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遭遇 ~朝の乗馬にて~

 がヴァルツザルク伯爵家に連なる貴族は、三年に一度集まるしきたりがある。

 集会場所はドイツ・マンハイムにある大公の屋敷だ。

 我々一族は、何世紀という時を遡ると、その大公を中心に枝分かれしてきたものだとわかるが、本当のところどの家が本家だったのかは明らかでない。


 私が当主をつとめるヴァルツザルク家は、フランス国境からドイツ南西部において古くから権力を握ってきたため、一目置かれ、そして孤立している。


 しきたりなので仕方なく集会には顔を出すものの、親しい者はだれもおらず、どこで血が繋がっているのかわからないほど遠い親戚ばかりだ。


 枝分かれした家系の中には狡猾な連中もいるが、同じ血を分けたとは思えないほど愚鈍な一家もいる。

 ほとほと嫌気がさす……私は、宿泊している大公の屋敷の個室から、冬景色の中庭を眺めてはため息をついた。


 しかし、その年はひとつだけ今までと異なる点があった。

 愚かしい一族の中に、ひとり新顔がいたのだ。

 それは、社交界デビューして間もない十六歳の少女だった。


 少女といっても、容貌は他の十代と比べると大人っぽく、顔や目つきもその家系には珍しく聡明そうであった。


 広間での夕食の席に現れ、皆に紹介されている彼女を見たとき、私は何か胸に引っかかるものを感じた。

 薄いブルーのワンピースを着た彼女は、やや無愛想に周囲を見渡していた。

 一瞬、目が合った。

 黒く大きな瞳だった。




 深夜、貸切の客室で布団にもぐりこんだとき、私は胸の突っかえの正体に気付いた。

 遠いパリに住む“彼女”に、少女はすこし似ていたのだ。

 年齢や背丈こそ異なるものの、髪色や顔の造形がわずかに似ていた。


 立場の差やあらゆるしがらみによってついに手に入らなかった彼女を思う。

 ……また思い出してしまった。もう忘れなければいけないのに。





 翌朝、私はまだ空が白いうちから出かけ、庭園の向こうにあるなだらかな丘まで乗馬をした。

 木陰で馬を降り、その健康的で艶やかな青毛を手でなでる。

 たてがみから尾まで全身漆黒の自慢の愛馬だ。

 この集会の合間に乗馬を楽しむために、わざわざ居城から連れてきていた。

 馬と本くらいなくては、退屈なここではひまを持て余してしまう。


 馬の背に片手を乗せたまま、乗馬服のジャケットの中に手を入れ、煙草を取り出した。くわえて、銀のジッポーで火をつける。

 紫煙を吐きながら、首を締めつけるクラヴァットの結び目を指でゆるめた。仕立てたばかりの革のブーツに、枯れた野草が絡みついている。


 そのとき、不意に月桂樹の木陰に白い馬が現れた。

 目を上げると、馬の乗り手は昨日はじめて見た例の少女だった。

 紺色の乗馬服を着て、馬の背に姿勢よくまたがっている。

 少女はこちらに気付いて驚きの表情を浮かべ、そのまま馬の首を向けて近付いてきた。


「ごきげんよう、伯爵様。こんなに朝早くから出かけていらっしゃるんですね」


 彼女は私の目の前で馬から降り、会釈した。しぐさは丁重だが、昨晩と変わらず笑顔はない。


「君もずいぶん早起きなんだな、お嬢さん(フロイライン)


 愛馬のヘレンに腕を預けながら、煙草を一口吸う。少女はすこし煙たそうに眉をひそめた。


「その子はご自分の馬ですか、ヴァルツザルク様」


 少女がおずおずと聞いてくる。やはり馬鹿ではなさそうだ。話し方でわかる。


「ああ、そうだ。自宅からここまでの旅路に付き合ってもらった」


 左手を伸ばして馬の鼻先をかすめる。ヘレンは甘えるように顔をこすりつけてきた。

 少女は二頭の馬をじっと眺めて言う。


「私の馬はここの屋敷で借りたものなんです」

「アラブ種の雌馬か? なかなかいい馬じゃないか」


 私がそう言うと、少女はわずかにほほえんだ。なんだ、ちゃんと笑えるではないかと思う。

 こうしてそばに並んでみると、少女はずいぶん小柄に見えた。

 この角度から見える骨格や線の細さも、パリの彼女によく似ている。

 だが、太陽光のもとで見てみると、髪はあの彼女よりだいぶ明るい栗色だった。……ああ、また思い出してしまった。


 少女が私を見上げて唐突に、煙草っておいしいんですかと聞いてくる。


「まあな。そういつも吸ってるわけじゃないが。ところで、君の名前はたしか“マリオン”だったかな」

「はい、マリオン・ウルムと言います。覚えてくださってたんですね」


 昔からわずらわしいほど記憶力だけは良いため、一度聞いた名前は忘れない。


「ありきたりな名前だから、よく忘れられるんです」と彼女が言う。

「伯爵様は、ファーストネームはなんておっしゃるんですか?」


 一瞬、間があった。


「……ゴーサだ」

「ゴーサ・ヴァルツザルク様ですね。覚えました」


 マリオンはどこか嬉しさをにじませて言った。



 その日の晩、夕餉ゆうげの席で、下座のほうにいる少女からたびたび視線を感じたが、気付かぬふりをして過ごした。

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