生徒会長の弟 ④ 【番外編】
自動ドアをくぐった瞬間、消毒液の匂いが胸を焼く。
受付の奥、処置室のランプが赤く光っていた。
兄は、あの中だ。
「やっと来たか」
矢口が壁にもたれていた。
「病院行くだけとか焦らすなよ。心臓止まるかと思った。」
川崎が自販機の陰から現れ、潰した缶を投げた。
「兄貴マジで刺されたんだろ。ふざけんなし。」
CoconaとReicoが駆け込んでくる。
「瞬、ヤバすぎ!何があったかちゃんと言えよ!」
「てか顔色エグいし。マジで倒れんじゃね?」
声は軽くても、目の奥は不安でいっぱいだった。
最後に早川が追いついた。
「《君はやりすぎた》あの紙片の流れだろ?全部繋がってんじゃねーかな。」
処置室の前には、すでに教師達が立っている。
高岩が腕を組み、険しい表情で立ち尽くす。
駒沢は看護師に頭を下げながら、携帯で学校とやり取りしている。
原口は椅子に腰を落とし、両手に残る血をただ見つめていた。
「入らせろよ!」
瞬が叫ぶ。
「弟なんだぞ!」
矢口も食ってかかる。
「開けろよ! 中で死んだらどうすんだ!」
高岩が睨み返す。
「今は医者に任せろ。邪魔するな!」
駒沢が振り返り、低く言った。
「気持ちはわかる。けど処置中に騒げば、それこそ助かるものも助からない。」
白い光が突き刺さる。
赤いランプは点きっぱなし。
兄の声は、どこからも聞こえなかった。
―――
夜の病院。
救急外来の灯りは白すぎて、目に刺さる。
ベッドの上で兄は眠ってる。
点滴の管、規則的に鳴る機械音。
そのたびに俺の心臓が勝手に跳ねる。
「兄貴…。」
声は出ていたのに、兄は返事をしない。
額に浮いた汗をタオルで拭き、乾いた唇に水を含ませる。
看護師の足音が近づくたび、体が強張る。
犯人扱いされてる原口、マスコミのざわめき、警察の制服。
全部が病室の外でうごめいていて、ここだけが切り取られた世界みたいだ。
兄は強い人間のはず。
いつも人の相談を聞いて、最後には笑って見せる。
その兄が今、呼吸ひとつでやっと生きてる。
こんなに弱い姿を見るのは初めてだ。
俺はスマホを取り出して、SLAYの仲間達に一行だけ打つ。
〈病室。異常なし。〉
既読が次々と並ぶ。
矢口〈俺らは外で張る〉
川崎〈マスコミも警察もウザいほどいる〉
早川〈掲示板は監視しとく。流言は潰す〉
Cocona〈差し入れ持ってく♡〉
Reico〈看病してる瞬とか、ギャップで泣けるんだけどw〉
画面を伏せて、深呼吸した。
「兄貴、俺がついてる。だから、もう笑わなくていい。」
初めて言えた。
この時間だけは、俺が兄を守る番。
―――
夜明け前。
病院のロビーは冷たい蛍光灯に照らされ、新聞配達の声と混ざってざわついていた。
エレベーターの前で矢口たちSLAYの仲間が待っていた。
「おせーぞ、瞬。」
矢口が不満げに腕を組む。
「兄貴の体温がまだ安定してない。離れられるかよ。」
俺は答えながら、眠気で重いまぶたをこすった。
川崎が缶コーヒーを投げてよこす。
「飲め。倒れたら意味ねーだろ。」
「すまない。」
缶を受け取り、一口。
苦さが胃に落ちていく。
Coconaがスマホを覗き込みながら鼻で笑った。
「掲示板、マジ荒れてる。原口が犯人確定って流れだよ。ダルすぎ。」
「うちらの動き、もう誰かにバレてんじゃね?」とReico。
「なんか脚本通りに踊らされてんの、マジ笑えない。」
早川が煙草を回しながら低く言う。
「でも数字と証言が揃えば、世間はそれで納得すんだ。こっちが真実探しても、空気が塗り潰す。」
沈黙が落ちる。
俺は握りしめた缶を見つめた。
「兄貴は守る。だけど、このままじゃ殺されるのと同じだ。」
矢口が前髪をかき上げ、苛立った声で返す。
「で、どうすんだよ。看病だけしてろってか?」
「違う。」
俺は答えた。
「動く。兄貴を守りながら、罠ごとひっくり返す。」
仲間の目が一斉に俺に向く。
その視線が重いのに、不思議と支えられてる気がした。
「やべ、瞬が主人公ムーブしてんじゃん。」
Coconaが茶化すと、Reicoも笑った。
「泣かせんじゃねーよ。ウチらもやるしかないっしょ。」
ロビーの窓から朝日が差し込み、白い床に影を伸ばした。
俺達は互いを見つめた。
言うことは決まってる。
「You SLAY!」
―――
昼下がりの病室。
兄はまだ眠っていた。機械の音と、カーテン越しの光。
その隣で俺は椅子に沈み込み、ノートに走り書きをしていた。
〈兄=標的/香取=囮/原口=犯人〉
〈あいつ=指令/俺=実行者〉
書いては消す。
線を引いては丸める。
頭の中はずっと同じ矛盾をぐるぐる回っていた。
ノック。
振り返ると、CoconaとReicoが顔を覗かせる。
「おつかれ〜。看病係♡」
Coconaがコンビニ袋をぶら下げて入ってくる。
「マジで看護師かよ、瞬。似合ってんじゃん。」
Reicoがベッドを覗き込むと、声を落とした。
「兄貴、まだキツそうだね。」
「でも生きてる。それだけで十分だよ。」
俺は立ち上がり、兄の毛布を直した。
Coconaがベッド脇に差し入れを置きながら、声を潜める。
「廊下、マスコミだらけだよ。警察も張ってるし、超ギスギス。」
「学校もだろ?」と俺。
Reicoが頷く。
「うん。今日の集会、マジやばかった。教師に刺されたってもう決定扱い。でもさ、ウチらだけは分かってんじゃん?あいつの差し金だって。」
俺は拳を握った。
「兄貴の言葉が正しいって空気が、逆に怪しい。」
Coconaがニヤリと笑う。
「じゃあ証拠、探しちゃう? うちらでさ。」
「探す?」
「そう。だって放っといたら、兄貴も原口も一緒に潰されんじゃん。」
Reicoが言い切った。
俺は2人を見た。
いつもはギャルみたいに笑ってるくせに、今だけは真剣な目。
「分かった。やるよ。兄貴守りながら、真実も掘り出す。」
「出た。瞬の熱血モード。」
Coconaが茶化す。
「マジで主人公やん。うちら脇役かよ。」
「脇役じゃねーだろ。」
俺は笑った。
「一緒に戦う仲間だろ?」
その瞬間、ベッドの兄がわずかに眉を動かした。
声は出ないけど、ちゃんと聞こえている気がした。
だから俺はもう一度、心の奥で言った。
絶対に守る。
俺が全部背負ってでも。
―――
夕方、病院のロビー。
ガラス越しに見える外は、もうオレンジが沈んで群青に変わり始めていた。
俺は自販機の缶コーヒーを握りしめて、SLAYのチャットを開く。
矢口〈校門、マスコミで埋まってる。見張りやばすぎ〉
川崎〈原口犯人説がトレンド1位。拡散速度エグい〉
早川〈掲示板の投稿、時間帯が揃いすぎ。仕込みっぽい〉
Cocona〈てか瞬、寝てる? 看病しすぎて顔やつれてんじゃんw〉
Reico〈でもさ、絵になるよ。兄貴の隣で必死に守ってる瞬。青春サイコホラーのポスターじゃん〉
俺は苦笑しながら返した。
〈笑えねぇよ。兄貴が目ぇ覚まさなきゃ、全部潰れる〉
既読が一気に並ぶ。
矢口〈じゃ、どう動く?〉
川崎〈証拠〉
早川〈穴〉
短い言葉が飛び交う。
でも、全員の思考は同じ方向を指していた。
エレベーターが開き、白衣の看護師が通り過ぎる。
俺は残ったコーヒーを一気に飲み干し、立ち上がった。
「やるしかねぇ。」
呟いた声は、自分の喉を震わせるだけで、誰にも届かない。
兄の病室へ戻ると、薄暗い光の中で兄は眠ったまま。
呼吸の音と機械の電子音だけが並んでいた。
ポケットの中でスマホが震える。
Coconaからの一行。
〈瞬、あんたが決めな。リーダーなんだから〉
胸の奥がざらつく。
守るだけじゃ足りない。
掴まなきゃ、真実も兄貴も全部持ってかれる。
俺はカーテンを閉め、ベッド脇に腰を下ろした。
兄の手を握り、心の奥で誓う。
逃がさねぇ。
誰一人。
―――
次の日、兄貴は喋れるようになった途端、原口が刺したと主張した。
日本中がひっくり返ったのは言うまでもない。
そしてまた数日後の夕方の病棟。
窓の外はすでに群青に沈み、白い廊下には消毒液の匂いが満ちていた。
面会受付の前には警察官が立ち、制服の影が光を遮っている。
鈴木寛人と藤田怜奈は、クラスメイト達の寄せ書きを抱えて立っていた。
「生徒代表です。会長にお見舞いを渡したいんです。」
鈴木寛人が声を絞り出し、紙を差し出す。
警官が中身を確認しようとしたその時、廊下の奥から瞬が声をかける。
目の下に影を落とし、無理に笑った顔。
「弟の瞬です。それ、俺が渡しておきます。」
怜奈は勇気を振り絞って一歩前へ出た。
「瞬くん。ほんの少しでいいから、会長と話せないかな?確かめたいことがあるの。」
瞬は深くため息をつき、頭をかいた。
「5分だけなら。俺も付き添います。」
警官に一礼し、3人は病室へ入った。
―――
白いカーテンに囲まれた部屋。
ベッドの上で奈良義一は上体を起こしていた。
頬は青白いが、その瞳にはまだ整った光が残っている。
「来てくれたのか。」
義一は薄く笑い、寄せ書きを受け取って机に置いた。
「わー。嬉しいな。ありがとう。今日はこれを渡しに来たのかな?」
寛人が一歩踏み出した。
「奈良会長、ひとつ聞かせてください。原口先生に刺されたって、本当に間違いないんですか?」
義一の目が細くなる。
「僕は実際に刺された。間違えるはずがないだろ?」
怜奈が声を重ねた。
「でも、私達が見たのは止血してる原口先生でした。刺した人には、見えなかったんです。」
義一は首を振った。
「それこそが原口先生の狙いじゃないのかな?助けるふりをして、疑いを消したいんだろうね。」
寛人は食い下がる。
「でも第一発見者の沙織さんは、原口先生が後から来たって言ってます。」
義一の視線が揺れた。
「意識が曖昧で…記憶が混ざってるのかもしれないな。」
そこで瞬が低くつぶやいた。
「兄貴は昔からそうだ。どんな時でも答えを用意する。嘘でも本当でも、同じ顔で。」
「瞬、黙れ。」
義一の声は鋭い。
「黙らない!」
瞬の声は震えていた。
「本当に刺されたなら、どうしてそんなに冷静なんだよ。俺には全部、芝居に見えるんだ!」
重たい沈黙が落ちた。
寛人は義一をまっすぐ見つめる。
「俺達は必ず確かめます。会長の言葉だけじゃ納得できないんで。」
義一は口を閉ざし、笑みがわずかに崩れた。
その一瞬に、鈴木と怜奈は背筋に寒気を覚えた。
やがて看護師が入室し、面会終了を告げる。
病室を出ると、廊下の冷気が一気に押し寄せた。
怜奈が唇を噛みしめる。
「やっぱり…何か隠してる。」
寛人は黙って頷き、拳を握りしめた。
胸の奥で、答えの見えない疑念が形を持ちはじめていた。
―――
夜の地下。
コンクリの湿気が肺にまとわりつく。
蛍光灯のチカチカが、心臓の鼓動を妙に煽った。
矢口が机に足を乗せて言った。
「で、あいつら何しに病院まで来たんだ?」
俺は唇を噛んで答えた。
「寄せ書きだってよ。けど、ただの見舞いじゃねぇ。兄貴に原口が本当に刺したのかって直に聞いてきやがった。」
川崎が鼻で笑う。
「は?マジ探偵気取りかよ。あいつらが掘り返したら余計にややこしくなんだろ。」
早川はタバコを回しながら視線を落とす。
「つまり、原口の動きと奈良会長の証言の食い違いに気づいてるってことか。そこまで分かってんのかよ。」
Coconaが身を乗り出し、ギャル特有の高い声で笑った。
「ねぇ、ウケんだけど。2組の連中、真実とか言ってんの?ドラマの主人公のつもり?ダサすぎ。」
Reicoが頬杖つきながらスマホをいじる。
「でもさ、笑って済ませらんないよ。あの人ら、けっこう核心に近づいてんじゃね?」
矢口が苛立つ。
「じゃあ探るしかねぇだろ。2組がどこまで知ってんのか、何を調べてんのか。」
川崎は顎をしゃくった。
「方法は?」
俺は深く息を吐いた。
「次に会ったとき、それとなく試す。何に反応するかで分かる。兄貴のことか、原口先生のことか、それとも別の誰かか。」
早川は煙を吐きながら、冷たい声を落とす。
「2組が動きすぎると、兄貴が演出で刺されたこと自体に疑いが向く。それだけは避けようぜ。」
Coconaが舌を鳴らして笑った。
「つか、こっちで揺さぶりかけよーよ。お前ら何か知ってんでしょって。顔色でわかるっしょ。」
Reicoがスマホを閉じ、真顔で言う。
「でもさ、もし2組が真実に近づいてんのなら、もう敵みたいなもんだよね。どうする?潰す?」
矢口が俺を見た。
「瞬、お前が決めろ。」
胸の奥がざらついた。
2組のやつら。
兄を心配して動いてるのか、それとも兄を疑って追い詰めてるのか。
どっちにしろ、確かめるしかない。
「探る。全部。そいつらが何を見て、どこまで踏み込んでるのか。」
地下の空気が張り詰める。
それが次の行動の合図だった。
―――
放課後の昇降口。
下駄箱の前で2組の数人が小声で話していた。
鈴木、藤田、久保、美優。手にしたノートを抱え、真剣な顔で言葉を交わしている。
「止血の話、もう聞き出したってさ」
「救急隊も『的確だった』って言ってたって」
「じゃあ…原口先生はやっぱり...」
断片だけが耳に届く。
壁際に寄りかかっていた俺は、靴音を立てずにその会話を盗み聞いた。
矢口が背後で小さく舌打ちする。
「おい瞬、やべーぞ。もうかなり掘ってんじゃね?」
川崎はスマホをのぞき込みながら低く笑った。
「掲示板にも出てた。犯人が止血なんてするか?って。あいつらの言葉がそのまま流れてる。」
Coconaが俺の肩を小突いて、わざと大げさに笑う。
「探偵気取りマジ草〜!ドラマの見すぎじゃね?」
Reicoは髪をかき上げて冷たい目を向けた。
「でもさ、あいつらに掘られると兄貴まで疑われる。笑いごとじゃないよ。」
喉が渇く。
兄の横顔が脳裏をかすめる。
布団の上で蒼白な兄。
あの姿を守るためには...。
「探る。直接話して確かめよう。」
風が昇降口を抜け、貼られた「下校はグループで」の紙が揺れた。
2組の声はまだ続いている。
俺達は視線を交わし、音もなく動き出した。
―――
図書室の奥で、3年2組の連中が寄り合っている。
奈良会長の証言に矛盾があるだの、原口が本当に刺したのかだの。
SLAYは物陰からそれを見ていた。
「マジで探ってんじゃん、あいつら。」
川崎が低く吐いた。
矢口は拳を握る。
「クソ。俺らより深く突っ込んでやがる。」
早川は眉をひそめ、冷めた声でまとめる。
「会長を疑う方向に流れてる。正直、このままじゃ裏切り者が誰かまで辿りつく。」
瞬は黙って聞いていた。
胸の奥で、嫌な予感が渦を巻いていた。
ただ隠れているだけじゃ、情報は入ってこない。
「俺が行く。」
矢口が小声で噛みつく。
「また弟の顔すんのか?」
「そうだよ。あいつらはもう病院で俺を見てる。変に思わねぇ。」
そう言って、瞬は一人で輪に近づいていった。
鈴木が先に気づいた。
「あ…、瞬君。病院のときはありがとうな。」
怜奈も頷き、「あの時、瞬君がいたから言いたいこと言えたんだよ」と小さく笑った。
啓太も目を伏せながら、「兄に反抗してたでしょ、あの声…すごい勇気だと思ったよ」と言葉を添えた。
瞬は肩を落とし、申し訳なさそうに笑う。
「俺なんか、ただ弟として言いたいこと言っただけです。でも、あれからずっと考えてます。兄貴が嘘ついてるのか、本当に刺されたのか…。 みんなは、どう思ってるんですか?」
その問いに、鈴木は唇を噛んで机を見下ろした。
「原口先生が止血してたんだ。救急隊も的確だったって言ってた。もし刺した犯人なら、逃げるはずだろ?俺らはそこに引っかかってる。」
怜奈が続ける。
「でも会長は刺されたってはっきり言ってる。だから矛盾してる。本人の言葉を信じるべきか、それとも現場の姿を信じるべきか…。」
沙織は声を震わせながら言った。
「瞬君は…どう思ってるの?」
瞬は一瞬だけ言葉を詰まらせ、俯いてみせる。
「兄貴が嘘をつくなんて、信じられません。だけど、みんなの話を聞くと…俺、もう分からなくなりました。」
そう吐き出した瞬の顔は、弱々しく、弟としての素直さを演じ切った表情だった。
その後も、知ってる情報を聞き出した。
協力を惜しまないふりをして。
その姿を見て、鈴木達は何も疑わなかった。
けれど瞬の胸の奥では、別のざらついた熱がくすぶっていた。
SLAYに伝えるための、確かな情報を握ったのだから。
―――
地下の空気は湿っていた。
換気扇の音に混ざって、鉄の匂いが鼻を刺す。
瞬が戻ると、SLAYの連中はもう待ちきれない顔で集まっていた。
「で?」
矢口が真っ先に噛みついた。
「3年2組は何知ってやがった」
瞬は机に手を置き、ゆっくり息を吐いた。
「原口先生の止血。救急隊が的確だったって言ってるって。だから刺した犯人には見えないってさ。」
「あとは、金属音のような音とか、外部の搬入者の疑いとかだな。」
川崎が舌打ちする。
「やっぱそこ突いてきたか。あいつら、マジで鋭ぇな。」
早川は煙を吐き、冷めた声でまとめる。
「つまり3年2組は、証言と現場の矛盾に気づいてる。半分は答えに近づいてるな。」
その言葉に場の空気が沈む。
Coconaが眉をひそめて髪をかき上げる。
「は?じゃあ、裏切り者が兄貴だってバレるの時間の問題じゃん。」
Reicoが笑う。
けれど目は笑っていない。
「ウケるよね。紙にまで書かれてたじゃん、裏切り者はだあれ。あれ見た瞬間思ったよ。答え、もうバレバレだって」
矢口が机を叩き、瞬に視線を突き刺す。
「お前も分かってんだろ。兄貴が裏切ってんだよな?」
瞬は口を開きかけ、言葉を飲み込んだ。
分かってる。
でも認められない。
沈黙。
その時、壁に立てかけられた椅子がガタンと倒れた。
誰も触っていない。
一瞬、全員の視線が集まる。
《裏切り者はだあれ》
頭の奥で、その文字がじわじわと焼き付く。
早川が冷たく言い切った。
「混乱してんのは俺らじゃない。もう決まってんだ。裏切り者は兄貴だ。」
その言葉に誰も返さない。
ただ換気扇の唸りだけが、地下の空気をかき回していた。
―――
数日後。
地下の空気はいつもより重かった。
SLAYの面々が机を囲んでも、誰も口を開かない。
照明の白が肌を青く照らし、スマホの画面だけが揺れていた。
《#コールドメガネ》
《#二つの事件》
《#自殺は真実》
矢口が苛立ったように机を叩く。
「見たか?原口が自殺?あいつ、完全に終わらせにきてるな。」
川崎はペットボトルを潰しながら吐き捨てる。
「SNS見ろ。もう真犯人=原口で固定だ。裏切り者の張り紙といい、あいつの筋書通りになってるんじゃないか?」
Coconaが爪を噛み、笑うでもなく声を漏らした。
「原口が死んだら証言も証拠も残んないじゃん。これ以上、兄貴の無実を覆すの無理ゲーじゃね?」
Reicoが肩を揺らして睨む。
「わざとだよ。兄貴に全部なすりつけるための仕込み。で、瞬、あんたどうすんの?」
全員の視線が瞬に突き刺さる。
ニュース映像の中で、原口の名前と「自殺」の2文字。
兄を守る拠り所が、ひとつ消えた。
早川が低い声で呟く。
「あいつは原口が死んだほうが都合いいんだろ?生きてりゃ全部バレるからさ。」
瞬は拳を握り、唇を噛んだ。
兄が裏切り者だと告げる張り紙。
その裏で、真実を知るかもしれなかった原口が死んだ。
「俺らが動くしかないな。」
矢口が首を振る。
「動くってどうすんだよ。もう警察も世間も原口=犯人で固めてんだぞ。」
川崎が続ける。
「逆らえば逆らうほど、兄貴が黒幕で片づけられる。詰んでんだよ。」
瞬は顔を上げ、かすれた声で言った。
「じゃあ、俺が確かめる。兄貴が裏切り者かどうか。」
沈黙。
換気扇の低い唸りだけが響いていた。
「兄貴は操られてる。あいつに。」
瞬の声は押し殺したように低い。
矢口がいらつく。
「操られてるってわかったって、じゃあどうすんだよ。あいつを炙り出す方法なんてあるのか?」
川崎は腕を組んだまま吐き捨てる。
「声だけ飛ばしてくる奴に勝てるわけねぇだろ。無理ゲーだ。」
Coconaが爪を噛みながらつぶやく。
「てか、下手に動けば兄貴の首を締めるだけじゃん。ウチら手、出せなくない?」
Reicoもスマホを弄びながら、今回は笑わなかった。
「結局、兄貴がどうにかするしかないんでしょ。」
あいつのウィークポイントは知ってる。
今は言えない。
そうするのは簡単だ。
けれど、その瞬間に俺達は破滅してしまう。
兄はこの原口の件をきっかけに、自分を責めて破滅的になるのは目に見えてる。
俺に出来ることは、兄貴の病室から離れないことしかない。
―――
兄貴の病室。
点滴の滴がひとつ、またひとつ落ちる。
静かなはずの病室が、俺には拷問みたいに重い。
「兄貴…。」
やっと声をかけたのに、兄は返事をしない。
その顔は青白く、呼吸すら痛そうで。
それでも、俺の胸を貫いたのはその次の言葉だった。
「僕のせいなんだ。」
一瞬、耳を疑う。
兄貴が、何を言ってるのか理解できなかった。
「先生に刺されたって嘘を…。」
心臓が止まるかと思った。
「やめろよ、兄貴。そんな冗談!」
「冗談じゃないんだ!」
兄の声が震えて、掻きむしるように胸を押さえた。
「僕自身が刺したんだ!原口先生じゃない!」
頭が真っ白になった。
耳の奥で血が鳴る。
ベッド脇の花瓶が視界の端で揺れて、花びらが落ちる音まで大きく聞こえた。
俺は立ち上がって兄の肩を揺さぶった。
「黙れよ!そんなこと言ったら兄貴が終わるだろ!」
「もうとっくに終わってる!」
兄の叫びは、俺の胸を引き裂いた。
「正義の会長?勇気ある証言者?そんなもの全部嘘だ!僕は…僕が光るために先生を利用したんだ!」
言葉が、刃みたいに突き刺さる。
でも、そんなわけない。
兄貴がそんなことするはずがない。
あいつだ。
あいつが兄貴を操って、こんな言葉を吐かせてるんだ。
「まさか、先生が死ぬなんて、思わなかったんだ。」
兄が頭を抱える。
「ちょっと影を背負わせただけのつもりだったのに…。なんで死んだんだよ!」
俺は唇を噛んで、拳を握りしめた。
兄の涙は本物。
でも、その言葉は兄のものじゃない。
「俺が裏切り者なんだ!」
義一はその言葉を吐き出すと同時に、点滴を引きちぎりベッドから立ち上がった。
青ざめた顔に汗が浮かび、腹を押さえながらふらつく。
それでも、何かに突き動かされるように廊下へ出ていく。
「兄貴、無理だって!やめろ!」
瞬が追いすがると、血の跡が床に点々と続いていた。
階段を上がる兄の足取りは今にも崩れそうなのに、それでも止まらない。
むしろ止まろうとしない。
数分後。
屋上に飛び込んだ瞬の目に映ったのは、フェンスの外に身を乗り出した義一の姿。
風に煽られ、包帯の下から赤が滲み出している。
「兄貴!」
瞬の叫びが背中に突き刺さる。
「僕だ。僕なんだよ!原口先生を犯人にしたのは、この僕なんだよ!!」
義一の声が空に溶けていく。
下ではフラッシュが乱れ飛び、報道陣が群がっていた。
同じ時刻。病院のロビー。
SLAYの面々は走り回っていた。
矢口は守衛室に飛び込み、机を叩く。
「誰かが屋上から飛び降りそうなんです!今すぐ救命マット出してください!」
川崎は職員の腕をつかみ、「間に合わなかったら死人が出ますよ!」と押し切る。
CoconaとReicoは記者達を盾にして、スマホを突きつける。
「ここで動かなきゃ病院が怠慢で生徒死なせたって全国配信されますけど?」
早川は看護師に食い下がる。
「場所は屋上です!はやく!迷ってる暇なんてありませんよ!」
彼らの必死の圧に、病院はようやく動いた。
白い救命マットが職員の手で運び出され、駐車場に広げられていく。
屋上。
瞬は鉄柵を掴み、声を張った。
「兄貴!ここで投げ出さないでほしい!俺がいつでもそばにいるから!」
義一の指がフェンスの外で手が滑り、体が空へ吸い込まれていく。
群衆の悲鳴。
しかし、次の瞬間。
ドンッ。
義一の身体は、下で広げられた救命マットに大きく弾まされて受け止められた。
「助かった?」
誰かの声が、ざわめきの引き金になる。
マットの上で義一はかすかに目を開け、唇を震わせた。
「まだ…生きてる…?」
瞬はフェンスにしがみついたまま、胸の奥で息を吐く。
報道陣のフラッシュが再び嵐のように降り注ぎ、世界中がその瞬間を目撃していた。
―――
義一の自白で、原口を犯人に仕立てる筋書きは完全に崩れた。
けれど、掲示板の張り紙は止まらない。
《裏切り者はだあれ》
あいつが今も、影をかけ続けている。
Coconaが瞬を見つめる。
「ねぇ瞬、あんた何か知ってんじゃない?」
視線が一斉に突き刺さる。
瞬は息を止めた。
胸の奥に、確かな答えはある。
けれど、それを言葉にすれば兄の命も、仲間の未来も消える。
あいつは必ず潰しにくる。
社会的にも、物理的にも。
そして不正入学まで引きずり出されれば、俺達自身もただじゃ済まない。
「知らない。」
瞬は低く答えた。
「でも一つだけ分かる。兄貴が裏切り者なんかじゃない。それだけは俺が保証する。」
矢口が机を叩いた。
「じゃあ誰だってんだよ!」
沈黙。
蛍光灯の光がじわりと瞬を照らす。
声にならない真実が、喉奥で鉄のように重く固まっていた。
《裏切り者はだあれ》
その問いに答えられるのは、自分だけ。
けれど、決して誰にも言えない。
―――
兄の記者会見が異例に行われた。
未成年がこういうことで表沙汰になるのは珍しい。
それは、兄があいつに対する防御策だったのかもしれない。
ここまで大袈裟にすれば、あいつも易々と手が出せるわけが無いからだ。
そして、その夜の病室。
兄のベッド脇で、俺はうとうとする。
少し眠りについた。
けれど、その静けさを破る。
それはスマホが放つ低い震動音。
(非通知?)
兄が指先で掴み取る。
胸の奥で嫌な予感が走り、俺は息を潜めた。
通話が繋がった途端、病室に染み込むような声が流れ込んだ。
病棟は静かで、スピーカーにしてなくても相手の声が聞こえる。
『話が違うじゃーん。なんで記者会見なんてしたのー?』
義一の顔から血の気が引き、指先が震える。
「す、すみません…。僕にはこれ以上、耐えられなかったんです…」
『バラしちゃおうかなー、君の秘密。裏切りは良くないよー?』
義一の肩が強張り、俺の視線を避ける。
「や、やめてください。お願いします。本当にごめんなさい。」
『ふふ……なーんてうっそー。ビビった?』
声はますます楽しげに響き、俺の背筋を冷たく撫でた。
『あーあ。せっかく原口を自殺に追い込んだのになぁ。責任、とってもらうよー。』
兄の喉がひくつく。
「これ以上、なにを…もうこれ以上は…。」
『てかさー。世の中おどろくだろうなぁ。君を刺したの、君じゃないの知ったら。』
義一の唇が震え、声にならない音が漏れる。
俺は思わず立ち上がりそうになるが、足が動かなかった。
なによりも、この話を俺は聞いてはいけない。
『ふふ…。バラしたら君、家族の保証できないからね。』
その言葉に、兄の肩が大きく揺れた。
「わ、わかってます…。何も言いません。だから…どうか…。」
通話が切れる。
兄の手から滑り落ちたスマホが、床に乾いた音を立てる。
(兄貴…)
兄は両手で顔を覆い、声を殺して泣いていた。
俺は胸の奥で確信した。
兄は操られている。
あの声が、兄の言葉を奪っている。
でも、この事実を口にすれば兄は社会的に終わる。
もう復活なんてできないほどに。
黙れば、影はますます兄を蝕むだろう。
俺だけが知ってしまった真実。
この地獄からどう逃げればいいんだ。




