、光明真理会の施設予定地だったことが判明しています。なぜ計画が頓挫し学校に転用されたのか、その経緯はいまだ不明のままです。』


さらに速報テロップ。


教育委員会、来年度の学校統合を正式決定。

安全上の理由。


高岩はテレビの音を消した。

リビングには時計の秒針と犬たちの小さな鳴き声だけが響く。

茉莉花は椅子の脚を前足でカリカリし、花梨は靴下を咥えて走り回る。

その日常的な音だけが、崩れそうな現実を支えていた。


その時、スマホが震えた。

画面に「藤井一真」の名前。


「もしもし」


『高岩先生?ニュース見てます?あの中川有三郎なんですが、俺が昨日、捕まえたんです。』


受話口の向こうから聞こえる藤井の声は、疲労と緊張に濁っていた。


「ええ!」


『昨夜、ありがとうを出たあと、林先生とミニーと一緒に尾行して、路地で捕まえました。もう1人、有二郎もいたんですが逃がしてしまいました。』


高岩は無意識に息をのんだ。

京花が心配そうに彼を見ている。


「それにしても、無茶をしましたね。しかし...有二郎もいたとは...。」


『店にいたのは有二郎だったんです。そして有三郎とおちあっていた。有一郎は今のところ行方不明です。』


高岩はしばらく言葉を失った。

胸の奥で渦巻くのは安堵ではなく、さらに深まる不安。


「電話ありがとう。けど、まだ続きそうだな。」


通話の向こうで藤井が低く息を吐いた。


『卒業まであと一週間。時間は残されてません。』


通話を切ったあとも、胸のざわめきは消えなかった。

京花が湯飲みを差し出し、そっと言った。


「洋ちゃん、無理しないでね。」


高岩は小さく頷いた。

しかし心の中では、迫りくる影が日常を飲み込んでいくのを感じていた。


守れる時間は、もう指の間から零れ落ちそうに短かった。

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N2715KW
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