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無知と言う名の差別 【Little Bit Rewrite ver】

一枚の紙が教室の掲示板にはられている。


《裏切り者 発見》


黒マジックで殴り書きされた文字。

コピー用紙は端が不揃いで、行事予定や当番表の横に、異物のように貼りついていた。

午前の光が差し込む教室。

その紙を見た瞬間、ざわついていた声が一瞬だけ止まった。


「なにこれ…。」

「裏切り者って、誰のこと?」


笑うような声もあったが、どこか空気が固い。

理由ははっきりしていた。

この教室にいる全員が、一つや二つ、隠し事を抱えているからだ。


部活で失敗を隠している者。

親に嘘をついている者。

友達に言えない趣味を持つ者。

誰にも言えない恋心を抱える者。


そんな小さな秘密ですら、文字にされただけで暴かれるような気がした。

「裏切り者」という言葉はあまりにも曖昧で、だからこそ全員が自分の胸の奥に触れられたように怯える。


視線は紙から外せない。

そして、誰からともなく、次の標的を探すように周りを見渡し始めた。


その中でひときわ怯える村上啓太。

頭の中で不安が渦巻く。


―――


わかってた。

こうなることなんて、最初から。


でも、どこかで。

もしかしたらって。

一人ぐらい、ちゃんと見てくれる人がいるんじゃないかって。

甘かった。


「おまえ、なんか、さ…あれだったんでしょ?」


教室の後ろで誰かが言った言葉。

大きな声じゃないけど、十分に聞こえる。

笑ってるような、探ってるような、でもどこか怖がってる声。


「え、ガチ? そういうヤツだったん?」


「やばくね? 普通に隣とか無理なんだけど(笑)」


うるせぇよ、ほっといてくれ!

心の中でつぶやく。

でも、口には出せるわけない。

机にうつぶせになり、イヤホンもつけてるふりして、全部聞こえないふりして...。

でも全部聞こえてるし、気になるに決まってる!


数日前の夜。

出会い系アプリで知り合ったあの人と歩いてた。

本名も、職業も、年齢もちゃんと知らなかったけど。

それでも、本当の自分のことを変な目で見ないで話せる人。

ただそれだけで、初めて人と繋がった感じがした。

俺の聖地見つけた!って感じで、めちゃ嬉しくてたまらなかった。


「啓太〜、何かあったら俺に甘えてな。なんでも話聞くからさ!」


その言葉、キュンとした。

ときめいた。

今までで一番安心できた。

あの人が捕まったのは、まじで突然だった。


「おーい。お兄さん?大丈夫…じゃないねー?」


警察の人に声かけられて職質にあった。

一緒に歩いてただけなのに、俺まで連れていかれていろいろきかれた。

未成年だけならまだ良かった。

俺がゲイとしてここにいることが耐えられなかった。

あの人を恨んだ。


「未成年!?しかも高校生…!?」って、警察の人も困ってたっぽいけど。

でも、事実はそれだけじゃなかった。

俺はレッテルも貼られるし叩かれるんだろうな...。


『覚醒剤を持ってた男と一緒にいたLGBTQの高校生』ってね。


あーぁ... 俺の人生終わった...。


―――


次の日、学校に電話が入って、職員室で教頭と担任と副担任が並んでて。

担任の高岩はいつもの静かな声で言った。


「啓太。なにがあったか、聞かせてくれないか?」


俺は、何も言えなかった。

何か言ったところで、もう全部終わってる気がして。

副担任の駒沢先生が、心配そうな顔してた。


「啓太君、私は信じてるよ。何も悪いことしてないんでしょ?」


信じてほしいとか、もう、そういうのじゃなかった。

噂が広まったのは、速攻だったし。


「村上って、なんかやばいらしいよ」

「ゲイってマジ?」

「しかも覚醒剤持ってた男と歩いてたんだろ?」


全部、事実だけど俺にも言い分はあった。

でも、説明したって無駄なのも分かってた。


男子たちの空気は、一気に変わった。


俺が近づくと、教室のドアがパタンと閉まる。

前まで一緒に昼メシ食ってたやつが、目を合わせない。

連れションすら誘われなくなった。


「おまえさ、まじでそういうの無理やし。普通に気持ち悪いから!」


直接言ってきたやつもいた。

小声じゃなく、真正面で。


ああ、これが本音かって。

わかってたけど、やっぱり刺さった。


女子たちは、逆だった。


「啓太くん、私、そういうの全然気にしないからね。」

「なんかあったら相談してね?」

「てか、LGBTQってもう普通じゃん。」


いやいや、そういうんじゃない。

そういう、いい人ぶるモードが逆にきついんだよ。


俺のこと、何も知らなかったくせに。

今までは話しかけてこなかったくせに。

ただ、そういうキャラになった瞬間だけ、優しくなる。


それが一番、辛かった。


放課後、教室にひとりで残ってたら、高岩が入ってきた。


「帰らないのか?」


「はい。」


高岩はしばらく黙ってたけど、隣の机に座って、俺の視線と同じ方向を見た。


「全部、自分のせいにしてるだろ?」


「そうじゃなくて。そういうもんだってわかってるだけです。」


「わかってる、か...。」


高岩の目が、少しだけ鋭くなった。


「俺は教師だけど、全部わかってる人間じゃない。 けれど、わかろうとする気はある。」


その言葉が、どこか救いのようで、でも、信じ切れなかった。


「無理ですよ。先生は、先生だし。」


「そうかもな...。」


高岩はそれ以上何も言わなかった。

ただ、俺の前に置かれた机のプリントを、そっとひっくり返した。


進路希望調査票。


そんなの、今、出せるわけないだろ。


―――


「このまま、クラスに在籍させるのは、どうかと。」


東海林教頭のその言葉に、職員室の空気が一瞬だけ固まった。


「ちょ、ちょっと待ってください!それって、追い出すってことですか?」


駒沢の声は、怒りと困惑が入り混じっていた。

すぐ隣にいた高岩は、彼女に視線だけを向けていた。


教頭は冷静だった。あえて感情を出さない話し方だった。


「誤解しないでください。私は排除の話をしてるんじゃありません。ただ、保護者から連絡が多数入ってます。」


「覚醒剤を使っていたかもしれない生徒と同じクラスに子どもを置いておくのは心配って、連絡ですよね!」


駒沢が代わりに言い切る。

その言葉の奥に、苦いものが滲んでいた。


「でも、それ建前でしょ。本音はLGBTQの子と一緒が怖いってことじゃないですか?」


教頭の口元がわずかに引きつった。

それでも彼女は言葉を崩さなかった。


「そう捉えられる可能性がある以上、学校としても慎重な対応が求められます。」


「慎重、って…何ですか、それ。静かに消せって言ってるのと同じですよ!」


駒沢の声が震えた。

高岩は、それを止めなかった。


確かに生徒たちの親からの連絡が殺到していた。

内容は一様に「心配です」「説明してほしい」

けれど、その裏に透けて見えるのは...


「うちの子が変な影響受けないか不安です。」


という感情だった。

ある母親は、こう言ったという。


「思春期の子たちって、そういう空気に染まるじゃないですか。だから、本人は何もしてなくても…ね?」


何をしたかではなく、「どういうラベルを貼られたか」だけで人は判断される。


「高岩先生、あなたは担任として、どう考えているんですか?」


教頭が振ったその問いに、高岩はしばらく黙ったままだった。


「私は村上をそのまま見ます。何も変わりません。それだけです。」


教頭の眉がわずかに動いた。


「教育ってそういう理想で守れるほど簡単なものじゃ...」


教頭の言葉をいい切る前に高岩が言う


「簡単に守れるもんじゃないからこそ守るって言葉が必要なんです!」


その声は普段の高岩には珍しくわずかに強かった。


翌日。

昼休みの校門前。


報道っぽい格好をした男たちがフェンス越しに立っていた。


「一緒にいた生徒って、この学校の子らしいな。」

「校長はコメント出すのかな?」


職員が注意しても、スマホを構えて退こうとしない。

まるで、スキャンダルの主役俳優が出てくるのを待ってるみたいに。


その夜。

駒沢は一人、定食屋「ありがとう」のカウンターに座っていた。


「はぁ...。」


深いため息をついた瞬間、

カウンター奥で味噌汁を注いでいた南條が、静かに口を開いた。


「壊すのは、一瞬。守るのは、ずっと先までついてくる、てな。」


駒沢が顔を上げる。


「…はい?」


「人を守るっていうのは自分が壊れる覚悟がいるってことだよ。」


その言葉に駒沢はなにも返せなかった。

目に少しだけ涙が浮かんでいた。


「駒沢先生、定食出しておきましたよ〜。今日のメインは鯖の塩焼きです!」


いつも通りの声で現れた中川有一郎が空気をまったく読まずに料理を置いていった。


「私、泣いてないですよ?」


「いや誰も言ってないっす。うち、涙でしょっぱくなる味噌汁、無料ですからね!」


「もー!うるさい(笑)」


翌朝。

高岩は名簿を見つめながら一言だけつぶやいた。


「手を挙げられるやつなんて、いないよな。」


駒沢はその背中を見つめたまま小さくうなずいた。


「でも、問いかける意味はある。先生ならそう言うと思ってました。」


高岩は何も答えず、ゆっくりと教室へ向かった。


―――


ノートの裏側に、いつの間にか書かれていた落書き。


「覚醒剤中毒」

「ホモ注意報」


油性マジック。

雑に薄く書かれた黒の文字。

啓太はそれを消しもせず見つめていた。


クソが…!


周囲の机から聞こえる話し声は、まるで自分の存在だけが透けているように振る舞う。

視線を合わせない。

話しかけない。

触れない。

なのに明らかに知ってる態度だけとる生徒達。


心が押しつぶされそうだった。


昼休み。

教室を出て、屋上へ向かった。

立ち入り禁止のプレートの横をすり抜けて、鍵のかかっていない非常階段をのぼる。


「……」


死ぬ...?

死ねない...こわい...!

死にたくない!


そんな心とは裏腹に空は晴れていた。

真っ白な光が眩しい。

なんだか遠い世界のものみたいに思えた。

ただ静かに風の音がして、遠くから体育の掛け声が聞こえる。


俺、なんでこんなに嫌われてるんだろ?

言葉にしたら少し涙がこぼれた。

教室に戻ると、黒板にプリントが貼られていた。


『現代社会特別授業』:講師 高岩/3年2組担任


誰かが「え?あの人のポエム授業やるき?」と笑った。

別の誰かは、「しかも今日やるの?超だる……」とつぶやいた。


啓太は、黙って席についた。

何かが起こることを恐れた。

俺の事だろ?どうせ...。

ていうかさ!ほっといてくんないかな!

余計なことすんな!

恐怖とイライラが止まらなかった。


5時間目。

チャイムが鳴ったと同時に、高岩が教室に入ってきた。


手に何も持っていなかった。

プリントも、教材も、タブレットも。

ただ一冊のノートと、赤ペンだけ。


「今日は話をしようか?」


そう言って教壇に立つ。

生徒たちの中から数人が「めんどくさ」と顔を見合わせた。


「黒板も使わない。ノートも出さなくていい。 ただ聞いてほしいだけだ。」


静かに彼は話し始めた。


「最近、ある一人の生徒についてたくさんの声が届いている。」


生徒たちが一斉に固まる。

誰も名前を出していないのに、空気だけがピンと張る。


「あの子、大丈夫なの?」

「一緒のクラスでいいの?」

「変な影響があるんじゃないか」


「そう言ってくるのは、大人たちだけじゃない。この教室の中にもいるんじゃないかと思うんだが?どうだ?」


誰かが小さく咳をした。

誰かが視線を逸らした。


啓太は睨むようにまっすぐ高岩を見ていた。


「人と違うというだけで排除しようとしたり、何かのせいにしたり、責任をなすりつけたり。そんな不道理な世界に君たちはどこかで慣れていないか?」


静寂。


高岩の声は強くない。

けれど、教室の全員がなぜか身体を固くするような圧があった。


「多くの人は、口ではLGBTQを理解してるって言う。でも、それは大抵、自分に関係ないとき、つまり利害関係がない時にだけなんだ。」


「もし、自分の隣の席の人がそうだったら?一緒にトイレに行ってた相手が?部活の後輩が?そのとき、君たちは本当に同じ態度でいられるのか?」


ひとり、またひとりが目線を下げていく。


「人は自分に害があるかもしれないって思った瞬間、人は態度をいきなり変える。関わりあいたくない、出来るなら避けたいって、な。」


「でもな、本人は何も変わってないんだよ。」


教室の空気が、はっきりと揺れた。


「ただ、同性が好きなだけ。それだけでみんなのことを好きになるわけじゃない。じゃあ聞くけど...」


高岩の目がクラス全体を見渡した。


「男子は全員、クラスの女子をみんな好きなのか?卑猥な目で全校の女子を見るのか?」


「違うだろ?そんなの自意識過剰じゃないかな?」


生徒の誰かが無意識にうなずいた。

誰かは指を握りしめていた。

女子の何人かは、じっと机の端を見つめていた。


「こたえてくれ!なんで逆だとそう思ってしまうんだ?」


「なんでたったひとつのきっかけだけで、ここまでの嫌悪感を抱き、憎しみ、怒りを持って、この子を排除しようとしたり、苦しめたいとすら思ってしまうんだ?極端すぎる。」


声が、少しだけ低くなった。


「本気で村上を心の底から苦しめたい、排除したいと思った人がいるなら...」


「手を挙げてくれ。」


誰も、動かなかった。

カタ、とペンが落ちる音だけが響いた。


静寂。

誰も動かなかった。

高岩の言葉が落ちたあと、時間が止まったように。

椅子の軋みひとつ聞こえない教室。

教卓の上で高岩は、ただ静かに生徒たちを見つめていた。


時間にして1分前後だったが、かなりの時間が経過してるように思えた。


啓太は心の奥で思った。


「誰もが本音を隠したまま終わる」ことにもう慣れていた。


「…先生。」


その声は小さかった。

しかし、妙にクリアに皆の心に響いた。


佐藤遥だった。


「私…正直、よくわかんないなって思ってました。怖いとかじゃないんだけど、ただ、どうしたらいいのか?どう話したらいいのか?わかんなくなって…それで、何も言えなかった。こんなことしか言えなくてごめんなさい。」


誰も笑わなかった。

誰も茶化さなかった。


遥は続けた。


「だけど、それって逃げてただけなんですよね?本当は、ちゃんと向き合って話せばよかったのに。村上くんのこと、そういう人って見てたんじゃなくて、誰かの視線を気にしてる人ってだけだったのに…。私の感覚だから意味わかんないこと言ってるかもだけど...。」


「誰もがあると思う!皆に言わないだけでめちゃ不安な事とかとか...皆も、あるよね?好きって気持ちとか誰に向けるかなんて、そんなの人それぞれなのに...。」


遥の目に涙が浮かんでいた。


「私は村上くんと…これからちゃんと話したい。ちゃんとわからないって言いたいです。でも嫌悪は絶対にしない!それだけはここで言いたかった...。」


高岩は、それを止めることも、褒めることも、しなかった。

ただ一言だけ。


「ありがとう。」


その一言をきっかけに、

空気が変わった。


久保美優がうつむいたまま小さくつぶやいた。


「私、ノートに落書きされてたの見ちゃって、さ...。でも!怖くて止められなかった...。何も言わなかった自分が今、一番!嫌だと思ってる...。」


加藤れんが、顔を上げた。


「俺…さ、ちょっと正直びっくりしたんよ。でも、それだけで距離置いたら、俺たち何も始まらない気がして…さ。てかさー、誰にも人に言えないこと俺にもあるわ。それ知られんの嫌だし、それ知られて、さ...嫌われるのもやっぱ納得いかんと思うし…だから…ごめん!」


生徒たちの言葉は、バラバラだった。

でも、それはつくろった理解じゃなかった。


わからないけど知ろうとする。

正しいことがわからないから、まず隣にいる。

そんな本音の温度だった。


高岩がゆっくりと口を開いた。


「誰だって無知なんだよ。最初は。わからなくて当たり前だ。」


「でも、わからないことを怖がるんじゃなくて、わからないまま見て見ぬふりすることを怖がってほしい。」


「大事な事だから、もう一度言わせて欲しい。人は、利害関係がないときにはLGBTQを理解してるって言う。でも、自分の生活や人間関係に関わった瞬間、面倒になったり避けたりするものなんだ。」


「関係ないって言うこと自体が、すでに無関心だ。」


「そして無関心こそが、人を傷つける一番冷たい刃だ。」


教室の誰もが視線を落とした。


「本人は、何も変わってない」


「たまたま好きになった人が同性だっただけ。それだけで教室の空気が変わるなら、それは彼の問題じゃない。君たち一人一人の想像力の欠如の問題だ。」


「だからこそ想像力を養ってくれ。この先、きっと自分のすぐそばに同じ痛みを持った人が必ず現れる。」


「そのとき、君たちはちゃんと寄り添える人間であってほしい。先生は心からそう思う。」


静かに教室が吸い込まれていった。


5時間目の授業が終わり、チャイムが鳴ったあとも、

誰一人、席を立たなかった。


静寂。


けれど、ただの沈黙ではなかった。

教室の空気が確実に何かを飲み込んだあと、ゆっくりと前の席で手が上がった。


啓太だ。


彼は立ち上がらなかった。

ただ、座ったまま。

机に手を置いたまま。


「…俺、ずっと黙ってた。いや、黙ってるしかなかった...が、正しいのかもしれない。」


誰も口を挟まない。

あのふざけてた男子たちも、女子たちも、

全員が彼の声を聞いていた。


「本当のこと言えばなにも変わらないって信じてた。でも...」


喉が少しつかえた。


「男が好きってだけで、お前も狙われてんじゃねって言われて、気持ち悪いって机に書かれて、友達だったやつに避けられて…。」


目が赤くなっていく。


「俺が変わったんじゃない!勝手に周りが急に俺を変えてきやがったんだよ!」


しばらく誰も声を出せなかった。

そんな中、後ろの席から声が上がった。


「それさー!やったやつ誰なん?」


佐藤遥だった。

机に手をついて声を震わせていた。


「いま聞いてて、ほんっとーにムカついた!なんでこんな辛い話を本人がしなきゃいけないの?」


「確かに問題は起こしたかもしれないよ?でもさー!私達には何にもしてないのに、ここまで言わせて、見て見ぬふりしてたやつ、私含めて何人いた?てこと!」


彼女の目が、クラスの後ろの数席を刺した。


「平井ー!ノートに落書きしたのあんたでしょ? 見てたんだからね!」


平井が一瞬肩を震わせた。

何かを言いかけて口を閉じた。


「石田、あんた昼休みわざと近寄るなよって聞こえるように言ってたよね?」


「鈴木、あんたはクラスの中心で誰かをハブる側にいたじゃん。黙ってんのが一番ずるくね!いい加減にしろよ!」


「江口、掲示板にホモは帰れって書いたでしょ? 最低だよあんた!」


「西村、誤解されたくないから近寄らない方がいいって他の男子達に言ってたよね?冷静ぶって何様?そういうのが一番傷つくんだよ!最悪!」


教室が凍った。


平井達也が、俯いたまま、つぶやいた。


「ノリだったんだよ。なんか、空気的に、冗談っていうか…。」


遥が怒鳴った。


「じゃあ、今、冗談って言ってみろよ!同じセリフ、目の前で啓太に言える!? ホモ注意報って!!言い訳して逃げんなよ!!」


啓太が、ゆっくりと顔を伏せた。

静かに泣いていた。

音もなく肩だけが震えていた。


高岩は、まだ一言も発していなかった。

でも、教室の全員が、今、何を見ているのかを理解していた。

差別は加害の言葉だけじゃない。

見て見ぬふりも同罪なんだ。


駒沢が教室の扉を閉めてから静かに言った。


「今、ここにいる誰もこの空気から逃げないで欲しいの。」


「たぶん、今日のこの時間が、このクラスが、ただの居場所から、意味のある場所になるかどうかの境界線なんだよ。今わからなくても、きっとわかる日がくる。」


そのあとしばらくして、

平井が、小さく手を上げた。


「ごめんなさい。ほんとに何も考えてなかった。でも、それが一番ひどいって、今、本当に思えた...。」


石田も下を向いたまま言った。


「俺、同類だって思われたらどうしよう、って。でもそれって、めちゃくちゃ自分勝手だった...。本当にごめんなさい。」


一人ひとりが、

その場で初めて自分の言葉で喋り始めた。


啓太は、少しだけ照れくさそうに笑った。


「俺、まだ誰かに嫌われてる気はするけど、さ...。今日ここ来るの、実はめっちゃ怖かった。」


「でも…今、ちょっとだけ、ここにいてよかったって思えた!」


―――


翌朝、いつものようにチャイムが鳴る。

でも、教室の空気は、ほんの少し違っていた。


誰も、特別なことは言わない。

啓太が教室に入ってきた瞬間、誰も目を逸らさなかった。

それだけで、すでに昨日までの世界とは違っていた。


「よっ!!おはよう〜!」


佐藤遥が小さく手を挙げた。

啓太は少し戸惑ったあと、うなずく。


「おはよう!」


それだけの会話なのに、

啓太の背筋が、少しだけ伸びたように見えた。


男子たちは、まだぎこちない。


平井達也は、啓太の視線に気づくと、何か言おうとしてやめた。

それでも、昨日までは目を逸らしていたのに、今日はちゃんと視線がぶつかった。


鈴木寛人は、相変わらずクラスの中心で笑っていたけれど、啓太が通り過ぎたときに、ほんの一瞬だけ、目で挨拶をしていた。


西村弘樹は、席に座ったまま、ノートに何かを書いていた。

そのページには、性の多様性についての統計がびっしり書かれていた。


まだ、誰も完璧に変わったわけじゃない。

でも、知ろうとしている皆が確かにいた。


昼休み


啓太の机に、小さな輪ができていた。


佐藤遥、久保美優、加藤れん。

3人が、特別なことを言うでもなく、プリントを見ながら進路希望について話していた。


「私さ、福祉系の大学ってどうかなって…。」

「え?なんで?」

「昨日の話、ちょっと引きずっててさ。なんか、支える側ってか…そういう仕事もいいなって思っただけ。」


そんな言葉が自然に出てくる空気。

優しさというより、同じ場所にいる覚悟のような空気。


啓太は笑った。


「俺、別に特別な存在になりたいわけじゃないよ。ただ普通でいたいだけだった。何も考えずに、笑って、話して…それが一番難しかったから、さ。」


その言葉に、加藤れんが小さくうなずいた。


「でも、さ〜。それ言えるのが、今は一番かっこいいと思う!」


放課後。

誰もいない教室で、

啓太は自分の机をふいた。


黒マジックの跡は、完全には消えてない。

「気持ち悪い」の気の輪郭が、うっすら残っている。


しかし、今日は上から小さく「負けんな」と書かれていた。

字が下手だった。

たぶん、加藤れんだと啓太は思った。


啓太は少しだけ笑って、ペンで丸く囲った。


高岩は静かに教室に入った。


机の並びはそのまま。

でも、空気だけが昨日とは確実に違っていた。


駒沢がそっと後ろからつぶやいた。


「すっごく頑張りましたよね。昨日の村上くん!」


高岩は、少しだけ微笑んだ。


「だな。そして、周りがようやく彼を見始めたんだ。」


「でもまだ、わかったふりしてる生徒もいますよね...。」


「それでいいんだよ。大人だって全部わかって生きてるわけじゃないんだ。」


「そうですね。私も昨日、あの子のために怒ったけど、どこかで正義感を振りかざしてた気もするし。」


「振りかざすより、一緒にいる方が難しいよな。だから、わからないまま、そばにいる…それでいいんじゃないかな。近い未来、必ずわかる時がやってくる。」


駒沢は黙ったあと、つぶやいた。


「ず、ずるいなぁ〜!それってすごくカッコよすぎるでしょ!!」


―――


夜の帰り道。

ふきつける風は冷たかったが、どこか春の匂いが混じっていた。


高岩はひとり、駅のホームに立ちながら思った。

誰かを理解しようとすることは、戦うことじゃなく、寄り添うことだ。


明日もまた、誰かの名前を呼ぶ日が来る。

その名前の向こうにある、本当の気持ちを探す日々が今後も続いていく。

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