生徒会長の弟 ③ 【番外編】
夜。
非通知が2度、短く鳴る
心臓の鼓動が耳に突き刺さる。
そしてスピーカーにした。
『ふふ…。ごめんね〜。またまたかけたよ〜。3丁目の駅からの帰り道で時間は16時台の終わり頃ね〜。くれぐれも通報はしないでね〜。それでさ、藤井を見張っといてよー。絶対に邪魔させないでね〜。』
ブツッ。
指先が震え、スマホを落としそうになる。
矢口優馬がニヤッと笑った。
「絶対縛りきた〜。どんだけ藤井ビビってんだあいつ。教師一人で崩れるシナリオとか、マジ安っぽ。」
川崎裕也が整理する。
「要するに藤井を外して、香取先輩を孤立させたい。ネットで拡散してる白いイヤホン=合図もそのためだ。」
机の上のスマホには、拡散されたスレが表示されていた。
《読モのあの子を探せ!白イヤホンは仲間の合図》
《ファンは目撃情報をシェアしろ》
早川進が煙を吐いて一言。
「監視網...。」
瞬は眉をしかめ、深く息を吐く。
「けどさ、白いイヤホンなんて、ほとんど全員つけてる。ノイズだらけで、怪しいのを探すのは至難の業だ。」
Coconaが両手を広げて大げさに。
「だよねー!駅前とか見てみ?全員イヤホン白だし。もはやファンイベントじゃん。マジ笑う。」
Reicoが冷たく突き放すように。
「だから逆に紛れ込める。問題は、その中から本物をどう見抜くか。」
矢口が挑発するように笑った。
「で、瞬。お前その至難の業クリアできんの?できなきゃ兄も女も終わりだぜ。」
瞬は拳を握り、声を強める。
「だから俺らで張り付く。CoconaとReicoは藤井に自然に寄り添って歩け。相談持ちかけて、絶対に離れるな。俺と翔と矢口は周囲を監視。川崎は情報整理。白イヤホンの中から怪しいやつを探し出す。」
川崎が短くまとめる。
「表のラインは藤井+二人。裏の監視は三人。危険を察知した瞬間、藤井を呼び込む。これで勝てる。」
早川が一言。
「合図は一瞬。」
Coconaが白いイヤホンを耳にかけ、笑った。
「よし。見た目はただのファン。中身はガチSLAY。ウケるんだけど。」
Reicoが肩をすくめ、低く呟く。
「踊らされてるように見せかけて、実際踊らせ返すのはこっち。」
瞬は息を飲み、全員を見渡した。
「兄を守ることは、ななみを守る。絶対にやり遂げる。」
声がひとつに揃った。
「You SLAY!」
―――
駅前の公衆電話。
ガラスの箱の冷気が頬に張りついてくる。
俺は受話器を握り、10桁を叩いた2度の呼び出し。
「はい、藤井です」
俺は喉を潰すように声を変えた。
「3丁目の交差点。女子生徒に絡む男がいるんだ。今すぐ来てください。通報は後でいいから。」
そこで電話を切る。
心臓が耳を叩いているみたいだ。
外に出ると、矢口が腕を組んでいた。
「来るか?」
「来るしかないだろ?」
川崎が鼻で笑う。
「お前、声バレてねーよな?」
「俺を誰だと思ってんだ?」
早川が煙を吐き、「なら問題ない」とだけ言った。
SLAYは散って配置につく。
矢口優馬は横断歩道の先、川崎裕也は自販機横、早川進は植え込みに腰を下ろす。
俺は電信柱の影に身を沈め、息を殺す。
その時、藤井が現れる。
背筋の伸びた体育会系の歩き方。
すでに全力で駆けつけてきたのか、肩で息をしている。
「どこだ?」
鋭い声が夜気を裂いた。
一瞬、藤井は立ち止まり、周囲を見回す。
その腕が動き出す前に、CoconaとReicoがベンチから立ち上がり、前に出た。
「あ!!せんせー!ちょうどよかったー!」
Coconaが笑顔で大声を張る。
「ウチら進路の相談したかったんだよ。3丁目の交差点まで歩きながらでいい?」
藤井の眉間に皺が寄る。
「今はそんな場合じゃ...」
Reicoがすぐにかぶせた。
「だから、今なんです。あたしたち、親にも言えない話で。ほっといたらマジで消えますよ?」
藤井の足が止まる。
呼吸の荒さがまだ収まらない。
警戒心と戸惑いが入り混じった顔。
イヤホン越しに矢口が吐き捨てる。
「無茶しやがって。教師引き止めんの、ギリすぎだろ。」
川崎が低く分析する。
「でも成功。自然な相談に見える。表のライン成立。」
早川は短く。
「通った。」
Coconaがスマホを掲げて藤井に近づく。
「ほら先生、これ!マジで見てほしいんだけど〜。」
Reicoが藤井の横に並び、わざと小声で。
「ついでに恋バナもー。聞くだけでいいんで〜。」
藤井は眉をひそめたまま、それでも歩き出した。
「わかった。少しだけな。」
俺は電信柱の影で息をつく。
ギリギリだった。
でも、ギャル2人が藤井を絡め取った。
これで教師を孤立させるあいつの筋書きは、ひとまず崩れた。
―――
人混みのざわめきに、白いイヤホンがちらついていた。
通りを行き交う人間の半分以上が白。
右を見ても左を見ても、同じ。
ノイズだらけで、何が「あいつの合図」なのか分からない。
矢口優馬が苛立ちを隠さず舌打ちする。
「クソ、全員白じゃねぇか。探せるかよこんなん。」
早川進が低く一言。
「無理ゲー。」
俺は拳を握り、唇を噛んだ。
「見つけられなきゃ、守れねぇ。」
その時、川崎裕也がスマホを片手に視線を走らせた。
掲示板に流れた投稿を読み上げる。
「おい!。白イヤホン+フード姿、それが条件らしい。」
俺はすぐに合図を送った。
「フードを探せ!」
矢口が吐き捨てる。
「マジでクソ芝居だな。やってやるよ。」
植え込みの陰にいた早川が短く。
「見えたぜ。交差点。」
俺の視界にも入った。
本屋の前、香取ななみ。
紙袋を抱えて、歩幅が乱れている。
その背後に、白いイヤホン、深いフードの男。
喉が鳴った。
「!!」
矢口優馬が舌を打った。
川崎裕也が視線で合図を送る。
「瞬!見ろ。あそこ。」
雑踏の奥に兄の義一がいる。
人混みの中で黙って立ち、時を待っていた。
あいつの狙いは、兄に香取を救わせる?
ヒーローとして光を浴びさせるってことか?
しかし、そんな判断すらできない一瞬の出来事。
俺はとっさにマイクで叫ぶ。
「Cocona、Reico。目の前だ。ななみの後ろ、フードの白イヤホン!」
ベンチに座っていた2人が同時に立ち上がる。
Coconaがわざと大声を張る。
「先生っ!あれっ!!」
Reicoが指を伸ばす。
「香取先輩の後ろ!!」
その瞬間、藤井の視線が一気に走った。
駆け出し、袋を放り、体を切り込ませる。
「手を離せ!」
怒声が夜を裂いた。
肩でねじ込み、手首を払う。柔道仕込みの動きが一瞬で男を崩す。
「さがれ香取!」
ななみは電信柱に肩を寄せ、必死に息を整える。
泣いてはいない。
ただ、唇の端が小さく震えていた。
Coconaが小声で息を吐く。
「マジでドラマ撮影なんだけど。」
Reicoが冷たく笑う。
「でも主演は藤井先生。ウチら脇役か。」
矢口が舌打ちした。
「結局、あいつの筋書きどおりに見えるのはなぜ?。」
俺は拳を握る。
守れた?
いや違う。
本当は、兄貴が動くはずだった。
あいつは兄貴を光らせる筋書きを描いていた。
なのに俺達は藤井を走らせ、兄の出番を潰した。
恩を返すために影でいたはずなのに。
俺が兄の光を邪魔してどうする。
あいつは最初から、それを狙っていたんじゃないか。
「弟が兄の光を奪う」その構図を作って、俺を切り捨てさせようとしているんじゃないか。
矢口が吐き捨てる。
「 余計なことしたかもな。」
川崎が低く言った。
「お前の兄貴をヒーローに仕立てる筋書きだった。でも、俺らが邪魔した。」
早川が煙を吐く。
「外した。」
俺は返せない。
守ったのか、壊したのか。
俺が兄の光を遮った。
その悔しさが、吐き気みたいに喉にこびりついた。
その時、非通知が鳴る。
騒ぎの輪から外れて、自販機の陰で俺だけが取る。
いつも通りの、温度のない声。
『ふふ...。間に合ったんだ?めちゃ映えたね〜。』
吐き気がこみ上げた。
返事をすれば、仲間感が芽生えそうで通話を切る。
爪が震えて、画面の角にカチカチ当たる。
矢口が寄ってきた。
「なんて?」
「映えるだとよ。」
矢口は舌打ちした。
「マジ殴りたくなる。」
川崎が潰した缶を足元に転がし、鼻で笑った。
「映える救出劇?クソだな。安っぽい台本通りかよ。」
早川は煙を吐き、天井をにらむ。
「くだらねぇけど、効果はある。教師を舞台に上げて、次は的にする気だろ。」
Coconaが鼻を鳴らした。
「マジでドラマの演出家じゃん。ウチら、モブかよ。」
Reicoがスマホを掲げ、にやつく。
「映える映像欲しいだけでしょ?しょうもな。再生数狙いのインフルエンサーと同じじゃん。」
矢口が吐き捨てる。
「こんなんで兄貴まで巻き込まれてんだぜ。」
川崎が低く唸った。
「ムカつくな。助かったはずなのに、何もスッキリしねぇ。」
俺は答えられなかった。
助かったから良いのか。
呼んだから悪いのか。
どっちに寄っても胸が潰れる。
―――
パトカーのドアが閉まり、フードの男が車に押し込まれる。
藤井は香取ななみに短く言葉をかけた。
表情は崩さない。その方が彼女も呼吸しやすいのだろう。
群衆の中で、兄貴は黙って立っている。
守ったのは教師、噂になるのは香取。
兄に光は落ちなかった。
俺達は雑踏を抜け、地下の溜まり場へ戻る。
ガラス瓶の水を額に押し当てる。
冷たさが一瞬だけ頭を切り離してく。
沈黙。
呼吸の音ばかりが響く。
矢口優馬が口を開く。
「で、これで終わり?なわけねぇよな?」
川崎裕也が首を振る。
「終わるどころか、ここからじゃね?。あいつは奈良を光らせたかったんだろ?でも走ったのは藤井。」
早川進が机を指でトンと叩く。
「で、俺らは?呼び出されて、動かされて、今回は邪魔役。」
Coconaがわざと明るく笑った。
「雑魚キャラっていうか、もう舞台の大道具だよね?しかも出番間違えたやつ。」
Reicoが肩をすくめる。
「主役は兄貴だった。助ける絵を描いてたのに、うちらが壊した。そりゃ気持ち悪いよ。」
矢口が拳を握り、唸るように言った。
「これ、やべーぞ。」
胸が焼ける。
あいつは最初からそれを利用した?
俺を兄から切り離すために?
恩を返すはずが、裏返されていく。
その時、ポケットが震える。
非通知。
出るわけない。
出た瞬間、あいつの勝ち。
出なくても、あいつは勝手に動く。
ならせめて、今だけは無視したい。
矢口が睨む。
「無視かよ。」
「ああ。どうせまた貼れとかだろ。」
川崎が潰した缶を転がす。
「だったら、こっちから潰しちゃわね?。空振りでも構わないっしょ。」
早川が煙を吐く。
「どのみち、シナリオは崩れねーし。俺らは邪魔者役。」
Coconaが舌打ちする。
「ほんっとウッザ。せっかく反抗したのに、最後は邪魔しました〜ってオチとか。」
Reicoが笑った。
「でもやるんでしょ。結局。兄貴を守りたいの、瞬なんだから。」
俺は奥歯を噛んだ。
「空回りでもいい。あいつに従うよりは、まだマシ。」
矢口が鼻を鳴らす。
「だな。負け犬でも、黙るよりマシ。」
視線が重なり、重苦しい空気を裂くように声がひとつになる。
「You SLAY!」
―――
その夜、藤井が香取に付き添って署に行ったって噂が、SNSで小さく流れた。
俺達は売店の明かりを背にベンチに座り、人影を眺めている。
顔は分からない。
分からない方がいいこともある。
自販機の下の小銭を拾ったホームレスの爺さんが「寒いな」とだけ言う。
誰も返事をしない。
返事しない沈黙が、妙に仲間の合図みたいだった。
帰り際、公衆電話の受話器をもう一度持つ。
軽い。
震えが消えていたからだろう。
耳に当てても沈黙しか返らない。
ガラスに映った顔は、大人でも子供でもない。
中途半端な影。
きっとあいつは、そのゆらぎを突いてくる。
まだ冬の事件は終わっていない。
―――
見飽きた非通知。
いつも通り3回。
スマホを耳に当てた瞬間、氷みたいな声が耳に響く。
『ふふ...。おーまたせー。ついに兄を終わらせるよ。世界的にね〜。』
「は?」思わず声が漏れる。
『君ら元気じゃーん。貼り紙はがして教師走らせて正義ごっこ〜?映えたね〜。でも残念、お兄様もういらなーい。まずは周りから〜。さよーならー。』
「やめろ!」
『やーめなーい。』
ブツッ。
非通知の声が切れる。
空気が一気に重くなった。
矢口が机を蹴りそうになって叫ぶ。
「クソッ!」
川崎は缶を握り潰し、低く吐き捨てる。
「兄貴まで駒かよ。やり口汚すぎんだろ。」
早川は煙をゆっくり吐きながら目を細める。
「世界的ってつまり、炎上だろ。ネットで殺すつもりっしょ。」
Coconaが即ツッコミを入れた。
「は?だっさ!けど一瞬で広まったらマジで詰むやつ〜。」
Reicoが肩をすくめ、スマホを指で回しながら笑う。
「つまりウチら、完全にモブ役ってことね。草。」
俺は息を吐き、拳を握った。
「守る。どんな形でも、兄貴は守る。」
矢口が前髪をかき上げ、苛立った声をぶつける。
「防ぐ?どうやってだよ。声ひとつで兄貴が端末開いたら終わりじゃねえか。」
俺は短く吐き捨てた。
「全部は塞げねー。でも、1人で泳がせるよりマシだろ?俺が盾になるよ。」
Coconaがわざと大げさに笑う。
「出たー!ヒーロー宣言!ウケるんだけどw」
Reicoもすぐ被せる。
「いやいや、ヒーローじゃなくて影でしょ?影が盾って、影武者かよ〜。」
矢口と川崎が思わず吹き出す。
けれど笑いの熱はすぐ消え、全員の顔が真顔に戻った。
川崎が缶を潰して投げた。
「場所も時間も向こうが握ってんだ。こっちの手札、マジで薄い。」
早川は煙草を回しながらぼそっと言う。
「穴塞ぐより、先に動くしかねーだろ。」
Coconaがニヤニヤしながら口を挟む。
「じゃあ逆ドッキリする?影のやつ釣って、バズらせ返すとか〜。」
Reicoがすぐに被せる。
「映えるでしょそれ。『影ざまぁ動画』とか作ったら再生数イケんじゃね?」
矢口が呆れ顔で頭をかく。
「お前らノリ軽すぎだろ…。でも、逆手に取るのはアリかもな。」
俺は唇を噛んでうなずいた。
「笑ってる場合じゃねぇ。けど、笑いながら仕掛け返す。それが一番効く。」
静けさの中で、全員の目が合う。
その重さを切るように、声が揃った。
「You SLAY!」
―――
午後の体育館は、ざわめきで裂けていた。
壇上へ歩く被害者の母親の手には茶封筒。
震える紙がマイクの雑音みたいに響き、空気をざらつかせる。
駒沢が前に出て「スマホをしまいなさい」と声を通す。
藤井が隣に立ち、舞台と観客の境界を引く。
2階席の陰から、俺達はそれを見下ろしていた。
ここに来るまでの道筋が、誰かに並べられたものだと全員が分かっている。
前夜のスレには「学校名」と「教員名」、そして「香取」の頭文字。
朝には匿名メールで「撮影倫理」の挑発。
駅の掲示板には週刊誌の取り置き票。
偶然なんかじゃない。
全部、敷かれたレール。
川崎が缶をぐしゃりと潰す。
「やべぇな。全部、筋書きどおりじゃん。」
俺は小さく吐き捨てる。
「気づいた時点で、もう乗せられてんだよ。」
矢口が壁を蹴りつける。
「逆らってるはずなのに、結局あいつのダンスだろ。クソすぎ。」
「わかってる。けど踊らされてるフリでも、動かなきゃ終わるくね?」
俺は睨み返す。
Reicoが笑わない目でニヤつく。
「やめとく?今からでも。」
Coconaが鼻で笑って即答する。
「は?やめられる奴は最初からここに来てねーって。」
俺は二2人を見やって、低く言った。
「だったら最後まで行くしかねーな。途中で降りたら、兄貴も香取先輩も切り捨てることになる。」
早川は淡々と。
「結局、次は教師が的になるだけだろ?」
矢口が舌打ちする。
「教師?どうでもよくね。大人なんか守る意味あんのかよ。」
俺はかぶせるように言った。
「どうでもよくねーな。大人が潰れたら、その隣にいるのは兄貴。」
川崎も口角を上げた。
「だな。どうせ自分で墓穴掘るし。見ものだわ。」
俺は首を振る。
「見ものじゃねーよ。俺達が止めなきゃ、兄貴ごと落ちる。」
Coconaが髪をかき上げる。
「でも香取先輩は別っしょ。瞬の兄貴、ガチで惚れてんじゃん。」
「それなー。」Reicoがすぐ被せる。
「兄貴の女とか、一番ネタにされるやつでしょ。」
矢口が顔をしかめた。
「は?俺らが女1人のボディーガード?冗談だろ」
俺は矢口をにらみ返す。
「冗談じゃねぇ。本気で守る。兄貴が選んだ相手だ。ここで折らせるわけにはいかねー。」
川崎が唾を吐くように。
「放っときゃ確実にネタにされるっしょ。兄貴まで巻き込まれんの見えてるしな。」
「だから動くんだよ。」
俺は声を強める。
早川は目を細め、短く言った。
「壊すために守らせる。それが筋。」
胸の奥が焼ける。
そうだ。壊すための守り。
でも、踊らされるだけで終わるわけにはいかない。
―――
その夜。非通知が鳴った。
短い笑い声のあとに、一言。
『香取を殺せ』
空気が凍る。
矢口が叫んだ。
「聞かなかったことにしろ!誰もやらねぇ!」
川崎が顔を赤くする。
「逆らったら終わりだろ。逃げ道ゼロ。」
早川は冷たく言い放つ。
「殺せって言葉、耳に残った時点で負けじゃね。」
Coconaが机を叩く。
「ムカつく!全部あいつのシナリオじゃん!」
Reicoが真顔で。
「でも香取先輩潰されたら、周り全部巻き込まれるよ。瞬だって無傷じゃいらんない。」
視線が一斉に俺へ。
喉が詰まる。
矢口が叫ぶ。
「バカかよ!そんな命令、俺らが従えるわけねぇだろ!」
川崎が低く吐く。
「でも守ったら一緒に燃やされる。動いても止まっても、どっちにしろ詰みだな。」
俺は声を荒げた。
「じゃあ黙って従えってか!?目の前で潰されんの見てろって言うのかよ!」
早川が目を細めて。
「矛盾押し込んで、残った動きだけ拾ってる。あいつはそれ狙ってるっしょ。」
Coconaが肩をすくめて笑う。
「香取殺せとかダサすぎ。ホラーの悪役かよ。でも本当に折れんのはウチらの方じゃね?」
Reicoが苦笑い。
「そう。守る守らないで悩んでる時点で遊ばれてんの。」
早川が煙を吐きながら、目を細めた。
「殺せなんて言葉に振り回される時点で、もう負け筋に入ってんだよ。あいつの狙いはそこだ。」
矢口が瞬を睨んだ。
「どうすんだよ、瞬。お前が決めろよ。」
喉の奥が痛い。
兄を守るなら香取を犠牲に。
香取を守れば兄が潰れる。
どっちも選べない。
矢口が静かに言った。
「あいつは命令で俺らの中に声を作ってる。壊せ、守れ、殺せ、助けろ。矛盾を同時に押し込んで、最後に残る動きだけ拾ってんだ。」
誰も笑わなかった。
でも、その瞬間だけ全員の目が合った。
―――
そして当日。
夕暮れ前。
昇降口の影で、ポケットが震える。
非通知。
出た瞬間、あいつの声が冷たい空気を押し込んでくる。
『ふふ...。君の兄貴なんだけどね。今日は駅のホームの端っこに立たせてあげるからね〜。」
「は?」
『人の波に押されて、足を滑らせて、そのまま線路に落ちる。はい!ジ・エンド〜。』
「おまえ!」
『死ぬ瞬間はちゃ〜んと撮って、ネットに流した方が派手だよね〜?』
「クソが!」
『止めたきゃ香取を殺してよ〜。兄を生かす方法は、それしかないからねー。』
通話は一方的に切れた。
耳に残ったのは、鉄を引き裂くみたいなノイズ。
喉が乾く。
唾を飲もうとした瞬間、血の味がした。
正門には警察官。
教師が出入りを見張っていた。
「全員、グループで帰るように!」
藤井の声が響き、列はざわめきながら動き出す。
そのとき、ななみが小さく野口に囁いた。
「ごめん、忘れ物した。すぐ行くから待ってて。」
列を外れて校舎へ戻っていく背中を、瞬は見逃さなかった。
胸がざわつく。
嫌な予感が、また声を連れてくる気がした。
「待て瞬!」
矢口が腕を掴む。
「行くな。お前が追ったら犯人にされる!」
川崎が横から声を荒げる。
「これ罠だろ。絶対あいつの仕込みだって!」
早川は道を阻む。
「止めろ。ここで動いた瞬間、全部の矛先がお前に刺さる。」
Coconaが瞬の腕にしがみつく。
「マジで落ち着いてこ!ここで走ったら終わるってば!」
Reicoも眉をひそめて睨む。
「そうだよ瞬、考えて。ななみ先輩守りたいなら余計に...」
「離せ!」
瞬は振り払った。
声が荒くなる。
「兄貴を守るために、ななみも守る!俺が行かなきゃ誰が行くんだ!」
仲間の手を振り切り、校舎の中へ駆け込む。
廊下は静まり返り、夕暮れの光が長く床を裂いていた。
電球の切れた倉庫の前。
そのときだった。
「大丈夫。送っていくよ。」
聞き覚えのある、安心させるような声。
担任か、友人か、誰かに似せられたその声に、ななみが振り返った。
次の瞬間、刃が閃いた。
鋭い衝撃が胸を貫き、制服が赤に染まる。
倒れ込む音が廊下に乾いた反響を残した。
「ななみ先輩っ!」
瞬は心の中で叫び、駆け寄る。
血の中に沈む彼女。
目を見開いたまま動かない。
そこへ仲間達が追いついた。
矢口の声が震える。
「おい瞬…。まさか…?」
川崎が低く唸る。
「誰がやった?お前がやったのか?」
「違う!」
瞬は声を張り上げる。
「俺じゃねぇ!もう刺されてたんだ!」
その時、野口の声が聞こえた。
「おーーい!ななみー?どこー?」
全員が一斉に顔を見合わせた。
ここに残れば、犯人にされる。
矢口が瞬の腕を掴んで引きずるように叫ぶ。
「逃げるぞ!今はとにかく離れろ!」
川崎も肩を押す。
「ここにいたら全員アウトだ!」
Coconaが泣きそうな声で。
「早く!バレる前に!」
Reicoは震えながらも吐き捨てた。
「全部あいつの筋書きかよ!」
瞬は振り返る。
血に沈むななみ。
兄の影が頭をよぎる。
「クソッ!」
足が勝手に動いた。
SLAYと共に廊下を駆け抜ける。
影に紛れて逃げるしかなかった。
廊下の向こうから足音と怒声。
「ななみっ!」野口の絶叫が響く。
「止血を!」藤井の叫び。
高岩の無線の声。
駒沢の泣き声。
その夜、雪は降らなかった。
胸の奥に広がる冷たさは、雪よりも深く突き刺さる。
―――
俺達は一目散に地下に戻った。
コンクリの湿った匂い。
換気扇の低い唸りが頭にまとわりつく。
矢口が俺の顔を見て固まる。
川崎は机に拳を押しつけたまま。
早川は煙草を揉み消して天井をにらむ。
Coconaは椅子を蹴っ飛ばし、「ムリ! マジ無理!」と声を張る。
Reicoは壁にもたれ、爪をいじりながら「遊ばれてんの、気色悪い」と吐き捨てた。
そのとき非通知が鳴り響く。
冷たい声が耳にねじ込まれる。
『ふふ...。次は君の兄貴にするよ〜。』
胸が軋む。
『だってさ〜。君が刺さないから、兄貴は死ぬんだよ〜。期待してたのに残念だな〜。』
「兄貴だけは、やめてくれ!」
声が勝手に出た。
『やめないよ〜。なぜって?俺がそう決めたから〜。』
ブツッと切れる。
残ったのは湿った地下の空気と、仲間の視線。
矢口が呆れる。
「次は兄貴かよ。ふざけんな!」
川崎が低い声で呟く。
「守っても死ぬ、放っても死ぬ。詰んでんだろ。」
早川は短く唸った。
「穴を塞いでも意味ねぇ。流れそのものが罠。」
Reicoが俺をにらむ。
「ねー、瞬。正直に答えて。香取先輩、あんたがやったの?」
Coconaも腕を組み、顔をしかめる。
「そうそう。ウチら止めたのに走ったのは瞬だし、刺した瞬間は誰も見てないもんね。」
矢口が低く唸る。
「なー、瞬。あそこで何をしたのか言ってくれ。」
喉が焼けるみたいに熱い。
奥歯を噛み、やっと声を絞り出す。
「俺じゃない!俺は見たんだ。刃が腹に入った瞬間、香取先輩の体が前に崩れて…血は前に流れた。俺はその時、後ろにいた。もし俺がやってたなら、返り血がもっと残ってるはずだろ!」
矢口が息を呑む。
川崎が俺の服をにらんだ。
「確かにほとんど汚れてねぇな。」
Coconaが両手を広げて大げさに言う。
「マジやめて!殺人サークルとか笑えないんだけど!」
Reicoは肩をすくめ、苦笑いを浮かべる。
「でもさ、あいつは瞬が刺したって物語に仕立ててんだよ。そう見える状況をわざと残してる。」
早川が煙草を指で転がしながら吐き捨てる。
「またまた踊らされたんだよ、俺ら全員。」
全員の視線がまた俺に重なる。
腹を押さえて崩れるななみの姿が、まぶたに焼きついて離れない。
「わるい、兄貴の様子見てくるわ。」
俺は走った。
兄貴の部屋のドアを開けると、布団の中で兄は横になったまま、天井を見つめている。
「兄貴、起きてたの?」
兄は返事をするまでに少し時間がかかった。
「寝れるわけないだろ...。」
声は乾いて、今にも途切れそうだ。
「僕は…何やってたんだろうな。ななみが困ってるの、気づいてたのに。手を伸ばすことも、言葉をかけることも、全部半端でさ。結局、何一つできなかった」
布団の端を握る兄の手が震えていた。
「好きだったのに…それさえ言えなかった。ただ隣にいてほしいって、それだけだったのに。俺が怖がって踏み込まなかったせいで…何も守れなかった。」
声は次第に掠れて、最後はほとんど囁き。
その目は泣いてはいないのに、泣くより深く沈んでいた。
「兄貴のせいじゃないだろ。」
そう口にした瞬間、自分でも空っぽな言葉だと分かった。
兄はかすかに笑う。
けれど、その笑みは痛みをごまかすためのものだ。
「弟に慰められて…情けないよな。」
胸の奥がざらついた。
―――
数日後。
俺は駅前の横断歩道に立っていた。
このまま警察署に行って、ありのまま全部話すことにした。
命じられたこと、やったこと、やってないこと、順番に並べて全てを吐き出すつもりだ。
そう決めていた矢先。
ポケットの中で携帯が震えた。
非通知。
取らなきゃいいのに、取ってしまった。
習慣になりすぎて 反射的に出てしまう。
「ふふ…。どこ行くの〜?しゅんく〜ん。」
電線をこすったみたいな声。
わざと作る間。語尾だけ伸ばす、変な文法。背中が冷える。
「終わらせに行く」声がかすれた。
「へぇ〜、すごいことすんじゃ〜ん。じゃあ、クイズね。おにいちゃん、いまどこ〜?」
「は?学校だろ。」
「ブ〜!不正解〜。正解は〜救急外来の処置室でした〜。胸の下、横隔膜のふち。そこ刺すとね、呼吸がね、浅くなるの。人間って、やわいんだよ〜。」
一拍置いて、笑い声。
「あっ、君も刺したの見たから知ってたよね〜!ごめんごめん!」
視界が揺れた。
鉄の味が喉に上がる。
「誰が刺した?」
思わず叫ぶ。
「ぼくはな〜んにもしてな〜い。刺した人はね、世界が決めるんだよ?かーらーのー、民意で原口先生でいいってなったんだ。」
胃が裏返る。
「お前のくせに!」
「ふふ...。選ぶんだ。警察か、病院か。どっちでも君は負けるんだけどね〜。」
通話は切れた。
次の瞬間、走っていた。
タクシーに飛び込み、病院名を叫ぶ。
運転手の舌打ちは耳に入らない。
救外の白が目に突き刺さる。
冷たい蛍光灯、鼻を刺す消毒液。
足が止まらない。
止め方もわからない。
スマホを握り直し、指だけが勝手に動いた。
「病院に行く」
送った瞬間、既読が弾ける。
〈場所〉
〈向かう〉
〈張る〉
文字が増えていくのに、目は追えない。
読めば崩れる気がした。
だからポケットに突っ込んだ。
受付の声が遠い。
誰かの靴音が床を叩いている。
全部、音だけで現実がない。
ただ心臓だけが、身体を勝手に急かしていた。




