みなしごの令嬢は紳士な軍人と婚約する、はずでした
無花果家で、私は「蛇ノ目の」と呼ばれている。名前は別にあるけれどそれを呼ぶ人は誰もいない。
事故でみなしごになった蛇ノ目家の長女。無花果じゃない、蛇ノ目の子。
「軍人さんが来てるの、すごく格好良くて、私のこと可愛い名前だって! まるでどこかの王子様みたい!」
庭で洗濯物を干していた私はその声に顔を上げる。見れば従姉妹の魔莉亜が使用人に興奮気味に話しかけていた。妙齢の使用人はあらあら、と優しげな声で魔莉亜の頭を撫でている。
と、私の視線に気がついたのか魔莉亜がふと顔を上げ、こちらをぎろりと睨みつけた。
「ちょっと、蛇ノ目のお姉さま、手が止まっていなくて?」
私は「すみません」と小さく言って洗濯籠に視線を戻す。しばらく真面目に干すふりをして、魔莉亜達の足音が遠ざかっていったところで「べ」と舌を出した。
「……なーにが王子様よ。あんなにはしゃいじゃって、子供みたい」
はーあ、とため息を吐きながら、魔莉亜の洗濯物だけわざとよくシワが伸びるように強めにパンパンと引き伸ばしてやった。
誰も仕事を手伝ってくれないお陰で陰口だけは言い放題だった。使用人達が悪いんじゃない。魔莉亜がそう命令しているのだ。
魔莉亜は私の歳下の従姉妹で、いわゆるいいところの一人娘だ。昔はこんな意地悪じゃなくてもっといい子だった。それが私が両親を亡くしてこの無花果家に転がり込んできてから一変、私を邪魔者のように扱い、そして今ではまるで使用人のように見下している。
魔莉亜の母と父……私にとっての叔父と叔母は決して悪い人達じゃない。けれど可愛い一人娘に対してはちょっと盲目なところがあって、どうやら私が望んで使用人の真似事をしていると魔莉亜に吹き込まれた嘘を信じているらしい。
何度も違うと訴えようとしたが、結局それはできなかった。だってもしそれが魔莉亜にばれて、叔父様と叔母様にもっと変な嘘を吹き込んだら? それを信じた二人が私を無花果家から追い出したら? まだ十六の私が親なしで生きていくことなんて到底できない。だからそんな扱いをされても黙っているしかなかった。そう、私にはどうしようもないのだ。
けれど幸い、一度も話したことのない使用人たちも同情くらいはしてくれる。命令以上の意地悪はされないし、食べ物だって寝るところだってある。命の心配も今のところない。だから私は、大人しく従順にしているしかなかった。
それに、だってそうすれば──
「……あら、あなたどこから来たの?」
庭の茂みの奥から、よたよたと小さな毛玉が這い出てきた。よく見ると子猫の形をしている。可哀想に、親猫とはぐれてしまったのだろう。
洗濯物を置いて、汚れた毛玉をそっと掬い上げた。冷たい。にー、と弱々しい鳴き声。生きてはいるらしいけれど、このままではすぐに死んでしまうだろう。哀れだ。
そっと周りを見渡す。人の気配はない。よし、と頷いて、冷たい胸に指先を置く。
「ちょっとだけ我慢してね」
指先に集めたほんの少しの魔力を子猫の胸元にそっと押し込んだ。
途端に子猫の身体に熱がじんわりと戻ってきて、手足を活発に動かし始める。もう大丈夫だろう。
すっかり元気になった子猫を庭の茂みに放すと、一目散に何処かへと駆けて行った。この辺りは猫を好きな人も多いから、きっとどこかで可愛がってもらえるだろう。よかった、と胸を撫で下ろして洗濯物干しを再開した。
じゃり、とかすかに足音が聞こえた気がしてはっと手を止めたけれど、周りを見渡しても人の気配はなかったしきっと聞き間違いだろう。そう思ってカゴの中の襦袢を手に取りなおした。
この世には魔力というものがある。全ての生物は魔力を持っていて、自由に使うこともできるし色々な事に使える。単純に身体を強化したり、怖い兵器のような使い方をしたり、はたまた電気の代わりに動力源として使ったり。
けれど魔力は生命力でもあるので、つまりあんまり使いすぎると死んでしまうこともあるらしい。人や物によって持っている魔力の大きさはまちまちだ。その点無花果家は、魔莉亜はこの辺りじゃ……ううん、きっと世界でも有数の魔力量を誇っている。
それに比べて、私は人よりも劣ったほんの少しの魔力しかなかった。けれど、その代わりに持っている「力」がある。それがさっき子猫を助けたように、自分の魔力を他人に分け与える力だ。お母様から、蛇ノ目家から受け継いだ私にとって形見とも言える力。
……お母様からの言いつけで、人前で見せちゃいけないからこっそり使うしかないんだけどね。誰にも教えちゃいけないし、だから魔莉亜にも「魔力のない役立たず」と見下されているのだけれど。
きっと私が頑なに「蛇ノ目の」と呼ばれているのも、この魔力量のせいなのだろうとは思う。こんなに魔力の少ない人間を無花果家の者として扱いたくはないのだろう。
けれどお母様は言ってくれた。言いつけを守ってさえいれば、そのうちきっと本当の私をわかってくれる運命の人ができるって。
一通りの家事をこなして、余った冷えたご飯を貰って自分の部屋へと下がる。辛うじて貰えた何もない自室だけが、唯一私がこの家で気を抜ける場所だった。
ふ、と息を吐いて唯一の家具である小さな引き出しから一通の手紙を取り出す。
それは私のもう一つの形見、お母様からの手紙だった。何度も開いて千切れてしまいそうなそれをそっと開く。その中には教訓じみた言葉が綺麗な字で書かれている。
一つ、笑顔で優しくいること。
二つ、力は弱いもののためにこっそり使うこと。
三つ、本当の力は、運命の相手だけに使うこと。
本当の力というのは、子猫に魔力を与えた力とはまた違うもの。自分の魔力の源……魂とも呼ぶべきものの一部を、相手の魂の一部と交換してしまう力だ。魂の共有と言うくらいだ、命の共有、つまりどちらかが死ねば両方死ぬだなんて恐ろしい状態になる代わりに、相手は本来の何倍もの魔力を使えるようになる、らしい。怖くて一度も試したことなんてないけれど。
お母様を亡くしてからはこの言いつけを守って、理不尽なことがあっても常に笑顔で優しく振る舞って、そして庭に迷い込んだ生き物達をこっそり助けて生きてきた。
大切な手紙をそっとしまって、敷いた布団の上に倒れ込む。ふーっ、とため息を吐く。
「……迎えにきてくれないかな、運命の人」
なんて、魔莉亜みたいな子供じゃないし本気で運命の人なんて信じてるわけじゃないけれど。それでも心の片隅でどこか期待してしまう自分がいた。
どうしようもない人生を、全部救ってくれるような人を。可愛い名前だなんて言ってくれるような、まるで王子様みたいな人を。
お客様として無花果家にやってきている軍人の方は、どうやら無花果家の婚約者候補らしい。なぜわかったかって、魔莉亜がそう騒いでいたのが朝餉の準備をしている時に耳に入ってきたからだ。
「すごく素敵な方だったのよ、博識で、礼儀正しくて! 昨日は一緒にお庭をお散歩したの。エスコートもしてくださって……」
声と足音が近づいてくる。まさか魔莉亜がわざわざ台所に来るわけないわよね、と思っていた次の瞬間には私によく似た、けれど私よりもずっと可愛く着飾った魔莉亜が顔を覗かせた。
「あらお姉様! 今日も一人で使用人の真似事? ご立派ね、ほんと!」
そうするように仕向けたのはあなたでしょう、と言いたい気持ちは飲み込んだ。反抗しちゃだめ、とお母様の言いつけを思い出す。黙ったままでいると、魔莉亜はふん、と鼻を鳴らして口の端を吊り上げた。
「私、もうすぐ家を出るの。帝国軍の方がどうしてもこの家の娘を婚約者にしたいんですって。すごく優しくて素敵な方で……ごめんなさいね、お姉様。私、お姉様より先に婚約者を貰っちゃうなんて……」
「……素敵な方でよかったわね。おめでとう、魔莉亜」
どうせ私の悔しがる顔を見にきたんだろう。私がにこりと笑ってそう返すと、つまらなそうに舌打ちをした。
「お姉様にも早く見つかるといいわね、行き遅れないうちに!」
そう言うなりきゃらきゃらと笑って去っていってしまった。足音が完全になくなるのを待ってから、ふーっ、と大きなため息を吐く。
帝国軍と言ったらほとんど華族や貴族の方で構成されているところで、町の若い女の子たちの憧れだった。
魔莉亜は確かに可愛らしい。町中の男の人が魔莉亜に恋をしている、と言っても過言ではないくらいに。それに魔力なら十分過ぎるほどある。なんと言っても無花果家は貴族の端くれだ。なるほど帝国軍の軍人さんの婚約者として相応しいだろう。
無意識のうちに俯いていた視界に、あかぎれだらけの手とお下がりで色褪せた着物が映る。
本当のことを言うと、魔莉亜を羨む気持ちがない訳じゃない。けれど私は魔莉亜ほど器量も良くなければ綺麗な服も着ていない。そしてなにより、私は無花果家の娘じゃない。
叔父様に頼み込めば、もしかしたら軍人さんに顔くらいは会わせてもらえるのかもしれない。けれど例えそうしてもらったとして、私を見初めてくれる可能性なんてないのだろうから。
もし私がもっと器量がよかったら、もっといい着物があったら、きっと勇気を出せたんだろうな。なんて考えても仕方がないけど。
ため息を吐きながら、私は朝餉の準備に戻った。
その晩、いつものように食事の準備をしていると珍しく叔父が台所までやって来た。
「蛇ノ目の、ちょっといいかい?」
「は、はい」
なんだろう、と首を傾げながら包丁を置く。煮炊きの面倒は叔父が他の使用人を呼んでくれたのでお任せした。
台所を出て、廊下をどんどん進んでいく叔父の背中についていく。私が普段立ち入らないところまで来た時はちょっと不安になったが、叔父はそれでも足を止めない。
屋敷の廊下の一番奥、滅多に使わない客間の前まで着いて、叔父はようやく足を止めた。
「お待たせしました」
おじの開けた襖の向こう側には、男の人が座っていた。軍の制服を着た、体格のいい人。俯いた顔が上げられる。一見強面にも見える顔はとてもよく整っていて、とっさに胸が高まった。
「入りなさい」
「あ、し、失礼します…」
叔父に急かされて部屋の中へと入る。叔父の隣、軍人さんの目の前に用意された座布団に正座した。
「彼女が?」
「ええ、蛇ノ目家の長女です」
久しぶりに聞いた私の苗字に瞬きする。叔父と軍人さんの間では既に何かしらの話がされていたようで、軍人さんは「そうですか」と頷いて私を見た。
「はじめまして。私は桔梗、桔梗晴之と言います。帝国特殊部隊に所属している……ようは軍人です」
「桔梗、様……」
「はは、晴之で構いませんよ」
顔に見合わず、低いのに柔らかい声だった。笑いかけられて反射で顔が赤くなる。
「可愛らしいお嬢さんだ」
そんなこと、この家に来てから一度も言われたことなんてなかった。ますます恥ずかしくなって視線を手元に落とす。
「こんな方を私の婚約者にして頂けるなんて、嬉しい限りです」
「……え?」
けれどすぐに聞きなれない言葉が耳に飛び込んできて、驚きのあまり顔を上げて叔父を見た。
「いえいえ、しかし本当にいいのですかな。魔力量としては魔莉亜の方が多いですし、蛇ノ目家というのは、その……」
「全て承知しております。大丈夫ですよ、我が桔梗家で大切にお預かりさせていただきますので」
叔父が何か言い淀んだのを遮るように晴之様が言った。
「あの……叔父様……?」
私が恐る恐る聞くと、叔父は眉尻を下げながら困ったように笑った。
「ああ、突然で悪いね。桔梗様が、お前を婚約者としたいそうなんだ」
「私を、婚約者に……?」
うわ言のように呟きながら晴之様の顔を見る。目があった瞬間、にこりと笑いかけられた。
「昨日のお庭でのこと、実は影からこっそり見ていたんです。……お優しい方だ」
その瞬間、ああ運命の人とはこの人のことなのかもしれないと、そう思った。
「お父様!どういうことですか!」
魔莉亜が部屋の外で騒いでいるのが聞こえるけれど、私は昨日の昼からずっとぼんやりとしていて出ていく気にもなれない。
「あの方、最初は私の婚約者になってくれるって言ってたじゃない!」
「まあまあ、先方の御希望だ。流石に帝国に勤める方に反対はできないよ」
やはり魔莉亜の婚約者となるはずだったらしい。それなのにわざわざ私を選んでくれた。その事実に、はじめての気持ちがじわりと胸に湧く。
「そろそろ桔梗様が迎えに来られます」
襖の向こう側から声がかけられる。私ははっとして、慌てて少ない荷物を持って廊下へと出た。
玄関には魔莉亜と叔父がいた。私に気がついた叔父は困った風に笑い、魔莉亜は目に涙を浮かべて睨みつけてきた。
「……お姉様、ずるいわ。きっとみなしごだからって桔梗様の気を引いたのね」
またか、と内心ため息を吐いた。魔莉亜はいつもそうやって私の悪いように話を作り上げるのだ。
「同情させたんでしょう? 大切な叔母様と叔父様の死を利用して……そんなのって、酷……」
「申し訳ないのですが、私は同情で婚約者は選びません」
突然外から低く穏やかな声が舞い込んできた。
「き、桔梗様……」
魔莉亜は驚いたように目を丸くして固まっていたけれど、すぐに気を取り直して胸の前で手を組んだ。
「桔梗様、どうしてお姉様なのですか? 魔力でしたら私の方がお姉様よりもずっとありますことよ。それに、それに私の方が器量だって……!」
「しかし、命を救ったことはありませんね?」
「は?」
きょとんとした魔莉亜の後ろで、私はまるで夢を見ているかのような心地だった。
「それじゃあ、行きましょう」
差し伸べられた手に、おずおずと手を重ねる。
「……はい」
押し黙ってしまった魔莉亜の横を抜け出て、晴之様に手を引かれながら私は無花果家を出た。
ようやく迎えが来てくれたのだと、これできっと報われるのだと思って、いつのまにか目尻に涙が滲んでいた。
晴之様が家の前に用意した馬車に乗り込んで、帝国軍へと向かう。ガタガタと揺れる車内で、目の前に座った晴之様は黙ったままだった。
ずっと気持ちがふわふわとしていた。とはいえ私も緊張で口を開けなかったから、車内にはずっと沈黙が落ちていた。四半刻も立つと流石に気まずくなってきて、勇気を振り絞って「あの」と口を開く。
「……晴之様。どうして私を選んでくださったんですか?」
なんとなく予想はついていたけれど、やっぱり晴之様の口から聞きたかった。さっきから胸がどきどきとして、今にも破裂しそうだった。
私の言葉に、晴之様はにこりと笑って足を組んだ。その上に頬杖をつく。なんだかその様子が、家で見た行儀の良い態度と違って目を瞬かせる。
「……あなたは、運命の人を信じていますか?」
「え、あ、はい……」
唐突な質問に目を瞬かせたが、その意味するところに気がついてじわりと頬が赤くなる。思わず俯いて膝の上で手を組み合わせ──
──そこに、ふ、と笑い声が降ってきた。
「あーあ、とんだ茶番だなァこりゃ」
「……は?」
口調も声色も全然違う。けれど間違いなく晴之様の声だった。思わず羞恥も忘れて顔を上げる。
「お前さん、本気で信じてんのか? 俺が運命の人だって?」
「え? え?」
そう喋る晴之様は、まるで一瞬で入れ替わってしまったかのように別人だった。
「お前が猫の命を助けてやって? その優しさに一目惚れして? それで婚約者になってくれって頼み込んだって?」
「な、何を……言ってるんですか?」
ぞわりと鳥肌が立った。冷たい目に貫かれて身がすくむ。
その時、外から異音がした。すぐにガタンと大きく馬車が揺れる。
悲鳴を上げた私とは対照に、晴之様は冷静なままだった。
「ああほらお出ましだよ、俺がお前さんを引き取った本当の理由」
止まった馬車の扉が勝手にガチャンと開く。晴之様は呆然とする私の腕を掴んで、そのまま外へと引き摺り出した。地面に無理やり倒される。
「い、痛……っ!」
何をするの、と叫ぼうとして顔を上げた次の瞬間、けれど私は恐怖のあまりに言葉を飲み込むこととなった。
そこにいたのは、おぞましい姿をした何かだった。獣のような、もやのような、腐ったなにかのような。蠢くそれが馬車にへばりついている。
「何あれ……!」
「妖だ。なんだお前さん、見たことないのか」
腰の刀を引き抜きながら晴之様が無感情に言う。見たことない、ある訳がない。
「し、し、知らない、あんな化け物、知らな……きゃっ!?」
ぐっと強く腕を掴まれる。食い込むほど強く。同時に、じわりと魔力が吸い上げられていく感覚があった。まさか、と思って晴之様の顔を見る。ようやくわかったか、とでも言いたげな顔で晴之様が面倒臭そうに口を開いた。
「そうだよ、これが理由だ。お前さん、魔力の移動が得意なんだろう? あるだけ全部俺に寄越しな」
また魔力が吸い上げられる。さっきまで浮かれて顔を赤らめていたいたのが馬鹿みたいにさあっと血の気が引いていった。
「嫌か? 嫌でもいいけどよ、そしたら二人で死ぬだけだぜ」
晴之様がそう言うや否や、化け物の沢山ある腕の一本がこちらに襲いかかってきた。「ひいっ」と私がか細い悲鳴を上げると同時に、しかし刀がそれを切り落とす。
重い音を立てて弾け飛んだ化け物の欠片に、私は完全に強硬状態に陥っていた。ガタガタと身体が震え、もはや悲鳴すらも上げられない。その間にも魔力はどんどん吸い取られていく。
今まで魔力を分け与えたことはあれど、こんな勢いで無理やり吸い取られたことなんてなかった。死ぬ、という字が頭に浮かんだ。冷や汗が吹き出てくる。
殺されるんだ。
冗談じゃなかった。どうしてこんな人のために死ななきゃいけないのだ。いつもそうだ、いつも私ばっかりこんな理不尽な目に遭うの。私ばっかりが我慢して、仕方がないって諦めて、報われるまで待ってばかりで。
化け物が伸ばしてくる腕がまた目の前で弾け飛ぶ。
「なんで私ばっかり、こんな……」
呆然とした声で呟くと、晴之様がけっと唾を吐いた。
「あーあ、結局血は拭えねえな。甘ったれのお嬢様ってわけかよ」
吐き捨てるように言われた言葉にガン、と頭を殴られたような衝撃を受けた。
「な……なに、その言い草……!」
「だってそうだろ? 自分だけが不幸みたいな顔しやがって、嫌だ嫌だって思ってて、そのくせなんにも頑張らなくて、いつか誰かが助けてくれるって信じきってやがる。それのどこが甘ったれじゃないって?」
「な、な……」
ぱくぱくと口が開閉する。あまりのことに言葉が出てこなかった。
だって、お母様もお父様も亡くなってしまって何もできなかった。追い出されるのは嫌だから、魔莉亜に反抗するなんてできなかった。いつか運命の人が迎えに来てくれるから、それを待っているしかなかった。お母様の言う通りにするのが一番だった。
理不尽な人生だと思っていたけれど、全部私にはどうしようもなくて、我慢することしかできなかったから。
──本当に?
本当に何もできなかったの? ちょっとくらい勇気を出して誰かに相談できたんじゃないの? 使用人と隠れてお話くらい出来たんじゃないの? ちょっと魔莉亜に言い返したくらいで本当に追い出されると思ってたの? 本当に運命の人が全部何とかしてくれると思ってたの?
お母様の言う通り、言い訳ばかりして諦めていればいつか幸せになれるって信じて、何にもしなかったの?
「お前の白馬の王子様は随分と責任重大だなァ? そんなの俺はごめんだね。ほら、早く残りの魔力全部寄越しな。骨くらいは丁寧に弔ってやっからよ」
持っていかれる魔力の量がぐっと多くなる。くらりと目眩さえ感じる。
ああ、死ぬんだ、と思って、その瞬間全部どうでも良くなって──そして、代わりにふつふつと怒りが湧いてきた。
「……くそ、が……」
「あ?」
人前でそんな言葉は使ったことがなかった。だってお母様の手紙に書いてあったから。でももう、どうでもいい。死んじゃうんだからどうでもいい。
今はただ、目の前のこの男のことをどうにかしてやりたかった。
多分、これが人生で初めて誰かにした反抗だった。
「クソが、って言ったの! この、この人殺し!」
「が……っ!?」
晴之様のお腹の辺りに手を当てて、ぐっと力を入れる。
「王子様に期待して何が悪いの! お父様もお母様もいなくなって、頼れる人なんかいなくて、じゃあ私はどうすればよかったの!? 誰にも迷惑なんかかけてない、ただ遺言を守ってただけで、ちょっとくらい助けを期待しただけで、何が悪いって言うの! ええそうよ、甘ったれでしょうね、けどそれがあんたにとってなんだって言うの!」
中の魂の一部引き摺り出して、同時に私の魂の一部も引き摺り出す。激しい痛みと吐き気が襲ってきて、いっそ笑えるくらいだった。
お互いの魂を入れ替えて、元のように押し込める。私の本当の力、魔力と命の共有だった。これで晴之様の魔力は何倍にもなったはずだ。
驚いたように私を見た晴之様に、あは、と笑い返す。
「これで、私が死ねばあんたも死ぬわ。代わりに私の力をあげる。せいぜいそれで目の前の化け物倒して私を守りなさいよ、私ごときに頼らなきゃいけないくらい弱っちい軍人さん!」
ついでにそう吐き捨ててやる。どうにかしてこいつの歪んだ顔が見たかったのだ。
「……上等じゃねーか、お嬢ちゃんにしてはよく吠えたなァ?」
それなのに晴之様は怒るどころか、にたりと嫌な笑い方をした。
次の瞬間、一瞬時が止まったかと思った。それくらい強い魔力が、すぐ近くから……晴之様の刀から放たれたのだ。
痺れを切らしたらしい化け物が、本体ごと襲ってきていた。それに向かって軽く刀を振る。
瞬きの間に勝負はついていた。真ん中から真っ二つになった怪物が、どしゃりと目の前に崩れ落ちる。
「……」
非現実的な光景に、声も出ずにその場にへたり込んだ。いつのまにか腕は離されていた。
「おー、こりゃ予想以上だ」
隣から呑気な声が聞こえてくる。刀を鞘にしまいながら、晴之様が顔を覗き込んできた。
「腰が抜けたか」
突然視界に入ってきた顔に、びくっと肩が揺れた。
「ち、近寄らないで!」
「あ? 近寄んなくてどうやって運ぶんだよ。それともなんだ、ここで座り込んだまままた襲われてしにてぇのか?」
そう言うや否やあっという間に抱き上げられて、抵抗する間も無く肩に担ぎ上げられる。俵のように。ぐえっ、と声が出たけれど、お構いなしに歩き始めてしまった。
私を殺そうとした人に、死なせないために担がれている。なんだか訳がわからなくなってきた。
人気のない道を、無言のまま荷物のように運ばれていく。
「……さっきの言ってたこと、本当なの?」
気づいたらそう呟いていた。
「あー? 何が本当だって?」
「婚約の理由とか、私を殺そうとしたこととか……」
くっ、と喉の奥で晴之様が笑った。どうにも癪に触る笑い方だった。
「俺が演技であんなこと言ったとでも思ったか? ま、流石に殺そうとは思っちゃいねえさ。魔力が尽きるギリギリまで搾り取ってやろうとは思ってたけどなァ」
ぎっ、と身体が強ばったのが伝わったのか、愉快そうな声で晴之様が続けた。
「そうだな、最初はこんな甘ったれたお嬢様なんぞ監禁でもしようかと思ってたが……だが魂の一部を交換されちまったのは予想外だったよ。一杯食わされたと思った。それでお前さんを気に入った。想像以上に魔力も強くなったしな」
そこまで言って、ピュイ、と口笛を吹いた。しばらくすると、遠くから馬の足音が聞こえてきた。馬車が襲われた時に逃げて行った馬らしい。
晴之様は近くまで来た馬の手綱を易々と握って、どうどう、と馬の身体を叩いて落ち着かせる。そうして静かになった馬の背に、私を座るように下ろしてくれた。
ようやく見ることができた晴之様の顔には、相変わらず嫌な笑顔が張り付いていた。
「ま、そういうことで監禁はなしだ。正式に婚約者として引き取ってやる。よろしくな、お嬢ちゃん?」
わざとらしく手を差し伸べられたが、私は口元を引き攣らせることしかできなかった。そんなことを言われて素直によろしくだなんて言える人がどこにいるだろうか。
私が手を握り返さないので早々に諦めたのか、晴之様はよいせ、と掛け声を上げながら私の背後に乗ってきた。
背中から腕を回されて手綱を握る。簡単には逃げられなさそうだ。いや、今逃げたところでどうにもならないけれど。
おかしなことになったな、とやっと回り始めた頭で思う。お母様の言いつけ通りに過ごした私に王子様は与えられなかったけれど、言いつけを破った私には救いでも王子様でもない人が迎えに来てくれた。
「……で? 名前は?」
「は?」
「は? じゃねーよ。お前さんの名前。悪いが今まで覚える気なんぞなかったもんでな」
なにそれ、と絶句した私は、けれど今までの人生でついた諦め癖を発揮してなんとか文句を飲み込んだ。
「……羽衣よ、蛇ノ目羽衣」
「そうかい、羽衣か」
そう呼ばれてから、そう言えば随分と長い間名前を呼ばれていなかったことに気がつく。叔父も叔母も使用人からも、いつも「蛇ノ目の」と呼ばれてばかりだった。
蛇ノ目の家では毎日呼ばれていたのに、無花果家に転がり込んでからは全く呼ばれなくなった名前。たちまち懐かしさを覚える。
「可愛らしい名前だなァ」
嫌味か何かわからないけれど、そう言われた時にどこか泣きそうなほど胸が熱くなったのは、懐かしさのせいだと思いたかった。
そのうち長編になっているかもしれません