表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
沈黙の紙片 ~裏切り者のいる教室〜  作者: マリブン
Season1

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/33

名前のない噂 ③

午前六時の前。

まだ校舎の窓ガラスは白く曇り、吐く息がすぐに消えていく時間。


正面玄関の掲示板に、1枚の紙が貼られていた。


《君はやりすぎた》


コピー用紙に黒マジック。

文字は走り書きに見えて、どこか癖が強い。

沈黙が、その紙の存在をより濃くしている。

ざわめくことなく、ただ冷たい空気の中で紙は揺れていた。


そして、午前六時。

薄暗いテレビ画面の隅に赤い帯が走った。


速報 県立高校で三年男子生徒刺され重傷。

校内での犯行か?

被害生徒は生徒会長。


ストレッチャーに乗せられた制服姿。

夜の校舎。

画面の右下には「命に別状なし」と繰り返されるテロップ。


実況アナウンサーの声が続いた。


「被害生徒は意識があり、搬送される際、教師に刺されたと口にしたとみられています。」


その一文が、朝の教室をざわめかせた。


「教師って…誰?」

「やばくね、これ」


スマホを握った指先に震えが走る。

SNSにはすでに名前が流れていた。


《奈良義一》生徒会長。

そしてもうひとつ。

《刺したのは原口先生》


―――


午前8時。職員室。

校長・根岸が戻ってきて、声を絞り出した。


「奈良くんの件だが、本人がはっきり言ったそうだ。原口先生に刺されたとね。」


室内の空気が凍る。

生活指導主任の田中が椅子を蹴って立ち上がった。


「本人がそう言っているのなら...。もう、言い逃れできんだろ!」


「落ち着きなさい。まだ証拠は…。」


教頭の東海林が遮ろうとしたが、誰も聞いていなかった。


机に座る原口圭介は、ただ一言。


「私はやってません。」


無表情。

声は冷たく、抑揚がない。

その否定がかえって「やはり」という空気を強めていった。


午後、警察が校内に入り、原口は車に乗せられた。

生徒達は窓越しにその姿を見つめる。


「やっぱり原口先生なん?」

「奈良会長が言ってるんだしな」

「冷たい目してたもんなー。」


誰も疑わなかった。

ただ、3年2組だけは違った。


―――


放課後の教室。

窓から差し込む冬の光が斜めに床を切っていた。


鈴木寛人は机の縁に肘をつき、視線を落とした。

胸の奥で、どうしても消えない映像があった。


血まみれの生徒会室。

倒れる奈良の腹に、布を押し当てていたのは原口先生。


無言で、一定のリズムで圧迫を続ける手。

「救急車を呼べ」ただ一言だけ。


犯人が止血する。

そんなことがあるのか?


「なぁ...。」


鈴木は声を落とした。

机を囲むのは藤田怜奈、久保美優、村上啓太。


「刺した本人が、止血なんてするか?」


美優が顔を青ざめさせ、慌てて首を振る。


「やめてよ。そんなこと言ったら、奈良会長を疑ってるって思われるじゃん。」


怜奈は湯呑を包んだまま、小さく呟いた。


「それ、さ。私も思ったんだよね。普通なら逃げるでしょ。助けるなんてある?」


啓太が付け足す。


「しかも応急処置がちゃんとしてたってさ。救急隊の人が、おかげで助かったって言ってたの聞いた。それって、さ。犯人のすることかね?」


沈黙。

時計の針がやけに大きく響く。

誰も口に出せないが、心の奥では同じ疑問を繰り返していた。


もし原口が刺していないなら?

じゃあ、誰が?

あるいは、本当に刺されたのか?


矛盾は確かあった。

しかし声にした瞬間、空気に飲まれる。

だから彼らはただ黙って、互いの顔を見合った。


―――


翌朝のワイドショー。

キャスターは声を落として言った。


県立高校の生徒会長が刺され重傷。

本人は「担任に刺された」と証言。

警察は教員の原口圭介容疑者(45)を逮捕し、詳しく事情を聴いています。


名前が画面に出た瞬間、空気が固まる。

原口容疑者。

昨日まで職員室にいた先生が、そう呼ばれている。


解説者が言う。


「本人の証言がある以上、警察は動かざるを得ない。動機はまだ不明ですが…。」


不明、という言葉が逆に想像を煽る。

SNSのタイムラインには、断片的な記憶や悪口が並ぶ。


《無表情で怖かった》

《冷たい》

《神じゃないって言った》


それらが積み重なって「やっぱり」と確信に変わっていく。


しかし、3年2組は違っていた。

彼らだけが、あの場面を思い出せた。


―――


午後、警察署。

原口は無表情のまま椅子に座っていた。

刑事が机を挟んで問いかける。


「奈良君は、あなたが刺したと証言しています。」


「私は刺していません。何度言えばわかってもらえるんですか?」


淡々とした返答。

抑揚がなく、感情も見えない。

刑事は苛立ちを隠さず、机を指で叩く。


「ではなぜ、あなたの手は血で染まっていたんです? 生徒を止血したとでも?」


「それ以外ないでしょう!救急車が来るまでの応急処置をしていましたよ。」


「自分で刺しておいて止血ですか? 馬鹿げてますね。」


「私はやっていないんだよ。」


同じ言葉だけを繰り返す。

その無機質さが、逆に「やった」と思わせる。

だが矛盾もそこに潜んでいた。


―――


放課後、3年2組。


鈴木は周囲を確認してから口を開いた。


「さっき高岩先生からきいた。救急隊の人が応急処置が的確だったって話。」


「原口先生のことだよね?」


久保美優が息をのむ。


「そう。もし本当に刺した犯人なら、そこまでするか?」


啓太がうなずく。


「それに、凶器がまだ見つかってないって聞いた。刺したなら刃物を持ってたはずだよな?」


怜奈が机に頬杖をつき、声を潜めて言う。


「つまり、刺したって証言以外に証拠がないってこと?」


誰も答えない。

しかしその沈黙こそが答えだった。


―――


翌日、臨時の学年集会。

壇上で校長が言う。


「この件について、憶測を広めないように。報道やSNSの情報に惑わされず、落ち着いて生活してください。」


その声を遮るように、ざわめきが広がる。


「でも奈良会長が言ってんだよな。」

「原口先生が刺したのに決まってんじゃん。」

「なのに救ったって? そんなわけねぇだろ。」


声がぶつかり合う。

真実は一つのはずなのに、解釈は二つに割れていた。


3年2組の片隅で、鈴木は拳を握った。


(このままじゃ、誰も真相に辿り着けない)


怜奈が小声で囁く。


「刺されたこと自体、演出だったら?」


その言葉に、美優は顔を覆った。


「やめて…。それ以上は、怖すぎる。」


啓太は黙ったまま、床を見つめていた。

胸の奥で、同じ疑念が膨らんでいた。



―――


週が明けてもニュースは連日トップを飾った。

県立高校、生徒会長刺傷事件。

教師を逮捕。

画面には原口の顔写真。

職員証から切り取られた古い画像。


キャスターが言う。


「本人は一貫して容疑を否認していますが、被害生徒の証言は明確。刺したのは担任の原口先生だと主張しています。」


しかし別の時間帯の番組では、テロップが揺らいでいた。


《凶器まだ見つからず》

《現場に他者の足跡》


言うことはどこも同じではない。

そのぶれを、3年2組の生徒は敏感に感じ取っていた。


―――


放課後の図書室。

窓の外は冬の早い夕暮れ、藍色に沈んでいく。

鈴木、怜奈、美優、啓太が机を囲む。


啓太が声を潜める。


「今日のニュース見た?凶器がまだ見つかってないってやつ、あれ本当なのかね?」


「本当だろ。」


鈴木が即答した。


「もし原口先生が刺したなら、ナイフを持ってたはず。でも現場検証で出てないんだからな。」


怜奈が眉をひそめる。


「じゃあ奈良会長は、何を見たの?」


沈黙。

本棚の影で、誰かが咳払いをした。

皆、びくりと肩を揺らす。


美優が小さな声で言った。


「あの、さ。刺されたって言うけど、私、血の量が気になってたの。床に広がってなくない?制服の腹は赤かったけど、布で押さえられてすぐ止まってたしね。」


啓太が腕を組む。


「なぁ。刺されたってのは、もしかして?」


「待てよ。」


鈴木が遮る。


「今それを言葉にしたら、もう後戻りできなくなる。今はまだ、心にしまっとけよ。」


全員がうつむく。

机の上の影が深く重なっていた。


―――


その頃、警察署。

原口は再び取り調べ室に座っていた。

刑事が書類を叩く。


「あなたは、やっていないと言っていますがね。奈良君は、あなたに刺されたと、ずっと同じ証言をしているんですよ。」


「私は止血をした。それだけです。」


「なら、なぜ奈良君が嘘をつくんです?」


原口は目を伏せたまま答えない。

沈黙。

刑事が椅子を引き、苛立ちを滲ませる。


「黙っていれば黙っているほど、余計に疑われるんですがね〜。」


「私はやっていません。」


その無表情は、3年2組の生徒達が授業中に何度も目にしてきた原口そのもの。

だからこそ、「やはり犯人」とも「いつもの先生」とも、解釈は別れてしまうのだった。


―――


校内の廊下。

掲示板には臨時の張り紙。


《憶測や噂を広げないこと》

《報道関係者に答えないこと》


だが、生徒たちの間では止まらなかった。


「やっぱり原口だろ」

「でも刺したあと助けたって変じゃね?」

「そういう二面性あるやつなんだよ。」

「いや、刺されたふりなんじゃないか?」


声が錯綜し、意味を失う。

だが確かに、疑念は膨らんでいた。



昼休み。

3年2組の教室はざわつき、弁当の匂いが重く漂っていた。


吉田直樹が声を落とす。


「なぁ…俺、もう何が本当かわかんねぇよ。」


山口隼人が黙って頷いた。

彼もまた、心の奥で同じ疑問を繰り返していた。


もし原口が刺したなら、なぜ止血した?

もし奈良が嘘をついているなら、何のために?


その問いは声にならず、空気だけを濁らせていた。


―――


その夜、美優は布団の中でスマホを握りしめていた。

SNSには《被害者は勇敢に告発した》《教師の闇》という言葉が並んでいる。

しかし、彼女の頭に残っているのは、別の映像。


応急処置をする原口。

ただの冷たい教師ではない姿。


もし犯人なら、なぜ?

その矛盾だけが、心に棘のように刺さって抜けなかった。


―――


翌日、下校途中。

鈴木と怜奈が並んで歩いていた。

冬の夕暮れ、商店街の灯りがぽつりぽつりと点く。


「なぁ、怜奈」鈴木が口を開く。

「もし奈良会長が嘘をついてたら、どうする?」


怜奈は足を止めた。


「嘘?そんなわけ...。」


言い切れなかった。

自分の胸の奥でも、同じ疑念が膨らんでいた。


「考えすぎかもな。」


鈴木は苦く笑った。

しかし2人とも、その笑顔に力がないことを知っていた。


―――


1月の冷たい風が、校舎の窓を叩く。

職員室では教師達が顔を見合わせ、誰も真実を口にできない。

警察署では原口が「やっていない」を繰り返している。

そして3年2組では、生徒達が矛盾に気づきながら、声に出せずに沈黙していた。


刺されたのは本当か?

原口は本当に犯人か?

それとも、奈良の言葉こそが作られたものなのか?


答えの出ない疑念だけが、ゆっくりと積み重なっていく。


図書室の窓は曇りガラス越しに冬の光を落としていた。

冷たい空気と紙の匂いだけが支配する放課後。

窓際の机を囲むのは鈴木寛人、藤田怜奈、久保美優、村上啓太、吉田直樹そして3年4組の三澤沙織。


机の中央には一冊のノート。

その表紙には黒々と「疑問点」と書かれている。


寛人がペンを握りしめ、声を落とした。


「整理しよう。俺達が引っかかってるのは1つ。刺した犯人が止血なんてするのか?」


怜奈が頬杖をつき、髪を指に絡める。


「見たでしょ。原口先生。あんなの、犯人の行動じゃないでしょ。」


「俺なら逃げる。」


啓太が鼻で笑った。


「血まみれで残るとか、馬鹿だろ。」


美優はマフラーを抱きしめ、首を振った。


「でも…奈良会長が刺されたって言ったのは本当だよ。嘘をつく人じゃない。」


沙織が唇を噛む。


「私、最初に見たの。奈良君が倒れてて、叫んだ。その声で原口先生が来たのよ。それは絶対に間違いない。」


寛人はノートに線を引く。


《第一発見者=沙織 → 原口到着(止血)》


「でも会長は原口に刺されたって言ってる。完全に食い違ってる。」


重たい沈黙が落ちる。

そして寛人が口を開いた。


「証言が食い違ってる以上、確かめるしかない。俺達にできる方法でな。」


怜奈が不安を口にする。


「でも、警察がもう調べてるんでしょ?私たちが首突っ込んだら危ないよ。」


「危ないのは分かってる。」


啓太が割り込む。


「でも今のままじゃ原口先生は犯人扱いのまま潰される。」


美優は不安そうに机に手を置く。


「何から始めればいいの?」


寛人はノートを開き、黒ペンで三つの矢印を引いた。


《鍵の管理 → 用務員の角田》

《止血の真偽 → 救急隊》

《証言の食い違い → 奈良本人》


「まず、この三つ。」


寛人は言い切った。


「鍵を管理してる角田さんに、生徒会室や機械室の出入りを確認する。救急隊に止血の話を聞く。そして奈良会長。本人にもう一度、確かめる。」


怜奈が息を呑む。


「直接? 無理だよ。病院は警察とマスコミだらけ。」


「無理でも、方法は探そう。」


隼人が静かに言う。


「大事なのは、何を確かめたいかをはっきりさせることじゃね?」


啓太が机を叩いた。


「よし、役割分担だ。俺は角田さんを当たる。用務員なら生徒に甘いときもあるし、うまく聞き出せるはずだ。」


「私は救急隊。」美優が小さな声で言った。


「父が知り合いにいるから、お願いしてみるね。」


怜奈は腕を組み、真剣な顔をした。


「じゃあ私と鈴木で奈良会長。弟の翔くんに頼めば、会える口実くらい作れるかもしれない。」


吉田直樹は黙ってパソコンを開く。


「俺は沙織とネットと掲示板を追う。昨日も廊下で刺されたなんて嘘情報が流れてた。書き込んだやつを割れば、裏で動いてる人間が見えるかもしれない。」


図書室の外では、吹奏楽部の音が遠くに響いてる。

その音に背中を押されるように、5人は顔を見合わせ、静かに頷いた。

彼らの青春はもう、ただの放課後ではなくなっていた。


―――


翌日の放課後。

他の仲間がそれぞれの役割に散っていく中、村上啓太は一人で校舎裏に回り込んだ。


冬の冷気が刺さるように頬を打つ。

廊下の外れで、角田用務員が脚立に登り、電球を取り替えている。

低い鼻歌が、人気のない空間に響いている。


「角田さん。」


啓太は声をかけた。胸の鼓動がやけに大きい。


「おう、なんか用か?」


角田は振り返り、作業着の胸ポケットから軍手を外す。


「聞きたいことがありまして。」


啓太はためらわず切り込んだ。


「生徒会室の鍵のことです。事件の日に、誰か借りに来ませんでしたか?」


角田の目が細くなる。


「へぇ……お前ら、噂を追いかけてるってわけか。だが貸し出し記録は先生以外に見せない決まりなんだよ。」


「でも、俺は知りたいんです。原口先生が刺したなんて、どうしても信じられない。鍵の動きが分かれば、何か証明できるかもしれない。」


しばしの沈黙。


角田は脚立を降り、啓太の目をまっすぐに見た。


「いい目をしてる。そこまで言うなら、1つだけ教えてやるかな。」


啓太が息をのむ。


「事件の晩、俺が機械室に入ろうとしたら、もう点検済みになってたんだ。鍵は返されてたんだけどね、記録は残ってなかったんだ。」


「え?いったい誰が?」


啓太の声が震える。

角田は鼻で笑った。


「それがね、暗くて顔は見えなかったんだよ。ただメガネが光ってたのは見たんだよ。」


その言葉に啓太の背筋が凍りつく。

角田は脚立を肩に担ぎ、背を向けた。


「これ以上は大人の領分だからね。帰りなさい。」


啓太は、吐く息の白さを見つめながら拳を握りしめた。


(みんなに伝えなきゃ。)


その足取りは、冷たい校舎の影を重く踏みしめていた。


―――


同じころ、久保美優は父の知り合いに紹介された救急隊員を訪ねていた。

駅近くの消防署の一室。

冬の夕暮れが窓を赤く染め、机の上には分厚い救急記録ファイルが置かれていた。


「お父さんから話は聞いたよ。」


30代前半くらいの救急隊員・佐伯は、書類を閉じて顔を上げた。


「事件の現場にいた隊員のことを知りたいんだって?」


美優は緊張で声を震わせながらもうなずく。


「はい。どうしても。もし迷惑じゃなければ。」


佐伯はしばらく考え込み、それから小さく笑った。


「君のお父さんには世話になってるからな。言える範囲だけだぞ。」


美優は息をのむ。

佐伯は声を潜めて続けた。


「処置に入ったとき、すでに止血はされていたらしい。布で圧迫されてて、血の流れはかなり抑えられてた。もしあれがなかったら、出血で命は危なかったかもしれないな。」


「やっぱり、原口先生が?」


佐伯は驚いたように眉を上げた。


「先生がやったの?そこまでは俺らには分からないけど...。ただ、技術は的確だった。あれは素人の思いつきじゃない。落ち着いて血管の位置を押さえてたからね。」


美優は手帳に震える文字で書き込む。

佐伯は静かに言葉を添えた。


「俺の感覚で言えば、助けるつもりがなければできない処置だと思うけどね。」


その言葉に、美優は胸が締めつけられた。

涙がにじみそうになり、慌ててふく。


「本当にありがとうございます。」


署を出ると、冬の夜風が頬を刺した。

けれど心の奥では、ほんの少し温かさを感じていた。


(原口先生は、きっと犯人じゃない。)


小さくつぶやき、美優は学校へ向かう足を早めた。


―――


夕方の病院。

白い廊下は消毒液の匂いに満ち、面会受付の前には制服姿の警察官が立っていた。

鈴木と怜奈は寄せ書きを抱えて並び、緊張で手の汗を拭った。


「生徒代表です。会長にお見舞いを渡したいんです。」


寛人が差し出した紙を、警官が受け取って中身を確かめる。

ちょうどその時、弟の翔が廊下の奥から現れた。


「弟の瞬です。それ、俺が渡しておきますね。」


怜奈が勇気を振り絞って声をかける。


「翔くん…ほんの少しでいいから、会長と話せないかな?私達、どうしても確かめたいことがあるの。」


瞬は深いため息をつき、面倒くさそうに頭をかいた。


「わかりました。5分だけですよ。ただし、俺も付き添います。」


警官に一礼し、3人は病室へ入る。


白いカーテンに包まれた部屋。

ベッドの上で奈良義一は上体を起こしていた。頬は青白いが、目にはいつもの整った光を宿している。


「来てくれたのか。」


奈良は薄く笑った。


「わざわざありがとう。」


怜奈が寄せ書きを差し出す。


「これ、クラスのみんなから。」


奈良は一瞥し、机に置いた。


「わぁ、嬉しいな。今日はこれを渡しに来てくれたの?」


寛人が前に出る。


「会長、ひとつ聞かせてほしい。原口先生に刺されたって、本当に間違いないの?」


奈良の目が鋭くなる。


「俺自身が刺されたんだよ?間違いようがないじゃないか。」


怜奈が言葉を重ねる。


「でも、私達が見たのは止血してる原口先生だった。刺した人には、とうてい見えなかったけど。」


奈良は小さく首を振る。


「それこそが原口先生の狙いじゃないの?」


寛人は食い下がる。


「その場に駆けつけたのは、俺も含めて何人もいた。第一発見者の沙織だって、原口先生が後から来たと言ってる。」


奈良の視線が揺れる。


「意識もうろうとして記憶が曖昧になっているのかもしれない。」


瞬が低くつぶやいた。


「兄貴は昔からそうだよな。どーんな時でも答えを用意してる。嘘でも本当でも、同じ顔で。」


「瞬、黙れ。」奈良の声は鋭かった。


「黙らない!」


瞬の声は震えていた。


「本当に刺されたなら、どうしてそんなに冷静に喋れるんだよ。俺には全部猿芝居に見えるんだよ!」


病室に重苦しい沈黙が落ちる。

寛人は奈良をまっすぐ見据えた。


「俺達は必ず真実を確かめる。会長の言葉だけじゃ納得できないからね。」


奈良は口を閉ざしたまま、初めて笑みを崩す。

その表情に、鈴木と怜奈は胸の奥に寒気を覚えた。


やがて看護師がドアを開け、面会終了を告げた。

二人が病室を出ると、廊下の冷たい空気が一気に押し寄せてくる。


怜奈が唇を噛む。


「やっぱり何か隠してる。」


鈴木はうなずき、拳を握った。


―――


図書室。

窓の外には、冬の風に押し流される雲。

街灯の光が曇りガラスに揺れて、壁に不規則な影を落としていた。


机の上で光るスマホ画面に、無数の書き込みが並ぶ。


《廊下で刺されたのを見た》

《現場は三階》

《教師が血を拭いてた》


どれも断片的で、そして妙に似通っている。

違う人間が書いたはずなのに、言葉の調子がどこか同じ。


「作為的だな。」


直樹が低く言った。


「誰かが、あえて同じ調子で書き散らしてる。」


沙織は唇を噛み、画面から目を逸らす。


「じゃあ…。見たっていうのは嘘?」


「嘘か、本当か。それすら分からない。」


直樹はノートを開き、ペン先で強く線を引いた。


「ただ一つ確かなのは、俺達を惑わせたい奴がいるってことだ。」


図書室の奥から、カーテンがふっと揺れた。

風か、それとも。

二人は思わず視線を向けるが、そこには何もない。


再び机に目を戻すと、掲示板には新しい書き込みが一つ追加されていた。


《次は誰なの?》


黒い太文字が、画面の隅でじわりと浮かんでいた。

沙織の指先が震える。


「誰か、見てる。」


そう呟いた声は、図書室の静けさに吸い込まれ、消えていった。

しかし、何かが近くで笑った気配だけは、確かに残っていた。


―――


夜の校舎。

街灯の光に照らされた廊下の奥に、黒い影が立っている。

生徒か、教師か、それとも外の誰かなのか。

判別はできない。


掲示板の前に足を止めると、その紙を指でなぞる。


《裏切り者はだあれ》


影は、かすかに笑った。


「ふふ...。どんどん面白くなってくるね。」


その影はゆっくりと背を向け、闇の中に溶けていく。

残された紙だけが、かすかな音を立てて揺れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
N2715KW
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ