生徒会長の弟 ② 【番外編】
日が経つにつれ、俺の役割ははっきりしていく。
ここは進学校。
机に参考書を積み上げ、必死に問題集を解く連中の中で、俺達6人は異物。
浮いているのは俺達。
けれど、それでいい。
浮いているからこそ、視線は全部こちらに集まる。
矢口の軽口で笑いが起こり、川崎の一言で空気が和み、早川の冷たい視線が静けさを呼ぶ。
CoconaとReicoは、強い香水の匂い、派手な髪色、制服のスカート丈。
机に置いたショッピング袋には、ブランドのロゴ。
進学校の真面目な生徒達の中で、それだけで異質。
その中心で合図を出すのは俺。
ざわめきを止めるのも、笑いを起こすのも。
全部、俺の目線ひとつで決まる。
深瀬菜々子は、次第に笑うようになる。
最初は震えていた声も、今では少し張りがある。
授業が最後まで止まらずに進むだけで、顔が明るくなっていく。
けれど、それは彼女の力じゃない。
俺が操作している。
彼女が安心できるように空気を回し、タイミングを与えているだけ。
大人を嫌うのが、俺達のモットーだ。
信じないし、尊敬もしない。
利用できるなら骨の髄までしゃぶり尽くす。
深瀬も例外じゃない。
教師の勝手な都合に俺達を巻き込ませはしない。
大人の思い通りになんて、絶対に俺がさせない。
それでも、表から見ればこうだ。
「1年1組は落ち着いてきた。」
「担任が明るくなった。」
全部俺のおかげなのに、世間は教師の成果として受け取る。
それで構わない。
クラスが守られ、兄に火の粉が降りかからないなら、それで十分。
けれど、胸の奥では別の炎が揺れている。
俺をここまで導いた「あいつ」。
あいつの残した言葉や方法が、確かに役に立っている。
同時に、兄を傷つけ続けたのもあいつ。
「必ず後悔させてやる。俺に教えたことを、間違いだったと思わせてやる。」
俺は決心した。
兄を守るために、俺はあいつを食い破る。
そのためなら、影の役割だって捨ててやる。
俺の力で兄を守る。
―――
夏休みの終わり。
渋谷の路地裏、コンビニ横の自販機前。
アルミ缶をかち合わせる音だけがやけに響いてた。
矢口が缶を傾けながら笑う。
「なあ瞬、影のリーダーとか、もうやめようぜ。だっせえって。」
川崎がすぐ茶々を入れる。
「影なのにリーダーって、矛盾してんじゃん。響きも暗ぇし。」
早川は煙草の煙を吐きながら口の端を上げる。
「まあ、瞬が回してんのは事実だけどな。ネーミングセンスはゼロだわ。」
Coconaがスマホをいじりながら首を傾げた。
「影って暗いんだよね〜。瞬ってもっとイケてるのに。」
Reicoも笑う。
「渋谷で影リーダーって、中二病でしょ?」
矢口が手を叩く。
「じゃ、グループ名つけようぜ!俺ら、看板あった方がオモロいじゃん。」
「瞬組?」
川崎がニヤついて言う。
「ダサすぎて草。」
早川が鼻で笑う。
そのときCoconaが画面を見せてきた。
「ねえ、SLAYって知ってる?」
「スレイ?」
矢口が眉をひそめる。
「海外のギャルが使うの。『イケてる』『最高』って意味。何かで決めたときとかに、You slay!って言うんだよ。」
Reicoがすぐ食いついた。
「ヤバ! 影のリーダーより100倍マシじゃん。」
矢口も缶を持ち上げながら笑う。
「いいな、それ。SLAY。響きシンプルで強いし。」
川崎が肩を揺らしてうなずく。
「俺ら教師も警察も転がしてんだし、イケてるって意味は合ってんじゃね?」
早川が俺を見た。
「どうする瞬。影リーダー改め、SLAYの頭でいいか?」
CoconaとReicoが同時に囁く。
「SLAYの瞬、絶対イケてる〜。」
俺はポケットのライターを弾いた。
小さな炎が仲間の顔を一瞬照らす。
「悪くねえな。」
みんなが顔を見合せて
「You SLAY〜!」
笑い声が重なり、路地裏に響いた。
その夜から、俺達はただの寄せ集めじゃなくなった。
呼び名がついた瞬間、逃げ場も、言い訳も消える。
SLAY。
俺達はちまたで、そう呼ばれる存在になった。
もちろん学校では言わない。
―――
夜の携帯非通知。
相変わらず、あいつの声は軽い調子。
「ふふ...場所は同じ。3年2組の扉に、1枚だけ。きっちり貼ってね〜。何か変なこと考えないでよ〜。そうしないと、兄は風の前に立たされることになるかも。」
ぷつりと切れる直前、くぐもった笑い声。
スマホを握る手に汗がにじむ。
頭に浮かぶのは、壇上に立つ兄の姿。
あいつが言う風の前が何を意味するか、考えるまでもない。
矢でも石でも、あいつは平気で浴びせるだろう。
張り紙はポケットの中にある。
薄い紙1枚なのに、鉛の板みたいに重く感じる。
今は逆らえない。従うしかない。
けれど、従うフリならできる。
紙を貼るその瞬間、必ず隙が生まれる。
俺はそこを狙う。
それだけが、あいつを食い破る唯一の道。
「なにしてんの〜?ボケっとして。神の啓示でも来ちゃった?」
Reicoの声で我に返る。
路地裏の自販機の前で、缶を指で弾きながら俺は口を開いた。
俺一人ではもう無理。
仲間にうちあけることを決意する。
「実はさ、俺、ずっとあいつに操られてんだ。」
矢口が目を丸くした。
「は?誰だよそれ。影のリーダーとか言ってた頃からいたのか?」
「ああ。もっと前から。角度とか間合いとか、ああいうやり方…あいつに叩き込まれた。」
川崎が鼻で笑った。
「お前の必殺技、全部パクリだったってわけ?」
「パクリじゃねえ。利用だ。でもその代わりに、ずっと脅されてきた。従わなきゃ兄を狙うってな。」
空気が一気に重くなる。
早川が煙草の煙を吐きながら俺を見た。
「だから最近、間合い狂ってたのか。いつもの瞬なら誤魔化してでも笑わせてるのに。」
Coconaがわざとらしく肩をすくめる。
「やば〜。兄ちゃん人質とか重すぎでしょ。でもさ、それ隠してたのダサくね?言えよ最初から〜。」
Reicoがニヤッと笑って続ける。
「だね。でも逆に今言ってくれたからさ〜。ウチらも関われるってわけだ〜。」
矢口が手を叩いた。
「よ〜し決まり〜。そんなヤバい奴相手に、瞬一人でやらせるとかねーよ。SLAYってのは全員で動くからSLAYなんだろ?」
川崎が頷く。
「どうせ退屈してたしなー。俺らで派手に囮やってやるよ。」
早川は口元を歪めて笑った。
「あいつってやつに、SLAYの名前でも見せつけてやろうぜ。」
CoconaとReicoが同時に声を上げる。
「決まり〜。」
「張り紙ショー開幕ね。」
「You SLAY!」
俺は黙ったまま、缶を握り直した。
こいつらに話した瞬間、もう一人じゃなくなった。
―――
夜の校舎。
SLAYはそれぞれ持ち場についた。
矢口は曲がり角で大声を張り上げる。
「お疲れさまです!警備員さーん!」
冗談みたいな声が絶妙に時間を稼ぐ。
川崎は昇降口で缶ジュースを振りながら言う。
「おじさーん、これ釣り銭出ねーんだけど!」
大げさな身振りに、警備員の視線が奪われる。
早川は窓際でタバコをふかし、灰をぱらぱら落とした。
「やべ、火事になるわ〜。」
上を見上げさせるだけで十分。
CoconaとReicoは音楽をスピーカーに流し、
「やば、バイブス上がる〜!」
と叫びながら廊下を駆け抜けた。
視線も耳も全部、そっちに吸い込まれていく。
その真ん中。
俺は3年2組の扉に、1枚の紙を押しつけた。
黒歴史にしたのは誰?
規定の「のり」で角を止める。
心臓が爆音みたいに鳴っていた。
けれど、誰にも気づかれない。
仲間が作った防御網の中なら、完璧にやれる。
―――
数ヶ月後。
あいつのことをわすれかけてた頃。
ポケットの中で震えるスマホを取り出した。
画面には「非通知」の文字。
耳に当てると、軽く笑うような、冷たい声が落ちてくる。
『ふふ...。ひっさびさ〜。3年2組の掲示板に20時10分。文字は「たのしみだね」だよ。』
通話はそれで切れた。
残ったのは、耳の奥にまとわりつくノイズだけ。
俺は息を吐き、仲間を見回した。
「きた。また貼れってさ。」
俺がそう言うと、矢口が即座に舌打ちした。
「またかよ。ターゲットが誰だろうと関係ねえ。問題は、俺らを使い捨てにしてんのが気に食わねえんだよ。」
川崎が缶を握り潰して低く吐く。
「文化祭、修学旅行…。高岩が絡むときに限って仕掛けられてる。偶然なわけねぇ。完全に遊ばれてんだ。」
早川は俺を見た。
「問題教師の空気作りか。くだらねえ。でも俺らを駒にしてるのは確かだ。そこがムカつく。」
Coconaがわざとらしく唇を尖らせて言う。
「で、電話が来るのは瞬にだけ。ロックオンされてんのはあんただよ。」
Reicoが肩をすくめて笑った。
「聞いちゃった以上、もうウチらも関係者。なら遊んでやろっか。」
「You SLAY!」
胸の奥で何かがざわついた。
高岩。
あいつが潰れないから、張り紙は終わらない。
時に兄を凌ぐ光を放つ。
その存在が俺にとっても邪魔。
兄のクラスは3年1組。
高岩と駒沢、あの肝の据わった元ギャルサー教師が組んでるせいで、いつも3年2組ばかりが注目をさらっていく。
あいつが仕掛けるたびに、逆に光を浴びるのは2組。
それがどれだけ俺を苛立たせるか。
高岩なんて使えねえ。
よりによって兄貴を光らせるどころか、その隣で教師の正義みたいな顔をして立ってやがる。
俺はスマホを握りしめた。
従うフリをしてでも、隙を突く。
あいつを食い破るために。
そして、邪魔な光ごと、潰してやる。
―――
夜の校舎は冷える。
蛍光灯の光が廊下に筋を落とし、足音だけがやけに響く。
SLAY集合。
昇降口に顔を出した瞬間、Coconaがいきなり声を張った。
「え、マジ?楽しみだねとかクソ怖いんだけど!てかさ、夜の学校って、バリ心霊スポットっぽくね?」
Reicoが肩を揺らして笑う。
「てかホラーより安っぽいよー。紙切れ1枚で大騒ぎとか、文化祭の小道具レベルじゃん。」
矢口が俺の手から紙を奪い取り、目を走らせる。
「陰湿かよ。ガキの悪ふざけかーい。」
川崎が鼻で笑い、空き缶を蹴り飛ばす。
「でも効くくね?見たやつ全員が疑心にハマる。安上がりの爆弾。」
「爆弾って!」
Coconaが目を丸くして突っ込む。
「だったらさ〜、もっとオシャにすりゃいいのに。『楽しみだね』とかじゃなくて、『次はアンタ♡』とかさ。」
Reicoが吹き出した。
「うけるんだけど! そんなの貼られたら一気にラブホ街の落書き感出るわ〜。」
矢口が眉をひそめた。
「お前ら、ふざけてんの?」
「ふざけてないし〜!」
Coconaが笑いながら紙を指差す。
「でもマジさ、こんなんで怯える大人のほうが終わってんじゃね?」
Reicoがわざとらしく肩をすくめ、俺を見た。
「瞬、どう思う?ビビらせたいならもっとセンスある落書きにしてって言っとけば?」
俺は舌打ちした。
「センスとか関係ねーよ。狙いは高岩を潰すことだろ。」
一瞬、空気が張りつめた。
Coconaがその緊張をあっさり割る。
「じゃーさ、こっちも遊んじゃえばよくない?言われた通りにやるだけとかダサすぎ。悪役っぽいって言われても、ウチら主役側って感じだし!」
Reicoがニヤッと笑う。
「そうそう。どうせ舞台は整ってる。脚本はこっちで書き換えよ。」
川崎がポケットから「のり」を取り出し、俺に押しつけた。
「ほら瞬。お前がやれよ。電話受けたのはお前だし。」
掲示板に紙を押し当て、4隅を留める。
黒マジックの文字が蛍光灯に浮かぶ。
「終わった。」
矢口が肩をすくめる。
「よし、仕事完了。次はどう騒がれるか見ものだな。」
川崎はスマホで1枚撮り、呟く。
「証拠は残した。踊らされるのはここまでだ。」
早川は煙草を靴でねじ潰し、ぼそっと言った。
「静かすぎて逆に気味悪ぃ。まあ、こういう夜が一番ゾクゾクすんだけどな。」
Coconaがわざと大声をあげた。
「ねえ見て! ウチらめっちゃ映画の悪役っぽくね?てかイケすぎじゃない?」
Reicoが片眉を上げて笑った。
「悪役でいいじゃん。悪役が一番盛り上がるんだよ。」
SLAYの笑い声が、冷えた廊下に反響する。
ただの悪ノリに見えて、胸の奥では別の火がくすぶっていた。
高岩が立ち続ける限り、俺達は終われない。
その事実だけが、足音よりも重く響く。
今回も高岩は落ちなかった。
より沢山の仲間に支えられ光狂った。
―――
冬休みを目前にした夜。
ポケットの中で震えるスマホを取り出す。
非通知。
いつも忘れた時にやってくるウザイやつ。
耳に押し当てた瞬間、あいつの声が落ちてくる。
『ふふ...。お元気?今回は香取を揺らしてほしいんだ〜。藤井も巻き込めたら面白いんだけどな〜。』
ぷつりと切れた。
短い一言なのに、胸の奥に黒いものが広がる。
香取ななみ。
兄貴が好意を寄せている相手。
俺にとって、守る理由は十分すぎた。
兄貴の光の一部...。
SLAY集合。
矢口が俺の顔を見て眉をひそめる。
「で、今度のターゲットは?」
「香取先輩だよ。藤井も一緒に、ってさ。」
川崎が舌打ちし、壁を蹴った。
「女と教師のセット?ゲスすぎだろ。」
早川が煙草の煙を吐きながら冷静に言う。
「罠じゃね?従っても無視しても詰むように仕組んでる。」
空気が重く沈む。
その沈黙を切ったのはCocona。
「ねー、瞬。さっきから暗い顔してんじゃん。もしかしてさぁ…守りたいんでしょ?兄貴の好きな子くさいな〜。」
Reicoがニヤリと笑い、指先で髪をくるくるさせる。
「なるほどね〜。恋バナ混ざったら、一気にサスペンスって感じ〜? 青春っぽくてイイじゃ〜ん。」
矢口が顔をしかめる。
「お前ら、真面目に...」
「真面目に言ってんの!」
Coconaが笑いながら食い気味に被せる。
「瞬が守るって言うなら、ウチらが1番盛り上げなきゃダメじゃ〜ん。」
Reicoが肩をすくめる。
「てか、さ。従うとかマジだっさ〜。ここで逆張りしてこそSLAYっしょ?」
俺は息を吐き、拳を握った。
「動かない。従わずに先回りして香取先輩を守ろう。兄貴を潰す気なら、今度は俺があいつを潰す。」
矢口と川崎が黙り込む。
だが次の瞬間、Coconaが手を叩いて笑った。
「キター!それだよ瞬!反抗宣言とかエモすぎ!」
Reicoが横でケラケラ笑う。
「映えるね〜。あいつを逆に揺らすSLAYって、絶対キャッチーだわ。」
早川が煙草を踏み潰し、苦笑いする。
「ったく、ギャル二人に焚きつけられてんのかよ〜。」
川崎も鼻で笑った。
「まぁいいんじゃね?従うよりマシっしょ。」
俺は仲間の顔を見回した。
重さの奥に、確かに火がついた。
それを弾けさせたのは、皮肉にもCoconaとReicoの笑い声だった。
「You SLAY!」
従う時代は終わった。
次に揺れるのは、あいつの方。
放課後。
三年二組の掲示板に、新しい紙が貼られていた。
「読モの子」
その下には、名前はいらないとでも言うように、誰が狙われているか一目で分かる言葉だけが残されている。
川崎が無造作に剥がし、ぐしゃりと握り潰す。
「クソがー。もう名指しじゃねーか。」
矢口が舌打ちして紙を睨む。
「香取先輩だろ、これ?はっきり狙いに来てやがる。」
早川は煙を吐きながらぼそっと言う。
「証拠も残さず、ただ煽るだけ。影はマジで俺らで遊んでんだな。」
そのときCoconaが口を開いた。
「てか読モって、だっさくない?どうせならインフルエンサー♡とか書けばいいのに。やってること古すぎでしょ。」
Reicoが吹き出して肩を揺らす。
「わかる〜。センスなさすぎ。これで学校中ざわつかせようとしてんの? 安っぽい炎上マーケじゃん。」
矢口が振り返り、俺に視線を突き刺す。
「で、瞬。どうすんだよ。従うのか、潰すのか。」
喉が熱くなる。
兄貴の光が頭に浮かんだ。
香取が笑って兄貴の隣に立つ姿も。
「守る。」
声は震えていたが、迷いはなかった。
「香取は絶対に守る。あいつの遊びに使わせねー。」
一瞬の沈黙のあと、Coconaが両手を叩いて笑った。
「キター!ほら見ろ〜。瞬が本気出した〜!青春ドラマ爆誕じゃん!」
Reicoもニヤリと笑う。
「いいね〜。恋愛サスペンスにシフトってやつ? 燃える展開だわ。」
川崎が鼻で笑い、スマホをポケットに突っ込んだ。
「いいじゃねーか。守るために動くってんなら、付き合ってやるよ。」
矢口も苦笑いを浮かべる。
「ったく、主役気取りしやがって。でも悪くねーな。」
早川が煙草を踏み潰す。
「じゃあ、先手打つぞー。影に遊ばせてばっかじゃつまんねー。」
笑い声が混じる。
だがその奥にある決意は、張り紙よりも濃く深く、冷えた廊下に刻まれていた。
その夜。
スマホに1通の画像が届いた。
街灯の下の女子生徒の影。
その背後に、白いイヤホンをした人影が立っている。
『駒はここで落ちるよ〜』
指先が冷たくなる。
喉の奥が乾き、返信はできない。
ただ既読をつけて、画面を伏せた。
―――
翌朝。
テレビの速報テロップが赤く流れた。
河川沿いで男が死亡。
近隣住民の証言「女子高生と口論していた」
瞬は固まった。
手の中のスマホが鉛みたいに重い。
矢口が顔を歪める。
「間に合わなかったのか。」
川崎が机を叩き、低く唸る。
「結局、影の筋書きどおりじゃねーか!」
早川が煙を吐き、虚ろな目で画面を睨んだ。
「分かってたろ。俺らが逆らったって、簡単には止められねー。」
Coconaは顔をしかめる。
「ん?ちょっと待って。これってさ…。ウチら、最初から見せ物にされてたってことじゃね?」
Reicoが乾いた笑いを漏らす。
「マジ笑えねー。影は瞬にだけネタバラして、ウチら全員で失敗味わえって? 悪趣味すぎ。」
矢口が拳を握り、低く吐き出す。
「駒扱いされてんのは、もうごめんだ。」
川崎がスマホを奪うように見つめて、唸る。
「香取先輩、まだ狙われんだろ?次は絶対させねー。」
瞬は言葉を探した。
兄の姿と、香取の笑顔が頭をよぎる。
けれど出てきたのは、乾いた声。
「守れなかった。でも、次は絶対に潰す。あいつも。」
誰も笑えなかった。
ただ、全員の呼吸が重なり合う。
その空気だけが、この惨めな現実をかろうじて支えていた。
―――
「まただ...。貼られてる。」
矢口が舌打ちする。
「だったら全部剥がすしかねぇ。昨日も一昨日も、俺らが片付けたんだろ?」
川崎が声を荒げる。
「意味ねーんだよ! 次の日にはまた出てんだろ!」
早川が煙を吐き、冷たく言い捨てる。
「影の方が一枚上手だ。俺らは後追い、永遠にな。」
Coconaが腕を組み、わざと軽い調子で割って入る。
「でもさ、残したらもっとヤバくない? 読モの子って貼られてんのに、ガチ放置とかウケるでしょ。」
Reicoが肩を揺らして笑う。
「だねー。だったら剥がすしかない。ま、のりでネイル剥げるの超ムカつくけど。」
俺たちは四方に散り、貼られた紙を剥がして回る。
掲示板、階段の踊り場、トイレの個室の壁。
コピー紙を剥がすたび、指先に「のり」のべたつきが残る。
「これで全部かー?」
矢口が息を切らしながら訊く。
俺はうなずいた。
「見える範囲は。」
しかし、翌朝。
昇降口に人だかりができていた。
視線の先、下駄箱の列に、見覚えのあるコピー紙。
マジックで囲まれた文字。
『読モの子』
喉がひりついた。
(下駄箱。そこだけノーマークだった)
群衆の前に藤井が立ち、無言で全てを剥がし回収する。
生徒指導の教師たちが散り、列は解けていく。
残されたのは、踏みにじられた「のり」の跡だけ。
影の思惑通り、群衆の目に残ったのは「貼られていた」という事実。
昇降口の人だかりは、翌日には教室と廊下にまで広がる。
「見た? あの貼り紙。読モって香取先輩のこと?」
「でもさ、剥がしてたの藤井先生じゃね?なんか怪しくね?」
「犯人ってななみ?」
囁きはすぐに尾ひれをつけて膨らんでいく。
香取が教室に入るたび、視線がざわめきを生む。
笑って取り繕おうとするその顔が、逆に痛々しく見える。
藤井は職員室に呼ばれ、何度も廊下で保護者に頭を下げていた。
生徒会長の義一は、そのざわめきを正面から受け止めていた。
けれど彼には何もできなかった。
庇えば庇うほど、香取への疑念は強まる。
その立場が彼を縛りつけ、沈黙させていた。
廊下の陰で、俺達は群衆の波をただ見ていた。
矢口が拳を握りしめて吐き出す。
「マジで影の思うつぼじゃねーか。」
川崎が舌打ちする。
「教師も先輩も、まとめて狙われてんのに、俺らは後追かよ。」
早川は煙を吐く。
「残った1枚が世界を塗り替える。ほんとよくできてるよ。」
Coconaが悔しながらに笑おうとする。
「エグすぎでしょ。ウチら、もう観客じゃん。」
Reicoが肩を揺らし、苦い声で続けた。
「剥がした数なんて誰も知らない。見せつけられた1枚が、真実になる。」
俺は喉の奥に言葉を押し込んだ。
兄も、香取も、藤井も誰ひとり救えてない。
指先にまだ残る「のり」のざらつきが、自分の無力さを刻みつけていた。




